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冥府のカグツチ
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血のように赤い炎が、球状になってその空間にはいくつも浮かんでいる。
赤や黄色、青色に輝く華の形をした美しい宝石が、一つ一つ鳥かごに入れられてそこかしこに並べられている。
大理石でできた神殿のような場所だ。
中央には天蓋がついた豪奢なベッドがあり、天井には壁の代わりに何もない黒い空間が広がり、星が煌いている。
大理石の床には、毛足の長い金糸で縁取りさてた赤い絨毯がひかれていた。
琥珀は絨毯の上に座っている。
なんだか何かを損なってしまったように体が軽かったが、足に当たる絨毯のふわふわとした感触も、ゆらめく炎のせいだろうか、時折皮膚に感じる焼かれるような熱さも、現実味を帯びている。
気づいたときには、ここに座っていた。
那智によって岩屋に連れられたところまでは覚えている。
意識を失う瞬間、何となく自分はこれでもうお終いなのだろうと思った。
その先には何も続いていないことに、安堵さえしていたような気がする。
――けれど、目覚めてしまった。
一体ここはどこなのだろうかとあたりを見渡すと、琥珀の居る場所から見上げる位置にある寝台に、誰かが座っている事に気づく。
見たことのない男だ。
燃える様な髪に、鋭い眼光。
立派な体躯を惜しげもなくさらして、上半身には服の代わりにじゃらじゃらと派手な首飾りをいくつもつけている。
両腕には、炎のような赤い模様があり、下半身には幾重もの薄い布で織り上げたような複雑な色合いの長い腰巻を巻いている。
両足には上半身と同じように、輝く宝石をいくつもあしらった飾りをつけている。
華美な印象ではあるが、彼が身に纏う物は豪華であればあるほどよく馴染むような気がした。
「――お前は死んだと思っていただろう」
男は言う。
人の上に立つのが当然とでもいうような、高圧的な響きだ。
怖い、と思う。
酷い嵐の日に何もできずに立ち竦んでいるような、心の奥が震える様な怖さを感じる。
琥珀は何も言えずに、ただ頷いた。
彼は愉快そうに笑う。
「お前は死ねば無になると思っていた。だからそれを求めていた。尊い自己犠牲のふりをして、ただ何もかもから逃げたかった」
彼の言う通りだと思う。
心臓が抉られるように痛んだ。
涼の想いから逃げ、尽を慕う感情から逃げた。
自分が無くなれば、何も考えなくてすむ。
それはとても楽だ。
足掻く事をせず、楽な方に逃げたいという気持ちは、少なからずあった。
「他者に己を定義されたときその通りだと思うのは、従順で愛らしいものだが、ただ流されているだけだとも言えるな」
「……私は、死んだのでは、ないのですか」
「残念ながらお前は死んでいない。死んでいないが、生きてもいない。お前は俺が手に入れた、喜ぶと良い」
「あなたは、誰?」
男は優雅に手を伸ばす。
琥珀の体は勝手に浮き上がり、寝台に座る男の隣へとすとんと降ろされる。
男に近づいたことで、より一層肌に感じるぴりぴりとした畏れが増した。
身を竦ませる琥珀に気にせずに、彼は琥珀に手を伸ばし、愉し気に頬や首に触れる。
「まぁ、そう怖がるな。俺はカグツチ。お前たちが神と呼ぶものだ。俺は美しいものが好きなんだ。お前の魂の形はまだ美しい。存分に可愛がってやろう」
「……那智様と神楽は、幸せになったのですか?」
何故自分がカグツチの元に来てしまったのかはよくわからないが、自分がここにいるという事は、琥珀の体には神楽の人格が戻っているという事だろう。
那智は神楽に会いたかった。
二人が出会うことができれば、全て上手くいく。
覡は贄を捧げなくても良いし、那智も苦しまなくて良い。
瑠璃も、父母も、自由になる筈だ。
(涼は私の事など忘れて自分の人生を歩んでくれるだろう。尽も那智の封印が解けたのなら、私の事など用済みになるだろう)
