骨壺屋 

内藤 亮

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 ふと気が付くと、辺りは真っ暗だった。閉店時間はとっくに過ぎている。慌てて電気を灯し、クロ親子を呼んだ。子猫たちが尻尾を立てて走ってきた。
「御飯、遅くなってごめんね」
「そんなこと、いいのよ」
 クロの声だ! 頭の中、とかではない。寅吉といるときと同じように、明瞭な声が耳に届いた。
「寅吉さんが居なくても話せるの?」
「ええ、もちろん。尚子さんにあの人の姿が見えたり、私達の言葉が聞こえるのは何故かしらって、気になっていたものだから。貴方のことがよく分かるまでは普通のネコでいようと思ったの。彰さんとの話、きいたわ。だからなのね、貴女がそんな力を持ったのは」
「?」
「失うものもあれば、得るものもあるってことよ」
 子供たちはクロの言葉が聞こえないらしく、キャットフードをカリカリといい音をさせて夕飯を食べている。
「この子たちはまだ子供だから。私たちの話は聞こえないはずよ。念のため、おまじないをかけておいたし」
「クロさんってすごいのね」
 ふふっとクロが笑った、ような気がした。獣医師の話では、クロは二歳くらいだそうだ。最初の発情の時に身ごもったらしい。猫の歳は人とは違うが、クロは私なんかよりずっとしっかりしていて大人、だ。
「あの、お気になさらず、ご飯、たべてください」
 クロはさっきから一粒もキャットフードを食べていないのだ。
「私のことはいいのよ。ほら、涙を拭いて」
 慌てて頬に手をやると、涙で濡れて冷たくなっていた。小さな肉球が優しく涙を拭っている。柔らかくて温かい肉球が防波堤を壊してしまったようだった。もう、堪えられない。喉がひくひくしはじめた。
 キャットフードを食べ終わった子猫たちが、キョトンとした顔をしてこちらを見ている。クロがニャア、と一声かけると、子猫たちはどこかへ行ってしまった。
「さぁ、子供たちもでかけたわ」
 クロの声が契機となったかのように、私は子供の様に声をあげて泣いていた。ひとしきり泣いたら、胸のつかえが消えていた。以前に泣いたのはいつだったのだろう。こんなに思いきり泣いたのは忘れるくらい昔だ。さっぱりしたら、お腹が減っていることに気がついた。涙活、なんてバカにしていたが、案外と効果があるらしい。
「クロさん、お腹空かない?」 
「少しは落ち着いたみたいね」
「そういえば、子供たちはどこに行ったのかしら」
「今頃は、アヴァンチュールを楽しんでいるわ。あの子たちもそういう歳になったのよ。私の子育てはそろそろ終わりね」
 そういって、クロはふうっと満足げなため息をついた。私には一生、つくことの出来ないため息だ。
「尚子さん、あなたは頑張ってるわ。頑張りすぎているくらい。時には肩の力を抜いて。弱音をはいたっていいのよ。私でよければ、いつでも話をきくわ」
 クロはそういうと、キャットフードの入った皿の方にスタスタと向かっていった。安っぽい慰めの言葉なんてかけないのが、いかにも猫らしい。
「あのう、今夜はお刺身なので、一緒にどうですか」
「あら、いいわね」
 猫の表情は人とは違うけれど、表情が和らいでいるのが分かる。そんな猫離れしたクロにキャットフードだけでは申し訳ない。
「あのう、いつもキャットフードでいいんですか」
「栄養のバランスがとれているそうだから。獣医さんだって言っていたでしょう。毎日、獲物を狩るのは、ネコだって大変なのよ。キャットフードも結構美味しいし」
「それを聞いて、ちょっと安心しました」
「猫の味覚は人と違うんだから、心配しなくていいのよ」
 あったばかりの頃の、ガリガリに痩せていた親子を思い出した。チュー○を喜んで食べるのはもちろんだが、ドライフードもちゃんと食べてくれるのは助かる。賢い猫だ。
 小皿に刺身を取り分けてやると、クロは行儀よく一切れずつ堪能しながら味わっていた。
 クロはキャットフードと刺身をきれいに食べて、満足そうに身繕いしている。思いきってきいてみた。
「好きな人の子供を産むって、どんな気持ちですか」
 クロは小首をかしげ、ちょっと考えていた。
「この子たちを無事育てあげないとって。それだけよ」
「それだけ?」
「ええ、それだけ」
 クロは私の顔を覗き込むと、笑った。
「猫は、人みたいに愛している人の子供を産みたいとか、考えないの。私達は、交尾が刺激になって排卵するから、一腹の子供でも父親が違うなんてザラだし。寅吉はケンカが強かったから、あの子たちはみんな寅吉の子ですけどね」 
「はぁ、そんなものですか」
「そんなものよ。子育て中は、忙しくて、好いた惚れたなんてヒマはないし。人だってそうでしょ?」
「いやぁ、そんなことはないですよ」
 だから、悲惨な事件が起こるのだと思う。
「そうなの? 人って不思議ね。余裕があるからかしらね。野良猫は毎日、食べていくのでいっぱいいっぱいだから」 
「寅吉さんのこと、今でもやっぱり好きなんでしょう?」
「そうねぇ。いい人だったわ」 
 クロはそう言って、ふわりと笑った。

