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4章 偏食お嬢さんと、血液を作るご飯

第10話 貧血を治す為のご飯だった!

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「今帰ったよ」

 そう言って帰って来たのは、マリナでもマルスでも無く、中年の男性だった。

「お前さん、お帰り」

 トマト煮込みとスープを作り終え、居間兼食堂で珈琲コーヒーを飲んでいた浅葱あさぎたちは、ぺこりと頭を下げて男性を出迎えた。

「おじさん、お帰り」

「おお、カロム。いらっしゃい。済まないな、忙しいだろうに」

「いやいや。今日は帰り早いんだな」

「朝が早かったからな。ああ、こちらが錬金術師さまと助手さんだな」

 かしこまって座る浅葱とロロアに視線を向けると、深く頭を下げた。

「ルビアの夫のオーランドです。この度は妻と娘の為にお骨折りくださり、本当にありがとうございます」

 何とも丁寧ていねいに礼を尽くされて、浅葱とロロアは慌てて立ち上がる。

「とんでもありません。浅葱と言います。こちらこそお節介だとは思うので、ご迷惑になってやしないかと」

「そうなのですカピ。こちらこそ何度もお邪魔をして、申し訳無いのですカピ」

「いえ。お陰さまでマリナも食べられるものが増えている様で、本当にルビア共々感謝しているんですよ」

「そう言っていただけたら嬉しいです」

 そう言って浅葱とロロアが頭を下げたその時。

「ただいま!」

「ただいま」

 マリナとマルスが帰って来た。頭を下げ合う父親と浅葱たちを眼にして、マリナは「どうしたの?」といぶかしげに首を傾げる。

「きちんとお礼をしておかねばならないだろう。お前たちがお世話になっているんだから」

「それはそうなんだけど、帰って早々父親のそんな姿見せられたら吃驚びっくりするよ。錬金術師さま、アサギくん、カロム、今日もありがとう」

「ううん。お役に立てていたら嬉しいよ」

「凄っごくお役立ちだよ! お肉なんて本当に久しぶりに食べた。しかも美味しかったし! あんなお肉もあるんだね」

 鶏のささみの事である。

「今日のも多分食べられると思うよ。脂身が駄目なんだもんね」

「そうそう。脂の無いお肉があるなんて知らなかったから」

「じゃあ支度をしようかね。後は温めるだけだから、私だけでも大丈夫だね」

「お手伝いします」

 ルビアに続いて浅葱も立ち上がる。

「あら、じゃあお願いしようかね」

 そうして並んで台所へ向かった。



 テーブルに着くオーランドたちの前に並べられたのは、2種のトマト煮込みと野菜たっぷりのスープ。マリナへのトマト煮込みはヒレを使ったひと皿だけを。

「どうして私だけひとつ?」

「もう一皿は脂身が多いお肉を使ってるんだよ。まだマリナには難しいと思う」

「ああ~そうかぁ。でも何か悔しいなぁ」

 マリナが口を尖らすと、カロムが「だったらさ」と口を開く。

「徐々に脂身に慣れて行ったらどうだ。正直脂身に関しちゃ、無理に食わんでも良いとは思うけどよ」

「そうかも知れないけどぉ。あ、じゃあ私のこれは脂身の無いお肉なんだね?」

「そう。豚なんだけどね、豚にも鶏みたいに脂身の少ない部分があるんだよ。だから試してみて欲しいと思って。オーランドさんとルビアさんとマルスくんは、食べ比べてみてください。いつもの豚肉に一手間加えたものと、脂身の少ないものと」

