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6章 良いものと悪いもの
第5話 憑かれた理由
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鬼、酒呑童子。その伝承はいくつかの地に存在する。だがここでは京都府の大江山に住んでいたというものに沿うことにする。
その鬼の頭領は茨木童子などの配下の鬼を従え、酒好きなことから酒呑童子と呼ばれていた。
大江山を拠点に数々の悪行を繰り返していた酒呑童子。多くの姫君が拐かされ、女中にされたり食われたりしていたそうだ。
当初は神隠しと言われ原因が判らなかったのだが、それを占術で暴いたのが、かの有名な陰陽師、安倍晴明である。そして討伐に遣わされたのが源頼光とその四天王である渡辺綱たちだ。
そうして酒呑童子は無念にも斬首され、打倒されたとされている。
かなりおおまかではあるが、まとめるとそういうことである。
そう。酒呑童子は退治されたはずなのだ。この鬼の言葉を疑うわけでは無いのだが、どうしても疑問を抱いてしまう。
この酒呑童子と言う名前は固有名詞である。マリコちゃんたち座敷童子の様に、稀少ではあるものの複数いるわけでは無い。
それは吉本さんも朔と同じ思いを抱いた様で、小首を傾げた。
「酒呑童子は源頼光らの手によって退治されたと伝わってますが」
「ああ、頼光の名を出すな。忌々しい」
酒呑童子と名乗った鬼は、端正な顔をめいっぱいしかめ、舌打ちした。
「我は確かに頼光らに首を切られた。だが年月を得て大江山にて再生したのだ」
「そんなことがあり得ると?」
「現にあり得た。我はこうして存在している。それが証明にならぬか?」
吉本さんは手を顎に添えて考え込む。朔たち素人にはこの鬼が本当に酒呑童子なのかは皆目判らない。吉本さんの判断を待つしか無いのだが。
「……酒呑、お前、再生したのか」
マリコちゃんがぽつりと言うと、鬼は座ったままのマリコちゃんを見下ろして口角を上げた。
「そうだ。貴様は座敷童子だな」
「そうじゃ。確かに酒呑ほどの力を持つものじゃったら、再生してもおかしくは無いのかも知れん。じゃがわしも狩られる前のお前を知らんからの。何とも言えん。しかしお前が強大な力を持つ妖怪ということはさすがに判る。鬼であることは間違い無いし、酒呑であっても頷けんことは無い」
すると鬼は「はぁ~」と面倒そうな息を吐いた。
「ごちゃごちゃと難しいことは我には判らぬ。だが気付けば我はまた大江山にいた。それだけだ。その我が我を酒呑童子だと言っている。異論があるか?」
「無い。酒呑童子と言うのはそもそも妖怪の種のくくりでは無く個体の名称じゃ。本人が名乗ればそれを否定する理由は無い。万が一名前負けする様なことがあれば、恥を掻くのは本人じゃしな」
マリコちゃんが淡々と言うと、鬼は愉快そうににやりと笑った。
「言うな、座敷童子。なら我の力を示してやろうか?」
「祓われたく無ければ止めておけ。そこの吉本にはそれだけの力がある」
「ほう、こんな小童に?」
鬼は吉本さんを一瞥する。吉本さんは萎縮することも無くにっこりと笑った。
「そりゃあもう、最大限の備えはしとりますから」
そうか。吉本さんは才原さんに憑いているものが鬼だと気付いていたのだろう。マリコちゃんはそこまでは判らなかった様なので、それだけ吉本さんの力は大きいのだと言える。
伊集さんとの一件で凄い方なのだろうとは思っていたが、朔が思った以上なのかも知れない。
鬼は吉本さんを頭のてっぺんからつま先までじろじろと睨め付ける。そしてまた舌打ちした。吉本さんは嫌そうなお顔ひとつせず、笑みすら浮かべてそれを受け入れる。
「……なるほど、言うだけのことはある様だな。判った、おとなしくしておこう。我はただ我が酒呑童子であることを認められればそれで良い」
「ほな酒呑童子、あなたはどうしてこの才原くんに憑いてはるんです?」
吉本さんに問われた鬼、あらため酒呑童子は、事も無げに応える。
「決まっておる。この男が酒に強いからだ」
