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なにも知らない

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 橘家に入るのは、本当に久しぶりだ。
 萌とは幼馴染みだし、家族ぐるみの付き合いなのだから。小学生の頃くらいまでは毎日のように、どちらかの家で遊んでいた。

 中学生に上がる頃には、思春期というのか、少しパーソナルを意識し初め、家には上がっても、萌の部屋に入ることはなかった。

「入っていいよ」
 そんな萌の部屋の前に俺はいた。
 萌を女性として意識することは無かったが、ここに立つと急に心臓がドキドキ脈打つ。

「久しぶりだな、萌の部屋に入るのは」
 状況説明をすることで、何となく間を持たせる。


 高校生の女の子の部屋は、いい匂いがした。
 あまり裕福な家庭ではない萌の家は、昔使っていたタンス等をそのまま使っている。
 これは確か、服が多くなってきた中学生の時期に、近所の引っ越しする家からもらってきたタンスだ。おじさんと俺で一生懸命部屋に入れた記憶がある。
 その記憶が俺がこの部屋に入った最後の記憶だろうな、と何となく懐かしく思い出す。

 萌の勉強机は、小学生の時から変わっていない。下の引き出しには、女の子が好きそうなシールがペタペタと貼ってある。

 懐かしさと、女の子の部屋の物珍しさで、部屋をキョロキョロと見回していたのだろう。

「あんまり見られると恥ずかしいんですけど」
 と、尻を蹴られた。

「すまん」
「お茶持ってくるから、何も触んないでよ」
「ありがとう、触らないよ」

 急ぎ足で、階段を駆け降りる萌を見送ると。
 何となく正座で絨毯の上に座る。

 萌の部屋はきれいに整頓されていて、ベッドとコタツと、勉強机にタンスがあるだけの、シンプルな部屋だった。

 壁に好きなアイドルのポスターのひとつやふたつあるものだと思っていたが、考えたらあいつの口から、そういった話を聞くこともなかったなと、思い返していた。
 あるのは小学校の時に絵画コンテストでもらったらしい賞状と、中学の時にいった修学旅行で買ったタペストリーくらいか。
 男子のような部屋だな。と感じた。

 そこに両手にお茶を持った萌が帰ってくる。
「なに正座してんの? 足崩しなよ」
 冷たいお茶が、コタツの上に置かれる。
「コタツの電気つけたから、すぐ暖まると思うよ」

 男子高校生が、女の子の部屋に呼ばれる。
 普通だったらもっとテンションの上がるシチュエーションなのだろうが、俺には萌の少し陰鬱いんうつな表情が引っ掛かって、そんな気持ちに全くならない。

「俺、また何かやらかしたか?」

 原因は俺だろう。

「これといっていつも通りだったよ」

 萌の答えに困惑する。

「萌の元気がないのが気になるんだが」

 思ったまま素直に答える。

「そうね、少しくるみに失望してるのかも」

「……それってどう言う事?」

「くるみが、どんどん人付き合いが苦手になってる」

「自覚はあるつもりだ!」

「自覚が無いから私は悲しいのよ」

 完全に俺の言葉を否定してくる。
 会話する気あるのか?
 自覚があるといったが、自分に対しての皮肉も含んでいたんだ。それを上から被せられるってのは結構痛い。
 いったいなんなんだ、突っかかって来るなよ!

「自覚はあるってば! でもさ、俺の境遇とかそういうの知って、みんなの方が俺を避けてんじゃん! 俺だって好きで人付き合い苦手なんじゃないんだぞ!」

 声をあららげてしまう。
 しかし、萌は反論もせずただ俺の目をじっと見つめてくる。『それで?』と言いたげな表情で。

「俺の無駄にでかい背が威圧感ある? 三白眼さんぱくがんで見られると睨まれてるみたいで怖い? 口下手だから、単語単語でしか話せないんだよ! 上がり症で顔をまともに見れないだけで、嫌ってる訳じゃないんだ! 本当にこれ全部俺のせいか? 俺がそんなに悪いのか?」

 萌の目は未だに『それで?』という。
 しかし、白けている訳でも、否定している訳でもない、ただ促しているだけだった。

「あまつさえ親父の冤罪で殺人犯の息子だと? ふざけんなよ、そんなの俺のせいじゃないだろ! なんで俺が白い目で見られるんだよ! ふざけんなよ……」

 萌の目を見つめながら話すが、それ以上言葉は出てこなかった。

「それでおわり?」

 萌は静かにそう言った。

「ああ、でもこんなこと、萌なら聞かなくても知ってるだろ!」
 一気に用意されたお茶を飲み干す。
 コップを乱暴に置き、萌を見据える。

「で、俺に自覚がないってどの辺なんだよ」

 言って少し引いた。
 今喋ったことに。
 人付き合いが苦手な事に自覚があると言葉にしたものの、理由を述べれば『他人のせい』としか言ってなかった。

 すっと、血管が縮まり、血の気が引いた。
 俺の顔色を見て萌が口を開いた。

「わかった? くるみは、みんなのせいにしてるだけで、努力してない。だから誰とも話せなくなってる」

「努力? そんなのしても相手に嫌われてるなら無駄な努力だろ!」

「嫌われてないよ、好かれてないだけ。でも私達は人付き合いって努力をして自分の居心地のいい関係を作ってるの。くるみはそれをせずに人のせいにしてるだけじゃん」

「だけど、相手にも寄るだろ、萌とはこんなに話せているんだし」

 あがって目を見れない事も、単語単語しか話せないこともない。境遇だって理解してくれている、親父が冤罪だと信じてくれている。
 お互いによく知っているからちゃんと対応できるんだ。

