骨壺屋 

内藤 亮

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 外は憎らしいほどの晴天で、雲一つない青空が広がっている。今日は定休日だ。紅葉狩りに行く予定だったのだが、彰との一戦がまだ尾を引いているらしい。出掛けるのが急に億劫になった。一人だから、予定変更しても誰にも迷惑はかけない。いつもなら、店のショーウィンドウを磨いたり床を磨いたりと、徹底的に掃除をするのだが、それも億劫だった。
 定休日だと、クロ親子は自由気ままに歩き回っている。ガラスごしに店先で戯れている猫たちをぼんやりと眺めていたら、島崎がやってきた。店の中を覗き込んでいる。慌てて鍵を開けると、
「電話番号、知らないからさ。いてくれてよかった」
 と、屈託なく笑った。今まで何回も一緒に昼食を食べたのに、互いの連絡先を交換していないのだ。
「携帯なんて持ってるんですか」
「失礼な。持ってるよ、ちゃんと」
 そう言って取り出したのは、最新のiPhoneだった。
「おお、すごい!」
「携帯電話の電池交換にいったら、勧められちゃって。どうせなら格好いいのにしたいって言ったら、これを勧められたんだ」
「見せてもらえますか」
「うん」
 液晶の反応のよさ。手に馴染む曲線。シンプルなフォルムの美しさ。携帯一つとっても、禅に傾倒していたジョブスの美意識が伝わってくるようだ。
「ジョブスのコンセプトはさすがですねえ」
 iPhoneをこねくり回していたら、島崎が言った。
「えらい熱心に見てるね」
「ずっと家電メーカーに勤めてましたから。やっぱり、アップルの製品は他の会社の作るものと一味違うなあって」
「へえ、初耳だ。どうしてお店を開くことにしたんだい?」
「私のいた部署が外資メーカーと合併することになって。まあ、早い話がリストラです。好きなことをしてのんびり働くのも悪くないなって思って。で、今に至るというわけです」
「なるほど」
 島崎がそれ以上の質問をしなかったから、ほっと胸をなでおろした。
「ちょうど新しい器が入荷したところなんす。見ていかれますか?」
「買い物に来たんじゃないよ。いい天気だし、一緒に遠足にでも行こうと思ってさ」
 一緒に、という一言が今日はやたらと沁みる。
「素敵!」
 大急ぎで支度をして、島崎とバスに乗った。
 菊水庵の前にあるバス停からバスに乗り、途中でバスを乗り換えた。
「どこまで行くんですか」
「このバスの終点まで」
 終点まで乗って、バスを降りた。住宅地の中を抜けて到着したのは大きな公園だった。
「ほんとに、遠足ですね。こんなところに公園があるなんて。ちっとも知らなかった」
「ここは昔の実業家、原三渓が作った庭園でね。建物もすばらしいんだよ」
 すみずみまで手入れの行き届いた素晴らしい庭園だ。店の前の池とはレベルが違う。建物は、各地の民家や、寺を移築したもので、徳川光秀の乳母の家だった、なんていう由緒正しいものまである。重要文化財級の建物がごろごろあって、それを大きな池の周りにセンスよく配置してあるのだ。開発の波にのまれ、消えていく古い建物に胸を痛めた三渓が、私財を投じてそうした建物を購入したそうだ。広大な池も、わざわざこの庭のために作った、というのだから驚きだ。昔の人はとにかくスケールが大きい。戦後、庭園が創設家から市に寄贈されたのを機に、庭園管理は財団法人になり、一般にも開放されるようになった。今では庭園全体が国の名勝に指定されているそうだ。
「いいですねえ。こういうお金の使い方」
「尚子さんのお金の使い方も、いけてるよ」
「それって洒落? イケてると池?」
「うん」
「島崎さんのギャグ、ギャップがいいですねぇ」
 無理にでも笑いたかった。力づくで笑っていると、
「今日の尚子さんは良く笑うね。何かあった?」
 島崎がそっと肩に手をかけた。眉をよせて、私の顔を覗き込んでいる。憂い顔がよく似合う。さすが島崎、女の扱いが手慣れている。もう少しで何もかも話しそうになった。身体が小刻みに震えている。慌てて島崎から離れて、元気よく笑ってみせた。
「遠足なんてものすごーく久しぶりなので、なんだか嬉しくって。近くにこんな素敵なところがあるなんて、ちっとも知りませんでした」
「そう。それは良かった」
