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9 おまけ② エリヤス視点
しおりを挟む教壇に立つようになって3年。
ようやく周りから先生と言われることに慣れた。
14歳から21歳の子どもたちが在籍する学校で、優秀なら身分関係なく入ることができる。
階級差によるいざこざが全くないわけではないが、揉め事を起こす時間が惜しいくらい課題が多い。卒業する頃には3割くらい退学者が出る。
俺もこの学校の出身で、当時の恩師が昔も今も相談役となってくれたから頑張ることができた。
その恩師は今年退職し、のんびり過ごす余生に爵位はいらないのだと言って俺が彼の養子に入ることで伯爵位を譲り受けることに。
『無駄なことで貴族の子どもに馬鹿にされる必要はない』
確かに、学生の中には身分を重視して真面目に授業を受けない者もいる。
時間をかけて歩み寄れる場合もあるが、楽をしなさいと恩師は笑った。
領地を持っているわけでもなく、社交界にも長年出ていないと言う恩師を真似て、俺もリェーナも穏やかな日々を過ごしている。
2人で住んでいた家は引っ越して、学校に近く便利な場所に新しく家を建てた。
以前より広く、庭もある。
仕事の日はお手伝いさんを頼んでいるが、今はリェーナに家で仕事をしてもらうことが多い。
これまでより自由度が高いのもあるし、学生が男ばかりというのもある。
自分より少し年上の綺麗な女性に憧れるのもわかるが、俺の妻の気を惹こうとするのは少し面白くない。
よそ見をするような妻ではないから、どうこうなるとは思っていないが。
卒業間際の男子はリェーナとそれほど歳も離れていないから、特に学生時代最後の恋に燃え上がるのかもしれない。
政略結婚とでも思われたのか、俺より若いことを有利と思うようで、一年目は妻に近づこうとする男が何人も現れた。
ふと、ジャンを思い出す。
彼は2年ほど前に、職場に入ってきた女の子に一目惚れして結婚したらしい。
子どもも生まれたようだが、げっそりして痩せたという噂はいったい何があったのかと気にならなくもない。
毎日ファンシーな弁当を持参しているらしいので、その辺りに秘密があるのだろう。
ブリッタはジャンのことはすっぱり諦めて、毎年、新人を舐めるように見て相手を定め、追いかけ回すから怖がられているらしい。
彼女に狙われるくらいなら、と早々に結婚する者も現れ、以前の職場は既婚者が増えたそうだ。
ジャンの周りにいたほかの子たちは早々にお見合いなどで結婚退職したらしい。
時が経つのは早い。
「エリヤス先生、はいどうぞ」
突然、リェーナから声をかけられて瞬きをした。
いつ、入ってきたのだろう。
手には昼食の入ったバスケットを持っている。
「お手伝いさんにまかせて少し抜けてきたの。温かいから早めに食べて」
「あぁ、ありがとう。じゃあ、さっそくいただこうかな。リェーナもお茶を飲むくらい平気か?」
「もちろん」
ソファに移動して、昼食を食べる。
リェーナが俺の様子を見ながらゆっくりお茶を飲んでいた。
以前よりおしゃべりもするようになったが、こんなふうにお互い黙っていても心地がいい。
「……じゃあ、そろそろ先に帰るね」
俺が食べ終わり、お茶を飲み終えるとてきぱきと片づけ始めた。
「そこまで送る」
「心配するようなこと、何もないのに。私、年上の男しか興味がないの。それもエリヤスさん限定で」
この頃は少女らしさが抜けて、とても色っぽくなった。もともと綺麗な顔立ちなのだから、学生たちの目を惹いてしまうのはしかたないとは思うのだが。
明るい表情でのびのび話すリェーナは本当に美しい。
「俺が妻と一緒にいたいだけだよ。門まで送る」
リェーナがくすりと笑った。
「エリヤスさん、大好き」
「……俺も大好きだ」
あごに指をかけて、キスを落とした。