「違う!」

 萌は考えを読むように俺を否定する言葉を吐く。

「くるみは私に興味がないだけ」

「は? どう言うことだよ」

「私の事を『知ってる』って言うのは、私の事をこれ以上知る必要がないって事でしょ」

「そんなこと……」

「あるわ。だから話すときに気を遣わなくていいんでしょ?」

「良いことじゃないか」

「くるみが気を遣わない分、私が気を遣っているのも知らないくせに! 私を知ってるなんて言わないで!」

 こんなに激昂げきこうした萌を見たことはあるだろうか。家族同然に育ってきたのに、こんな顔を見たのは初めてだ。
 こんな顔俺は『知らなかった』

「……すまん」

「今日、くるみが図書館に行ったとき、先生が冗談で「タクシーじゃないんだよ」って言ったよね?」

 俺は頷いた。
 この話の流れに対して、見に覚えのあるエピソードに聞こえず、戸惑うばかりだ。

「あれって、場を和ませようとする先生の冗談なんだけど、くるみは車を降りて全力で走っていったでしょ?」

 頷く。

「先生どんな気持ちだったと思う?」

 そんな事が気に障さわったのだろうか。
「すまんが全くわからん」

「ちょっとくらい待ってても先生も私も気にならない、怒ったりもしないし、失望もしない。なのにくるみは1秒でも早く帰ってこようとする」

「そんなの、待たせないに越したことないだろ!」

「交通事故を起こして頭に包帯巻いてて、心配しないと思うの? 私が罪悪感を持ってる事に気づかなかったの? そんなくるみに『一秒でも早く戻ってこい』なんて考えたと思う?」

「でも……」

「でもじゃない!!」
 机をバンと叩き、萌はショートにしている黒髪を逆立てんばかりに怒っている。

 確かに、状況に対して俺のとった行動が、人に不快感を与えるものだったのだろう。
 こういうことが多いから俺はみんなに嫌われないように生きてきたのに。

「くるみはいつも誰かに嫌われたくないって思って行動してるよね」

 またも、心を読んだかのように萌が言う。

「嫌われたくないからね」

「そこが原因! なんでそんな風になっちゃったかなぁ」
「……どうすればいいんだよ」

「人に嫌われないんじゃなくて、人に好かれるように考えれないの?」

「やり方わからん」

「家に帰って悩みなさい!」

 先生か何かですか。

「それと、くるみは私の事なーーーーーーんにも分かってないからね!」

「なーーーーーーが長い。どう言うことだよ」

「付き合いが長いからって、私が何されても怒らないと思った? それとも怒らないように接してるの? 私はいまめちゃくちゃ怒ってるんだけど、それは知ってた?」

「それは……」

「ほら、私が本当に何に腹をたてているのか、そんなことも知らないくせに、何が幼馴染みよ」

「お前は分かってんのかよ、毎日飛び蹴りしてさ、俺が怒らないと思ったのか?」

「あれはいつか怒らそうとしてやってんの!」

「意味わからん」

「はいはい、それも宿題ね。わかったらすぐに帰って取りかかる!」

 そう言って萌はシッシッと手で俺を追い払う仕草をすると、コタツに顔を伏せてイビキをかきはじめた。もちろん嘘のイビキだが。

「わかりましたよ。じゃぁ帰るわ。またな」

 イビキで返事をする萌。

 俺は呆れながら部屋を出ると、萌の突っ伏したままの頭を見ながら部屋の扉を閉めた。
 そして玄関を出て、徒歩10秒の自分の家の玄関へ到達した。

 変な宿題を貰ったが、萌と俺にとっては凄く大事な問題だと言うことはわかる。
 俺はもっと萌の事を知らなければならないのだ。


 部屋に戻ると、少しゲンナリした。

 萌の部屋はきれいに片付いていた。
 俺の部屋もとてもきれいだ。
 いやむしろ輪をかけてなにもない。
 ベッドだけがぽつんと置かれており、学校のものを入れる棚が一つあるだけだ。

 そして、かれこれ数年のあいだ、遮光カーテンがずっと引かれており、ほとんど暗闇に近い。
 寝るのが趣味の俺としてはよい環境だが、普通の人間としては破綻している部屋だと、改めて思う。


 こういうところなんだな。
 考え事をする前に、部屋のカーテンを開ける。
 数年差し込んでいなかった自然の光は、夕日が沈んで殆ど入ってこなかったが、雲だけがうっすら赤く光っていた。

 境界線が紫色に光っていてとても綺麗だった。
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