 島崎がまだじっと見つめている。そんな目で見ないでください。お願いだから。
「あ、あそこ、カメが日向ぼっこしてますよ!」
 急いで島崎の視線を外し、カメの近くまで走っていった。勢いに驚いたカメが次々と池に飛び込んでいく。振り返ると、いつの間にか島崎が側に立っていた。
「残念! 近くで見たかったのに。カメって逃げ足が速いんですね。びっくりだわ」
「少し歩こうか」
 しゃがみ込んで池を覗きこんでいた私に、島崎が手を差し出した。
「ありがとう」
 薄くてカサカサとした島崎の手は仄かに温かく、まるで和紙に包まれているようだった。
 そのまま、手はつながないで(笑)二人で黙々と歩いた。池の周りの遊歩道は緩やかに上ったり下りたりしていて、そのたびに池の景色が変化する。
「けっこうな運動量だわ」
 思わずそう言ったら、島彰が笑った。
「歩いていると風景が変化するでしょう。そのためにわざと勾配をつけたそうだよ」
「なるほど」
 庭園の一番高くなったところから滝が落ちてる。池の水源はここから流れ出ているのだ。池の一番眺めのいいところには、庭園を造った本人の邸宅が当時のまま残されていた。本格的な数寄屋造りと洋風の建築が折衷された建物で、釘を一本も使わない檜皮葺の屋根が美しい。意向を凝らした欄間や丁度の類は、派手ではないが手間と金が相当に投入されていることが素人でも分かる。見た目だけでなく、居住性もよく考えられていて、今住んでも快適に暮らせそうな家だ。邸宅の縁側部分は、池を一望できる長い廊下になっていて、ぐるりと硝子戸がめぐらされている。太陽がさんさんと差し込んでいる廊下から、大きな鯉が泳いでいるのが見えた。
「いいですねえ。一年中、家の中からでも池が見えるなんて。真冬でも真夏でも、座布団に座って庭が鑑賞できるんですよ」
「尚子さんはこういう庭が好きなの?」
「ええ。子供の頃、近くに公園があって。殿様の庭を公園にしたそうで、こんな感じだったんです。やっぱり大きな池があって。私、どうしても池が欲しくなって、祖母の庭にも池を作ったくらいなんです」
 祖母とよく散歩に行ったその公園には、鯉が泳いでいた。餌の麩を与えると、岸辺まで大挙して押し寄せて、池の淵まで我先にと仲間の背中をビチビチとよじ登って寄ってくる。鯉の口だらけになって盛り上がった水面は迫力満点だった。噛まないから、平気よ。祖母の言う通りにそっと指を出すと、思いがけないほどの吸引力で吸われて、慌てて指を引っ込めた。今でもあのインパクトは忘れない。長い歳月を経た立派な樹々と祖母の温かい眼差しに見守られ、ビチビチはねる鯉に餌をやっているうちに、両親のいない悲しみがいつの間にか薄らいでいた。
「へえ、そりゃあすごい」
「池って言っても、この位の小さい池ですけどね」
 両手を広げで大きさを示したら、島崎がほほ笑んだ。
「鯉なんてとてもじゃないけど無理だから、金魚を飼ってました。で、蓮を植えるのも、もちろん無理だから、代わりにホテイアオイを浮かべて」
「池は自分で掘ったの?」
「ええ。地面が硬くって、手が豆だらけです。その代わり、水の抜けない、いい池になりました」
「子供でそれだけできれば上等だよ」
「菊水庵のおかげで、子供の頃からの夢が叶ったんです」
「そっかあ。僕は尚子さんと友達になれたし。菊水庵様々だね。そろそろお昼にしない? ここの茶屋の蕎麦はけっこういけるよ」
「いいですね!」
 沢山歩いて、オゾン一杯の空気を吸ったせいか、お腹が減った。こんなに気持ち良く空腹を感じるのは久しぶりだった。
「天せいろをお願いします」
「僕は、うーん、ざる蕎麦だな」
 私の胃袋は島崎ほどには枯れていないらしい。ざる蕎麦を食べる島崎よりも、私のほうが食べ終わるのが早かった。
「なんだか、すみません。私ばっかり食べてるみたい」
 蕎麦だけでは物足りなかったから、みたらし団子を追加注文してまったのだ。
「僕も団子、付き合おうかな」
 そういって島崎もみたらし団子を注文した。
「尚子さんと一緒だと、何だか食が進むんだよ」
「私もです」
「まだ、歩けるかい」 
「おやおや。同じ言葉をお返しします」
 そういうと、島崎がプッと噴き出した。
 池の周囲に巡らせられた遊歩道に戻ると、島崎は確たる足取りで、林の中へと続く雑草だらけの脇道に入っていく。
「迷ったりしませんか」
