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「わあ、田村さん、かっこいい! お揃いね!」
茜里が歓声をあげた。田村はオーソドックスなスーツに、茜里のワンピースと同じ色のネクタイをしめている。
「ありがとう。茜里ちゃんもワンピース、よく似合ってるよ」
茜里は照れ臭そうに肩をすくめた。
「千怜さんはそろそろ出たほうがいいんじゃない?」
「そうですね。あとはよろしくお願いします」
茜里の髪を括ろうとしたら、田村さんがいい! と言われてしまったのだ。
「いってらっしゃい」
「行ってきます」
二人に見送られ、千怜はアパートをあとにした。今日は木本にとって決戦(?)の日だが、本格的なメイクをして初めて料金を貰う、千怜にとっても勝負の日だった。
ホテルは地下鉄に乗り換えて、駅から歩いて数分の場所にある。車は時間が読めないから、仕事の移動は公共交通機関、と千怜は決めている。
約束した時間よりもかなり早めに会場に到着した千怜は、ラウンジを感心して眺めた。大きなホールの入り口には、畠中家、木本家ご婚礼とかかれた札がさがっていた。こういう立派な場所で結婚式をあげる人もいるのだ。
控室に行くと、木本が緊張した面持ちで座っていた。
「おはようございます。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
木本が深々と頭をさげた。
練習したかいあって、手は思う通りに動いた。口紅は彩度の高いピンクベージュできまりだ。初めて会った時よりも木本の顔は色艶がよくなっている。化粧ののりもいい。白いウエディングドレスに合うよう、最初のメイクは控えめな色あいでまとめた。後はお色直しに合わせて、パール系の色を足していく予定だ。
「さあ、出来ました」
花嫁の出来上がりだ。木本は口元を引き結んだまま、頷いた。夢見る乙女の顔ではないのが木本らしい。紅潮した頬が決意表明のようだ。
ドアをノックする音がして、子供の声がした。
「お母さん、入ってもいい?」
「ええいいわよ」
ドアが開いて、娘が二人、入って来た。
「わあ! きれい!」
二人が歓声をあげた。
「ええと、祐奈ちゃんはご存知ですよね。私は紗栄子と申します。今日はよろしくお願いします」
紗栄子がお辞儀をすると祐奈もあわてて頭をさげた。年ごろのお嬢さん、と言っていたが、紗栄子の落ち着いた物腰は木本と幾つも歳が違わないように思えた。
再び、ノックの音がした。
「いいかな?」
畠中だろう。男が遠慮がちにドアから顔をのぞかせた。
「ええ、どうぞ」
「失礼します」
畠中は腹の突き出た見事な中年男だった。顔と薄くなった髪が脂でてらてらと光っている。しっとりとした薄い髪の毛を名残惜し気に寄せ集め、頭頂部ですだれのようにしているのが余計にいけない。
「やあ、きれいだ!」
父親と新しい母親を見比べていた紗栄子が言った。
「あのう、父もなんとかしてやってくれませんか」
「いいんだよ、男はこれで。主役は薫さんなんだから、ね」
畠中が薫に優しく微笑んだ。式が始まるまで、まだ時間はたっぷりある。
「宜しければ、少し整えましょうか」
「そうしてやってください」
紗栄子が代わりに答えた。畠中がもたもたしているので、千怜はこちらへどうぞ、と薫の隣の椅子をひいた。
壁の前は大きな鏡になっている。鏡越しにお辞儀をし、恐縮している畠中に千怜は言った。
「髪、少しお切りしてもよろしいですか」
「はぁ」
「その頭、なんとかして。恰好悪いったらないわ」
紗栄子がぽんぽんと言うと、畠中は目をしょぼしょぼさせた。
すだれをさっぱりと切ってしまいたい。いっそのこと、坊主頭のほうが粋というものだ。すだれの下を見てみると、鳥の雛のようなほわほわとした毛が生えている。これならいけそうだ。
千怜は断りもせずにすだれをバッサリと切ると、畠中が目を白黒させた。
「お任せを」
と微笑むと、畠中は引きつったような笑顔を浮かべた。
サイドの無理やり伸ばしている毛を短くして、ほわほわとした毛を生かす。完全な坊主頭だと威圧感があるが、綿毛がちょうどよく緩和していて、いい感じだ。ついでにげじげじと生えている眉毛を整えた。脂取り紙で余分な皮脂を取り、ローションを叩き込むと、畠中の顔は見違えるようにすっきりとした。こうなると不思議なもので、突き出た腹と薄い頭が貫録の様にさえ見えてくる。
