シング 神さまの指先

笑里

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便り

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「そつちは何も変わりないか。みんな元気かな」
 圭司も、もう十五年日本から離れている。きっといろんなことが変わっているかもしれない。横浜も、東京も。
「みんないい歳になったよ。腹にたっぷり脂肪を蓄えた立派な中年さ」菊池が笑いながら答えた。「ああ、そういえば蓮さん、夏前頃に店を畳んだんだよ」
 蓮さんの店は学生時代から圭司がずっと調理場のバイトを続けていた店だった。蓮さんは面倒見の良い気さくな人だ。おそらく蓮さんと出会わなかったら、就職もせずに音楽活動なんか出来なかったらだろうと今にしても思う。しかも、その頃に仕込んでもらった調理の腕のおかげで今、アメリカで飯が食えてるのだ。
 それだけお世話になりながら、日本を出てから便りも出さず、不義理をしてるんじゃないかと実家のことよりも気になってたぐらいだ。
「なんで? まだ隠居する歳でもないよな。何かあったのか」
「詳しいことは教えてくんねえんだけどさ、身体壊して入院してんだよ。俺はどっかの癌じゃないかと思うんだ」
「見舞いには?」
「もちろん行ったさ。元気だと言ってたけど、だいぶ痩せてたな。心配かけたくないんだろう。お前にも教えようかと何回か実家に電話しても、誰も出なくてな」
「あの家には今は姉貴と圭しか住んでないからな。親父もお袋も鎌倉に行ったってさ」
「えっ? 姉貴って嫁に行ってるって言ってたあのお姉さんと圭ちゃんが、今はあの家に住んでるのか。全然知らなかった」
 ——おい
「ちゃんと実家の住所を契約書に書いただろ」呆れて圭司がいう。圭司の方は菊池より先にサインを契約書に書いたので、事務所の代表者の名前はまだ書いてなかった。
「ガハハ、お前ん家の住所なんて覚えてないよ。電車降りてあそこの角を曲がって、とかなら完璧に覚えてるがな」
「相変わらずいいかげんな奴だな。よくそれで社長をやってるな」
「社長業なんて、細かすぎると人はついてこないぜ。俺ぐらいがちょうどいいのさ」
 ——まあ、確かにお前の人間的魅力はそここもしれんがな。

「で、蓮さんはどんな感じだ?」
「どうなんだろうな——。あまり芳しくない感じに見えるんだよ」
「俺も簡単に行けないからな。なんかあったら必ず教えてくれよ」今は菊池に頼るしかない。
「わかった。必ず連絡するよ。だけど一度こっちに帰って来られないのか? 蓮さんも気にしてたぞ」
「そんなこと言われたら、無性に帰りたくなるだろうが。会いてえな、蓮さん」
 里心がついちまいそうだ。
「蓮さんも会いたいと思うぜ。いつだったかなあ。ああ、お前がそっちに行った年の暮れだったか、秋だったかに蓮さんから電話があってさ」
「電話? お前に?」
 ——なんだろう
「そう。圭司の居場所しらねえかあ、って怒鳴りながらな。俺もさ、お前が携帯も契約切ってアメリカ行ったから連絡先も知らなかったしな。実家なら電話知ってるって言ったんだけど、いや、それはやめとくわって。そういやあお前、蓮さんにちゃんと挨拶してから行ったのか? 怒ってたぞ。あんだけ可愛がってもらっといて。だからさ、一度でいいから帰ってきてやれよ」

 それからいくつかの他愛もない話をして電話を切った後、圭司は何かが引っかかった。
 ——蓮さんが怒ってたぞ
 菊池には曖昧にごまかしたが、圭司は蓮さんにだけはちゃんと挨拶をしていったのだ。だいぶ引き止められはしたが、最後には折れてくれたんだ。
 男にそこまで熱く夢を語られちゃあな——
 苦笑いしながら、蓮さんからは頑張ってこいと背中を叩かれたんだ。
 なのに、蓮さんが怒ってた。しかもその年の秋に俺を探してた? なぜだろう。

 本当はすぐにでもその言葉の意味を蓮さんに聞きたかったが、こっちの生活もある。店を構えさせてくれたボブの期待に応えるためにも、そんなに休むのは気が引けた。

 まあ、何かありそうな時は、誠が連絡くれるさ——

 蓮さんへの想いを一時的に胸に仕舞い込み、再びいつもの毎日が過ぎて行き、いつのまにか暦は圭の一六回目の誕生日が近づいていた。
 ——誕生日プレゼントを考えなきゃな。
 そんな悠長なことを考えていた。
 その頃日本ではとんでもないことが起き始めていることを圭司が知ったのは、もう少し後のことだ。
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