この夜を忘れない

能登原あめ

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 今夜の舞踏会は、ハーヴィー殿下とイライザ様のためにあるみたい。

 二人の距離に緊張感があるものの、時折目を合わせて微笑み、ダンスを踊っている。
 そこには親密な空気が流れていて、見ているこちらが恥ずかしい。
 そろそろ周りも気づき始めるかも。

 私もイライザ様も殿下の婚約者候補で、どちらも侯爵家の生まれだというのに、いつから関係が変わったのだろう。
 十六歳になったばかりのイライザ様は、この頃急に女らしくなった。それに、ずっと前から殿下に一途に恋していた――。

 私は婚約者候補四人のうちの一人として一番長く――五年間高度な教育を受けている。
 殿下とは同じ十八歳で、なんでも話すことができたし、公式行事に一緒に行動することも多かったように思う。

 だから周りが言うように私が選ばれると思っていたけれど、もう望みは薄い。
 両親ががっかりするのが想像できて現実を伝えるのがつらい。
 いえ、もうこの状況に気づいているかも。

 ハーヴィー殿下のことは尊敬はしているけれど、愛してはいなかったから悲しさはない。でも虚しさを感じてしまう。
 この五年間は一体何の為にあったのか、選ばれると思っていた自分が恥ずかしい――。
 でももしかしたら公務を優先させて私を選ぶかも……。

「ハリエット、もう諦めろ」

 私だけに聞こえるくらいの小さなささやき。
 いつの間にか私の隣に、殿下のご友人で隣国からやって来た公爵子息のエルナンド・ガルベス・ソリス様が並んだ。
 
「エルナンド様」

 思ったままを口にしてしまう、自由で少し粗野な雰囲気の方。少し癖のある焦茶色の髪に同じ色の瞳は小麦色の肌であっても印象に残る。
 
「踊ろう」
「はい」

 少し強引に私の手をとり、殿下とイライザ様が視界に入らないような場所へ誘導された。
 人々の中に紛れ、ほんの少しほっとする。

 エルナンド様はいつから私の様子を見ていたのだろう。
 表情には出ていなかったはずだけど、エルナンド様は心の機微に聡く少しのことも見逃さないらしい。

「ハーヴィーは彼女に決めた。だから、何をしてももう無駄だ」

 言われなくてもわかっていたけれど、エルナンド様の言い方にカチンときて、私は笑顔を浮かべた。

「そうでしょうか?」

 作り笑顔にエルナンド様の口元が少し歪む。

「殿下がはっきりおっしゃるまでわかりません」

 そう言いながらも、遠くない日にイライザ様との婚約発表があると思う。
 でも、優柔不断な殿下だから愛や恋じゃなくて理性で私を選ぶ……?
 可能性はほとんどなさそう。
 
 他の候補者の中で一番私が年上で、結婚適齢期といわれるのは二十歳まで。
 殿下に選ばれなければ、急いで相手を見つけなくてはいけない立場だ。

「これから忙しくなりますね」

 私も、殿下達も。
 ゆったりとしたステップを踏みながら、エルナンド様が私の顔をじっと見る。
 少し居心地が悪いくらいに長く。

「控えの婚約者がいるのか?」
「……いいえ」
「新しい婚約者なんて探すなよ」

 眉をひそめそうになって意識的に何度も瞬きをした。

「……そういうわけにはいきませんでしょう」

 エルナンド様とは殿下や他の婚約者候補達とともに話す機会が何度もあったから、今では友人と呼べる間柄だと思う。

 穏やかで優しい雰囲気の殿下より二つ年上で、はっきりした物言いをするから他の婚約者候補達は怖がっていた。
 そうなると私と話すことは多かったと思うし、私は率直な態度のエルナンド様はわかりやすくて気が楽に感じたのだけど……今はとても居心地が悪い。

 曲が終わり、そのままエルナンド様にバルコニーへと誘われた。
 
「俺にしろよ」
「はい……?」

 ダンスの後で距離が近いままなのが気になって、私は一歩後ろへ下がる。
 今までにこんなことはなかったのに。

「ハリエット・エドウズ、俺を選べ」

 エルナンド様の腕が私の腰にのびて、私が下がった分以上に近づいた。
 強い視線に、私はゆっくり口を開く。

「選べと言われても……私は今、殿下の婚約者候補ですから」
「そんなことはわかってる。だが、もうわかっただろ?」

 エルナンド様は良き友人であって、それ以上ではない。
 どうしてこんなことになっているかと戸惑った。

「いえ、殿下は思慮深いですからまだわかりません。それに、こんなところを誰かに見られるわけにはいきませんし、私の気持ちだけでは決めることができないのです」

 バルコニーの柱の影に立っている今は、誰にも注目されていないと思う。
 でもいつ誰に見られるかわからない。

 エルナンド様は隣国の王弟の息子で、ソリス公爵家の三男。縛られるのが嫌で婚約者はいない。
 遊学という名目で各国を渡り歩き、この国が気に入ったようで滞在してそろそろ一年になると思う。
 
 私は国の中でも影響力のあるエドウズ侯爵家の生まれだけど、両親からしてみればただの政略結婚の駒の一つで、簡単に頷いていいとは思えなかった。
 きっと、両親は最後まで戦えと言うだろうから。

「ハーヴィーを愛している?」

 思いがけないことを言われて、言葉に詰まる。
 彼のはっきりとした物言いに思わず苦笑いが浮かんでしまった。

「……やっぱり答えなくていい。ハリエット、俺を選べ。俺と結婚しよう。俺はハリエットを国に連れて帰りたい」

 いつもは察しのいいエルナンド様だけど、珍しく勘違いしているらしい。
 殿下に対して一度もそんな想いを抱えたことはないのに。

 エルナンド様の真意が知りたいし、誤解を解かなくてはと、口を開いたのに彼は笑って私をダンスホールへ連れ出した。

「エルナンド様!」
「ハリエット、返事は急がない。今言ったこと忘れるなよ」

 急に明るい場所に引っ張られて、そのままもう一曲ダンスを――。

 これは二曲続けて踊ったことになるの?
 エルナンド様の国と違って、この国では続けて踊るのは婚約者同士か夫婦しかいないのに。
 今はまだハーヴィー殿下の婚約者候補だから、これは軽率な行いのはず。

 しっかりと手を握られてみんなの中に紛れ込んでしまった今、騒いだら目立ってしまう。
 この国のマナーを忘れているのか、今のエルナンド様の表情からは読めなかった。

「ハリエット、眉間に皺が寄っている。気にするな、楽しめ」

 わかってやっているのだ、ずるい――。
 私の立場なら周りの人の目が気になってしまうのは当然だし、少し腹立たしい。
 とはいえ注目はされていないように感じて、目立たぬようにやり過ごすしかないと思った。
 
「みんな酔っ払っているから覚えてないさ」

 そんなはずないのにあっさり言い退けるから、つい笑みを漏らしてしまう。悔しい。
 エルナンド様がささやいた。
 
「そうやって笑っていたらいい」
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