「いかがですか」
「すばらしい!」
畠中は立ち上がると、千怜と握手をした。外国に長く居た、と思わせるような力強く相手の手を握るしっかりとした握手だった。
千怜は新郎新婦の見える舞台の袖から進行を見ていた。大きな会場で、ネームプレートが置かれた丸テーブルがずらりと並んでいる。中央、前列のテーブルには親族と思しき人々が座っていた。茜里と田村の姿もあった。親族の列の左端に祐奈と並んで座っている。紗栄子はその隣だ。千怜の場所からは会話は聞こえないが、二人とも当たり前のような顔をして親族席に座っているのが可笑しい。
そろそろお色直しに木本が戻ってくる。千怜は控室に戻った。
式は滞りなく進行し、無事に終了した。誓いのキスの代わりに、握手というのもよかった。当初は二人で握手する予定だったそうだが、畠中の提案で家族全員の握手に変更したのだそうだ。
千怜は畠中の握手を思い出していた。温かくて大きな手だった。四人がタッグを組めば、くだらない中傷など吹き飛ばしてしまうに違いない。
「メイク、このままにしますか?」
「全部、落しちゃってください。私がやると、マスカラとかぐちゃぐちゃになりそう」
マスカラ、つけまつげとフル装備の木本は困ったように目を瞬かせた。
「分かりました」
化粧をすっかり落とした木本はほっとため息をついた。
「今日はありがとうございました」
「いいお式でした。こちらこそ、ありがとうございました」
今夜はホテルに泊まって家族水入らずの夜を過ごし、夏休みに入ったらハワイに行くそうだ。
茜里は希恵の家以外、旅行をしたことがない。もっと稼いで、旅行はもちろん、美術や音楽といった本物の芸術にふれさせてやりたい。
やるぞ! 稼ぐぞ! エイエイオー! 誰もいなくなった控室で千怜は拳をつきあげた。
ロビーに出ると、茜里と田村が大きく手をふっている。千怜は小走りで二人のもとへ駆け寄った。
「花嫁さん、綺麗だった!」
「いい仕事をみせてもらったよ!」
「ありがとう」
まだ来賓客がロビーに残っている。仕事中は黒子に徹したいのに、二人とも声が大きすぎる。千怜は不思議そうな顔をしている二人を引っ張るようにして急いでホテルの外に出た。
ホテルのタクシー乗り場は来賓客の列ができていた。ちょうどいい。千怜の仕事ぶりにいたく感動して、賞賛を惜しまない二人を来客の前にさらさなくて済む。
「少し歩いたほうがタクシーを拾いやすいですよ」
「そうだね、そうしよう」
田村が素直に頷いた。
ありとあらゆる事態を想定して、出来得る限り完璧な準備してから仕事に向かう。ずっとそうやって緊張感マックスで仕事をしてきたから、田村を見ているとやれやれ、と思う反面、ふっと力が抜ける。なんだかなあ、で苦笑いして済ませることなど、以前はなかったのだ。
ホテルからしばらく歩いてタクシーをひろった。
「ええと、二人が後ろ?」
「そう。お母さんは前の座席ね」
「お疲れ様。前でゆっくり座って」
違和感なく並んでシートにおさまっている二人を引き離すわけにもいかないので、千怜は前のシートに座った。
「僕もメイクの勉強、しようかな」
「ぜひ! 二人でガンガン稼ぎましょう! あの場所の地の利を生かさないと。勿体ないですよ」
「千怜さんには敵わないなぁ。それにしても、あのご主人があそこまで変身するなんて。すだれ、独断で切ったんでしょ?」
千怜は苦笑しながら頷いた。
「僕ならとてもとても」
「お嬢さんたっての依頼だったので」
「女は強しだね」
「はい」
千怜が認めると、田村は大笑いした。
タクシーに乗って間もなくすると茜里が急に静かになった。振り返ると、茜里は田村の膝の上に頭をあずけ、寝息をたてている。
「よく寝てる。茜里ちゃん、大活躍だったものね」
茜里のおくれ毛を優しくかき上げながら田村が囁いた。
「重いでしょう。すみません」
「いいのいいの。保護者気分を満喫してるんだから」
「こんなに長い時間、茜里のお守りをしていただいて。ありがとうございました」
「お守りなんて、とんでもない。助けられたのは僕だよ」
「?」
