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あなたを愛しているからこそ

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 白い花びらが、まるで雪のように落ちてくる。その中で、メルティーナはディルグと手を繋いで微笑み合っている。
 婚礼着が風に揺れ、メルティーナの視界は白い花弁で埋め尽くされる。
 ふと気づくと、ディルグの隣に立っているのは、メルティーナではなかった。
 ヴィオレットが嬉しそうに微笑んでいる。ディルグが愛しい人へ向けるまなざしを、ヴィオレットに向けている。

 メルティーナは遠くからそれを眺めていた。
 ここに、私の居場所はないのだと感じて、涙がこぼれる。けれどもう、優しく涙をぬぐってくれる人はいない。

「……っ」

 ぱちりと目を覚ます。一瞬、ここが夢の中なのか現実なのかわからなかった。
 胸にあいた穴を冷たい風が通り抜ける。全身を苛む虚無感は、きっと夢のせいだ。

 メルティーナは制服のまま、執務室のソファに寝かされていた。
 制服は整えられていて、体には毛布がかけられている。部屋には火桶がおかれて、あたためられていた。
 火桶の炎が部屋を照らしている。窓の外は明るい。今は何時だろう。
 
「……っ、あ」

 ソファから起き上がったメルティーナは、腰が立たずにそのまま床に座り込んだ。
 徐々に意識がはっきりとしてくる。昨日の記憶が蘇り、メルティーナは体を震わせた。

 激しく、残虐なほどに求められて、暗い喜びを感じた。
 それはヴィオレットに対する優越感だと、メルティーナにはわかっている。

『殿下を体を使って篭絡すれば、側妃ぐらいにはしてもらえる』

 兄嫁の言葉が蘇り、吐き気を感じた。
 メルティーナにはそんなつもりはなかった。けれど、兄嫁の言ったとおりになってしまった。

 かつてディルグは、メルティーナの両親が亡くなった時にメルティーナにキスをしたことを、弱みにつけこんだと言っていた。
 メルティーナも、同じことをしてしまった。
 ディルグの弱みにつけこみ、本当に愛している『つがい』ではなく、メルティーナを抱くように仕向けた。

「……最低だわ、私」

 いつからこんなに、ひどい女に成り下がってしまったのだろう。
 ディルグを苦しめるだけだ。あの真面目で優しい人は、ヴィオレットへの愛と、メルティーナへの責任の狭間で深く苦悩することになるのだろう。

 メルティーナを側妃において、本当はヴィオレットだけを愛していたい心に嘘をついて。

 父からも母からも言われていた。それなのに、ディルグのことを諦められなかった。
 ──ディルグを、傷つけてしまった。

「……ディルグ様、ごめんなさい」

 家に居場所を失った。どこにも居場所がないと感じていた。
 ディルグの傍だけが、自分の居場所だと縋っていた。彼に心を明け渡して、愛される喜びに依存していた。
 あんな残酷なことを、ディルグにさせてしまった。
 ずっと大切にしてくれていた。女性を乱暴に扱うことなどできないような人なのに。
 メルティーナが、ディルグの元を訪れたせいだ。
 こうなることを期待していなかったとは言えない。メルティーナはヴィオレットの代わりにしてほしいと願ってしまったのだから。

「ごめんなさい、ごめんなさい……っ」

 謝っても遅い。傷つけた事実は変わらない。そしてメルティーナがここにいるかぎり、ディルグは苦悩し傷つき続ける。
 ──ディルグを愛している。
 何をされても、どんなことが起こっても。彼を愛している気持ちに嘘はない。変わることもない。
 だから──。

「……行かなきゃ」

 メルティーナはふらふらと、なんとか立ちあがった。
 もう、ここはメルティーナの居場所ではないのだ。
 家にも、帰ることができない。

『逃げよう、一緒に』

 ディルグの言葉が想起されて、メルティーナは「逃げなきゃ」と呟く。
 ディルグと一緒ではない。一人で。どこか、遠くに。誰にもみつからない場所に。
 ディルグを愛しているからこそ、彼の幸せを心から願わなくてはいけない。
 願いたいのだ。ヴィオレットに嫉妬して、彼女とディルグの不幸を望みたくない。

 あの優しい人が、優しいままでいられるように。

「……遠くに、いこう。大丈夫、私は、大丈夫だから」

 今までずっと、メルティーナは誰かの庇護下で暮らしていた。
 外に足を踏み出すことを考えると、恐怖に決意が揺らぎそうになる。
 小さな声で何度も自分を励ましながら、メルティーナは部屋を出た。

 誰もいない、朝の光が降り注ぐ長い廊下を、ゆっくりと進んでいく。
 メルティーナの髪や白い肌を、降り積もった雪に反射した強い光が輝かせた。
 それはまるで、メルティーナの旅立ちを祝福してくれているかのようだった。

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