声に出して、伝えて

能登原あめ

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7 おまけ

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「リェーナ、やっと会えたわね。ずっと探していたのよ」

 午前中の仕事を終え、気分転換に職場の外へと出た時だった。
 目の前に立つのは、ずいぶんと白いものが混じった金髪にシワを隠すように厚い化粧。
 眉間のシワは深く、目つきは鋭いのに猫撫で声。
 ちぐはぐな印象の――。

「……ママ?」

 ぱあっと大きな口を開けて笑い、私に抱きついてきた。
 ものすごい力で体が痛い。
 それに化粧品の匂いと香水が混じって呼吸しづらい。
 ママは体を離して私の手を両手でしっかり握り、明るい笑顔を浮かべた。
 逃げられないみたいで嫌な気分。
 
「まぁ、いやだ。死んだとでも思っていたの? ちゃんと神様が生きなさいって、救ってくださったのよ~」
「……おじ様は……?」

「アレクならとっくに死んだわよ。手を出しちゃいけない相手に詐欺を働いてね。まぁ、かわりにその男の愛人になっていい生活が送れたんだけどね。戦争ではぐれたすきに戻ってきたってわけ。大変だったのよ~、ここまで来るのは」

 ペラペラとそんなことを話していいのか、なんだか目の前にママがいるなんて現実じゃないみたい。

「お腹の子は……?」
「売ったわ」

 恐ろしい言葉に血の気がひく。

「やあねぇ、なんて顔しているの? 子どものいない金持ち夫婦にお譲りしたの。大切な我が子を手放すのだもの、少しの金じゃ足りないでしょ。だってアレクと私の息子よ? それはそれは綺麗な顔をしてたわ。後継ぎだって言うから大事にされてるわよ」

 楽しそうに話す姿に、どんどん気分が悪くなってきた。
 私の顔を見てママは心配するどころか、

「あんなに小さい頃は私に似ていたのに……表情はあの男みたいね」

 低い声でポツリとつぶやいた。
 あの男って、パパのこと?
 あぁ、もうイヤ。

「帰って」
「リェーナ、可哀想なママを助けて! 行くところがないの!」

 職場からそれほど離れていない場所で、ママが同情を誘うように大声を出した。
 通りがかりにチラチラと視線が向けられて、どうしていいかわからない。

「おじい様は?」
「老い先短い父に心配かけたくないわ、可愛いリェーナならわかるでしょう? ね、……だからあなただけが頼りなの!」
「無理よ」

 口からポロリとこぼれて、悲劇のヒロインぶったママが私の両肩をつかんで揺さぶる。

「リェーナ、こんなにお願いしているのに! ママを助けてちょうだい!」

 その時たくましい腕が伸びて、私を後ろにかばってくれた。

「エリヤスさん」
「大丈夫?」
「…………」
「俺に任せて」
 
 ママはじろじろと舐め回すようにエリヤスさんを見ている。
 彼に迷惑をかけたくないのに、安心している自分がいる。

「はじめまして。リェーナの夫、エリヤスです。話は聞こえました。大変お困りのようですね。詳しくお聞きしたいので移動しましょう」

 2人とも午後は休みをとり、ママを連れてらっこ亭の個室に入った。
 大広間と違って落ち着いた雰囲気でほっとする。

 料理を注文した後、エリヤスさんが今夜のママの宿の手配をしてくると言って席を外す。
 らっこ亭の隣にはとても素敵な宿屋があって、ママが今夜の宿が決まっていないと漏らしたからだ。
 エリヤスさんに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 
「リェーナ、いい男つかまえたじゃないの。さすがママの子ね!」
「…………」

「なによ、辛気臭いわね。久しぶりに会えたって言うのに。あぁ、やっぱりこの国のほうがいいわ。もう私のことを覚えてる人なんていないだろうから、のびのび暮らせるわね。ねぇ、どれくらい稼いでいるの? リェーナの稼ぎは私の小遣いにしていいわよね?」

