上 下
21 / 46
2章 勿忘草を咲かせるために

第7話 水茄子の堅実さ

しおりを挟む
 相川あいかわさんは千利休せんのりきゅうで唇を湿らすと、また穏やかな表情で口を開く。

「ご援助はさすがに断りましたけど、奨学金返済分はありがたくいただくことにしました。ほんまに奇跡が起きた気分です。ほんまやったら自分で返すんが筋なんでしょうけど、お相手さんのご厚意でもありますし。って、都合良すぎですかね」

 そんなことを言いながら、苦笑を浮かべる。世都は「いいえ」と首を振った。

「今までご苦労されたんですから、当然の権利っちゅうか、受け取ってええご厚意やと思いますよ」

「苦労……、あんま苦労してきた実感は無いんですけどね」

「それは麻痺してます。はたから見たら、相川さんのこれまではめっちゃハードモードですからね」

「そうなんですかねぇ」

 ご祖父母が亡くなり、お母さまとふたりになってから、相川さんは相当大変だったはずだ。お母さまはお仕事の都合で夜は家にいなかっただろうし、ネグレクトというのだからお世話もされておらず、家事などもしていたかどうかも怪しい。

 それでも相川さんはこんなにも立派に成長した。これからは、これまでのことを帳消しにするほどに幸せになって欲しい。

 結婚だってきっと祝福されるはずだ。それをはばんでいた奨学金の返済が解消するのだから。

「これからですよ、相川さん。きっとこれからの相川さんには、たーくさんのええことが待ってますよ!」

 世都が満面の笑顔で言うと、相川さんはほがらかな笑みを浮かべた。ああ、なんて美しいのだろう。

「それやったら嬉しいです」



「凄いな。こんな漫画みたいな話、ほんまにあるんやなぁ」

 高階さんが感心した様に言いながら、東洋美人とうようびじん純米大吟醸壱番纏いちばんまといを傾ける。

 東洋美人は山口県の澄川すみかわ酒造場さんが醸す日本酒だ。フルーティな甘さが際立っているのだが、かすかな酸味が全体を引き締めている。

 お惣菜は水茄子の塩昆布漬けである。水茄子は泉州せんしゅう地域で栽培される大阪の特産品だ。見た目は丸く、形は京都の賀茂茄子や米茄子に似ている。

 一般的な細長いお茄子と比べると水分が多くて瑞々しく、生食に適している。さっくりとした歯応えで、そっと噛み締めると爽やかなジュースが溢れてくるのだ。シーズンになれば百貨店やスーパーなどでは生はもちろん、浅漬けやぬか漬けなどが並ぶ。

 塩昆布漬けは水茄子を厚めの半月切りやいちょう切りにし、ナイロン袋に塩昆布と一緒に入れて、袋越しにがしがしと揉んで作る。水茄子に昆布の旨味とほのかな塩気がまとい、良い味わいになるのだ。

 漫画みたいな話。言われずとも相川さんのことだと分かる。世都もそう思う。お相手にとって相川さんは結婚相手の娘である。当時の相川さんの年齢だと、本来なら生計をともにしてもおかしくは無い。なのにそうはならなかった。

 なので冷たい様だが、お相手に相川さんを助ける義理は無いと言える。事態を引き起こしたのはお母さまで、本来ならお母さまが請け負うことなのだ。

 だがきっとお母さまには生活能力が無い。恐らく結婚以降はお相手に寄り掛かって生きて来たのだろう。だから相川さんの現状を招いたのだ。

 相川さんに生活費を渡せるほどのお金は動かせたそうで、それだけは幸いだった。曲がりなりにも親として、それだけはと思ったのだろう。罪悪感もあったのかも知れない。

 それでも相川さんは折れず、自らの道を築き上げて来た。きっとまだまだ道半ばだ。そしてこれからの相川さんの前途に、輝く光がぱぁっと差した。

「ほんまですね。でもこれで、相川さんはもっともっとええ様になりますよ」

「せやな。なんや酒もいつもより旨く感じるわ。あ、せやから相川さん、いつもは迷わず千利休やのに、今日は迷いはったんや。これからは過度な節約いらんくなるもんなぁ」

「それでも結局千利休を頼まはるところに、相川さんの堅実けんじつさが表れてる感じがしますよねぇ」

「ほんまやな」

 高階さんはおかしそうに、くつくつと笑った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

お昼ごはんはすべての始まり

山いい奈
ライト文芸
大阪あびこに住まう紗奈は、新卒で天王寺のデザイン会社に就職する。 その職場には「お料理部」なるものがあり、交代でお昼ごはんを作っている。 そこに誘われる紗奈。だがお料理がほとんどできない紗奈は断る。だが先輩が教えてくれると言ってくれたので、甘えることにした。 このお話は、紗奈がお料理やお仕事、恋人の雪哉さんと関わり合うことで成長していく物語です。

【完結】新人機動隊員と弁当屋のお姉さん。あるいは失われた五年間の話

古都まとい
ライト文芸
【第6回ライト文芸大賞 奨励賞受賞作】  食べることは生きること。食べるために生きているといっても過言ではない新人機動隊員、加藤将太巡査は寮の共用キッチンを使えないことから夕食難民となる。  コンビニ弁当やスーパーの惣菜で飢えをしのいでいたある日、空きビルの一階に弁当屋がオープンしているのを発見する。そこは若い女店主が一人で切り盛りする、こぢんまりとした温かな店だった。  将太は弁当屋へ通いつめるうちに女店主へ惹かれはじめ、女店主も将太を常連以上の存在として意識しはじめる。  しかし暑い夏の盛り、警察本部長の妻子が殺害されたことから日常は一変する。彼女にはなにか、秘密があるようで――。 ※この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。

みいちゃんといっしょ。

新道 梨果子
ライト文芸
 お父さんとお母さんが離婚して半年。  お父さんが新しい恋人を家に連れて帰ってきた。  みいちゃんと呼んでね、というその派手な女の人は、あからさまにホステスだった。  そうして私、沙希と、みいちゃんとの生活が始まった。  ――ねえ、お父さんがいなくなっても、みいちゃんと私は家族なの? ※ 「小説家になろう」(検索除外中)、「ノベマ!」にも掲載しています。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

嘘を吐く貴方にさよならを

桜桃-サクランボ-
ライト文芸
花鳥街に住む人達は皆、手から”個性の花”を出す事が出来る 花はその人自身を表すものとなるため、様々な種類が存在する。まったく同じ花を出す人も存在した。 だが、一つだけ。この世に一つだけの花が存在した。 それは、薔薇。 赤、白、黒。三色の薔薇だけは、この世に三人しかいない。そして、その薔薇には言い伝えがあった。 赤い薔薇を持つ蝶赤一華は、校舎の裏側にある花壇の整備をしていると、学校で一匹狼と呼ばれ、敬遠されている三年生、黒華優輝に告白される。 最初は断っていた一華だったが、優輝の素直な言葉や行動に徐々に惹かれていく。 共に学校生活を送っていると、白薔薇王子と呼ばれ、高根の花扱いされている一年生、白野曄途と出会った。 曄途の悩みを聞き、一華の友人である糸桐真理を含めた四人で解決しようとする。だが、途中で優輝が何の前触れもなく三人の前から姿を消してしまい――……… 個性の花によって人生を狂わされた”彼”を助けるべく、優しい嘘をつき続ける”彼”とはさよならするため。 花鳥街全体を敵に回そうとも、自分の気持ちに従い、一華は薔薇の言い伝えで聞いたある場所へと走った。 ※ノベマ・エブリスタでも公開中!

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

処理中です...