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「ロズリーヌ、婚約は白紙だ。明日、隣国の王太子の花嫁候補として出立するように」

 父である国王陛下は、厳しい表情を崩さず私に伝えた。
 行儀見習いとして王宮に出仕していた美しい子爵令嬢に陛下が手を出して私が産まれた。

 王妃殿下からうとまれ、私と母だけ離宮で暮らし、公の場でしか彼らと会うことはない。
 家族だという感覚もないし、王妃から産まれた兄姉たちとは態度も扱いも違うのも仕方ないとは思う。
 
 だけど――。
 大好きな幼なじみとの婚約発表を来月に控え、今まで幸せを感じていたのに。
 今は胸が張り裂けそうなくらい痛いし、苦しい。
 冷たい指先が震えているのに気づいて両手を握り合わせた。

「ほかにも数名他国の王女たちが呼ばれている。滞在期間は一ヶ月ほどの予定だ」

 選ばれなければ戻って来られるということ。
 周辺にも影響力の大きい軍事大国からの要請だから、小国の王が断ることはできなかったのだと思う。
 隣に座る王妃が複雑な表情をしているのは、私が万一隣国の王太子妃になったらおもしろくないからかも。
 
 お義姉様たちは皆、国内の名門貴族に嫁いだから、もしもの場合は私が一番身分が高くなってしまう。
 でもそんなこと望んでいないし、ありえない。

「……戻ってきたら、もう一度エルマン・ル・クレーヴと婚約させていただけませんか?」

 私の護衛騎士、エル。
 母の従姉の息子で、遊び相手として赤ちゃんの頃から顔を合わせてきた幼なじみでもある。お互いの気持ちが通じ合い恋人になって、婚約者だったエルマンのことが私は大好きで――。
 
 すがるように見つめる。
 国王陛下は眉間に皺を寄せて黙り、代わりに笑顔で王妃が答えた。

「ええ、もちろん。いいでしょう。そうよね、あなた」
「……そうだな、クレーヴ伯爵家も承諾すればだが」

 


 




 私が部屋に戻ると、侍女がほぼ荷造りを終えていた。 

「他に何かお持ちになりたいものはございますか?」
「いえ、ないわ。……エルマンにここへ来るように伝えたら、そのまま下がって」

 クローゼットの半数近くが荷造りされているのを見て、ここに戻ってくることができないかもしれないと一瞬思った。

 花嫁候補じゃなくて決まったようなものなの?
 本当は泣いて嫌だと言いたい。
 このまま寝室にこもってしまいたい。
 そのまま眠って目が覚めたら、いやな夢を見たのってエルに笑って話したい。
 そう、できたらいいのに。

 エルも伯爵から白紙の話をされているだろう。
 今日、会わないともう二度と会えないかもしれない。
 そう思うと胸が苦しい。

 お母様の言うように控えめに目立たないようにしていたのにどうしてこんなことになったんだろう。
 力がなくてごめんね、と悲しげな顔をしたお母様に私は首を横に振るしかできなかった。
 
 花嫁候補だから強制的に婚姻を結ばされるわけでもないし、選ばれると決まったわけでもないはず。
 隣国の王太子のただの気まぐれ。
 
 私はエルとの婚約が内定した数年前から形だけの教育しか受けていない。
 王妃になるには他国の深い知識や人心掌握術など諸々のことを学ぶ必要があるのだから、好戦的で軍事力に優れた隣国で必要とされるはずがない。
 お飾りの王妃なんていらないはず。
 
 この国に外遊でいらした王太子のマルコ殿下は、美しい女性なら年齢、身分問わず一緒に夜を過ごしたという話を、私がいるとは気づかず侍女たちがあけすけに話していた。
 もしかしたら美しい母に似た私を見たいと思ったのかもしれない。私は離宮にこもっていて遠くから姿を見かけただけだし、こちらは見られていないはずだから。

 部屋の扉が叩かれた。

「ロズリーヌ様、ただ今参りました」
「どうぞ」

 私の大好きなエルが入ってくる。
 彼の落ち着いたアッシュゴールドの髪も、同じ色の力強い目元も、声変わりしてからのかすれたような笑い声も低い声もすべてが大好きだと思う。
 今は笑い声なんて聞けそうにないけれど。

「ロズリーヌ様」

 五つ年上の彼は真面目だ。
 もう私との間に距離を置いている。
 これが現実なんだと心がずしりと重くなった。

「お願い、距離を置かないで。私、絶対戻ってくるから。エルとずっと一緒にいたいの」
「……ロー」

 私の愛称をつぶやいた後、言葉の出ない彼に私から抱きついた。
 いつもは安心する彼の腕の中なのに、これが最後になったらと思うと悲しくてたまらない。

「こんなことになるなんて、思わなかった……エルの妻になれるって楽しみにしていたのに」
「俺もだよ」

 私の背中に回された腕が痛いくらいきつく抱きしめてくる。

「結婚が白紙になったけれど、私が選ばれるとは思えない。だってお妃教育なんて受けていないもの」
「そうなったら、どんなにいいか」
「ねぇ、そうなるって信じていて」

 肯定してほしいのにエルは黙ってしまった。

「ロー、どんな結果になっても俺は生涯ローの護衛騎士だ」
「エルは私があの国に嫁ぐと思ってるの?」
「そうなってほしくないが、ローはきれいだから見初められてもおかしくない。俺だったら、迷わずローを選ぶよ」

 ほんの少し緩んだ腕の中から顔を上げると、エルが私の髪をすくように撫でる。
 少し子ども扱いされてると思う時もあるけど、気持ちよくて大好きな仕草。
 二人きりの時は王女と護衛騎士ではなくて恋人でいられた。

「エルだけがきれいだと思ってくれれば、それで十分なのに」
「うん、きれいだ」
「ありがとう。お母様に似てよかったと思っているけど、もう少しあちらの顔も混ざっていたらよかったかも」

 陛下の厳しい顔を真似して見せると、エルがほんの少し顔をほころばせる。
 
「実は俺も護衛の一人としてついて行くことになっている。近づくことは許されていないが」
「本当? 一緒に行けるの?」

 大きな手で私の頬をそっと撫でる。
 皮が厚くてざらりとした感触も彼らしくて好きだった。

「ああ、無理を言った。だから向こうではこんなふうに近づくことはできない」
「しばらくの間は見つめ合うこともできなくなるのね」
「……ロー、好きだよ」

 ゆっくりと唇が落ちてくる。
 私はそっと目を閉じて彼の熱を待つ。

「必ず、護るから」
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