贄の巫女と千年の呪い

束原ミヤコ

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輪廻の代償

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 ◆◆◆◆


 琥珀の姿をしているのに琥珀ではない女が、尽には化物に見えた。
 尽にしてみれば、神楽は会ったことも話したこともない女だ。

 かつて人として生きていた時代、近しい集落であれど左程交流は無かった。
 物の溢れる現代と違い、まだ自分たちの生活で手一杯の時代だった。
 連絡手段も交通手段も発展していなかったので、諸国を行脚する者など物好きの類だった。

 或いは自分の父母や、その上の世代ならば、同じ術者として漆間の事を知っていたかもしれないが、かつての尽は己の在り方に疑問を抱いていたので、それらすべてに興味や関心を抱かなかった。

 ――土蜘蛛に贄を捧げてまで生きている価値は、自分たちにあるのだろうか、と。

 産まれてきたばかりの幼子を捧げなければいけないという決まりは、人々の心を陰鬱にしていた。
 尽もまた、そうだった。
 土蜘蛛も倒せない役立たずの術者だと自分の事を評価していたし、周りの人間たちもそう思っているに違いないと考えていた。

 そして今も、何もできずに琥珀を失ってしまった。
 結局、いつも何もできず、大切にしようとしていたものを失ってしまう。

「……神楽、とか言ったか。その体は琥珀の物だ。お前の居場所じゃない」

 愛し気に那智に寄り添っている神楽を睨み、尽は言う。
 負け犬の遠吠えに聞こえるだろうが、それでも良い。
 那智に一太刀も浴びせられなかった情けない姿はもう晒しているのだから、これ以上恥ずべきことはない。

 琥珀は――神楽は小さく頷いた。

「正確には、私のものじゃないけれど、これは私が望んだことだから、私のものとも言えるわね」

 神楽は真直ぐに尽を見て、臆せずにそう言った。
 あぁ、違うな、と尽は思う。
 琥珀は真直ぐに人を見るものの、その言葉はいつもどこか必死で、遠慮がちだった。

「……禁呪による転生は、必要な事だったんだろう? 那智を封じるためには、幾度もそれを繰り返す必要があった筈だ」

 それ自体は尽の憶測だったが、新しい神楽が産まれ、贄に捧げられる日に近づくにつれて、那智の力を押さえつける封印の呪縛が綻びていったのは本当の事だ。
 そうでなければ、尽の体は崩壊したまま治らなかっただろう。

 那智は特に何も言わずに、尽と神楽のやりとりを静かに見ている。
 感情の起伏の少ない彼が何を考えているのか尽にはよく分からない。
 少なくとも、覡の連中が危惧していたような、滝と滝壺を壊して村を水に沈める、という気はなさそうだ。

「あなたは人を愛したことはある? その人の為なら、何もかも捨てていいと思ったことは?」
「自分勝手な人間が言いそうなことだな。捨てられた方はたまったもんじゃない。お前みたいな女に出会わない方が幸せだ」

 尽にはもう、捨てるような何かは残っていない。
 遠い昔に全て失ってしまったものだ。

 今は琥珀を救いたいと思うが、自分のような人間が今更琥珀を守りたいなどと、口が裂けても言える筈がない。
 まして神楽などに、どうしてそんなことを言わなければいけないのかと、憎々しく思う。

「そう、ね。そうなんでしょうね。私は本当に自分勝手だった。禁呪に身を捧げた時でさえ、那智様を愛していた。だから、罪を犯した」
「妙だとは、思っていた。カグツチの力ならば、私を封じることなど容易い筈。それなのに、私の封印が弱まるときが度々あった。神楽、何をした?」

 那智が神楽に問う。
 その声音は愛しい相手に話しかけるような甘いものではなく、どこか冷酷な響きを帯びている。
 神楽は口元に手を当てて、薄く笑う。

「那智様、私は何もしていません。あなたを愛していた。あなたの元へ、行きたかった」
「私の知る神楽は、皆を不幸にしてまで何かを得ようとするような、厚顔無恥な女ではなかった。ただ封じられただけなのならば、私には何もする気は無かった。元々生きているのか死んでいるのかも分からないようなものだったのだから、岩屋で眠りにつくのもそう悪い事ではない」

 「それだけの罪を犯したのだから」と那智は言う。
 それから微笑む神楽を見下ろして、醜悪な物をみたように嫌そうな顔をした。

「願ったのか。――転生を」
「流石、那智様。ええ、願いました。あなたは封じられただけなのに、私が死ねば二度とあなたに会えなくなってしまう。私はそれがどうしても、つらくて、苦しくて、嫌だった。だから、双樹様に願ったのです」

