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6章 良いものと悪いもの
第1話 古典的表現
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桜が満開になり、わずかに寒さは残るものの、吹く風はいくらか暖かくなって来た。春本番である。
そのお若い男性のお客さまは、「あずき食堂」に足を踏み入れられた途端、目を泳がせた。初めて来られるお客さまだったので、つい不躾だと思いつつもじっと見つめてしまった。
茶色くふんわりと波打っているヘアは天然なのかパーマなのか。背が高く細身で、カーキのTシャツにベージュの厚手のパーカーを合わせ、ブルーデニムと赤いスニーカーというラフな格好をされていた。
開き戸を開けられた瞬間は期待に満ちられた様ににこやかなお顔を浮かべておられたのだが、店内を見られた瞬間に表情を強張らせた。
朔は(何やろ)と思いつつ、いつもの通りお客さまをお迎えした。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ~」
陽も明るい声でお迎えする。男性は不審げにきょろきょろと店内を見渡した。
「お客さま……?」
朔はさすがに訝しげに思い、恐る恐る声をお掛けした。すると男性ははっと弾かれた様に目を見開き、朔と目を合わされた。
朔は空いているお席にご案内しようとしたのだが。
「ま、また来ます!」
男性は慌ててそうおっしゃり、慌ただしく踵を返された。乱暴に開き戸が閉められ、大きな音が店内に響く。
「……何やったんやろうねぇ」
「……さぁ」
双子はきょとんとなって首を傾げた。
今日も無事営業が終わる。不思議なお客さま未満はおられたが、概ね問題無いと言って良いだろう。なので双子もマリコちゃんも何も言わず、いつも通り片付けを始めた。
マリコちゃんはカウンタで余りのお惣菜を食べている。今日の卵焼きは大葉だったのだが、少し余ったのでマリコちゃんはご機嫌だった。
「皆、大葉の卵焼きの旨さが分からんのじゃろうか。嘆かわしい」
嬉しそうにそんなことを言う。ツンデレというものだろうか。
その時、開き戸がノックされる。前後にかすかにドアが揺れ、ごんごんと音がした。鍵を掛けていたので、フロアをほうきで掃いていた朔が対応する。
「はい。どちらさまでしょうか」
鍵は開けず、開き戸越しに伺う。すると返って来たのは若い男性の声だった。
「さ、才原と言います。少しお聞きしたいことが、あ、ありまして」
おどおどとした様なお声だった。強盗などを警戒するのだが、そのお声に悪い印象は受けなかった。
カウンタの中にいる陽を見ると、わずかに緊張した面持ちで小さく頷く。カウンタ席ではマリコちゃんも「うむ」と頷いた。マリコちゃんが大丈夫だと言うのなら、悪いものでは無いのだろう。
「はい、今開けます」
朔が解錠してゆっくりと開き戸を開け放つと、そこに立っていたのは先ほど出入り口でとんぼ返りをされた、初見の男性のお客さまだった。服装なども変わっておらず、男性は拳を握り締めてふるふると小さく震えながら、仁王立ちをされていた。
「何でしょうか」
朔が穏やかに聞くと、男性はゆるりと身を乗り出して、店内を見た。そして「あ、や、やっぱりおった!」と大声を上げた。
朔は驚いて目を丸くする。男性は今度は腕を上げて一点を指差した。
「あ、あっこにいます! 皆さん下がってください!」
必死と思える形相の男性の指の先にいたのは、何ごとかと言う様にきょとんとするマリコちゃんだった。もしかして、この男性は。
朔が思った時、男性は震えたまま店内に入って来ると、両手で金属製の十字架をかざして叫んだ。
「あ、悪霊退散!」
その光景に、朔はもちろん陽も呆気に取られる。そして思わず「ベタか」と突っ込みたくなった。まるで新喜劇の良き古典でも見ている様な気分になってしまう。