 名刹の庭園で遭難なんて、洒落にもならない。背後まで山が迫っている庭園は起伏に富んでいて、立派すぎる木が至るところに植えてあるので、見通しがきかない。うっかりすると迷いそうになるくらい広いのだ。
「大丈夫。ついておいで」
 道はどんどん狭くなって、人一人が通るのがやっとだ。周囲は人がいなくなり、目に入るものといえば、島崎の背中と、辺り一面を覆うススキとカヤだけになった。ピーヒョロロとトンビの鳴きが聞こえてくる。空を仰ぐと、真っ青な空にトンビが旋回していた。トビというのが正式な名称だそうだが、トンビのほうが言いやすいし可愛いから、私はトンビ、という俗称の方を採用している。
「あ、トンビ! トンビがくるりと輪をかいた!」
 節をつけてそういうと、島崎が空を仰いだ。
「あ、本当だ。ここは、すぐそばに海があるからね」
「トンビって上昇気流にのって飛んでるんですよね?」
「そうそう。よく知ってるね」
「本で読んで知りました。本物のトンビを見たのは今日が初めてです」
「そりゃあ、よかった」
 道はいつの間にかかなりの急勾配になっている。さらに進むと、なだらかな斜面に突き当たった。斜面には上りやすいように石を積んで階段のようになっている。
 境内には小さな祠があって、道祖神が祀ってあった。そばには馬頭観音もあった。
「可愛い道祖神ですね。この馬頭観音のお顔も素敵だわ」
 道祖神は旅する人を守る神様だ。馬頭観音は、農民や馬の仲買人が倒れた馬の霊を鎮めるために建てられた。
「へぇ、よく知っているね」
 島崎が感心した。
「小学生のころ、通学路の途中にあったんです。馬頭のお地蔵さんなんて何だか怖くて。道祖神もくらーい藪の中にあって、おまけに顔が欠けていて気味が悪くて。見ないようにして走り抜けていたんです。で、ある日それを知ったおばあちゃんに、罰当たりなって言われて。色々教えてくれたんです」
「なるほど。尚子さんはおばあちゃん子だったんだ?」
「ええ。両親が早くに亡くなって、祖母に育ててもらったんです。島崎さんと一緒にいると、子供の頃に戻ったみたいな気がします」
「僕はおばあさまの代わりかい? 今日はデートのつもりなんだけどな」
「それはそれは、失礼しました」
 大仰なお辞儀をすると、島崎が大笑いした。
「三渓さんは、神様まで自分の庭に連れてきちゃったんですか」
 金持ち、恐るべし。
「道路の拡張工事で祠を撤去することになって、ここに移築したそうだよ」
「ここなら神様も満足ですよね、きっと」
「そうだね」
 からりと乾いた風が吹き抜けた。落ち葉と微かな冷気を含んだ秋の風が汗を乾かしていく。
 祠に手を合わせ、祈った。道に迷うことがないように、と。
  家に戻ると、店先でクロが待っていた。
「尚子さん、秋の香がする」
 そう言って、ハナをひくひくさせた。
「ただいま、クロ。楽しかったわ。貴女がいると、留守をしていても何だか安心なの。留守番ありがとう」
「どういたしまして。お店を女の子がいたから、挨拶しておいたわ。また来るわよ、きっと」
 クロが確信を持っていった。
 夕暮れの迫った藪の中から、寅吉がぬっと出てきた。二本目の尻尾のルーメン(でいいのかしら?)が上がったような気がする。暗闇の中でも尻尾がぼうっと光っていた。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです!」
「島崎、元気そうだったな」
「見ていたんですか」
「ああ」
「あのう、島崎さんに会うわけにはいかないんですか」
「まだなあ、俺はそんな力はないんだよ」
 寅吉が珍しく、しょげた顔をした。
「なんか、こう、魔法陣みたいなのを書いて、召喚したら島崎さんにも見える、とか?」
「俺は使い魔じゃあないんだぞ。そんな都合のいいものはねえよ」
 寅吉が頬を膨らませた。言葉が分かるようになって以来、猫の表情もよく分かるようになったらしい。傍で聞いていたクロがくすっと笑った。もし寅吉に会えたら島崎はどんなに喜ぶだろう。
「時がくれば会えるんじゃない?」
「奴が死んでから、っていうのは困るぞ」
「そういう意味じゃありませんよ」
 そういうと、クロはまた、クスクスと笑った。


    
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