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田村が店に出てしばらくは、予約が殺到し、客が途切れることなくやってきた。洗髪、後片付けと、千怜はアシスタントに徹していた。
「ふう。さすがにくたびれたよ」
「皆さん、心配なさってましたよ。こんなに長い休みなんて初めてって」
「ちょっとの風邪くらいならお店に立つからね」
「一人でお店をやるって大変ですね」
「緊張感はあるよね。イレギュラーな休みが多いと信頼されないから。だから千怜さんを雇ったんだよ。頑固なマダムたちが千怜さんを認めてくれれば、もっとのんびりできるんだけど。皆さん、けっこうしぶといからなあ」
「そんなこと言っちゃダメですよ」
「オフレコでよろしく」
田村がにこにことして言った。反省している様子はない。
そろそろ閉店時間だった。店を閉める準備をしていると、ドアにほっそりとした人影が映った。
「こんにちは」
「木本さん! よくいらしてくださいました」
「この度、結婚することになりまして……」
「おめでとうございます」
「それで、お式の時のヘアメイクをお願いしたいと思って。あの、吉野さんをお借りしてもよろしいでしょうか」
と、木本は田村に向きなおった。
「はあ、どうぞ」
「そろそろいらっしゃる頃だろうって、お待ちしていました」
「まあ」
「あのさ、説明してくれる?」
木本と千怜の顔を代わる代わる見ていた田村が、ようやく口を挟んだ。
「はい。お話は木本さん、ご本人からどうぞ」
木本は、うっと喉に何か詰まったような顔をして俯いたが、すぐに顔を上げた。
「お互い、再婚なのです。先方には、年ごろのお嬢さんがいらして。お家の格式も違いすぎますし。このお話はお断りするつもりでいたのです。贅沢をしなければ、娘と二人、十分生活はできます。先方のご親族は、この結婚をよく思わない方も多くて……」
「でも、相手の方は貴女を手放したくなかったんですね」
田村の言葉に木本は微かに頬を赤らめて頷いた。
「そのカット、吉野さんが?」
「はい。お化粧もしていただいて。吉野さんに勇気を貰ったような気がしたのです。心を決めてお会いしたつもりだったのに……。結婚は断るつもりでしょうって、先に言われてしまって。そういう強い意志を持った女性が、ええと、その、好みなんですって……」
見合いの話は承諾するもの、と思い込んでいた。まさか木本が断る決意をしていたとは。自分はまだまだだ、と千怜は思った。
「お式はいつですか」
田村が問うた。
「六月、最後の日曜日です。お嬢さんがいると娘から聞きました。お嬢さんを式にご招待したいのですが、よろしいでしょうか。私は天涯孤独で、親族がいないのです。娘もお嬢さんが出席してくださると心強いって」
結婚式の話だというのに、木本は決戦にでもむかうような顔をしている。強い眼差しと紅くなった頬が、何やら凛々しい。
「そういうことでしたら。喜んで、娘も出席させていただきます」
「ありがとうございます」
木本は丁寧なお辞儀をすると、店を出て行った。
「僕もメイクの勉強、ちゃんとしとけばよかったなあ」
「メイクはなさらないんですか」
「一通りは習ったけどね。カットばっかりやってたから。僕も千怜さんのメイク、見たかったなあ」
パタパタと軽い足音がして、店のドアが開いた。木本だ。
「あの、これ、お渡しするのを忘れてました」
渡されたのは式の招待状だった。
「お嬢さんお一人だと心細いでしょう。お料理が素晴らしいそうですから、是非、皆さんでいらしてください」
「お心遣いありがとうございます。私たちが行ってもよろしいのですか」
他人がぞろぞろと結婚式に参列してもいいものだろうか。千怜は念のため、木本に尋ねた。
「お客様は新郎の関係者の方ばかりで、私の招待客は職場の方と娘しかいないんです。これは私の分の招待状ですから。私の分はまだまだ余ってるんです。足りなければおっしゃってください」
木本は苦笑しながら封筒を渡すと、店を出て行った。
千怜が中身を見ると、招待状が五枚も入っていた。五人も式に一緒に行くような親しい友人はいない。だからといって、茜里の友達を連れて行くのも場違いだ。思案していると、田村が、えへん、えへん、と咳払いした。
「僕がいるじゃない?」
「折角のお休みなのに。ご迷惑おかけするわけには……」
「ご迷惑じゃないよ。休日は、もうしばらく予定が埋まらないんだよ」
田村はいかにも悲しそうな顔をしてため息をついた。千怜は思わず吹き出しそうになった。
「ありがとうございます。田村さんと一緒なら、安心して仕事が出来ます」
「千怜さんは早めに式場に入るでしょう?」
「ええ。お色直しが二回もあるから、当日は控室にこもることになりそうです」
「茜里ちゃんは僕がお姫様にして連れて行こう。ハイヤーで乗りつけて、二人で記帳なんてしちゃってさ。楽しみだな。あ、茜里ちゃんの着る物は僕に任せてね」