「皆が僕と茜里ちゃんをじろじろ見るんだよね」
「まあ、そうでしょうね。友達にしては歳が離れてるし」
仲が良すぎるし、さりげないペアルックは垢抜け過ぎていて親子の雰囲気ではない。注目されるのは仕方ないだろう。
「花嫁のヘアメイクをしている母が勤めている、カットサロンの店長です。今日は私の保護者として一緒に来てくれました、って。全部、茜里ちゃんが説明してくれたんだよ」
「茜里らしいわ」
「余計な事を考えない分、子供は強いね」
「ですね。大人は雑念だらけだから」
「雑念かあ。いい言い回しだ」
田村はくすり、と笑った。
近くまででいい、というのに田村はタクシーをアパートに向かわせた。
「部屋まで一緒に行くよ。メイク道具と茜里ちゃんを一人で運ぶのは無理でしょ」
ヘアメイクの道具は機内持ち込みサイズのキャリーケースに入っている。念のため、とあれもこれも入れていたら大荷物になってしまったのだ。おかげで、畠中のカットもできたのだが。
「大丈夫ですよ。茜里を起こせばいいんですから」
「よく寝てるのに可哀そうじゃないか。もう夜中だよ。タクシーで帰ろうって言った僕が悪いんだから」
週末の道路は思いがけなく混んでいて、家に着いた頃には深夜になってしまったのだ。
「大丈夫です。寝起きのいい子だから。これも教育ですし」
千怜がそういうと、田村はうっと言ったきり、黙ってしまった。
「今日はありがとうございました。あそこの角までで結構です」
千怜は運転手に声をかけた。アパートは車一台がやっと通れる路地に建っていて、おまけに一方通行なのだ。
「さ、茜里、起きなさい。着いたわよ」
肩を強く揺さぶると、茜里がようやく目を覚ました。
「ここ、どこ?」
「家に着いたのよ」
茜里はしばらくぼんやりしていたが、田村と目が合うとようやく状況を飲み込んだようだ。
「あ、そっか。今日は楽しかったです! おやすみなさい」
「またね。ゆっくりお休み」
「おやすみなさい」
タクシーのドアが閉まった。田村がばいばい、と手を振ると、茜里も手を振った。テールランプが小さくなっても、まだ、手を振っている田村の姿が見えていた。
茜里が歓声をあげた。田村はオーソドックスなスーツに、茜里のワンピースと同じ色のネクタイをしめている。
「ありがとう。茜里ちゃんもワンピース、よく似合ってるよ」
茜里は照れ臭そうに肩をすくめた。
「千怜さんはそろそろ出たほうがいいんじゃない?」
「そうですね。あとはよろしくお願いします」
茜里の髪を括ろうとしたら、田村さんがいい! と言われてしまったのだ。
「いってらっしゃい」
「行ってきます」
二人に見送られ、千怜はアパートをあとにした。今日は木本にとって決戦(?)の日だが、本格的なメイクをして初めて料金を貰う、千怜にとっても勝負の日だった。
ホテルは地下鉄に乗り換えて、駅から歩いて数分の場所にある。車は時間が読めないから、仕事の移動は公共交通機関、と千怜は決めている。
約束した時間よりもかなり早めに会場に到着した千怜は、ラウンジを感心して眺めた。大きなホールの入り口には、畠中家、木本家ご婚礼とかかれた札がさがっていた。こういう立派な場所で結婚式をあげる人もいるのだ。
控室に行くと、木本が緊張した面持ちで座っていた。
「おはようございます。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
木本が深々と頭をさげた。
練習したかいあって、手は思う通りに動いた。口紅は彩度の高いピンクベージュできまりだ。初めて会った時よりも木本の顔は色艶がよくなっている。化粧ののりもいい。白いウエディングドレスに合うよう、最初のメイクは控えめな色あいでまとめた。後はお色直しに合わせて、パール系の色を足していく予定だ。
「さあ、出来ました」
花嫁の出来上がりだ。木本は口元を引き結んだまま、頷いた。夢見る乙女の顔ではないのが木本らしい。紅潮した頬が決意表明のようだ。
ドアをノックする音がして、子供の声がした。
「お母さん、入ってもいい?」
「ええいいわよ」
ドアが開いて、娘が二人、入って来た。
「わあ! きれい!」
二人が歓声をあげた。
「ええと、祐奈ちゃんはご存知ですよね。私は紗栄子と申します。今日はよろしくお願いします」