それなら、琥珀にはもう望みはない。
カグツチの物になるという事がどういう事なのかは分からないが、死ねば神の元に召されるともいう。
同じような物なのだろうと思った。
「自分の犠牲に、さぞ自分で満足しているのだろうな、琥珀。お前が余計なことをしなければ、お前が八津房の手を取らなければ、神楽は夢を見ていられたというのに」
「どういう、事ですか」
「かつて覡神楽は、禁呪に身を捧げて俺に願った。どうしても再び那智に会いたいのだと。那智の封印と、神楽の転生。俺が施した呪縛はただその二つだけだ。人は俺を悪だと誹るが、とても親切なんだ、俺は。転生した神楽は記憶を保てないのが難点だが、人の魂など儚いものだ。転生の負荷に耐えられず、記憶を失うのは仕方ない」
震える琥珀の肌をゆるりと撫でながら、カグツチは試す様に言う。
「それで、どうなったと思う?」
「神楽は、那智様には会えなかった。……産まれた神楽は、那智様を封じるため、殺された」
「そう、その通りだ。漆間双樹は、覡家に伝えていた。神楽に似た女児が産まれたら、十七になった最初の新月の夜、那智の元に行かせるように、と。それが神楽の願いだったからな。神楽は果たせなかった那智との約束を、果たしたかったんだろう」
「でも、だったら、どうして」
「お前は昔話を知っているんだろうが、あくまでそれは昔話だ。神楽と双樹と那智、三者だけの問題ではなく、その周りには沢山の人間がいた訳だ。善意のある者もいれば、悪意のある者もいる。人とは、そういうものだからな」
琥珀の世界は、とても狭い。
しかし、確かにカグツチの言う通り、琥珀は知らない人たちが覡の本家にはまだ沢山いるのだろうし、本家に関わっている人々ももっと沢山いるのだろう。
涼にも琥珀の知らない友人たちが居て、関わらないところでさえ世界は広がっているのということは分かる。
琥珀一人が死んだところで世界は変わらないだろうが、那智が消えたことで、尽の、というよりもかつての八津房の故郷は滅んだという。
それならば、那智や双樹、神楽が失われた覡家にも、大きな影響があった筈だ。
「那智は滝のある岩屋に棲んでいた。那智の魔力は滝に影響を及ぼして力を与え、その水は村に注いでいた。村の作物はそれによってよりよく成長し、日照りが続けば漆間双樹が雨を降らせてくれていた。とても平和で、栄えていた訳だ」
「それなら、いなくなってしまったら……」
「禁呪の為された夜、那智は血に酔い荒れていた。川は奴の魔力に呼応して、荒れ狂い、いくつかの集落を押し流した。覡は、神楽を失い、妹の華を失った。幸いにして神楽の母親の腹には三人目の子がいたからな、当主の血筋は守られたが、多くの人が死に、その後も飢饉が起きた」
琥珀は、那智が封じられて終わった話だと思っていた。
そうではなく、彼らの他に苦しんだ人々がいたのかと思うと、足元からじわりと不安が這い上がってくる。
――自分のとった行動も、誰かを不幸にしているのではないかと。
「飢餓に苦しみながら、なんとか生活を立て直した人々は、事の発端になった神楽を、悪魔だと罵った。産まれた神楽とそっくりな赤子を忌み、かつて双樹が住んでいた空き家に閉じ込めた。そうしたのは覡家だが、そうしなければいけない状況だったのだろうな。覡の当主は双樹の言いつけを守ろうとしていたようだが、新月の夜の濁流で家族を失った者たちがそれを許すわけがない。那智の封印を解かないために、贄にするべきだと当主に詰め寄った」
「だから、神楽は……いえ、巫女たちは、殺されてきた」
「最初は怒りと憎しみから、その後は那智に対する恐怖からだろう。覡が真面目過ぎたのも良くなかった。この俺も、これほどまでに繰り返すものかと流石に呆れた」
ほら、俺は何もしていないだろうと言って、カグツチは笑う。
全ては人が勝手にはじめたことだという彼に、琥珀は何も言うことが出来なかった。
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