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1 ナポレオンパイ①

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「さぁ、口を開けて」

 サラサラで絹糸のような銀髪、海よりも深い青色の瞳の竜人公爵ラファエル・エルファレス様が言った。
 精巧な人形みたいに整った顔立ちからは、一見感情は読み取りづらい。

「クリステル、ナポレオンパイをおいしいと言っていただろう?」
「はい。ですが、自分で食べますので……」

 王宮でのお茶会、2人きりではない。
 今回は妃陛下が出席されていて、和やかな中にも緊張感がある。

 彼は周りがざわついていることに気づいていないのか、気にならないのか堂々としているけれど、私は周りの視線が気になってしかたない。

 国王陛下の友人で、人嫌いで有名な竜人の公爵様。
 富も名誉もきれいな容姿も高い知能まで持っているけど、妻だけはいない。適齢期の令嬢たちは公爵夫人の座を狙って話しかける。

 彼は冷たい瞳でにらみつけて距離をとるから、そこでくじける令嬢が多い。
 それでもめげずに近づいて、彼に触れた女性は眉間にしわを寄せられ、2度と視線を合わせてもらえないという。

 知識が豊富で考え方も柔軟で、陛下からも一目置かれているから親交を深めたい男性も多いけど、馴れ馴れしく触れようとすると社交界での居場所がなくなるとの噂。

 肩が触れただけでも嫌な顔をするぐらいだから、ダンスなんてあり得ないと言われていた。

 だけどこの度、王命で花嫁を選ぶことになった。
 適齢期の令嬢の参加するお茶会が月に一度開かれて、私も何度か参加している。

 
「遠慮するな。ナポレオンパイはこうすれば美しいまま食べることができるんだ」

 1番上につやつやのイチゴ。
 サクサクのパイの間にカスタードクリームとイチゴがはさんであって、何層にもなっている。
 彼はそれを器用に横に倒して、形を崩さぬまま一口分をフォークにのせて私の口元に近づけた。

「味は保証する」

 目力が強くて、なんだかとても迫力があって。私は口を閉じたまま、かたまってしまう。

 少しも小声じゃない令嬢たちのしゃべり声も聞こえてきた。

 どうして食べないのか、公爵様の好意に応えないなんて何様のつもりって。
 あれも作戦で、あの娘計算高いのよって。
 
 ナポレオンパイを食べたい。
 とてもおいしいって知っている。

 彼が参加するお茶会には私が食べたことのない菓子が毎回用意されていて、どれもみんなおいしいから――。

 私は、シンとしたこの時間に耐えきれず、口を開けた。
 
 





 数ヶ月前にさかのぼる。
 私はウィンテール伯爵家の末っ子で、18歳で成人したけど婚約者も結婚する予定もなかった。

 歳の離れた姉は、しっかり持参金を持って嫁いだけど、私が10歳の頃に父の事業が失敗。
 しかも祖母が私のために遺してくれた持参金を父が勝手に賭けに使って全てをなくしてしまった。

 それまでは裕福だったのに、がらりと生活が変わってしまって……。
 デビュタントのドレスも買えなくて、屋根裏部屋に残されていた姉のお下がりを直してパーティーに出席した。
 流行遅れは隠しきれなくてホールのすみで過ごしたのは苦い思い出。

 花嫁修業として女学院だけは卒業させてもらえたけれど、それだって高位の貴族が行くような共学の学園でもないから出会いもない。

 父は末娘くらいウィンテール伯爵家に残ってもいいと言い、子だくさんの姉は家庭教師として雇うから一緒に住もうと声をかけてくる。

「まともな縁談を探せないなら、あと1年と言わずロベールに家督を譲ったらいかが?」

 母と1つ年上の兄ロベールが私だけ不平等だと怒ってくれた。
 優秀な兄は特待生として高位の貴族と同じ学園を卒業し、父よりもうまく立ち回っている。

「……いや、それは……私が引退する前にウィンテール伯爵家を立て直してからでないとな……」

「父上、余計なことはしないでください。借金が増えます。……姉上は子どもたちの家庭教師代を浮かせようとしているだけだし、絶対に行ってはいけないよ」

 兄が前半は父に向かってきつく言い、後半は私に優しく声をかけた。
 この場にいない姉が聞いたらそんなつもりはないと騒ぐだろうけど、私も兄の言う通りだと思う。

「……わかっているわ。私、女学院の教師になろうと思うの」

 ほのぼのした女学院で学ぶことは楽しかったし、新入生と最上級生で組んで協力し合うのはいい経験になった。
 頼られるのが嬉しくて、社交界に出るより女学院に戻りたい。

「それは最終手段だね。できれば幸せな結婚をしてほしいな」

 兄が眉を下げて私を見る。
 兄も母もいい縁談を探しているけど、これといった特徴もなく、持参金も少ししか用意できない地味な伯爵令嬢など見向きもされない。

 でもそれでいいと思っている。
 私は堅苦しい貴族の妻より教師になる方が向いているような気がするから。
 
 そう考えていたのに王宮のお茶会へ招待状が届いた。未婚で婚約者のいない者たちを集めての親睦会だという。

「エルファレス公爵に妻をめとるようにと王命が下ったらしい。だからメインは公爵の結婚相手を探すお茶会だよ」

「クリステル、これはなんとしてもエルファレス公爵と縁を結びたいものだな! 彼は落ち着いて見えるが23歳くらいだったから、ちょうどいいじゃないか」

 調子のいい父を無視して、母がクリステルに声をかける。

「あの方は竜人の血が濃いからとても整った顔立ちだけれど、凍えそうなほど冷たい目をしているわ。笑ったところも見たことがないし、人嫌いと言われるだけあってパーティーでも挨拶だけしていつもすぐに帰ってしまうから……ほかの男性に期待しましょう。クリステルが幸せになれる相手をね」

 その言葉に頷きながら、兄も話す。

「私も出席するから、クリステルは心配しなくても大丈夫だよ」
「お兄様が一緒なら安心だわ」

 何度か夜会で遠目に見かけたことはあるけれど、直接会話を交わしたことはないし、私にとって公爵様は別の世界の人。
 
 きっと令嬢たちに囲まれて、そのお茶会で会話をすることもないと思っていたのに――。
 現実は全然違った。
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