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術士について
しおりを挟む琥珀は死んでしまった陽詩の事を考える。
(陽詩は昴から愛されていた。そして、松代や影虎からも大切に思われていた)
昴と生きることを選べば、贄の運命から逃げたら、災いが起こると信じていた筈だ。
それが本当になれば、松代や影虎は不幸になるかもしれない。
それが分かっているから、その選択はできなかったのだろう。
(……少しだけ、陽詩おばさまが羨ましい)
「覡は、その役目に既に疲弊しています。贄を産むため、そして守るために、外部からの者を血筋に入れなかった。つまりは、近親婚を繰り返しています。そのせいか皆短命で、当主が変わるとすぐに先代は死んでしまう。自分の子を殺さなければならなかった心労もあるのでしょう」
影虎はどこか諦めたような口調で言った。
「覡は、村から解放されたい?」
涼が尋ねると、影虎は頷いた。
「叶うのならば」
「じゃあ、やっぱり俺も一緒に行かなきゃいけない」
納得したように、そしてそうすることが当然のように、涼が言う。
「君には何もできない。ただ死にに行くようなものだ」
「何もしなくても、何かしたとしても琥珀は死ぬかもしれない。それなら駄目だったとしても、何かをしてから一緒に死んだ方が良い」
きっぱりと言い切った涼に、琥珀は目を見開く。
――なんてことを、言うのだろう。
つい昨日まで、身も知らなかった自分のために、死んでも良いなんて。
「涼、私はあなたに、そこまでして貰う価値は……!」
「ごめん。これは俺の勝手だから。琥珀がどう思おうと、関係ない」
「でも……!」
先程覡は短命だと影虎が言った時、琥珀は安堵してしまった自分に気づいた。
生きていく事は難しい。
それは何かを自分で考えなければいけないからだ。
琥珀の生はとても単調で、楽だった。
誰かと関わることも、感情が動くことも、苦しくて辛い。
外に出て自由に生きることを考えると、心が挫けそうになる。
死んでしまえば、そんな思いはしなくてすむ。
そんな風に思ってしまった自分の無様さが、どうしようもないぐらい嫌になる。
「分かりました、漆間涼。君がそこまで言うのなら。君の自由を、尊重しましょう」
仕方なさそうに、影虎は頷いた。
琥珀は咎める様に彼を見たが、影虎は何も言わなかった。
会計を済ませて店を出ると、車を停めてあるという大通りから出て少し歩いた処にあるコインパーキングに向った。
八津房のように一瞬で移動できるのかと思っていたという涼に、影虎は呆れたようにため息をつく。
「あの男は、八津房というのですね。琥珀様が連れ出されたあの日、七色に光る蟲を見ました。蛟が言うには、あれは陽炎といって、とても気難しい妖だそうです。人に幻覚を見せたり、姿を隠したり、涼の言う転移もできますが、近距離ならば、といったところです」
そう万能ではないのですよ、と影虎は言う。
「私たち術者が出来ることは、妖や、それよりももう少し力の弱い精霊などの、人ではない者の声をきいてその力を借りる事だけです。相性がありますから、全ての者が力を貸してくれるという事もなく、彼らに嫌われてしまえば唐突に声が聞こえなくなることもあります」
「影虎は、蛟と話せる?」
涼が聞くと、彼は頷く。
「ええ。蛟はあまりお喋りではありませんから、時々、ですが。先に言っておきますが、蛟は本来とても強い妖なのですよ。ただ、術者にも個々の実力があって、私では力不足なんです」
「影虎が、蛟を操っている、と言うわけではないのか」
「陰陽師なんて呼ばれる、力の強い術者もごく稀にいたそうですね。十二神将なんていう、恐ろしいものを従える事ができたのだとか。それは例外で、私たち術者は、言うなれば触媒です」
触媒とは何だろう。
二人の話を聞きながら、琥珀は首を傾げる。
「過去、人ではない者たちは私たちと共に暮らしていました。しかし徐々に人が増え、建造物が増え、人の領域が拡大していくと、彼らはこの世界の居心地が悪くなっていったようです」
「それは、分かるような気がする」
涼は同意した。
琥珀も何となく理解できる。
大通りを歩く賑やかな人々を眺めると、ここは自分の場所ではないような気がするからだ。
「私たちの住む場所は、現世と呼ばれています。死者の魂は現世から冥府に向い、輪廻の為に高天原へと昇るそうです。私は死んだことがないので、実際はどうなのかは分かりませんが。それら三つの国はどうにも居心地が悪いそうで、彼らは幽世、夜の国とも呼ばれている場所に徐々に身を移していったそうですよ」
「蛟がそう言ってる?」
「ええ。幽世は、現世からは見ることができません。両者は鏡張りのようであり、互い干渉はできない事になっています。私たち術者の体に巡る、分かりやすく言えば魔力のようなものを頼りにこちらに干渉して貰うのですが、妖と術者の力の差が大いと、つまり触媒としての力量が足りないと、妖本来の姿すらこちらには呼び込むことができません」
力不足とはそういう事です、と影虎は言った。
「八津房がどういった素性の人間なのか、……蛟が人ではないと言っているので、本当に人間なのかはわかりませんが、陽炎を呼んでいる時点で、私よりもずっと格上の術者であることは間違いありません」
尽は、遠い昔に土蜘蛛に滅ぼされた村の術者の生き残りだと言っていた。
神楽としての過去の記憶には、八津房という名前の者はいない。
尽は那智の封印を解きたいのだろうが、その理由がよく分からない。
ただ、琥珀を助けてくれた、そして神楽ではなく琥珀である自分を認めてくれた尽の行動に、嘘はなかったと信じている。
尽の事を思い出すと、胸が痛んだ。
黙って出てきてしまった罪の意識、なのだろう。
「あいつに、何かされてない?」
そういえば、と涼が言う。
「何も。優しい人だった。何か目的があるのかもしれないけど、尽は私を救ってくれた。感謝してる」
「八津房より先に、琥珀に会いたかったな」
涼はなんだか少し残念そうに言った。
「涼、私は」
「琥珀は俺に会わない方がよかったって、まだ思ってる。琥珀を困らせてる自覚はあるよ」
そんなことはないと、否定したかった。
でも、涼は自分のせいで死ぬかもしれない。
琥珀は何も言えず、唇を結んだ。
涼もそれ以上何も言わなかった。
どことなく居心地の悪い空気が流れるのに気づかないふりをしながら、黙々と歩く影虎のあとを追いかけた。
影虎の車が停めてあるというコインパーキングは、塀の高い住宅の群れと、線路を覆う金網が並んだ道の一角にあった。
大通りから抜けると、途端に人の姿が減り始め、今は通りを歩く人は誰もいない。
耳が痛くなるほどの静けさの中、遠くで踏切の鳴る音が聞こえる。
広い敷地内に、車は数台しか停まっていない。平たい白い車の前で、影虎は足を止めた。
車のボンネットに、長い足を組んで行儀悪く男が座っている。
彼は琥珀の姿をみつけると、ひらひらと手を振った。
「お嬢さん、迎えにきたよ」
口角をつりあげ、笑みを浮かべて彼は言う。
そのひどく甘い声に、琥珀ははじめて彼を、八津房尽を――怖いと思った。
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