「ここ、学校ですよ。エリヤス先生」
「わかっている。さっきまでは私的時間だ」
笑う妻と一緒に部屋を出た。
途中ですれ違う学生は俺に挨拶しながらも、みんな妻をちらちら見る。
俺が静かに見ているのに気づくと、学生たちは足早に通り過ぎていく。
門の外まで見送って、独占欲が強すぎるかと反省しながら午後の授業の準備を始めた。
「失礼、少し時間をもらえるだろうか?」
今日は午前の授業はなく、コーヒーを飲みながら提出された課題を読んでいた。
声をかけられて顔を上げると、リェーナの父親が立っている。
きつく引き結んだ唇と、何を考えているかわからない様子は出会った頃の妻を思い出す。とはいえ、妻にはもっと可愛げがあったが。
「では、こちらにどうぞ」
ソファへ案内し、父親にもコーヒーを出す。
彼が迎えた養子が今年入学することがわかり、入学式にたまたま親子で歩いているのも見たが、リェーナには何も伝えていない。
保護者が学校へ顔を出すことはほとんどなく、次は卒業式か問題を起こした時かと思っていたくらいだ。
リェーナは父親について話さない、というより話すことがあまりない。最後の記憶以外では、いつも忙しくしていて難しい顔か後ろ姿の記憶しかないと聞いている。
「先日、先生の隣にいたのは……リェーナか?」
「はい、私の妻のリェーナです」
一体どういうつもりなのだろう。
今さら娘を返してほしいなどと言われても、無理だ。
恩師から伯爵位を譲ってもらったことを今、ものすごく感謝している。
貴族だからと理不尽な物言いに従わなくてすむ。
それに彼の養子の先生であることも有利に働くのでは。
「……失ってから大切なものに気づくものだね。何を今さらと思うかもしれないが。彼女から聞いているか?」
「はい」
俺が黙っていると、父親はぽつりぽつりと話し出す。言いたいことがまとまらないのか、額に手を当てて深く息を吐いた。
「当時の自分の行いを恥じている。だが、今さら顔を合わせることもできないし、謝ったところで赦されるとも思わないし、自己満足だとわかっている。今の心境になったのは……再婚した妻のおかげだ。色々と自分の狭量さを考えさせられた。……どうか、娘をよろしくお願いします」
もしも、リェーナを追い出さなかったら彼も今とは違う人生を歩み、俺も彼女と出会うことができなかったかもしれない。
幼いリェーナが傷ついたことを俺は許せないが……今の妻はとても幸せそうだ。
「わかりました。リェーナのことはこれからも大切にすることをお約束します」
「……ありがとう。今後私から娘のことで話しかけることはないよ。……息子のこともお願いします」
そう言って寂しそうに笑って邪魔をしたことを詫びて出て行く。
わびしげな後ろ姿に声をかけたくなったが口を閉ざした。
何と声をかけていいかもわからない。
大きくため息をついてソファの背もたれに深く寄りかかった。
今日のことはリェーナに伝えたほうがいいのかどうか。
だが今は――。
控えめなノックが聞こえた。
「パパ! パパぁ!」
すぐに俺の娘が駆け込んでくる。
抱き上げるとふわふわした金髪が顔にかかってくすぐったい。
「エリヤスさん、ごめんなさい。この子がどうしてもパパに会いたいって。……もしかしてここに誰かいらしてた?」
コーヒーカップが並んでいるのを見てリェーナが言う。
「誰かと会った?」
もしかしたら父親と校内ですれ違っている可能性はある。
「ええ。白髪の初老の紳士で、この子を見て驚いていたわ。やっぱり学校に連れてくるのはいけなかったのね」
リェーナは自分の父親だと気づいていない。
15年以上前の記憶で、その頃とはずいぶん姿も違うのだろう。社交界にも出ていないから、会うこともない。
リェーナの中では昔の記憶のままの姿かもしれなかった。
「いや、大丈夫だよ。乳母と赤子を控え室に待機させている講師の先生もいたくらいだから」