十字架を突き付けられたマリコちゃんは呆れた様に「ふぅ」を息を吐き、男性の手から十字架を取り上げた。
「わしは吸血鬼でも悪霊でも無いぞ」
すると男性はその場にへなへなとしゃがみこみ、泣きそうな表情になった。
「き、効かへん……」
さてどうしたものかと、朔は頭を抱えたくなった。
男性にはマリコちゃんから離れた席に掛けていただき、落ち着いてもらえる様にと冷たいほうじ茶をお出しする。才原と名乗った男性はそれを一気に喉に流し込み、身体に溜め込んでいたものを追い出す様に大きく息を吐いた。
「まず、あなたにはこの妖怪が見えてはるんですね?」
立ったままの朔が聞くと、才原さんは「は、はい」と蚊の泣く様な声で応えられる。
「で、悪いもんやと思われたんですね?」
才原さんは無言で頷かれる。が、「あの」と口を開いた。
「僕が今まで見る妖怪は、怖いもんやったんです。怖くて……、気持ちが悪くて」
「何かされたりしたんですか?」
「い、いえ、何も。でも人間や無いもんて、怖いでしょう?」
なるほど。異形の妖怪が見えてしまい、対話なども無いまま、怖いものだと思い込んでしまっているのだ。
確かに中には怖いものもいるだろう。マリコちゃん以外の妖怪は、この「あずき食堂」に訪れるものしか見えない双子だが、それらは全て良いものだった。マリコちゃんが認めて受け入れているから当たり前なのだが、少なくとも双子にとって妖怪は悪しきものでは無かった。
だが思えば、それはきっと恵まれていたのだ。幼いころから五十嵐家にいた座敷童子。双子がマリコちゃんと名前を付けて、一緒に育って来た大事な大事な宝物の様な存在。
双子は勇気を出してマリコちゃんに話し掛けたことで、こうした素晴らしい縁が続いている。ふたりだったから思い切れた面もあっただろう。見えていたのが人間と見た目がそう変わらない座敷童子だったことも多分大きかった。
だが才原さんはそうでは無い。きっと小さな頃から様々な外見の妖怪を見て来たのだ。自分たち人間とは大きく見た目の異なる、いろいろな妖怪。怖いと感じても何ら不思議では無い。
「才原さんとおっしゃいましたよね。この妖怪は座敷童子なんです。聞いたことありません? 家に富を招いてくれる、ええ妖怪なんですよ」
「そんな妖怪がおるんですか?」
才原さんは驚いた様で、あんぐりと目と口を開く。才原さんは見えはするが、妖怪のことはそう詳しく無い様だ。
「これまで妖怪のこと調べたりしはらへんかったんですか?」
「はい。見えてただでさえ怖いのに、本とか資料とか、そんなんで怖いこと知りた無いですし、避けて来ました」
そのお気持ちは分かる。怖いものに飛び込もうとは思わないだろう。分からないから調べようとする人もいるが、才原さんはそういうタイプでは無い様だ。好奇心の強弱なども関係あるのだろうか。
「妖怪にもええもんと悪いもんがいますよ。うちのマリコちゃん、座敷童子はええ妖怪なんで、大丈夫ですから」
「はい……。悪霊なんて言うてもて、すいませんでした」
才原さんはそう言って肩を落とす。素直な性格の方の様である。
「解決したかの?」
マリコちゃんが口を開くと、才原さんは「ひっ」と口走り、肩を震わす。マリコちゃんは大丈夫だと頭では解っても、長年染み込んだことはそう簡単に変えられないのだろう。
「才原、お前が妖怪を怖がる気持ちも分からぬわけでは無い。じゃが全てがそうじゃと思われるのは心外じゃ。妖怪にとて心はある。傷付かぬわけでは無いのじゃ」
マリコちゃんに諭され、才原さんは辛そうにお顔を歪める。心の底から反省されている様である。
「ほんまに、そうですね。ほんまにすいません」
「もう構わん。わしはこの双子とふたりの両親に憑いておる、善良な妖怪なのじゃ。それが解っておれば良い。今度は客として飯を食いに来い。ここの赤飯は旨いぞ」
「は、はい。そうさせてもらいます」
