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7 巡る

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 街をひと回りしてわかったことは、シモンズ侯爵家の防備は相当お粗末なものらしい。
 そもそも国自体もここ数十年、戦もない。
 海から攻め込まれることもなかったし、前侯爵の祖父も兵を育てるより塩田を、塩職人を国の宝だと言って大事にしていた。

「……備えはあったほうがいいし、見張りの気が緩み過ぎている。何かあってからでは遅い」

 塩田と海が見渡せる場所に見張り台を設置していて、半日交代で二人ずつ塩田で働いている者達がその場にいる。
 怪我をしている者、年老いた者が座っていることが多い。

 夜間は作業室に移動して眠っているようで、見張り台にいないのと変わらなかった。
 ロゼールも薄々そうではないかと思っていたけれど。

 吊り下げてある鐘は、潮風で錆びて鈍い音しか鳴らなかった。

「街に自警団があるから、協力してもらうのは?」

 領地が大きくないから塩田に関わる者が多く、仕事にあぶれて困っている人はほとんど見かけない。
 兵士を募集するより、今ある自警団を大きくするとか、鍛えていくほうが良さそうに思えた。
 マルスランも同様に考えていたらしい。

「そうだな。それと、塩田で働く者の中にも時間のある時に訓練を受けさせたい」
「……子ども、も?」

 ロゼールは孤児院の子ども達のことを考えた。
 全員の名前を言えるくらいには、顔を出している。

「……それは責任者と話して、忙しい時期は外して考えたい」
「それがいいでしょうね。旦那様にお任せするわ」

 





 それからの日々は、朝早くに一緒に朝食をとり、その日の予定を話し、マルスランは塩田へ向かう。
 彼は思いの外あの場所を気に入ったようで、責任者と話を詰め、さっそく声をかけて訓練を始めた。

 塩職人達の中には危機感を持っていた人達もいたらしく、みんな協力的なようだ。
 ロゼールの元まで声は届かなかったものの、繁忙期に出稼ぎでやったきた者の中には、ある日突然消える輩もいたらしい。

 暑い中での仕事がつらくて逃げたのかもしれない。
 けれど、ひとつかみでも塩は高値で売れる。
 少しくらいなら誰も気づかないけれど、もしも集団で盗みに来られたら大変な被害になるだろう。

 ロゼールはマルスランが出かけるとすぐに歩いて教会へ向かった。
 毎朝のことだから、誰も気に留めない。
 シモンズ侯爵家に関わって亡くなった人達への祈りを捧げる為に。

 礼拝堂に入り、首からそっと取り出したロザリオを握る。
 悩み事や迷いごとがある時は、語りかけて長くなってしまう。

 そして、時間があれば隣の孤児院に顔を出す。
 彼らの大半は、出稼ぎにやって来た親が子どもだけ置いて逃げ出した場合が多い。
 中には別の場所で働いて戻ってくると約束したまま、時間が経ってしまうことも。

 ロゼールは捨てられたわけではないけど、幼い頃に親を亡くしたから、寂しい気持ちはわかる。
 彼らにできることはしたいと思うし、一緒にいると楽しい。
 だけど仕事が詰まっている時や思いがけない来客があると、屋敷から馬車の迎えが来た。

 それから書斎に戻り、領地に関する仕事をこなす。
 遠い昔にあったという塩税はなくてよかったと思うけれど、税金が上がるという話で悩ましい。
 もっと塩がとれるように考えるか、冬の産業に力を入れたほうがいいのかもしれない。

 塩田の責任者や商業組合の会長などとも話し合う必要がある。
 とても自分一人だけの意見では決められない。
 やりがいがある、けれど責任が重く肩にのしかかった。

 晩餐は変わらず二人きりでとる。
 マルスランが日に日に日焼けして浅黒くなっていくのを眩しく感じた。

「見張り台の新しい鐘が届いた。ありがとう」
「それはよかったわ……他に、足りないものはある?」
「塩蔵の鍵は新しくしたほうがいいと思う」
「手配しておくわ」

 マルスランは一度口を開いたものの、すぐに閉じて黙った。
 何か言いたいことがあるのかと、ロゼールが見つめるが彼は一息に葡萄酒を煽った。
 
「なぜ……。いや、なんでもない。……先に失礼する」

 言いかけてやめるなんて気になって仕方ない。
 立ち上がった彼にふと、ロゼールは言った。

「離れのこと? 急いではいるけど、手を抜いては冬が越せないから」

 マルスランがふぅ、っと息を吐いた。

「わかった……おやすみ、領主殿」
「おやすみなさい、旦那様」








 残されたロゼールはいつも通り、ゆっくり食事をとる。
 マルスランがこの地でやりがいを見つけたことが嬉しい反面、黙ったままのコロンブが気になる。
 押しかけてきて嫌味の一つも言うかと思ったのに。

 王命だから、しばらく大人しくしているのかもしれない。
 今が社交シーズンで、王都で過ごしているからかもしれない。
 それに、もしかしたら今度こそ本気で婿入り先を探し始めたかもしれない。

 『かもしれない』
 推測ばかりで笑いが込み上げてきた。
 さすがに下手に手出しはできないとも思う。

 淡々と過ごすうちに、二人が結婚して一ヶ月が経とうとしていた。
 近隣の貴族を呼んでのお披露目パーティも予定していないし、周りも呼ばれても困るだろうとロゼールは思う。
 わざわざ自ら問題を呼び込まなくてもいい。

 マルスランとの生活は、思いの外うまくいっていたから。
 彼から笑いかけられたり、親しげに話しかけられたりすることは一切ないけれど、毎日彼が生きていると確認できている。

 顔を見てほっとしているだなんて、もちろん悟られないように気をつけているけれど……。
 彼はあの頃から変わらず、まっすぐに見えた。



 ロゼールは十六歳の誕生日を迎えて、その一ヶ月後に最初の夫ブリスと結婚式を挙げる予定だった。
 あの夜は祖父の具合が悪い中で出席した初めての王族主催のパーティで、気もそぞろで。
 いつの間にかブリスともはぐれてしまった。

 しかも慣れないお酒を飲んで気分が悪くなり、王宮の庭園へ出た後で子爵家の三男に絡まれた。

『俺にも機会が与えられたな。シモンズ侯爵家に婿入りさせてよ』

 汚い手だけれど結婚前の女侯爵を手込めにして騒げば、婚約者がいようが結婚するしかなくなる。
 いやらしい笑みを浮かべて男が手を伸ばした。

 逃げて、逃げて、その先にいたのが警備を担当していたマルスランだった。

『……助けてください!』

 彼の背中に庇われて、ことなきを得た。
 それ以来お酒を飲むこともパーティで隙を見せることもなくなったと思う。

 薄暗闇の中での出会いは彼にとってたいしたものではなく、八年も前のことなんて憶えていないだろう。
 でも、あの時の恩を返したい。
 
 

 
 
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