特殊例ではあるけれど。
平民の母親が幼い子を抱きかかえて現れることもある。誰も気にしていない。
「全く問題ないよ。気にしなくていい。……何か言われたのかい?」
「いいえ、何も。あの方はどうしてここへ?」
「教え子の保護者だよ。相談に来たんだ」
考えるよりも先に言葉が出た。
今は話す時期じゃない。
もしかしたらこのまま話す機会はないかもしれないし、何かの拍子に話すことになるかもしれない。
「そうなの、大変ね……エリヤスさん、温かいうちに食べて」
「あぁ、ありがとう」
俺が食事をして、先に食べてきた娘と妻がお茶を飲みながらおしゃべりをする。
「ママぁ、あかちゃん、ねんね?」
「そうねぇ、お腹の中で眠っているのかな?」
「いつ、あえる?」
「もっとお腹の中で大きくなってからよ」
「おおきく?」
娘が手を広げて大きさを表すと、リェーナも手振りで伝える。
「お腹も大きくなるの。まだまだ先かな」
「はやく、あいたいなぁ」
すごく平和で幸せな光景に、俺はこれからも家族を守っていくと心の中で誓った。
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ᕱ_ᕱ"
(。•ᴗ•。){完結おつかれさまです💕
O🍹O
父親も今さら遅いですが反省したんですね
夫婦仲が良くて子供もできて幸せですね😄🌷
༒⋆₊ℴ⋆*ꕤ୭*✴🗼✴*୧ꕤ*⋆ℴ.₊⋆༒🔓
🌱
./) /)
|ơ◡ơ)ฅ ✨素敵なお話をありがとうございます✨🎂✨
*'🎀'*
'╔⋆༻ི࿐࿔🌹༻ི࿐࿔⋆╗
🍷🕊🌫 🕊🌫 🕊🌫
'╚ℴஐ˘͈˘͈✽.:✨🎠✨:.✽˘͈˘͈ஐℴ╝
.⋆*+♱༊༅✧‧˚༅🐎༊༅✧‧˚༅♱+*⋆
父親はじわじわ後悔&反省してました〜
今さら遅いですし、
時間は帰ってこないですよね。
( ˘•~•˘ )
そうそう、夫婦仲良く子どもたちに囲まれてにぎやかに暮らすと思います♪
ドウゾ(∩︎´。•o•。`)っ.゚🍇.゚
青空さま、コメントありがとうございました🤗
完結おつかれさまでした。
💐💐•*¨*•.¸¸♬•*¨*•.¸¸♪•*¨*•.¸¸♬•*¨*•.¸¸♪
父親は娘と孫の顔を見ることが出来たのですね。
後悔をしてるみたいだけど今はお互いの場所で生きていくしかないですよね。
いつか…穏やかに微笑み合える日が来ると良いですね。
リェーナも母親になってたくさん喋ることができるようになったみたい。
そりゃ、母親は子供に言葉を教えなきゃいけない立場ですから(*ˊ艸ˋ)
幸せになれて良かったです。
ステキなお話をありがとうございました!
父親は過去の言動を後悔して、今の状況も受け止めていますね。
これから先は、リェーナの今の体調が落ち着いてから……だと思います♪
エリヤスがそばにいて、お母さんになって、リェーナも話すことになれてきました(ღˇ◡︎ˇღ)♡︎
これからなんでなんで? 攻撃を受けてもっと話すと思います( ˊᵕˋ*)
みりあむさま、コメントありがとうございました🤗
完結おめでとうございます✨💐₍₍ ⸜(* ॑꒳ ॑* ⸜)
母親のその後も、狡賢い感じでらしいな、と。
最後のザマァも小気味良く、組織から隠れて場末の酒場でぐだを巻く様子が想像出来ました。
ヒーローが大人の男らしく落ち着いていて、穏やかで胸が温かくなるような読後感。
素敵なお話をありがとうございました。
パーチー( ᐛ )۶🍹🍹٩( ᐖ )カンパーィ。. •*¨*•♬✧
⌒︎ >💐ヽ(・o・ヽ) キャッチ!!
母親は堕ちるところまで堕ちたと言いますか(。ŏ_ŏ)
本当にそんな生活をしていたと思いますね!
ヒーロー、ちょっとしゃべりすぎかなと思ってしまいましたが、大人の男になってたならよかったです✨
この先家族仲良く暮らすと思いまーす♪
鍋さま、コメントありがとうございました🤗