お赤飯のご加護のことは言わなくても良いだろう。あれは全ての人に届くものでは無いのだから。
才原さんは緊張の面持ちで、だが幾分かほっとした様な様子で言った。
そのお若い男性のお客さまは、「あずき食堂」に足を踏み入れられた途端、目を泳がせた。初めて来られるお客さまだったので、つい不躾だと思いつつもじっと見つめてしまった。
茶色くふんわりと波打っているヘアは天然なのかパーマなのか。背が高く細身で、カーキのTシャツにベージュの厚手のパーカーを合わせ、ブルーデニムと赤いスニーカーというラフな格好をされていた。
開き戸を開けられた瞬間は期待に満ちられた様ににこやかなお顔を浮かべておられたのだが、店内を見られた瞬間に表情を強張らせた。
朔は(何やろ)と思いつつ、いつもの通りお客さまをお迎えした。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ~」
陽も明るい声でお迎えする。男性は不審げにきょろきょろと店内を見渡した。
「お客さま……?」
朔はさすがに訝しげに思い、恐る恐る声をお掛けした。すると男性ははっと弾かれた様に目を見開き、朔と目を合わされた。
朔は空いているお席にご案内しようとしたのだが。
「ま、また来ます!」
男性は慌ててそうおっしゃり、慌ただしく踵を返された。乱暴に開き戸が閉められ、大きな音が店内に響く。
「……何やったんやろうねぇ」
「……さぁ」
双子はきょとんとなって首を傾げた。
今日も無事営業が終わる。不思議なお客さま未満はおられたが、概ね問題無いと言って良いだろう。なので双子もマリコちゃんも何も言わず、いつも通り片付けを始めた。
マリコちゃんはカウンタで余りのお惣菜を食べている。今日の卵焼きは大葉だったのだが、少し余ったのでマリコちゃんはご機嫌だった。
「皆、大葉の卵焼きの旨さが分からんのじゃろうか。嘆かわしい」
嬉しそうにそんなことを言う。ツンデレというものだろうか。
その時、開き戸がノックされる。前後にかすかにドアが揺れ、ごんごんと音がした。鍵を掛けていたので、フロアをほうきで掃いていた朔が対応する。
「はい。どちらさまでしょうか」
鍵は開けず、開き戸越しに伺う。すると返って来たのは若い男性の声だった。
「さ、才原と言います。少しお聞きしたいことが、あ、ありまして」
おどおどとした様なお声だった。強盗などを警戒するのだが、そのお声に悪い印象は受けなかった。
カウンタの中にいる陽を見ると、わずかに緊張した面持ちで小さく頷く。カウンタ席ではマリコちゃんも「うむ」と頷いた。マリコちゃんが大丈夫だと言うのなら、悪いものでは無いのだろう。
「はい、今開けます」
朔が解錠してゆっくりと開き戸を開け放つと、そこに立っていたのは先ほど出入り口でとんぼ返りをされた、初見の男性のお客さまだった。服装なども変わっておらず、男性は拳を握り締めてふるふると小さく震えながら、仁王立ちをされていた。
「何でしょうか」
朔が穏やかに聞くと、男性はゆるりと身を乗り出して、店内を見た。そして「あ、や、やっぱりおった!」と大声を上げた。
朔は驚いて目を丸くする。男性は今度は腕を上げて一点を指差した。
「あ、あっこにいます! 皆さん下がってください!」
必死と思える形相の男性の指の先にいたのは、何ごとかと言う様にきょとんとするマリコちゃんだった。もしかして、この男性は。
朔が思った時、男性は震えたまま店内に入って来ると、両手で金属製の十字架をかざして叫んだ。
「あ、悪霊退散!」
その光景に、朔はもちろん陽も呆気に取られる。そして思わず「ベタか」と突っ込みたくなった。まるで新喜劇の良き古典でも見ている様な気分になってしまう。
十字架を突き付けられたマリコちゃんは呆れた様に「ふぅ」を息を吐き、男性の手から十字架を取り上げた。
「わしは吸血鬼でも悪霊でも無いぞ」
