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メルティーナと子犬 1
しおりを挟むリデュック伯爵家の長女メルティーナが、伯爵家のタウンハウスの庭園の隅にうずくまっている白い犬をみつけたのは、彼女が十歳の時だった。
メルティーナは本物の犬を見たことがなかった。というのも、リンウィル王国では愛玩動物を飼うことは差別とみなされて、禁止されていたからである。
これは、王国に二つの種族が暮していることに起因している。
一つは耳なし族で、一つは長耳族。
耳なし族は人間と呼ばれ、長耳族は人獣と呼ばれていた。
人間と人獣の違いは、人獣は総じて体格がよく、力が強かった。頭には獣の耳があり、尻には獣の尻尾があり、時に獣の姿になることもできた。
人間にはそういったことはない。王国では両者がいがみ合っていた時代もあったが、今はお互いを尊重しあい、穏やかに暮している。
動物を飼ってはいけないのは、かつて人間が人獣を愛玩動物にしていたからだ。
人獣を支配していた王家を人獣の王が打倒し、現在は人獣族が王になっていることも、その法律の一因である。
メルティーナのリデュック伯爵家は、元々そういった差別を嫌っていた。
人間の貴族たちの中で人獣派だった家だけは、その騒乱のあとも、取り潰されずに残ることができている。
「あなたは、人獣さん? それとも、犬さん?」
人獣は獣の姿になることができる。
そうなってしまうと、ただの犬と区別がつかない。
メルティーナは子犬におそるおそる近づくと、声をかけた。
「怪我をしているわ! まっていて、すぐに薬をもってきてあげる。犬さんに触ると怒られるから、内緒にしないと……どうかじっとしていてね」
子犬は、前足に怪我をしていた。
その足は痛そうに折れ曲がり、体にぴったりとくっついている。
足の裏を、ガラスか何かで切ってしまったようだ。綺麗な白い毛に、血が滲んでいた。
メルティーナは屋敷に戻ると、こっそり救急箱から傷薬と包帯をもってきた。
白い子犬はうずくまったままだ。メルティーナは子犬の足の裏に傷薬を塗って、なんとか包帯を巻いた。
少々不恰好だが、しっかりと巻くことができた。
白い子犬はその間、しげしげと青い瞳でメルティーナをみつめていた。
「大丈夫? 歩けるかしら?」
子犬は立ち上がると、礼を言うようにメルティーナの体に鼻先をすりつける。
メルティーナはそのふかふかの頭を撫でた。
指先をぺろりと舐められ、甘噛みされる。そのくすぐったさに、皆に気づかれないように声を抑えてくふくふ笑った。
「ごめんね。犬さんを本当は撫でてはいけないの。でも、ふわふわでとても可愛いのね。一人で大丈夫? 気をつけてね」
子犬は何か言いたげにじっとメルティーナを見つめていた。
しかしそれは子犬だ。言葉を話さないのだから、人獣ではなく子犬なのだろう。
人獣とは、獣の姿でも言葉を話せるものである。
子犬は名残惜しそうにメルティーナの小さな手に額をすりつけると、それから尻尾をぱたりと振って、とてとてと庭園の奥へと消えていった。
「子犬さん、いつでも来てね。一緒にいられなくて、ごめんね」
去って行く小さな姿に、メルティーナは声をかける。
動物を飼ってはいけないという決まりさえなければ、怪我をした子犬を家に連れていきたかった。
けれど、そんなことをしたら両親が罰されるかもしれない。
メルティーナは幼かったが、それをよく理解していた。
そして子犬もまた、それを理解しているようだった。
メルティーナは、庭で子犬にあった話を誰にもしなかった。
優しい両親にも、兄にも、いつも面倒を見てくれる侍女のステラにも言わなかった。
それからというもの、メルティーナはたびたび庭園を散策するようになった。
あの白い子犬が再び、庭園を訪れるかもしれないと思ったからだ。
けれど子犬はあれきり姿を見せず、メルティーナははじめて、寂しいという感情を味わった。
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