 生き物の営みを一つ手放してしまった。あの日から、弱みを見せてたまるか、負けてたまるかと、そんなことばかり思いながら生きてきた。たわいなくじゃれ合っている親子を見ていると、こうやって生きていくのもありかな、と、思えてくる。あの時、彰に言葉をぶつけてしまったことを後悔した。
 空が急に高くなって、池の周りの木々が色づいてきた。隣接した公園では子供たちが歓声をあげて紅葉や銀杏、色々な形をしたドングリを拾っている。
 今日の最初の客は老夫婦だった。静かに話をしながらゆっくりと器を吟味している。それとなく二人の会話に耳を傾けると、飯茶碗か何かを選んでいるらしい。
「これじゃあ、大きいかしら」
「大は小を兼ねるっていうじゃないか」
「それもそうねえ」
 夫人はクツクツと笑っている。
「これ、お願いします」
 老夫婦がカウンターに並べたのは骨壺だった。それも三つだ。生の延長に死がある。いつか吹く風に耳を澄ませながら日々を過ごしたい。偉そうにそんなことを思ってこの仕事を始めたのだが、老齢の夫婦に骨壺を三つもカウンターに並べられると、さすがに焦る。ぎゅっと胃が縮んで塊がせりあがってきた。一家心中なんてことはない、ですよね?
「はい。少々お待ちください」
 エコ包装を掲げているから、化粧箱は有料だ。ほとんどの客は簡易包装を希望する。夫婦も簡易包装を希望した。骨壺を贈答用にする客は、多分いないだろう。背中を向けて壺を包みながら、夫婦に分からないように深呼吸をした。
「ビックリなさったんでしょ。爺《じじい》と婆《ばばあ》が三つも骨壺を買うから」
「いえ、そんな」
 こくり、と唾を飲み込みながら返事をした。骨壺屋の主がこれしきの事で動揺してどうする。
「こちら、お品物です」
「ありがとう。あのう、少し、お喋りしてもいいかしら」
「まあ、いいじゃないか。帰ろうよ」
 夫がたしなめた。
「宜しければ、ぜひ。お話を聞かせてください」 
 こういう時、もと居酒屋の店舗は便利なのだ。長いカウンターも水回りもそのまま残してあるから、茶を淹れるくらいわけない。バックヤードから椅子を持ってくると、夫婦のほうがビックリした。
 湯呑や茶碗、ぐい呑み。島崎は頓着なく、処分しちゃって、と言っていたが、菊水庵の器はどれも味があっていい器だった。処分するなんて、とんでもない。かなりの数、手元に残してある。茶は上等の緑茶にした。ほうじ茶や玄米茶は、この夫婦には似合わないような気がしたのだ。
「どうぞ」
「いただきます」
 喉を潤すと、夫人があら、美味しいと、意外そうに目を丸くした。夫も、ほう、と感心している。
「私たち夫婦と、もう一つは、亡くなった娘の分なんです」
 見合いをして一緒になった。やがて子供が生まれた。早産だった。栄恵《さかえ》と名付けたが、赤ん坊は3日間の命だった。産後の肥立ちも悪く、夫人は子供の生めない身体になった。
「石女、って分かります?」
 私は黙って頷いた。
「昔は、子供が生めないことが立派な離縁の理由になったんですよ。実家に帰る覚悟をしていたら、この人が、」
 そういって夫に目を遣ると、当の本人は、照れ臭そうにそっぽをむいた。