すると男性はその場にへなへなとしゃがみこみ、泣きそうな表情になった。
「き、効かへん……」
さてどうしたものかと、朔は頭を抱えたくなった。
男性にはマリコちゃんから離れた席に掛けていただき、落ち着いてもらえる様にと冷たいほうじ茶をお出しする。才原と名乗った男性はそれを一気に喉に流し込み、身体に溜め込んでいたものを追い出す様に大きく息を吐いた。
「まず、あなたにはこの妖怪が見えてはるんですね?」
立ったままの朔が聞くと、才原さんは「は、はい」と蚊の泣く様な声で応えられる。
「で、悪いもんやと思われたんですね?」
才原さんは無言で頷かれる。が、「あの」と口を開いた。
「僕が今まで見る妖怪は、怖いもんやったんです。怖くて……、気持ちが悪くて」
「何かされたりしたんですか?」
「い、いえ、何も。でも人間や無いもんて、怖いでしょう?」
なるほど。異形の妖怪が見えてしまい、対話なども無いまま、怖いものだと思い込んでしまっているのだ。
確かに中には怖いものもいるだろう。マリコちゃん以外の妖怪は、この「あずき食堂」に訪れるものしか見えない双子だが、それらは全て良いものだった。マリコちゃんが認めて受け入れているから当たり前なのだが、少なくとも双子にとって妖怪は悪しきものでは無かった。
だが思えば、それはきっと恵まれていたのだ。幼いころから五十嵐家にいた座敷童子。双子がマリコちゃんと名前を付けて、一緒に育って来た大事な大事な宝物の様な存在。
双子は勇気を出してマリコちゃんに話し掛けたことで、こうした素晴らしい縁が続いている。ふたりだったから思い切れた面もあっただろう。見えていたのが人間と見た目がそう変わらない座敷童子だったことも多分大きかった。
だが才原さんはそうでは無い。きっと小さな頃から様々な外見の妖怪を見て来たのだ。自分たち人間とは大きく見た目の異なる、いろいろな妖怪。怖いと感じても何ら不思議では無い。
「才原さんとおっしゃいましたよね。この妖怪は座敷童子なんです。聞いたことありません? 家に富を招いてくれる、ええ妖怪なんですよ」
「そんな妖怪がおるんですか?」
才原さんは驚いた様で、あんぐりと目と口を開く。才原さんは見えはするが、妖怪のことはそう詳しく無い様だ。
「これまで妖怪のこと調べたりしはらへんかったんですか?」
「はい。見えてただでさえ怖いのに、本とか資料とか、そんなんで怖いこと知りた無いですし、避けて来ました」
そのお気持ちは分かる。怖いものに飛び込もうとは思わないだろう。分からないから調べようとする人もいるが、才原さんはそういうタイプでは無い様だ。好奇心の強弱なども関係あるのだろうか。
「妖怪にもええもんと悪いもんがいますよ。うちのマリコちゃん、座敷童子はええ妖怪なんで、大丈夫ですから」
「はい……。悪霊なんて言うてもて、すいませんでした」
才原さんはそう言って肩を落とす。素直な性格の方の様である。
「解決したかの?」
マリコちゃんが口を開くと、才原さんは「ひっ」と口走り、肩を震わす。マリコちゃんは大丈夫だと頭では解っても、長年染み込んだことはそう簡単に変えられないのだろう。
「才原、お前が妖怪を怖がる気持ちも分からぬわけでは無い。じゃが全てがそうじゃと思われるのは心外じゃ。妖怪にとて心はある。傷付かぬわけでは無いのじゃ」
マリコちゃんに諭され、才原さんは辛そうにお顔を歪める。心の底から反省されている様である。
「ほんまに、そうですね。ほんまにすいません」
「もう構わん。わしはこの双子とふたりの両親に憑いておる、善良な妖怪なのじゃ。それが解っておれば良い。今度は客として飯を食いに来い。ここの赤飯は旨いぞ」
「は、はい。そうさせてもらいます」
お赤飯のご加護のことは言わなくても良いだろう。あれは全ての人に届くものでは無いのだから。
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