「あなたは才原くんの身体を通して飲酒をしている、そういうことですね?」
「そうだ。それが我にとってのこの男の価値だ。他に理由は無い」
酒呑童子が才原さんを見遣る。才原さんはまだ驚いた表情のまま、酒呑童子を見つめていた。
「我は大江山から動けんわけでは無い。厚かましくも我の名を冠した里の住居で、人間たちが酒を飲んでたから、一時的に憑いてそれを味わっていた。だが誰もかれもが少なくてもの足りぬ。そんな時、この男が来たのだ」
大江山の中腹には「酒呑童子の里」という施設がある。ロッジなどの宿泊施設、キャンプ場やバーベキュー場などのアウトドア施設、テニスコートなどのスポーツ施設が整備されている。
学生の林間学校や子ども会、老人会などが利用することが多い様だが、個人の利用ももちろん可能である。
「才原くん、大江山に行ったん?」
「あ、は、はい。大学ん時、テニスサークルの合宿で」
そう応えられた才原さんのお顔はまだ強張っている。
「若い男がたくさんいたから、誰かひとりぐらい酒豪がおらぬか期待したが、果たしてその男がいたのだ。日本酒を持ち込んで、周りが次々と潰れて行く中、ひとりで瓶とやらが空になるまで飲み続けておった。だから我はこの男に憑いて行くことに決めた。大江山にいてもひとりで退屈だったからな」
「他の鬼は?」
「皆、頼朝らに殺されたわ。唯一茨木は逃げ延びたとも聞くが、その行方は分からぬ」
酒呑童子に最も近しかったという配下、茨木童子のことだろう。確か源頼光らに襲撃された時、渡辺綱に腕を切り落とされたとされている。今も存在しているのなら、隻腕なのだろうか。
「ほな、あなたの目的は、ただ酒を飲むことだけですか?」
「それ以外に何がある。今の楽しみと言えばそれぐらいだ。女を攫って手篭めにして食ろうて、それはそれは楽しいことだ。だがもうあの時みたいに首を刎ねられるのは御免被る。時が進んで今や刀の時代では無いことぐらい我にも判る。だがそれに変わるものぐらいあるだろう。現に貴様の様な者が存在するのだからな。せっかく再生したのだから、もう同じ鉄は踏まぬ」
酒呑童子は堂々と言い放ち、「ふん」と鼻を鳴らした。お酒のためだけ。それが本当なら才原さんに悪影響は無い様に思えるが。
「才原くんはどうしたい?」
「あ、え?」
才原さんは吉本さんに聞かれ、戸惑った様な素振りを見せた。
「このまま酒呑童子と共生するか、大江山に帰ってもらうか。才原くんの希望通りにしようと思うんやけど」
すると酒呑童子の目が剣を帯びて細められる。朔はついびくりと肩を震わせてしまった。
「……貴様、我とことを構える気か?」
「才原くん次第です。言うてもあなたを調伏するつもりはありません。今のあなたはただの酒好きの鬼です。ただ才原くんから離れてもろて、大江山に帰ってもらうだけです」
「そしてまた、あの里でしけた量の酒で我慢しろと?」
「そうなります」
吉本さんも冷静に目を細める。吉本さんと酒呑童子のにらみ合いが続いた。そんなひとりと1体に挟まれて才原さんはおたおたと慌てていたが。
「あ、あの」
そうおずおずと声を上げる。
「酒呑、童子、さん。ほんまに酒を飲んでるだけ、ですか?」
「そうだ。それだけが今の我の楽しみだ。それ以外は望まぬ」
酒呑童子はきっぱりと言う。その言葉に嘘は感じられない。あくまでも朔の印象であるのだが。
陽は、と見ると、真剣な視線は酒呑童子の美しい顔に注がれている。確かに見惚れてしまうほどの美丈夫ではあるのだが。
朔が見ていることに気付いた陽は、照れた様に「いやぁ」と指先で頬を掻いた。
「こんな綺麗な妖怪もおるもんなんやて思って。マリコちゃんも可愛いと思うけど、妖怪って美醜を気にせんって前にマリコちゃんも言うてたやん。せやからおもろいもんやなぁって思って」
確かにそうだ。だが妖怪にも色々な容姿があるのだから、おどろおどろしいものがいても、酒呑童子の様に麗しいものがいても、不思議では無いのかも知れない。
また才原さんを見ると、呆けた様な表情で酒呑童子をじっと見つめている。そしてぽつりとこぼした。
「確かに、めっちゃ綺麗ですよねぇ」