紗栄子がお辞儀をすると祐奈もあわてて頭をさげた。年ごろのお嬢さん、と言っていたが、紗栄子の落ち着いた物腰は木本と幾つも歳が違わないように思えた。
再び、ノックの音がした。
「いいかな?」
畠中だろう。男が遠慮がちにドアから顔をのぞかせた。
「ええ、どうぞ」
「失礼します」
畠中は腹の突き出た見事な中年男だった。顔と薄くなった髪が脂でてらてらと光っている。しっとりとした薄い髪の毛を名残惜し気に寄せ集め、頭頂部ですだれのようにしているのが余計にいけない。
「やあ、きれいだ!」
父親と新しい母親を見比べていた紗栄子が言った。
「あのう、父もなんとかしてやってくれませんか」
「いいんだよ、男はこれで。主役は薫さんなんだから、ね」
畠中が薫に優しく微笑んだ。式が始まるまで、まだ時間はたっぷりある。
「宜しければ、少し整えましょうか」
「そうしてやってください」
紗栄子が代わりに答えた。畠中がもたもたしているので、千怜はこちらへどうぞ、と薫の隣の椅子をひいた。
壁の前は大きな鏡になっている。鏡越しにお辞儀をし、恐縮している畠中に千怜は言った。
「髪、少しお切りしてもよろしいですか」
「はぁ」
「その頭、なんとかして。恰好悪いったらないわ」
紗栄子がぽんぽんと言うと、畠中は目をしょぼしょぼさせた。
すだれをさっぱりと切ってしまいたい。いっそのこと、坊主頭のほうが粋というものだ。すだれの下を見てみると、鳥の雛のようなほわほわとした毛が生えている。これならいけそうだ。
千怜は断りもせずにすだれをバッサリと切ると、畠中が目を白黒させた。
「お任せを」
と微笑むと、畠中は引きつったような笑顔を浮かべた。
サイドの無理やり伸ばしている毛を短くして、ほわほわとした毛を生かす。完全な坊主頭だと威圧感があるが、綿毛がちょうどよく緩和していて、いい感じだ。ついでにげじげじと生えている眉毛を整えた。脂取り紙で余分な皮脂を取り、ローションを叩き込むと、畠中の顔は見違えるようにすっきりとした。こうなると不思議なもので、突き出た腹と薄い頭が貫録の様にさえ見えてくる。
「いかがですか」
「すばらしい!」
畠中は立ち上がると、千怜と握手をした。外国に長く居た、と思わせるような力強く相手の手を握るしっかりとした握手だった。
千怜は新郎新婦の見える舞台の袖から進行を見ていた。大きな会場で、ネームプレートが置かれた丸テーブルがずらりと並んでいる。中央、前列のテーブルには親族と思しき人々が座っていた。茜里と田村の姿もあった。親族の列の左端に祐奈と並んで座っている。紗栄子はその隣だ。千怜の場所からは会話は聞こえないが、二人とも当たり前のような顔をして親族席に座っているのが可笑しい。
そろそろお色直しに木本が戻ってくる。千怜は控室に戻った。
式は滞りなく進行し、無事に終了した。誓いのキスの代わりに、握手というのもよかった。当初は二人で握手する予定だったそうだが、畠中の提案で家族全員の握手に変更したのだそうだ。
千怜は畠中の握手を思い出していた。温かくて大きな手だった。四人がタッグを組めば、くだらない中傷など吹き飛ばしてしまうに違いない。
「メイク、このままにしますか?」
「全部、落しちゃってください。私がやると、マスカラとかぐちゃぐちゃになりそう」
マスカラ、つけまつげとフル装備の木本は困ったように目を瞬かせた。
「分かりました」
化粧をすっかり落とした木本はほっとため息をついた。
「今日はありがとうございました」
「いいお式でした。こちらこそ、ありがとうございました」
今夜はホテルに泊まって家族水入らずの夜を過ごし、夏休みに入ったらハワイに行くそうだ。
茜里は希恵の家以外、旅行をしたことがない。もっと稼いで、旅行はもちろん、美術や音楽といった本物の芸術にふれさせてやりたい。
やるぞ! 稼ぐぞ! エイエイオー! 誰もいなくなった控室で千怜は拳をつきあげた。
ロビーに出ると、茜里と田村が大きく手をふっている。千怜は小走りで二人のもとへ駆け寄った。
「花嫁さん、綺麗だった!」
「いい仕事をみせてもらったよ!」
「ありがとう」
