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2章 牛鬼の花嫁

第3話 恐ろしい鬼

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 そうして「とりかい」は閉店を迎え、オーダーストップからぼちぼちと始めていた片付けもひと段落する。

「ふうと、今日はどうしたんや。えらい調子悪かったみたいやけど」

 お父さんが不思議そうに言うので、亜沙あさとふうとは代わる代わるで大鬼にかれていたお客さまの話をした。

「ぼく、怖ぁて怖ぁて。ぼくかてあやかしやけど、あんな大きなあやかしには勝たれへんから」

 ふうとが消沈して言うと、どこからともなく声が聞こえて来た。太い大人の男性の声だ。

「なら、余計なことはすんな」

 亜沙もお父さんもふうとも顔を上げ、きょろきょろと店内を見渡す。お店はもう店じまいをして、お客さまは全員帰ったはずだ。何て不気味なことか。亜沙の背にぞわりと冷たいものが這い上がる。

 すると、カウンタの向こう、客席の何も無かったところにすぅっと人影が現れ、それはあっという間に人の様な形になった。……いや、違う。茶色の和装に、銀色の長い髪の毛の間から二本の太くて白い角が生えている。亜沙はあまりのことに息を飲んだ。

 褐色の肌から覗く切れ長の赤い目は、ぎろりと亜沙たちを睨み付ける。ふうとはすっかりと青い顔ですくんでしまい、お父さんもさすがに強張った表情で後ずさった。

「……おに」

 亜沙の掠れた声が自らの鼓膜に響く。それは近くにいたふうとにも聞こえていた様で、ぶんぶんと肯定する様に首を上下させた。

 確かに大鬼だ。ごつごつとした筋肉質な身体。身長は2メートルほどもあるのでは無いだろうか。

「そうや。俺は牛鬼ぎゅうき。和歌山の海に住まう鬼や」

 牛鬼。亜沙にも聞き覚えがある。出自などは詳しく無いが、漫画やアニメなどにも出て来る様な有名なあやかしだったと思う。

 亜沙はその迫力にごくりと喉を鳴らす。お父さんは唖然としていて、ふうとは恐怖からか震える手で亜沙の腰にしがみついた。

「こりゃあびっくりやわ。そんな大あやかしが、なんで人間に憑いてるんや?」

 お父さんのどこかのんびりした声が響く。表情からして驚いてはいるのだろうが、お父さんは亜沙よりもあやかしに免疫があるのだ。亜沙はただただ恐ろしい風貌に怯え上がるしかできない。それでもふうとを守る様にその小さな身体に腕を回した。

「それはお前らには関係無いやろ。ここの飯、豆腐にはそれなりの力があるみたいやけど、俺には通じん。諦めるんやな」

 牛鬼はそう言い残すと、ふっと消えた。またあの女性のお客さまの元に戻ったのだろう。亜沙は力が抜けて、ふうともろともその場にへたり込んでしまった。

「ご、ごめんなさい亜沙さん、ぼく、あやかしやのに、ぼくが」

 ぼくが、何とかせんと。そう言いたいのだろうか。確かにあんな大鬼、亜沙やお父さんの様な、あやかしが見えるだけの人間が敵うはずが無い。確かにふうとはあやかしだが、ふうとは亜沙たちよりもずっと小柄なあやかしなのである。しかもきっと、戦ったりするのには向いていない。

「大丈夫やで、ふうと。大丈夫」

 亜沙は泣きそうに顔をくしゃくしゃにしているふうとをそっと抱き締めた。

「そら、あんなでかいあやかし来たら怖いわなぁ。僕もびっくりしたわ」

 お父さんはそう言いながらからからと笑う。本当に驚いたのかと思う様なのんびりとした様子だ。お父さんの度胸と言うのか胆力たんりょくと言うのか、何とも恐れ入る。

「でもふうと、あのままやったらあのお客さんどうなるんや?」

 お父さんが聞くと、ふうとは少し考え込んだあと、ふるふると首を振った。

「わかりません。あのお客さま、牛鬼が憑いていたのに、とてもお元気でした。生気を吸われたりはしていない気がします」

「それは、憑いて間も無いからとか、そういうわけや無くて?」

 亜沙が尋ねると、ふうとは「はい」を神妙な顔で頷く。

「あんな大きなあやかしです。憑いているだけで人間さまは消耗するはずです。なので、あの牛鬼はわざと吸い取ってへん、ただ、側におるだけなんです」

「どういうことなんやろ」

 亜沙は困惑する。お父さんも困った様に首を傾げた。ふうとは「分かりません」と首を振った。

「それこそ、牛鬼本人に聞かんと分かりません。でも、でも、ぼくには」

 ふうとがまた顔を青くして震えだす。やはり思い出しただけでも怖いのだろう。何かを聞いたりするのならなおさら。なので亜沙は決心する。

「ほな、私が聞いてみる」

 亜沙も怖い。一目見ただけで恐怖ですくみ上がってしまったのも事実だ。だが牛鬼があの女性に何をしようとしているのか。憑いていることを知ってしまったのだから、放っておくわけにはいかない。

「せやな。僕もおるし。このままにしとくんはさすがになぁ」

 お父さんもいてくれるのなら心強い。亜沙はほっと息を漏らした。

「ぼ、ぼくもがんばります!」

 ふうとも気合いを入れる様にぐっと拳を握った。怖いだろうに、健気である。

「うん。ほな、次にあのお客さまが来てくれはったら、牛鬼にちゃんと話を聞こ」

 さっきの素っ気ない態度からしても、取りつく島が無い様に思えるし、なにしろあのお客さまがまた「とりかい」に来てくれるかどうかも分からない。だが放置はできない。これから先あのお客さまに何かあっただなんて聞いたときには、きっと亜沙は深く後悔するだろう。そうならないためにも、できることをしなければ。

 人間ごときの亜沙が、大あやかし相手に何ができるかは分からないのだが。



 こんなときは神頼み、では無いが。

 亜沙とお父さんは「とりかい」への出勤前、大国主おおくにぬし神社にまつられている氏神うじがみさまに手を合わせていた。

 どうか、あの女性のお客さまが災難に遭いませんように。

 事情が分からないから、こんなことしかお願いできないが、ほんの、ほんの少しだが、亜沙の心は軽くなった。お父さんもだろうか。上げた顔は穏やかなものだった。

「行こか」

「うん」

 外の鳥居を出て、一礼。そうして亜沙とお父さんは大国町だいこくちょうの駅へと向かった。
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