つい先ほどまで怖がっていたとは思えないせりふだった。朔は、そして横で陽も目を丸くした。マリコちゃんは「ほう」と感心した様に言い、吉本さんは「へぇ」と何かを察せられた様に笑みを浮かべた。
その鬼の頭領は茨木童子などの配下の鬼を従え、酒好きなことから酒呑童子と呼ばれていた。
大江山を拠点に数々の悪行を繰り返していた酒呑童子。多くの姫君が拐かされ、女中にされたり食われたりしていたそうだ。
当初は神隠しと言われ原因が判らなかったのだが、それを占術で暴いたのが、かの有名な陰陽師、安倍晴明である。そして討伐に遣わされたのが源頼光とその四天王である渡辺綱たちだ。
そうして酒呑童子は無念にも斬首され、打倒されたとされている。
かなりおおまかではあるが、まとめるとそういうことである。
そう。酒呑童子は退治されたはずなのだ。この鬼の言葉を疑うわけでは無いのだが、どうしても疑問を抱いてしまう。
この酒呑童子と言う名前は固有名詞である。マリコちゃんたち座敷童子の様に、稀少ではあるものの複数いるわけでは無い。
それは吉本さんも朔と同じ思いを抱いた様で、小首を傾げた。
「酒呑童子は源頼光らの手によって退治されたと伝わってますが」
「ああ、頼光の名を出すな。忌々しい」
酒呑童子と名乗った鬼は、端正な顔をめいっぱいしかめ、舌打ちした。
「我は確かに頼光らに首を切られた。だが年月を得て大江山にて再生したのだ」
「そんなことがあり得ると?」
「現にあり得た。我はこうして存在している。それが証明にならぬか?」
吉本さんは手を顎に添えて考え込む。朔たち素人にはこの鬼が本当に酒呑童子なのかは皆目判らない。吉本さんの判断を待つしか無いのだが。
「……酒呑、お前、再生したのか」
マリコちゃんがぽつりと言うと、鬼は座ったままのマリコちゃんを見下ろして口角を上げた。
「そうだ。貴様は座敷童子だな」
「そうじゃ。確かに酒呑ほどの力を持つものじゃったら、再生してもおかしくは無いのかも知れん。じゃがわしも狩られる前のお前を知らんからの。何とも言えん。しかしお前が強大な力を持つ妖怪ということはさすがに判る。鬼であることは間違い無いし、酒呑であっても頷けんことは無い」
すると鬼は「はぁ~」と面倒そうな息を吐いた。
「ごちゃごちゃと難しいことは我には判らぬ。だが気付けば我はまた大江山にいた。それだけだ。その我が我を酒呑童子だと言っている。異論があるか?」
「無い。酒呑童子と言うのはそもそも妖怪の種のくくりでは無く個体の名称じゃ。本人が名乗ればそれを否定する理由は無い。万が一名前負けする様なことがあれば、恥を掻くのは本人じゃしな」
マリコちゃんが淡々と言うと、鬼は愉快そうににやりと笑った。
「言うな、座敷童子。なら我の力を示してやろうか?」
「祓われたく無ければ止めておけ。そこの吉本にはそれだけの力がある」
「ほう、こんな小童に?」
鬼は吉本さんを一瞥する。吉本さんは萎縮することも無くにっこりと笑った。
「そりゃあもう、最大限の備えはしとりますから」
そうか。吉本さんは才原さんに憑いているものが鬼だと気付いていたのだろう。マリコちゃんはそこまでは判らなかった様なので、それだけ吉本さんの力は大きいのだと言える。
伊集さんとの一件で凄い方なのだろうとは思っていたが、朔が思った以上なのかも知れない。
鬼は吉本さんを頭のてっぺんからつま先までじろじろと睨め付ける。そしてまた舌打ちした。吉本さんは嫌そうなお顔ひとつせず、笑みすら浮かべてそれを受け入れる。
「……なるほど、言うだけのことはある様だな。判った、おとなしくしておこう。我はただ我が酒呑童子であることを認められればそれで良い」
「ほな酒呑童子、あなたはどうしてこの才原くんに憑いてはるんです?」
吉本さんに問われた鬼、あらため酒呑童子は、事も無げに応える。
「決まっておる。この男が酒に強いからだ」
「あなたは才原くんの身体を通して飲酒をしている、そういうことですね?」
「そうだ。それが我にとってのこの男の価値だ。他に理由は無い」
酒呑童子が才原さんを見遣る。才原さんはまだ驚いた表情のまま、酒呑童子を見つめていた。