「跡継ぎは幾らでも見つかるが、この人は一人しかいないって。親族全員を敵に回しても構わないって勢いで。まあ、その凛々しいことといったら」
 あの子の話をするつもりが、この人の話になっちゃったわ、と夫人は上品に笑った。
「あの子のことは頭から離れたことはありません。でもね、女の仕事はそれだけじゃあ、ありませんから。この人ったら料理も掃除も何にもできないんですよ。これからはそういうことも教えないとですからね」
「あんまり厳しい指導は困るよ。こっちは初心者なんだから」
「はいはい」
 夫人はクスクスと笑いながら答えた。
「跡継ぎは無事に見つかって。今はその子が店を引き継いでます。僕なんかよりずっと立派な経営者でしてね。おかげで心置きなく引退できました。これからは娘ことをゆっくり思い出してやれます」
「お話してくださって、ありがとうございました」
 婦人が心の中を見ず知らずの私にさらけ出してくれた。この器たちの持つ力なのだろうか。思いの込められたモノには魂が宿るという。付喪神は
本当にいるのかもしれない。
 帰り際、夫人が言った。
「この紙袋、うちの商品なんですよ。毎度ごひいきに」
 そういって夫婦が頭を下げた。
「えっ。あの、こちらこそよろしくお願いします」
「また来るわね」
「お待ちしています」
 菊水庵で使っているのは老舗の文房具屋のオリジナル商品だ。簡易包装にした代わりに、袋だけは奮発したのだ。都内の一等地にある本社を知らない人はいないいないだろう。あの地味な御主人が社長だったのだ。夫婦が帰った後、急いでタブレットを取り出して、購読している経済紙の紙面を探した。あった! 確かに社長はあのご主人だった。記事は、新しく就任した社長の紹介と、先代の社長は経営から一切手を引く旨が記されていた。 
 骨壺を三つ並べて夫婦はどんな話をするのだろう。二人でこれまで歩んできた旅路を語り合うのだろうか。
 一人で老いていく。耳が遠くなり、目がかすみ、この手が染みだらけになっても私は一人なのだ。クロがいるのは心強いが、猫の寿命は人とは違う。でも、と思い直す。今、目の前にある4つの命を守るのは私なのだ。それに、島崎もいる。まだまだ一緒に島﨑と一緒にご飯を食べたい。遠くをみてばかりいると、心許ない。今は足元だけをみて、暮らしていくことにしよう。
「尚子さん、そろそろご飯にしましょうよ」
 クロの声で、我に返った。
「あのね、ネットサイトで猫のおうち御飯っていうレシピをみつけたの。今夜はそれを作ってみようと思って」
「まあ、楽しみ!」 
 クロがそそくさと台所についてきた。 
 鳥肉を少量のバターで炒めておく。鳥の骨のスープで煮た野菜に取り置いてあった肉を加えて、ひと煮立ちすれば出来上がりだ。私の分は野菜を大きめに切って、塩コショウした。
「たまには女二人の夕飯もいいわねぇ」 
「ですね」 
 同じ物を食べていると、種の違いなんて忘れてしまう。子猫たちが帰ってきたら、もう一度スープを温めてやろう。外は冷たい風が吹いている。
 
 
 
 
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