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しおりを挟むブレンダン様が再度手のひらへ唇を寄せた時、控えめに扉が叩かれました。
素早く口づけてから渋々手を放したブレンダン様でしたが、入って来た管理人夫婦が自己紹介と私達の結婚を祝う言葉をくださいました。
それからお茶の用意と湯の準備が整ったと言うのです。
私の向かいに腰かけたブレンダン様が言いました。
「アリソン、お茶を一杯飲んだら明るいうちに温泉に入るといい」
そういえばお義母様が明るいうちに入りたいといつも言っていたのを思い出しました。
走ったので汗を流したい思いはあるものの、躊躇います。
「いいのですか? ブレンダン様が先に」
「いや、一度屋敷に戻ってアリソンの無事を伝えてくるよ。何か必要なものがあれば持ってくるが、あるかい? せっかくだから二、三日ゆっくりしよう」
ブレンダン様が私の言葉を遮って言いました。
「あの……普段肌の手入れに使っているものと、着替えをお願いしたいです」
「わかった。侍女に伝えて用意してもらう。ほかは?」
「……今は浮かびませんが、少々足りなくてもなんとかなりますわ」
私の言葉にブレンダン様が笑みを深めました。
「そうか。本当は一週間かけてこの別宅をアリソンの好みに替えようと思っていたんだ。いや、余計なことを言って恥ずかしいな。慌ただしくてすまない。……湯に入ってゆっくり寛いでいてほしい」
「はい、ありがとうございます」
ブレンダン様が一週間と言ったのは、そのような理由だったのかと驚きました。
内密に準備しようと色々考えてくださったことを嬉しく思います。
私が遠くまで散歩に出なければ計画どおりに驚かされたのでしょうけど、今こうしてブレンダン様の心に触れることができてよかったと思いました。
きっと今のほうが距離が近づいているように感じるのです。
「じゃあ、また後で。そのまま飲んでいて」
先に立ち上がったブレンダン様が身をかがめて、私に口づけしました。
少し長く留まった後、唇の内側をするっと舌が撫でました。
彼は笑顔を浮かべたまま部屋を出て行きましたが、サトウカエデのシロップをそのまま口にしたような気分です。
「……お茶に何も入れなくてよかった……」
お茶を飲んで頬のほてりと喉を潤した後、私は案内されるままに野外の温泉に入りました。
木々に囲まれている上に、外からは見えないように囲いもつけてあります。
最初はこのような場所で裸になることが恥ずかしかったのですが、ほかに誰もいないですしややぬるめの湯は気持ちよく、上を向けば空が見えると言うのも開放感があってすぐに好きになりました。
ひんやりした空気も心地良いです。
お義母様達が気に入るのが分かりました。
きっと季節によって景色も違って見えるのでしょう。
それに、今は葉が落ちていますが、近くにどんぐりの木があります。
幼い頃に食べたお菓子を思い出して懐かしくなりました。
もしかしたらここで再現できるかもしれません。
今からどんぐりが実る頃が楽しみです。
「アリソン? 大丈夫か?」
ブレンダン様が戻ってくる前に急がなければと思ったのに、あまりの心地よさにのんびりし過ぎてしまいました。
「はい! ごめんなさい。もう出ますから……っ、あ、きゃっ!」
とろみのある湯だからでしょうか、慌てて立ち上がった為につるりと足を滑らせて転びそうになりました。
なんとか縁に掴まって耐えることができましたが、胸がどきどきしています。
少し長く入り過ぎました。
湯から出て、浴布まであと三歩というところでブレンダン様が話しかけます。
「アリソン? 入るぞ」
衣服を身にまとったブレンダン様と、何も身につけていない私。
思わず見つめ合ってしまいましたが、私は慌ててしゃがみ込み、体を隠しました。
しゃがむ前に浴布を取ればよかったと後悔します。
「あの、すべってしまいましたが大丈夫です」
「アリソン、赤くなってる。のぼせていないか?」
そんな私にゆっくり近づいて来て、ブレンダン様がふわりと浴布で包んでくれたのです。
それからゆっくり手を引いて立たせてくれました。
裸を見られてしまうなんて――。
顔を上げるのは恥ずかしかったので、目線だけ上げると心配そうに私を見ます。
「目が回るとかないか? 歩ける?」
「はい」
私を室内の入り口まで送ると言い、ぎこちなく歩く私の背に手を当てて見守ってくださいました。
「じゃあ、私もこのまま湯に浸かっていくよ」
ブレンダン様は躊躇いなくその場で服を脱ぎ出しました。
「……!」
朝の着替えの時も、最近は私がいても気にした様子がありません。
夫婦ですもの、私が気にしすぎなのでしょう。
男らしい後ろ姿にどきっとしたものの、すぐに視線をそらして室内に目を向けます。
そこには一人で着ることのできる室内着と下着が置かれていました。
ブレンダン様が置いたのだとしたら恥ずかしいですが、流石にそんなことはないでしょう。
別宅は小さい造りですので、慌ただしく動く人の気配があります。
急なことでしたから、きっと管理人夫妻以外に屋敷からやって来た使用人達が忙しく準備しているのだと思いました。
今私が出て行っては仕事を増やすでしょう。
用意されていた水差しを傾けてグラスに水を注ぎ、置かれていた椅子に座りました。
誰も見ていないのをいいことに、一息に飲み干します。
それから、いつも使っているオイルも並んでいたので、軽く髪をまとめてから肌の手入れをし、ゆったりとした室内着を身にまといました。
準備をお願いした寝衣がどうなったのか気になりますが、室内着が用意されていたのでこれから先に食事になるのでしょう。
今夜はローストビーフにプディングとベークドビーンズとポテトを添えたメニューだったはずです。
ベークドビーンズはトマトとサトウカエデのシロップで味つけされていて、最初は甘くて驚きましたが、癖になる味なので好きになりました。
とてもそわそわして、食事が喉に通るか今から心配になってしまいます。
髪の手入れをしながらしばらく鏡の前でぼんやりしていますと、ブレンダン様に声をかけられました。
「アリソン、浴布を取ってもらえるか?」
「はい、ただ今」
鏡越しに目が合いました。
昨日今日夫婦になったわけでもないですのに、恥ずかしくて視線を下げないようにしてそれを手渡します。
「アリソン、ありがとう」
「……いえ」
「そんなに恥ずかしがられると、こちらも恥ずかしくなるな」
ブレンダン様の声にからかいの色が含まれていて、私は目を泳がせてしまいました。
「ごめんなさい……慣れていなくて……」
結婚だってしていましたのに。
ただ亡き夫とは暗闇の中で最小限の露出での行為でしたし、日々彼の体を清めるのはいつも専属の侍従が行っておりました。
ブレンダン様は堂々とされて全てむき出しなんですもの。
思わず顔を覆ってしまいました。
「本当にあなたは愛らしいね。……もう目を開けても大丈夫だよ」
浴布をさっと腰に巻きつけていて、私の髪を耳にかけてくださいます。
なぜか、いつもより親密に感じてドキドキしてしまいました。
「今日はお茶の時間に何も食べていないし、早めに食事を用意してもらっているよ」
「……はい」
その先を予感させる眼差しに、私は頷くことしかできませんでした。
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