 いつのまにか、神楽の瞳は、黒く塗りつぶされていた。
 それは二つの黒い虚のように見える。
 尽はおぞましさに舌打ちをし、那智は淡々とその様子をみつめている。

「私に悪いと思うのならば、私の命を使って欲しいと。那智様を封じ、私に転生の呪いを。そうすれば、私はまた生きられる。次の生で、那智様の元へと行く事が出来ると考えた」
「なら、さっさと那智の処に行けば良かっただろう」

 そうすれば、自分は半死半生で苦しまずに済んだ。
 琥珀も、琥珀だけではない、歴代の巫たちも殺されずに済んだ。
 神楽は首を振った。

「そう簡単な事ではなかったの。産まれた私は、記憶を失っていた。私が死んだ年。十七になってはじめての新月の夜、那智様の封印が弱まる。だから、巫女を那智様の元に連れて行かなければいけない。双樹様は覡にそう伝えてくださると約束したのに、どこでどう間違えたのか――那智様の封印の力を戻すため、巫女をかつて私がそうだったように、滝壺に落とさなければいけない、ということになっていた」
「双樹がわざとそう伝えたのか?」

 未練がましいことを、と尽は思う。
 そうまでして、那智の元に神楽を行かせたくなかったのだろうか。

「私には、分からないわ。私の記憶が戻るとき、それは決まって冷たい水の中だった。命が失われる瞬間私は私を取り戻し、また駄目だったと思うことを繰り返した。そうして、カグツチ様の元に戻される。また生まれては、殺され戻ることを、ずっと続けてきた」
「幾度も転生を繰り返したのか。愚かなことを」

 那智が冷ややかに言った。
 神楽の両目は虚のままだったが、それでも傷ついたような表情を浮かべる。

「哀れと思ってくださらないのですか? 私はずっと、ずっとあなたに会いたかった。どうか、抱きしめてくださいませ」
「私はただ無益に殺されていった少女たちを、哀れだと思う。それは私の責であり、お前の責だ。繰り返す転生は、人の魂には耐えられまい。お前は、壊れてしまったのだな、神楽」

 少しだけ悲しそうに、那智は言った。
 神楽は両耳に手を当てて塞ぎ、幼い子供がするように嫌々と首を振った。

「私は、私は壊れてなどおりません。私は神楽です。那智様を愛しています。あなたと一緒に幽世へいきます、もう終わりたい、カグツチ様の元には、行きたくない……!」

 最後は悲鳴のように彼女は言って、床に膝をついた。
 彼女の黒い瞳から、墨のような液体がぽたりぽたりと垂れる。
 那智はその姿を静かに見降ろして、それから尽に視線を送る。

「この器に入っているのは、壊れた女の情念のようなものだ。最早、神楽ではない」
「だから何なんだ、お前は神楽を取り戻したかったんだろ? 壊れていようが、それは神楽だ。良かったじゃないか」

 尽は肩を竦める。
 神楽が壊れていようが、なんだろうが、どうでも良い事だと思う。
 琥珀は、もういない。

「そういえば八津房。――死にたいと思うのはもうやめたのか?」
「なんだ急に。……もうそんな情けないことはやめた」

 琥珀のようなまだ年若い少女が、生きたいという希望を押し殺してまで皆のために死ぬことを決意しているのに。
 自分ときたら、何もしたくないから、生きる目的がないからと、ただ怠惰に死を望んでいた。

 何もないから、自分の現状を誰かのせいにし、恨むことに縋った。
 本当に、全く、情けない。

 いい大人が何をしていたのかと、思う。

 那智と話をすることもなく、琥珀に本当の事も言わず、漆間を無暗に嫌悪した。
 その結果、琥珀は失われてしまった。
 残ったのは、壊れたように那智に愛していると繰り返し言う女だけだ。

「そうか、それなら、良い」

 那智はそういうと、神楽に向って手を伸ばす。
 蹲って泣き濡れていた神楽は、顔をあげるととても嬉しそうに微笑んだ。
 那智は神楽を絶たせると、その体を抱きしめる。
 幸せそうに目を伏せた神楽の口角から、たらりと鮮血が流れる。

 ――神楽の背中から、百足の足が生えている。

 ざくりと胸を突き抜けた鋭利なそれは、容赦なく彼女の命を奪った。
 床にぼたぼたと、血が落ちる。

 殺したのだ、神楽を。琥珀の体を。
 尽がそれを理解するまでに、少しだけ時間が掛かった。
 血だまりの中に動かない神楽を横たえると、那智はその横に膝をついて、その頬をそっと撫でた。


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