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四日の日(ユッカヌヒー)
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「もうすぐユッカヌヒーだな。お前たちは何が欲しい?」
沖縄では、五月四日に子供の健やかな成長を祈って親が玩具を買い与える習慣があった。年に一度、きらびやかな玩具が売られる市は、子供の大きな楽しみだ。哈日も併せて行われ、町は祝賀ムード一色に染まる。
「僕、唐船が欲しい!」
真っ先に啓泰が答えた。唐船は緻密な細工が施され、彩色がなされた美しい木舟で、かなり値の張る玩具だ。水に浮かべてほんの少し艫を押してやれば、本物の爬竜さながら滑るように走り出す。堂々とした船は子供たちの憧れだった。
啓恭は俯いたまま、消え入るような声で言った。
「僕は、ウッチリクプサー(張り子で出来た起き上り小法師のこと)……」
「おまえも唐船でいいな」
啓恭が大きく目を見開いた。
「僕も?」
「金の心配など、子供がするもんじゃない」
「ありがとう、父さん」
母親似の細面が仄かに染まり花が開いたようになった。
四日の日がやってきた。長かった夏雨(沖縄地方の梅雨のこと)もようやく明けて、南国らしい冴え冴えとした青空が広がっている。午前中は息子達に付き合って玩具の市へ、午後からは道場生と共に哈日へと、祭りの日の啓綜は大忙しだ。
隣で勢いよく飯をかき込む啓泰を見ながら、啓恭はそっと箸を置いた。このところの長雨のせいで持病の喘息がひどい。今朝は起きたときから身体がだるく、ようやく腹に収めた飯も全く味が分からなかった。
目ざとくそれを見つけた母の多津が、気遣わし気な眼差しを向けた。
「加減でも悪いのですか」
「少し風邪を引いたようです」
啓恭は努めて軽い口調で答えた。具合が悪い、というと、多津はそれが自分のせいであるかのように、己を責めるのだ。
「ユッカヌヒーは啓泰と二人で行っていただけますか? 東庵先生を呼びましょうね」
多津が啓恭の額に手を置きながら言った。
「母さんは大げさですよ。大したことはありません。皆で祭に行ってください。留守番をしていますから」
さりげなく多津の手から逃れながら言うと、成り行きを心配そうに見守っていた啓泰がたちまち笑顔になった。
「兄さんの唐船も買ってくるからね!」
「ありがとう、啓泰」
皆を見送ると、啓恭は這うようにして部屋に戻り、床についた。
開け放った窓から、微かに人々の喧騒と祭囃子が聞こえてくる。ほんの一瞬、目蓋に啓綜の憮然とした顔が浮かんだが、啓恭は引きずり込まれるように眠りに落ちていった。
それが、啓泰と話した最後の日となった。
父が家に持ち帰ったのは、唐船ではなく弟の亡骸だった。
「掏りだ!」
その声に誰よりも早く反応したのが啓泰だった。啓綜が止める間もなく、掏りを追いかける啓泰の姿はあっという間に人ごみの中に消えていった。
啓綜が息を切らせて啓泰を追いかけていくと、色とりどりの面を売る店の前に人垣ができていた。
人垣を作っている男や女が興奮した様子で声高に喋っている。こりゃひでえや。親はどこだ。無責任な言葉が切れ切れに聞こえてくる。
ようやく人垣をかき分け、啓綜が目にしたのは、変わり果てた啓泰の姿だった。胸と腹を刺され、啓泰は事切れていた。
啓泰の葬儀が終わると、多津は気持ちがふっつりと切れてしまったようで、床につくことが多くなった。何でもない夏風邪が心身ともに弱っていた多津には堪えたのだろう。啓泰の後を追うように、多津はあっけなくこの世を去った。
沖縄では、五月四日に子供の健やかな成長を祈って親が玩具を買い与える習慣があった。年に一度、きらびやかな玩具が売られる市は、子供の大きな楽しみだ。哈日も併せて行われ、町は祝賀ムード一色に染まる。
「僕、唐船が欲しい!」
真っ先に啓泰が答えた。唐船は緻密な細工が施され、彩色がなされた美しい木舟で、かなり値の張る玩具だ。水に浮かべてほんの少し艫を押してやれば、本物の爬竜さながら滑るように走り出す。堂々とした船は子供たちの憧れだった。
啓恭は俯いたまま、消え入るような声で言った。
「僕は、ウッチリクプサー(張り子で出来た起き上り小法師のこと)……」
「おまえも唐船でいいな」
啓恭が大きく目を見開いた。
「僕も?」
「金の心配など、子供がするもんじゃない」
「ありがとう、父さん」
母親似の細面が仄かに染まり花が開いたようになった。
四日の日がやってきた。長かった夏雨(沖縄地方の梅雨のこと)もようやく明けて、南国らしい冴え冴えとした青空が広がっている。午前中は息子達に付き合って玩具の市へ、午後からは道場生と共に哈日へと、祭りの日の啓綜は大忙しだ。
隣で勢いよく飯をかき込む啓泰を見ながら、啓恭はそっと箸を置いた。このところの長雨のせいで持病の喘息がひどい。今朝は起きたときから身体がだるく、ようやく腹に収めた飯も全く味が分からなかった。
目ざとくそれを見つけた母の多津が、気遣わし気な眼差しを向けた。
「加減でも悪いのですか」
「少し風邪を引いたようです」
啓恭は努めて軽い口調で答えた。具合が悪い、というと、多津はそれが自分のせいであるかのように、己を責めるのだ。
「ユッカヌヒーは啓泰と二人で行っていただけますか? 東庵先生を呼びましょうね」
多津が啓恭の額に手を置きながら言った。
「母さんは大げさですよ。大したことはありません。皆で祭に行ってください。留守番をしていますから」
さりげなく多津の手から逃れながら言うと、成り行きを心配そうに見守っていた啓泰がたちまち笑顔になった。
「兄さんの唐船も買ってくるからね!」
「ありがとう、啓泰」
皆を見送ると、啓恭は這うようにして部屋に戻り、床についた。
開け放った窓から、微かに人々の喧騒と祭囃子が聞こえてくる。ほんの一瞬、目蓋に啓綜の憮然とした顔が浮かんだが、啓恭は引きずり込まれるように眠りに落ちていった。
それが、啓泰と話した最後の日となった。
父が家に持ち帰ったのは、唐船ではなく弟の亡骸だった。
「掏りだ!」
その声に誰よりも早く反応したのが啓泰だった。啓綜が止める間もなく、掏りを追いかける啓泰の姿はあっという間に人ごみの中に消えていった。
啓綜が息を切らせて啓泰を追いかけていくと、色とりどりの面を売る店の前に人垣ができていた。
人垣を作っている男や女が興奮した様子で声高に喋っている。こりゃひでえや。親はどこだ。無責任な言葉が切れ切れに聞こえてくる。
ようやく人垣をかき分け、啓綜が目にしたのは、変わり果てた啓泰の姿だった。胸と腹を刺され、啓泰は事切れていた。
啓泰の葬儀が終わると、多津は気持ちがふっつりと切れてしまったようで、床につくことが多くなった。何でもない夏風邪が心身ともに弱っていた多津には堪えたのだろう。啓泰の後を追うように、多津はあっけなくこの世を去った。
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