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エピローグ
平和なひととき
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(平和やな……)
ランチタイムが終わり、落ち着いたカフェ・シュガーパインの店内を見渡して、春眞は思う。
春眞とて、事件に関わることをそこまで忌避しているわけでは無い。茉夏ほどの興味を示さないだけだ。冬暉が警察官である限り、冬暉の同僚であり秋都の元後輩である夕子が里中家に出入りする限り、世間話程度ではあるだろうが、そういう世界に触れるだろう。
それでもやはり、春眞はもちろん茉夏も、そして今や秋都も民間人なのだ。探偵ごっこよろしく事件に首を突っ込むのは良く無いのだ。
好奇心旺盛の茉夏が味をしめていないと良いのだが、とこっそり願う。
そんな茉夏だが、晩ごはんを食べに来た夕子に、受け持ちの事件の話をせがんで、当たり障りの無い部分だけを聞いて、どうにか気持ちを満たしている様だ。
ちなみに冬暉には訊かない。邪険にされて喧嘩になるのがオチだからである。
さて、そろそろティタイムだろうという時間帯、レアチーズケーキをご贔屓にしているご常連の男性が訪れる。今日もスリーピースを格好良く着こなしていた。色はベージュなので雰囲気が柔らかく感じる。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ~」
それぞれがお迎えすると、男性は「おう」と軽く手を上げる。口を開けばいつものガラの悪さが垣間見えた。
「レアチーズとブレンド頼むわ」
男性は席に着くなり、メニューも見ずに注文した。
「はい、お待ちください」
春眞はお冷とおしぼりを置きながら返事をする。と同時に、ふわりと鼻を掠める火薬の匂いに(あ、また)と目を細めた。
このご常連の男性からは、時折火薬の匂いがするのである。仕事などで火薬を扱っているのだろうか。花火師とか採掘現場とか、それとも……自称サラリーマンと言うことだが。
例えご常連とは言え、こちらから踏み込むことはしない。もし世間話の中ででもそんな内容が出たら知ることもあるだろう。
このことは誰にも、秋都にすらも言っていない。茉夏の耳に入って、下手に好奇心を刺激したく無かったからだ。茉夏もわきまえてはいるが、万が一お客さまの失礼になってしまっては一大事である。
「兄ちゃん、ブレンドとレアチーズ」
「はぁ~い」
秋都はドリッパーを出し、春眞はショーケースからレアチーズケーキを出した。プレートに置き、脇にブルーベリージャムを置き、ケーキの上にミントの葉を飾る。
秋都は丁寧にブレンドをドリップする。近くにいるとその芳醇な香りが漂って来て、つい鼻で追ってしまう。やがて最後の一滴がコーヒーカップに注がれた。
「は~い、ブレンドお待たせ~」
「はいよ」
春眞はトレイにブレンドとレアチーズケーキを乗せ、ご常連のもとへと運ぶ。
「お待たせしました」
そうして音をできるだけ立てない様に、プレートとカップをそっとテーブルに置いた。
「お、ありがとう。これやこれや」
ご常連は嬉しそうににやりと笑い、いつもの様にブレンドコーヒーにミルクと砂糖をたっぷりと入れた。わくわくとした子どもの様な表情である。
(ああ、平和やわぁ)
そんな光景に、つい微笑ましくなってしまう。
これからもこんな平和が続けば良いな、と心の底から思ってしまう。お客さま商売なのだから、思いも寄らぬことがあるかも知れないし、困ることだって起こるだろう。
だが巧くバランスを取りながら、日々を過ごして行けたらなと思っている。
「どうしたん、春ちゃん、にやにやして」
おっと、顔に出てしまっていただろうか。春眞は慌てて顔を引き締める。
「いやさ、このまま平和でおってくれたらええなぁて思って」
すると茉夏は「えー?」と不満げだ。
「ボクは何かあってくれたほうがええけどな。ほら、この前みたいなん。わくわくするやん」
食い逃げのことなのか、ストーカーのことなのか、殺人事件のことなのか、それとも別のことなのか、何を指しているのかは判らないが、春眞は苦笑するしか無い。
「この店のためにも、平和でおってくれた方がええやろ?」
「それはそうかも知れへんけどさ~」
茉夏はそう言って膨れてしまう。相変わらずである。好奇心の強さは茉夏の長所であり短所でもある。
「ほらほら、喋ってへんで、働きなさ~い」
呆れ声の秋都に窘められ、春眞と茉夏は「はぁい」と揃って返事をした。
男性のご常連は目を細めながら満足げにレアチーズケーキを味わっている。カウンタの若い女性のお客さまは生クリームをこんもりと絞ったパンケーキ、テーブル席の老年のご夫婦はバターとメープルシロップをたっぷり掛けたホットケーキを楽しんでいた。
(ほらな、やっぱり平和がいちばんやわ)