まだ来賓客がロビーに残っている。仕事中は黒子に徹したいのに、二人とも声が大きすぎる。千怜は不思議そうな顔をしている二人を引っ張るようにして急いでホテルの外に出た。
ホテルのタクシー乗り場は来賓客の列ができていた。ちょうどいい。千怜の仕事ぶりにいたく感動して、賞賛を惜しまない二人を来客の前にさらさなくて済む。
「少し歩いたほうがタクシーを拾いやすいですよ」
「そうだね、そうしよう」
田村が素直に頷いた。
ありとあらゆる事態を想定して、出来得る限り完璧な準備してから仕事に向かう。ずっとそうやって緊張感マックスで仕事をしてきたから、田村を見ているとやれやれ、と思う反面、ふっと力が抜ける。なんだかなあ、で苦笑いして済ませることなど、以前はなかったのだ。
ホテルからしばらく歩いてタクシーをひろった。
「ええと、二人が後ろ?」
「そう。お母さんは前の座席ね」
「お疲れ様。前でゆっくり座って」
違和感なく並んでシートにおさまっている二人を引き離すわけにもいかないので、千怜は前のシートに座った。
「僕もメイクの勉強、しようかな」
「ぜひ! 二人でガンガン稼ぎましょう! あの場所の地の利を生かさないと。勿体ないですよ」
「千怜さんには敵わないなぁ。それにしても、あのご主人があそこまで変身するなんて。すだれ、独断で切ったんでしょ?」
千怜は苦笑しながら頷いた。
「僕ならとてもとても」
「お嬢さんたっての依頼だったので」
「女は強しだね」
「はい」
千怜が認めると、田村は大笑いした。
タクシーに乗って間もなくすると茜里が急に静かになった。振り返ると、茜里は田村の膝の上に頭をあずけ、寝息をたてている。
「よく寝てる。茜里ちゃん、大活躍だったものね」
茜里のおくれ毛を優しくかき上げながら田村が囁いた。
「重いでしょう。すみません」
「いいのいいの。保護者気分を満喫してるんだから」
「こんなに長い時間、茜里のお守りをしていただいて。ありがとうございました」
「お守りなんて、とんでもない。助けられたのは僕だよ」
「?」
「皆が僕と茜里ちゃんをじろじろ見るんだよね」
「まあ、そうでしょうね。友達にしては歳が離れてるし」
仲が良すぎるし、さりげないペアルックは垢抜け過ぎていて親子の雰囲気ではない。注目されるのは仕方ないだろう。
「花嫁のヘアメイクをしている母が勤めている、カットサロンの店長です。今日は私の保護者として一緒に来てくれました、って。全部、茜里ちゃんが説明してくれたんだよ」
「茜里らしいわ」
「余計な事を考えない分、子供は強いね」
「ですね。大人は雑念だらけだから」
「雑念かあ。いい言い回しだ」
田村はくすり、と笑った。
近くまででいい、というのに田村はタクシーをアパートに向かわせた。
「部屋まで一緒に行くよ。メイク道具と茜里ちゃんを一人で運ぶのは無理でしょ」
ヘアメイクの道具は機内持ち込みサイズのキャリーケースに入っている。念のため、とあれもこれも入れていたら大荷物になってしまったのだ。おかげで、畠中のカットもできたのだが。
「大丈夫ですよ。茜里を起こせばいいんですから」
「よく寝てるのに可哀そうじゃないか。もう夜中だよ。タクシーで帰ろうって言った僕が悪いんだから」
週末の道路は思いがけなく混んでいて、家に着いた頃には深夜になってしまったのだ。
「大丈夫です。寝起きのいい子だから。これも教育ですし」
千怜がそういうと、田村はうっと言ったきり、黙ってしまった。
「今日はありがとうございました。あそこの角までで結構です」
千怜は運転手に声をかけた。アパートは車一台がやっと通れる路地に建っていて、おまけに一方通行なのだ。
「さ、茜里、起きなさい。着いたわよ」
肩を強く揺さぶると、茜里がようやく目を覚ました。
「ここ、どこ?」
「家に着いたのよ」
茜里はしばらくぼんやりしていたが、田村と目が合うとようやく状況を飲み込んだようだ。
「あ、そっか。今日は楽しかったです! おやすみなさい」
「またね。ゆっくりお休み」
「おやすみなさい」
タクシーのドアが閉まった。田村がばいばい、と手を振ると、茜里も手を振った。テールランプが小さくなっても、まだ、手を振っている田村の姿が見えていた。
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