贄の巫女と千年の呪い

束原ミヤコ

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八津房尽と、禁呪の檻

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 八津房尽は、琥珀を漆間涼の元へと案内すると、離れたところから成り行きを見守っていた。
 琥珀が心配で見守っていた、などと生易しい事を言うつもりはない。



 ◆◆◆◆


 果たしてどちらに物事が転がっていくのかと、観察していた。
 涼が協力的で、琥珀の手伝いをしようが、突然現れて訳の分からないことを言う少女を拒絶しようが、どちらでも良かった。
 いや、それは建前だろう。

 尽の使役する妖の中でも、戦闘能力の高い狗神を琥珀に預けたのは、少なからず『漆間を殺してしまえ』という気持ちがあった。
 それは否定できない。
 困惑し、否定する琥珀を、お優しいことだと冷めた気持ちで眺めていた。

 誰からの愛情も与えられず、死ぬことを目的に生かされ閉じ込められていたのだ。
 もう少し歪んでいても、おかしくない筈なのだが。

(どうやら予想が外れたらしい)

 頼りない少女の小柄な背中に視線を向けながら、八津房尽は考える。

 思ったよりも穏やかに会話を続けていた涼と琥珀だったが、途中で雰囲気が変わったことに気づいた。
 恐らく、琥珀は神楽に飲まれたのだろう。

 琥珀は、いや、琥珀だけではない。
 歴代の巫――つまり、生贄たちは、神楽の転生体だ。
 これはそういった、呪いだからだ。

 神楽は輪廻を繰り返し、産まれては死んでいる。

 けれど、それが同一人物かといえばそうではない。
 巫たちは神楽の記憶をはっきりとは思い出さず、それぞれの人格を維持しながら死んでいく。

 琥珀が神楽に飲まれてしまったのは、恐らく尽が彼女に教えたからだ。
 昔話と称した過去の出来事の概要だけの説明が、彼女の記憶の琴線に触れてしまったのだろう。

 哀れだと思った。

 同時に、苛立ちを感じる。
 大昔に死んだ神楽という女に飲まれてしまうほど、琥珀は弱くないだろう。

 あんな環境にいたというのにその心は綺麗なままで、自分の為ではなく妹を救う、ただそれだけのために、ここまで来た琥珀はとても強い。
 ――それこそ、いつの間にか歪んでしまった自分なんかより、ずっと。

「あなたが呼んでくれたら、自分を失わないでいられるような気がする」と、琥珀は言っていた。

 出会って数日しか経っていない尽を、頭から信用しているような言葉だ。
 何を馬鹿なことをと、思った。

 けれど今は、その名を呼んで駆け寄りたい衝動を感じる。
 唇を噛んでそれを押し込めた。
 そんなことをしてしまえば、せっかくここまで来たのに台無しになってしまう。
 狗神が涼に襲い掛かった時、ようやく終わったと尽は深い息をついた。
 けれど、想定外の出来事が起こった。

 眩い光とともに狗神はかき消され、路上に琥珀が倒れている。
 彼女は死んだようにぴくりとも動かず、呼吸をしているかどうかも近寄ってみないと分からない。

 傍に行き抱き上げると、外傷もなく、生きてはいるようだった。
 涼が彼女に手を伸ばしていたが、これはお前の物ではないと思い苛立つ。

 漆間涼も、琥珀に何かしらの感情を抱いているようだった。
 それが過去からの呪縛だとしたら、なんて盲目で、偏執的で、しつこいのか。

 ――覡神楽はもう死んだ。
 
 今腕の中にいるのは、頼りないながらも必死で前に進もうとしている、無知で純真で、ひたむきな、覡琥珀だ。
 自分が、八津房尽であるように。
 
 部屋に戻ると同時に、七色の羽を持った小さな陽炎が姿を消した。
 陽炎は、追跡や、姿隠し、近距離の転移が得意な蟲だ。

 姿は小さいながら、使役するのは割と骨が折れる。
 一度気を許すと忠誠心の高い狗神とは違い、とても気まぐれだからだ。

 狗神も陽炎も、那智のような人型をとれる妖と比べれば、その力は獅子と子犬程の差がある。
 それを駆使して那智に挑んだとしても、勝てない事は目に見えていた。
 結局自分は無力だと、尽は思う。

 動かない琥珀をベッドにおろす。
 琥珀の額に手を当てると、手のひらに電気が走ったような痛みを感じた。

「……まずいな」

 想像していたよりも、強力な封印の呪縛だ。
 漆間涼の首飾りの宝石には、強い力が込められているようだった。
 何かの護符なのだろう。子細は分からないが、大きな力の作用を感じる。

 このまま放置しても琥珀は目覚めないだろう。
 恐らく、何らかの術がかかっている。
 長い冬眠に、或いは仮死状態に入ってしまったようなものだ。
 術を解かなければならない。
 厄介なことだと、尽は思う。
 しかし、一端は漆間が無防備な人間だと考えていた自分にも責任がある。