春眞はのどかなシュガーパインを眺めて、ゆったりと微笑んだ。
ランチタイムが終わり、落ち着いたカフェ・シュガーパインの店内を見渡して、春眞は思う。
春眞とて、事件に関わることをそこまで忌避しているわけでは無い。茉夏ほどの興味を示さないだけだ。冬暉が警察官である限り、冬暉の同僚であり秋都の元後輩である夕子が里中家に出入りする限り、世間話程度ではあるだろうが、そういう世界に触れるだろう。
それでもやはり、春眞はもちろん茉夏も、そして今や秋都も民間人なのだ。探偵ごっこよろしく事件に首を突っ込むのは良く無いのだ。
好奇心旺盛の茉夏が味をしめていないと良いのだが、とこっそり願う。
そんな茉夏だが、晩ごはんを食べに来た夕子に、受け持ちの事件の話をせがんで、当たり障りの無い部分だけを聞いて、どうにか気持ちを満たしている様だ。
ちなみに冬暉には訊かない。邪険にされて喧嘩になるのがオチだからである。
さて、そろそろティタイムだろうという時間帯、レアチーズケーキをご贔屓にしているご常連の男性が訪れる。今日もスリーピースを格好良く着こなしていた。色はベージュなので雰囲気が柔らかく感じる。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ~」
それぞれがお迎えすると、男性は「おう」と軽く手を上げる。口を開けばいつものガラの悪さが垣間見えた。
「レアチーズとブレンド頼むわ」
男性は席に着くなり、メニューも見ずに注文した。
「はい、お待ちください」
春眞はお冷とおしぼりを置きながら返事をする。と同時に、ふわりと鼻を掠める火薬の匂いに(あ、また)と目を細めた。
このご常連の男性からは、時折火薬の匂いがするのである。仕事などで火薬を扱っているのだろうか。花火師とか採掘現場とか、それとも……自称サラリーマンと言うことだが。
例えご常連とは言え、こちらから踏み込むことはしない。もし世間話の中ででもそんな内容が出たら知ることもあるだろう。
このことは誰にも、秋都にすらも言っていない。茉夏の耳に入って、下手に好奇心を刺激したく無かったからだ。茉夏もわきまえてはいるが、万が一お客さまの失礼になってしまっては一大事である。
「兄ちゃん、ブレンドとレアチーズ」
「はぁ~い」
秋都はドリッパーを出し、春眞はショーケースからレアチーズケーキを出した。プレートに置き、脇にブルーベリージャムを置き、ケーキの上にミントの葉を飾る。
秋都は丁寧にブレンドをドリップする。近くにいるとその芳醇な香りが漂って来て、つい鼻で追ってしまう。やがて最後の一滴がコーヒーカップに注がれた。
「は~い、ブレンドお待たせ~」
「はいよ」
春眞はトレイにブレンドとレアチーズケーキを乗せ、ご常連のもとへと運ぶ。
「お待たせしました」
そうして音をできるだけ立てない様に、プレートとカップをそっとテーブルに置いた。
「お、ありがとう。これやこれや」
ご常連は嬉しそうににやりと笑い、いつもの様にブレンドコーヒーにミルクと砂糖をたっぷりと入れた。わくわくとした子どもの様な表情である。
(ああ、平和やわぁ)
そんな光景に、つい微笑ましくなってしまう。
これからもこんな平和が続けば良いな、と心の底から思ってしまう。お客さま商売なのだから、思いも寄らぬことがあるかも知れないし、困ることだって起こるだろう。
だが巧くバランスを取りながら、日々を過ごして行けたらなと思っている。
「どうしたん、春ちゃん、にやにやして」
おっと、顔に出てしまっていただろうか。春眞は慌てて顔を引き締める。
「いやさ、このまま平和でおってくれたらええなぁて思って」
すると茉夏は「えー?」と不満げだ。
「ボクは何かあってくれたほうがええけどな。ほら、この前みたいなん。わくわくするやん」
食い逃げのことなのか、ストーカーのことなのか、殺人事件のことなのか、それとも別のことなのか、何を指しているのかは判らないが、春眞は苦笑するしか無い。
「この店のためにも、平和でおってくれた方がええやろ?」
「それはそうかも知れへんけどさ~」
茉夏はそう言って膨れてしまう。相変わらずである。好奇心の強さは茉夏の長所であり短所でもある。
「ほらほら、喋ってへんで、働きなさ~い」
呆れ声の秋都に窘められ、春眞と茉夏は「はぁい」と揃って返事をした。
男性のご常連は目を細めながら満足げにレアチーズケーキを味わっている。カウンタの若い女性のお客さまは生クリームをこんもりと絞ったパンケーキ、テーブル席の老年のご夫婦はバターとメープルシロップをたっぷり掛けたホットケーキを楽しんでいた。
(ほらな、やっぱり平和がいちばんやわ)
春眞はのどかなシュガーパインを眺めて、ゆったりと微笑んだ。
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