「我は大江山から動けんわけでは無い。厚かましくも我の名を冠した里の住居で、人間たちが酒を飲んでたから、一時的に憑いてそれを味わっていた。だが誰もかれもが少なくてもの足りぬ。そんな時、この男が来たのだ」
大江山の中腹には「酒呑童子の里」という施設がある。ロッジなどの宿泊施設、キャンプ場やバーベキュー場などのアウトドア施設、テニスコートなどのスポーツ施設が整備されている。
学生の林間学校や子ども会、老人会などが利用することが多い様だが、個人の利用ももちろん可能である。
「才原くん、大江山に行ったん?」
「あ、は、はい。大学ん時、テニスサークルの合宿で」
そう応えられた才原さんのお顔はまだ強張っている。
「若い男がたくさんいたから、誰かひとりぐらい酒豪がおらぬか期待したが、果たしてその男がいたのだ。日本酒を持ち込んで、周りが次々と潰れて行く中、ひとりで瓶とやらが空になるまで飲み続けておった。だから我はこの男に憑いて行くことに決めた。大江山にいてもひとりで退屈だったからな」
「他の鬼は?」
「皆、頼朝らに殺されたわ。唯一茨木は逃げ延びたとも聞くが、その行方は分からぬ」
酒呑童子に最も近しかったという配下、茨木童子のことだろう。確か源頼光らに襲撃された時、渡辺綱に腕を切り落とされたとされている。今も存在しているのなら、隻腕なのだろうか。
「ほな、あなたの目的は、ただ酒を飲むことだけですか?」
「それ以外に何がある。今の楽しみと言えばそれぐらいだ。女を攫って手篭めにして食ろうて、それはそれは楽しいことだ。だがもうあの時みたいに首を刎ねられるのは御免被る。時が進んで今や刀の時代では無いことぐらい我にも判る。だがそれに変わるものぐらいあるだろう。現に貴様の様な者が存在するのだからな。せっかく再生したのだから、もう同じ鉄は踏まぬ」
酒呑童子は堂々と言い放ち、「ふん」と鼻を鳴らした。お酒のためだけ。それが本当なら才原さんに悪影響は無い様に思えるが。
「才原くんはどうしたい?」
「あ、え?」
才原さんは吉本さんに聞かれ、戸惑った様な素振りを見せた。
「このまま酒呑童子と共生するか、大江山に帰ってもらうか。才原くんの希望通りにしようと思うんやけど」
すると酒呑童子の目が剣を帯びて細められる。朔はついびくりと肩を震わせてしまった。
「……貴様、我とことを構える気か?」
「才原くん次第です。言うてもあなたを調伏するつもりはありません。今のあなたはただの酒好きの鬼です。ただ才原くんから離れてもろて、大江山に帰ってもらうだけです」
「そしてまた、あの里でしけた量の酒で我慢しろと?」
「そうなります」
吉本さんも冷静に目を細める。吉本さんと酒呑童子のにらみ合いが続いた。そんなひとりと1体に挟まれて才原さんはおたおたと慌てていたが。
「あ、あの」
そうおずおずと声を上げる。
「酒呑、童子、さん。ほんまに酒を飲んでるだけ、ですか?」
「そうだ。それだけが今の我の楽しみだ。それ以外は望まぬ」
酒呑童子はきっぱりと言う。その言葉に嘘は感じられない。あくまでも朔の印象であるのだが。
陽は、と見ると、真剣な視線は酒呑童子の美しい顔に注がれている。確かに見惚れてしまうほどの美丈夫ではあるのだが。
朔が見ていることに気付いた陽は、照れた様に「いやぁ」と指先で頬を掻いた。
「こんな綺麗な妖怪もおるもんなんやて思って。マリコちゃんも可愛いと思うけど、妖怪って美醜を気にせんって前にマリコちゃんも言うてたやん。せやからおもろいもんやなぁって思って」
確かにそうだ。だが妖怪にも色々な容姿があるのだから、おどろおどろしいものがいても、酒呑童子の様に麗しいものがいても、不思議では無いのかも知れない。
また才原さんを見ると、呆けた様な表情で酒呑童子をじっと見つめている。そしてぽつりとこぼした。
「確かに、めっちゃ綺麗ですよねぇ」
つい先ほどまで怖がっていたとは思えないせりふだった。朔は、そして横で陽も目を丸くした。マリコちゃんは「ほう」と感心した様に言い、吉本さんは「へぇ」と何かを察せられた様に笑みを浮かべた。
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