そう言うと、田村はいかにも嬉しそうに手をすり合わせた。
「ふう。さすがにくたびれたよ」
「皆さん、心配なさってましたよ。こんなに長い休みなんて初めてって」
「ちょっとの風邪くらいならお店に立つからね」
「一人でお店をやるって大変ですね」
「緊張感はあるよね。イレギュラーな休みが多いと信頼されないから。だから千怜さんを雇ったんだよ。頑固なマダムたちが千怜さんを認めてくれれば、もっとのんびりできるんだけど。皆さん、けっこうしぶといからなあ」
「そんなこと言っちゃダメですよ」
「オフレコでよろしく」
田村がにこにことして言った。反省している様子はない。
そろそろ閉店時間だった。店を閉める準備をしていると、ドアにほっそりとした人影が映った。
「こんにちは」
「木本さん! よくいらしてくださいました」
「この度、結婚することになりまして……」
「おめでとうございます」
「それで、お式の時のヘアメイクをお願いしたいと思って。あの、吉野さんをお借りしてもよろしいでしょうか」
と、木本は田村に向きなおった。
「はあ、どうぞ」
「そろそろいらっしゃる頃だろうって、お待ちしていました」
「まあ」
「あのさ、説明してくれる?」
木本と千怜の顔を代わる代わる見ていた田村が、ようやく口を挟んだ。
「はい。お話は木本さん、ご本人からどうぞ」
木本は、うっと喉に何か詰まったような顔をして俯いたが、すぐに顔を上げた。
「お互い、再婚なのです。先方には、年ごろのお嬢さんがいらして。お家の格式も違いすぎますし。このお話はお断りするつもりでいたのです。贅沢をしなければ、娘と二人、十分生活はできます。先方のご親族は、この結婚をよく思わない方も多くて……」
「でも、相手の方は貴女を手放したくなかったんですね」
田村の言葉に木本は微かに頬を赤らめて頷いた。
「そのカット、吉野さんが?」
「はい。お化粧もしていただいて。吉野さんに勇気を貰ったような気がしたのです。心を決めてお会いしたつもりだったのに……。結婚は断るつもりでしょうって、先に言われてしまって。そういう強い意志を持った女性が、ええと、その、好みなんですって……」
見合いの話は承諾するもの、と思い込んでいた。まさか木本が断る決意をしていたとは。自分はまだまだだ、と千怜は思った。
「お式はいつですか」
田村が問うた。
「六月、最後の日曜日です。お嬢さんがいると娘から聞きました。お嬢さんを式にご招待したいのですが、よろしいでしょうか。私は天涯孤独で、親族がいないのです。娘もお嬢さんが出席してくださると心強いって」
結婚式の話だというのに、木本は決戦にでもむかうような顔をしている。強い眼差しと紅くなった頬が、何やら凛々しい。
「そういうことでしたら。喜んで、娘も出席させていただきます」
「ありがとうございます」
木本は丁寧なお辞儀をすると、店を出て行った。
「僕もメイクの勉強、ちゃんとしとけばよかったなあ」
「メイクはなさらないんですか」
「一通りは習ったけどね。カットばっかりやってたから。僕も千怜さんのメイク、見たかったなあ」
パタパタと軽い足音がして、店のドアが開いた。木本だ。
「あの、これ、お渡しするのを忘れてました」
渡されたのは式の招待状だった。
「お嬢さんお一人だと心細いでしょう。お料理が素晴らしいそうですから、是非、皆さんでいらしてください」
「お心遣いありがとうございます。私たちが行ってもよろしいのですか」
他人がぞろぞろと結婚式に参列してもいいものだろうか。千怜は念のため、木本に尋ねた。
「お客様は新郎の関係者の方ばかりで、私の招待客は職場の方と娘しかいないんです。これは私の分の招待状ですから。私の分はまだまだ余ってるんです。足りなければおっしゃってください」
木本は苦笑しながら封筒を渡すと、店を出て行った。
千怜が中身を見ると、招待状が五枚も入っていた。五人も式に一緒に行くような親しい友人はいない。だからといって、茜里の友達を連れて行くのも場違いだ。思案していると、田村が、えへん、えへん、と咳払いした。
「僕がいるじゃない?」
「折角のお休みなのに。ご迷惑おかけするわけには……」
「ご迷惑じゃないよ。休日は、もうしばらく予定が埋まらないんだよ」
田村はいかにも悲しそうな顔をしてため息をついた。千怜は思わず吹き出しそうになった。
「ありがとうございます。田村さんと一緒なら、安心して仕事が出来ます」
「千怜さんは早めに式場に入るでしょう?」
「ええ。お色直しが二回もあるから、当日は控室にこもることになりそうです」
「茜里ちゃんは僕がお姫様にして連れて行こう。ハイヤーで乗りつけて、二人で記帳なんてしちゃってさ。楽しみだな。あ、茜里ちゃんの着る物は僕に任せてね」
そう言うと、田村はいかにも嬉しそうに手をすり合わせた。
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