「お前は、眠っていた方が幸せなのかもしれないな」

 死ぬことのみを存在意義とされ、死んだ女の呪縛から解放されず、誰も『琥珀』という少女を必要としていない。
 那智も、漆間も、神楽が欲しいのだろう。
 それなら、琥珀の生きる意味はどこにあるというのだろうか。

「だが、俺は……」

 それでも、彼女を起こさなければならない。
 尽は呪符を数枚取り出すと、琥珀の額や胸、下腹部に貼付けていく。

 まさかとは思うが、かつて涼の父は一つの罪を犯した。
 もう死んでいるが、今の涼よりも無知ではなかった可能性がある。

 己の命を使い、息子を守ろうとしたのだとしたら。
 もしあれが、禁呪で作られた護符だとしたら、勝ち目は五分といったところだ。

 害する者に、死の呪いを。
 そういう方法も、ある。

 尽は自分の力を過信していない。
 命を捧げて作られる呪い程、恐ろしいものはないと良く分かっている。
 動かない琥珀は、蝋人形のようだ。深く瞼は閉じられ、長い睫が影を作っている。

 尽は彼女を眺めながら、睫も白いんだな、と妙に感心する。
 関心していてもしょうがない。両手で印を組んで、目を閉じた。

 激しく何かに拒否されているような圧迫感を感じる。
 呼吸を整えながら、その力に抗わず同調するように施された術の輪郭を辿っていく。
 目を開くと、琥珀の回りを被う蜂の巣のような檻がはっきりと見えた。

「禁呪か……」

 堅牢な檻だ。
 ただの護符では狗神は消せても、使役者までを害することは困難である。
 二度と危害を加えることができないようにかけられた、これは死の呪いだろう。

 目覚めることが出来ずに、衰弱していずれは死ぬ。とても質の悪いものだ。
 檻の中の琥珀が、酷く遠く感じる。

(漆間の父親は、あの護苻を造って死んだのか)

 いつか息子の命が狙われる事に気づいていたのか。
 ――漆間は、いつも邪魔をする。
 激しく憎悪が沸き上がるのを感じたが、尽は気づかないふりをする。

 この感情は、違う。
 漆間など、自分は知らない。

 尽は首を振り、再び琥珀に意識を集中させる。
 彼女はか弱いただの少女である。強烈な呪を浴びせられて、体力がどんどん奪われている筈。
 解呪が長引けば、本当の眠りに堕ちてしまう。

 心臓の奥がちくりと痛む。
 助けるまでに時間がかかってしまったら、自分が禁呪に負ける事があれば、琥珀は永遠に失われる。

 不安を押し殺した、頑なな表情を思い出す。
 琥珀本来の良心と、神楽の記憶に混乱し、溢れそうになる憎しみと悲しみの狭間で、最善の選択肢を探していた。

(こんな、俺を信じて)

 尽は自嘲気味にそう思う。

「起きろ、琥珀」

 ――目覚めたところで。
 彼女が彼女であるのかどうか、尽には分からない。
 この体の中身がすでに神楽だとしたら。
 己が仕出かしたこととは言え、それではあまりにも、琥珀が哀れだ。

「かわいそうに」

 憐憫と同情は、相手を見下しているからこそ生まれる感情なのだろう。
 愚かな、琥珀。
 哀れな、少女。
 彼女を助けることは義務だと自分に言い聞かせ、尽は彼女を包む檻に触れる。
 力を加えると、激しい拒絶とともに、全身に引き裂かれるような痛みが走った。

「――――無駄なことはやめろ、と言いたいが」

 不意に声がして顔をあげると、琥珀の体を覆う檻に凭れる様にして、燃える様な赤い髪を持った男が立っていた。
 ごてごてとした装飾をいくつも首にかけ、羽織を一枚着ただけの彼は、鍛えられた肉体を惜しげもなくさらしている。

「……カグツチ」

 尽は檻にあてた手に込める力を途切れさせないようにしながら、その名を呼ぶ。
 その体は透き通り、薄く背後の景色が透けて見えた。
 恐らく本体ではなく、施されている禁呪に分けた彼の力が具現化したものだろう。

「良く知っている。人はもう、忘れたものだと思っていたが」
「俺が知っているのも、言い伝えだがな。禁呪に込められているのは、お前の力だと」
「他の連中にはやめろと咎められるが、こればかりはやめられない。願いは業だ。人の欲だ。見ているのはとても楽しい。それに、捧げられた魂は俺の物だ。暇つぶしになる」

 そう言って、カグツチは檻の中の琥珀に触れる。

「この魂も、俺の物だ。穢れを知らず、美しい。この娘は、俺の元にいた方が幸福だろう」
「黙れ」
「楽しいな、八津房。お前もまた、とても矛盾しているな」

 そんなことは、自分が一番よくわかっている。
 尽は目の前の男を睨んだ。

「本来は、お前ごときに破れる檻ではないが、少しばかり遊んでやろう。夢の中にいる琥珀が目を覚ましたら、お前の勝ちだ。さて、お前の呼びかけで目を覚ました琥珀を、お前は裏切ることが出来るのか。見ものだな」

 精々楽しませてくれと言って、カグツチは消える。
 尽は小さく舌打ちをした。


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