「いつもの豚肉? あの脂身が多めのあれか?」

 オーランドがそう行って皿を覗き込む。真っ赤なトマトソースの中から覗く肉の塊。片方がバラ肉、もう片方はヒレ肉だ。

「そうです。食べてみてください」

「じゃあ早速」

 オーランドとルビア、マルスがスプーンを手に、バラ肉をすくい上げ、口に入れた。

「んん!」

「ん!」

「お!」

 三者三様の声が上がる。その眼は綺麗に見開かれ、輝きを帯びていた。

「いつもよりあっさりしてる。脂の量が程々で良いな!」

「本当だね! 脂の部分がとろっとしてるし、美味しいね!」

「うん。いつもは脂の部分が固めな感じがしてたんだけど、これは柔らかいね。ソースも脂ぎってなくて美味しい」

「……あのさ、やっぱりいつもの煮込み、美味しく無かったかい?」

 オーランドとマルスの反応に不安になったのか、ルビアがおずおずと口を開いた。ふたりは自然に視線を交わすと、「ううん」と苦笑する。

「美味しく無い訳じゃ無いんだ。ただ少しな、あの、な」

「う、うん。ちょっと脂っこかったって言うかさ」

「そうかい。やっぱり茹で溢しって大事なんだねぇ」

 ルビアがそう残念そうに言って空を仰いだ。

「「ゆでこぼし?」」

 オーランドとマルスの声が重なる。

「煮る前に茹でて、灰汁と余分な脂を抜いたんだよ。助手さんに教えて貰った方法なんだけどね」

「茹でるだけでこんなに変わるものなのか?」

 オーランドの眼がまた開かれる。

「そうなんだねぇ。実際に食べてみて驚いたよ。本当にありがとうね助手さん。これでオーランドたちに美味しい料理を食べさせてあげられるよ」

「いえ。手間は増えちゃいますけど、頑張ってください」

「菓子作りに比べりゃ楽なもんだろ、おばさん。正直俺らからしたら、菓子作りの方がよっぽど面倒なんだからな」

「まぁねぇ。今みたいに美味しいって言ってくれたら、作り甲斐もあるってもんだけどねぇ」

「言う言う!」

「言うからさ!」

 ルビアの溜め息混じりの口調に、オーランドとマルスが口々に言った。

「そうかい? なら頑張ってみようかね」

 ルビアがニッと口角を上げると、マリナから「ねぇねぇ」と声が掛かる。

「私も食べてみたい」

「う~ん、そうは言ってもまだマリナにはつらいんじゃ無いかねぇ」

 ルビアは難色を示すが、マリナも譲らない。「食べてみたい!」

「じゃあ姉ちゃん、ほら」

 横のマルスが皿を差し出してやる。

「ちゃんと飲み込めよ。味は美味いんだからな」

「判ってる」

 マリナは言うと、マルスの皿からバラ肉を掬い、緊張からかごくりと喉を鳴らした。

 大きな口を開けて、口へ。もぐもぐとみ、そして。

 「んんん」と涙目になった。

「ご免、やっぱりまだ脂は駄目みたい。味は美味しいのに」

「飲み込めるかい?」

「飲み込む。これで成長出来る気がする」

 何のだ。ともあれマリナは息を止めてまごまごしていたが、どうにかバラ肉を飲み下した。

「アサギくんご免ねぇ。絶対に美味しいのに」

「無理はしないでね。その為にこっちの脂身の少ない部分を用意したんだから」

「うん。こっちいただいてみる」

「じゃあ私たちも」

 マリナに続いてオーランドたちもヒレ肉を口に運ぶ。するとまた、全員の眼が開かれた。

「柔らかい! え、しかも味わい深いし。え? あんな淡白そうなお肉だったのに、こんな美味しかったのかい!?」

「え、これ豚肉なのか? 凄いあっさりもしているんだが」

「うん、うん! このお肉私でも食べられる! 嬉しい! 美味しい~!」

「噛めば噛むほど甘みが来るんだな、この肉。旨いな」

 大好評である。流石は高級部位、ヒレ肉。

「実は、牛にもこういう脂の少ない部位があるんです。豚で大丈夫なら、牛も食べられると思うんですけど。赤ワイン煮込みとか良さそうですね」

「へぇ、そうなんだ。じゃあ今度作ってみるかね」

「その前にアサギくんに作って欲しいなぁ」

「何だい? 私の腕が信用出来ないのかい?」

「と言うより、単純にアサギくんが作るワイン煮込みが食べたい。お母さんも勉強になるんじゃ無い?」

「そりゃあ確かにそうだけどさぁ」

 ルビアは渋るが、マリナはぐいぐいと来る。

「良いかなぁ、アサギくん」

「勿論だよ。またお邪魔しても良いなら」

「決まり! 日はまた決めようね。ありがとう、楽しみ!」

「全くもう。マリナが厚かましくて申し訳無いねぇ、助手さん」

 ルビアが呆れた様に息を吐くが、浅葱は笑顔のままで応える。

「いえいえ。大丈夫ですから。それに赤肉では、牛肉が1番貧血に良いんですよ」

 浅葱が言うと、「あ」とマリナたちの動きが止まった。

「そうだった。これ、私の偏食へんしょく直すのが目的じゃ無くて、貧血を治す為のご飯だった!」

「そう言やそうだね! 私もすっかりと忘れていたよ」

「確かに偏食は貧血に良く無いですが、まずは貧血を治さなくちゃね」

「忘れないでくれよな、ふたりして。アサギ、今度脂身少ないとこ買って来るからよ、うちでも作ってくれよ」

「勿論だよ。僕もヒレ肉お腹一杯食べたい」

「あら、あらあら、私たちだけでごめんなさいね」

 食べる事に夢中だったルビアが、今気付きましたと言う様に口を押さえる。

「そう言えばこの前もだけど、何でカロムたちは食べて無いの?」

 問われ、浅葱とロロア、カロムは眼を見合わせ、「ああ」と口を開いた。

「とにかくマリナたちに食わせなきゃってそれだけだったな」

「本当だね。ロロア、お腹空いて無い?」

「美味しそうなお食事を見ていたら、少し空いて来ましたカピ」

「じゃあ帰って俺たちも晩ご飯にしようぜ。買い物行って、と」

「良かったらうちにあるもの持って帰っておくれよ。お礼にもならないだろうけど、せめてさ」

「いやいや、大丈夫だからよ」

「まぁまぁ、良いから良いから」

 言うなりルビアは立ち上がり、カロムを台所へと引っ張って行った。

「ははっ、ああなったルビアは誰にも止められない。カロムも観念するんだな」

 オーランドは可笑おかしそうに笑うと、台所のカロムに聞こえる様に声を上げる。すると台カロムの「はいよ~」と小さな返事が届いた。
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