 返事をするのも嫌で、ママが1人上機嫌で話していると、お茶のセットと一緒にお酒も運ばれてきた。
 エリヤスさんも現れてほっとする。

「せっかくなので、一杯いかがですか?」
「まぁ! まぁ! 素敵! リェーナってばなんて素敵な男をつかまえたのかしら! もちろん喜んで!」

 給仕にグラスになみなみ注ぐように頼む姿は、伯爵夫人の面影もない。
 私には最初から母親はいなかったのかもしれない。

「乾杯」

 エリヤスさんは笑顔でこれまでのことを教えてほしいと言った。

「話を聞いておかないと手助けできませんからね」
「さすがね! リェーナには冷たくあしらわれたけど、あなたは懐が広いわね」

 私はみぞおちの辺りがぎゅっとなって痛い。手を当てて2人のやり取りを見守る。

「ではこの国を出て何が起こったの正直に話して下さいませんか?」
「もちろん、いいわよ! 涙なしでは聞けないわよ。あの日はね……」

 お酒を片手に彼女は犯罪に手を染めたことまでペラペラと話し出した。
 個室だから安心しているのだろうけど。

 エリヤスさんは頷きながらも、私の目の前のお酒を下げて、スープや食べやすい魚を置いてくれた。
 食欲なんて出なくて、スープの具材をつぶして時間をやり過ごす。

 こっそり手もつないでくれたけど、早く帰りたくてたまらない。
 でもきっと何か考えがあるのだと思う。
 エリヤスさんのこと、信じているから。

「だからね……まぁ、あの国では正当でも、この国では危険なことをたくさんしてきたわ。生きていくためにしかたなかったの。だけどね、これからは真っ当に暮らしていくわよ? 迷惑かけられないものねぇ……新婚さんの家にお邪魔して悪いけど、家族として暮らせるのが楽しみだわ」

「私……一緒に暮らせない」
「リェーナ? たった1人のママにどうしてそんなひどいこと言うの? ねぇ、エリヤスさん」

 媚を売るような目って、こういう目なんだ。
 
「あなたは犯罪者よ。私、いや」
「リェーナ……しかたなかったのよ? 大人になればわかるわ」
「……あなたなんて大嫌い。2度と会いたくない!」

 思わず立ち上がって大きな声を出した。
 心臓が激しく打って胸が痛い。
 つないだままのエリヤスさんの手が、力強く握り返してくれる。
 視線を向けるとにこっと笑って彼も立ち上がった。

「俺も妻に全面、同意です。自白してくれてよかった」

 そう言ってエリヤスさんが扉を見ると、警ら隊がなだれ込んできた。

「動くな!」
「なによ! これどういうことよ! まさか、騙したのね! 待って、待って。違うの! 違うのよ、私はやってない! やってないわ! 嫌で嫌で仕方なくて、無理矢理なのよ! ちょっと、話を聞きなさい!」

 私はエリヤスさんに抱きしめられたまま、彼女が取り押さえられるのを見た。

「そうだ、誰かと勘違いしてるのよ! 痛い、痛いっ、なんで縄なんてかけるの! ただのか弱い女に……ねぇ!ちょっと、見てないで助けなさいよ! いやだ! 離せっ! 捕まったら殺されるッ、やめろ! まだ、私は……」

 何かわめいているけど、途中からエリヤスさんに耳を塞がれて聞こえない。
 そのまま連れて行かれて姿が見えなくなって、ようやく息を深く吐いた。

「……協力ありがとうございました。あの女は犯罪組織のボスの情婦として有名で、これで組織壊滅の足がかりになるでしょう」

 エリヤスさんは隣の宿屋じゃなくて海辺の警ら隊を呼びに行ったそう。
 彼女はこれから船に乗せられ、元いた国で尋問を受けることになるらしい。

「陽のあたる場所に出て来ることはあるだろうか?」
「組織の秘密を漏らしたら、外なんて歩けませんよ。牢屋の中にも組織の人間は紛れてますからね。法で裁かれるよりもそっちが恐ろしいでしょう。まぁ、それが犯罪に加担した人間の末路です」

 警ら隊の最後の1人が立ち去って2人だけになると、個室がずいぶん静かに感じた。

「リェーナ。勝手なことをして、不快にさせてすまなかった。……大丈夫か?」
「……はい、もう大丈夫。私の母は幼い頃に亡くなったから」

 エリヤスさんは何も言わず、そのまましばらく抱きしめてくれた。
 力強く打つ心音を聞いていると、心が凪いでくる。

「2人の家に帰りたい」
「そうだな、早く帰ろう」
 
 外へ出るとにぎやかに人が行き交い、さっきまでの出来事が嘘みたい。
 汽笛が聞こえて、心の中で何か区切りがついたのを感じた。


 
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