大阪の小料理屋「とりかい」には豆腐小僧が棲みついている

山いい奈

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1章 きっとここからが、始まり

第3話 お父さんの方便

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 そうして食卓が整い、ダイニングテーブルにお父さんお母さんと向かい合わせに座った亜沙あさは、家族揃って「いただきます」を手を合わせた。

 時短技を取り入れながらも、丁寧に作られた品々。ほかほかと湯気を立て、美味しい香りが鼻をくすぐる。

 食卓には今作ったもの以外に、前日の「とりかい」での作り置きお惣菜の余りが並んでいる。今日は卯の花と切り干し大根だ。一晩置いているので、味が馴染んでこれらも絶品なのである。

 美味しいものを食べる時間は、亜沙にとって癒しである。チャーハンを作ったのはお父さんだし、海老チリの味を決めたのもお父さんである。ちんげん菜炒めとスープは亜沙が作ったが、亜沙とて一応料理人の端くれである。それなりのものはできているはずだ。今は追い回しの立場なので、堂々と言いづらいのが辛いところだが。

 ずずっと小さな音を立ててスープを飲んだお父さんは、「うん、美味いなぁ」と表情を綻ばせた。

「ほんま? ありがとう」

 お父さんは決して亜沙をけなさない。ここが家庭で、お仕事の現場では無いということもあるのだろうが、きっと亜沙が「つるのさと」でろくな扱いをしてもらえていないこともおもんぱかってくれている。

 それでも褒めてもらえるのは、亜沙の励みになる。毎日消沈してはいるものの、だからこそこのお父さんに肯定してもらえる時間は貴重だった。

 お母さんも「旨っ」と言いながらスープをすする。お母さんは良い意味でも悪い意味でも正直者で、特に家族には容赦が無い。いまいちなら素直にそう口にする。なので亜沙はまた安心してほっと息を吐くのだ。

 亜沙もまずはスープからとお椀を持ち上げた。ベースは中華だしの素で、日本酒を入れることでインスタントっぽさを打ち消している。味付けはお塩と少しのお砂糖、白こしょう。仕上げにごま油を落としてある。

 飲みやすく、途中で飽きたりしない様に優しい味に整えていて、その味わいがじわりと身体に染み渡る。弱火でじわりと火を通した卵もふわふわになっていて、つるんと口に入ってくる。わかめは乾燥のものを使っているが、戻しすぎない様にしているのでしゃくしゃくとした歯ごたえである。

 今日も我ながら上手にできたと亜沙は安堵する。やはりお料理が巧くいくと嬉しい。その日1日が良い日になりそうな気がする。そして「つるの郷」で裏切られるわけだが。

 次にお父さんの海老チリにお箸を伸ばす。ケチャップの酸味が程よく抑えられ、旨味が凝縮したソースがぷりぷりの海老に絡んでいる。みじん切りの玉ねぎも入っているので、その甘みとしゃくっとした歯ごたえも感じられる。

 お父さんが作るお料理は、優しい味がする。特に中華料理の調味料にはオイスターソースや山椒、紹興酒やラー油など刺激の強いものも多い。だがお父さんはそれらを駆使して、食べた人がほっとする様なものを作るのだ。

 決して薄味だとかそういうわけでは無い。パンチはきちんと効いている。だが辛い、や、甘い、それらの中に、お父さんの料理人としての心構えが見える様である。

 「つるの郷」にいる限り、亜沙がそれを感じることは無いだろう。料理長だってお客さまに喜んでもらえる様にと腕を奮っているのだとは思う。だが性別で人を差別する料理長に、果たして人を慮る気持ちがあるのかどうか。

 料理長のお料理を食べる機会も、教えを請う機会もとんと無いので、正直なところ亜沙には料理長の人間としての人となりは分からない。料理長、料理人としての立場を離れたときにどうなのか。だが今のところ良い印象は無かった。

 そうすると、亜沙はどうしてもお父さんを目標にしてしまうのだった。だから1日でも早く「とりかい」に入りたい。そのためには少しでも多くお金を貯めなくては。

 お父さんはれんげで口に運んだチャーハンを飲み下すと、「亜沙」と声をあげる。

「ん?」

 亜沙は口の中にまだ海老チリが入っているので、口を閉じたまま返事をする。

「「つるの郷」におって、もう3年やったな」

 亜沙は慌てて海老チリを咀嚼し、ごくりと飲み込む。

「うん。丸3年になるわ。この春で4年目」

「やっぱり、まだ追い回ししかさせてもろてへんのか?」

 亜沙は両親に料理長が女性を差別していることを伝えてある。お父さんは渋い顔をし、お母さんは亜沙以上に憤慨ふんがいし、亜沙もついつられてお母さんと一緒に「くたばれー!」なんて拳を振り上げたものだった。

「うん。他の料理人さんがたまに教えてくれたりするけど、基本は下ごしらえとか雑用とかばっかり。今んとこにおる限り、このままなんとちゃうかなぁ。でもお給料はええ方やと思うし、せやから割り切ってるわ」

 お父さんは金額こそ言わなかったが、お金を貯めろと言った。ならこれまで通りがベストなのだと思う。これが「とりかい」に入るための近道、亜沙はそう信じているのだ。

 するとお父さんは「そうか……」と呟く様に言って、手を止めて考え込む様に目を閉じた。が、それはほんの数秒。お父さんは「それやったら」と口を開いた。

「もうそこ辞めて、うちで一緒にやるか」

 亜沙は目を見開いた。それは確かに亜沙が望んでいたことだ。だが。

「え、でも貯金がまだ充分や無いかもしれんし」

 亜沙は戸惑う。本当に大丈夫なのだろうか。お父さんは貯金の目標金額を明確にはしていなかった。なので亜沙は貯められるだけ貯める、と定額貯金と、節約しつつ残りをできるだけ蓄えに回していたのだ。

「それやけどな」

 お父さんは少し言いづらそうに口をもごもごさせる。そして苦笑いを浮かべた。

「うちはそんな心配するほどや無いんや。僕はな、単に亜沙に外で料理人経験っちゅうか、社会人経験っちゅうか、そういうのを積んでほしかったんや。貯金はそのための方便や」

「そうなん!?」

 亜沙はつい声を荒げてしまい、愕然とした。
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