41 / 84
おやすみなさい、旦那様
しおりを挟むミランティス家に帰路に着く頃には、日が暮れはじめていた。
夕方になると輝き出す街灯のおかげで、街は本当に星を散りばめたみたいに明るい。
「夜空にも星があって、街にも星があるみたいですね」
ヴァルツに揺られながら、私は街の風景に感心しきりだった。
エステランドでは日が落ちると真っ暗になってしまうけれど、ダンテ様の街は違う。
夜に外を出歩く人は、エステランドではいなかった。
ヴィレワークの街では、女性や子供の姿はあまりないものの、夕闇が迫り始めても通りを歩く人が多い。
「街の人々もとても楽しそうです。都会とは怖い場所だと思っていましたが、そんなことはないのですね」
「治安についてなら、さほど悪くはない。もちろん大なり小なり、犯罪はあるが。治安維持のために、衛兵が働いている」
「大きな街ですから、事件も色々あるのでしょうね。エステランドの大事件と言ったら、小ヤギが崖から降りてこれなくなったとか、おばあちゃんが腰をギックリしたとか、あと、夫婦喧嘩とか」
私は記憶を辿る。おばあちゃんはお兄様が担いで家に連れて行ったし、夫婦喧嘩の仲裁はお父様がしていた。
小ヤギは皆で助けた。記憶に残っている事件とは、その程度のものだ。
「……それは、大変だったな」
「はい。大騒ぎでした」
「そうか」
「ヴィレワークの街で危険がことがないように、ダンテ様にしがみついていたのです。でも、私は心配しすぎていました。皆さん、優しいですね。もちろん、ダンテ様が一緒にいてくださったからというのが、大きいのでしょうけれど」
「俺が一人の時は、皆、話しかけてくることはない」
「そうなのですか?」
「あぁ」
「今日はたくさん話しかけていただきました。新参者の私に気をつかってくれたのかもしれませんね」
「そうではなく。その……君が、優しく、寛大だから、だろう」
「……ありがとうございます!」
褒められたのだと気づいた私は、ダンテ様の腰にぎゅっと抱きついて、お礼を言った。
馬上では揺れるので、元々抱きついていたのだけれど、もっとしっかり抱きついた。
ミランティス家に戻ると、皆が出迎えてくれた。
すごくそわそわしながら、心配そうに待っていてくれたロゼッタさんや侍女の皆さんに「とても楽しかったです」と言うと、安堵したように胸を撫でおろしていた。
入浴をさせてもらいながら今日あったことをロゼッタさんたちにお話をした。
皆さん、私の話を熱心に聞いてくれた。
暴れ牛の話になると、口々に「危なかった」「無事でよかった」と言ってくれるので、私は嬉しくなった。
心配をしてくれる人がいるというのは、とても幸せなことだ。
ミランティス家には来たばかりなのに、知り合ったばかりの私に優しくしてくれるのだから、こんなにありがたいことはない。
ダンテ様もそうだ。
最初のご挨拶の時こそ、なんだか不思議だったけれど──今日一日一緒にいてなんとなくわかったことがある。
ダンテ様は、口数が多くない。
そのお顔も、不機嫌そうに見える。時々、口調も厳しかったり冷たかったりもする。
愛想を振りまくことはないし、笑ったりもしない。
これは、公爵様なので当然だろう。
けれどその心は、優しい。けして怖い人ではない。
心の奥の本音は、なんとなくわかる。目を見ていれば、感情は理解できる。
もっと一緒の時間を過ごせば、もっと理解することができるはずだ。
きっと、夫婦として仲良くしていけるはずだ。
用意してもらった自室に戻る。ダンテ様が一緒にいないことが、少し寂しかった。
それなので、ロゼッタさんにお願いをして、おやすみなさいを言いにいくことにした。
すでに寝衣に着替えさせてもらっている。さらりとしたシルクの薄手の寝衣の上から、ショールを羽織って、ダンテ様の元に向かう。
ダンテ様は本日出かけてしまったために、滞ってしまった仕事の続きをしているようだ。
なんだか申し訳ないと思いながら、執務室に顔を出した。
「ダンテ様、お仕事中にごめんなさい」
入っていいと返事をもらったので、ロゼッタさんが扉を開けてくれる。
執務室の中に入ると、ダンテ様がガタガタと音を立てながら、立ち上がった。
机や椅子に足をぶつけた音がする。足が長すぎて、ぶつけてしまうのかもしれない。
背が高くてスタイルがよすぎるので、ぶつかるのだろう。
私はさほど上背がないので、そういった経験はあまりない。
「ディジー、どうした……!?」
慌てた様子でダンテ様は目を見開いた。
「いえ、たいした用事ではないのです。ごめんなさい、私がお仕事を邪魔したので、ダンテ様は夜遅くまで働くことになってしまって」
「それは、別にいい。元々、眠りが短い。就寝を早めても、どうせ眠れないから、こうして時間を潰している」
「……ダンテ様、大丈夫ですか? 眠れないのなら、私が一緒に」
「い、いや、大丈夫だ」
「そうですか……」
私などは暗くなるともう眠くなるのに。
私の眠気を分けてあげたいぐらいなのに。
「それよりも、何か問題が起こったか。そのような、姿で……」
「ダンテ様がご用意してくださった寝衣、とても着心地がいいです。こんなに素敵な寝衣で就寝できるなんて、ありがたいことです」
私がワンピースになっている寝衣のスカートを摘んでお辞儀をすると、ダンテ様はさっと視線をそらした。
「それは、よかった」
「ありがとうございます。何から何まで。……今日はとても、楽しかったです」
「あぁ」
「また、一緒にお出かけできると嬉しいです」
「わかった」
「おやすみなさいを、言いにきたのです。おやすみなさい、ダンテ様」
しばらくの沈黙が続いた。
わざわざ迷惑だったかしらと思いながら、お辞儀をして、私は部屋を出ようとした。
「……おやすみ、ディジー」
部屋を出ようとする私の背に、ダンテ様が声をかけてくれる。
私は振り向いて、思わず大きな声で「おやすみなさい、ダンテ様!」ともう一度繰り返した。
部屋に戻り、とても満ち足りた気持ちでベッドに入り目を閉じる。
牛と、聖歌隊の子供たちと、ヴァルツと。羊たちと、お母様と、エメルダちゃんを抱っこしたお父様と、お兄様とレオと。
それから、ダンテ様と私と。
星々の中で舞踏曲を踊る夢を見た。
90
お気に入りに追加
1,549
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
愛しているのは王女でなくて幼馴染
岡暁舟
恋愛
下級貴族出身のロビンソンは国境の治安維持・警備を仕事としていた。そんなロビンソンの幼馴染であるメリーはロビンソンに淡い恋心を抱いていた。ある日、視察に訪れていた王女アンナが盗賊に襲われる事件が発生、駆け付けたロビンソンによって事件はすぐに解決した。アンナは命を救ってくれたロビンソンを婚約者と宣言して…メリーは突如として行方不明になってしまい…。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
貴妃エレーナ
無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」
後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。
「急に、どうされたのですか?」
「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」
「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」
そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。
どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。
けれど、もう安心してほしい。
私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。
だから…
「陛下…!大変です、内乱が…」
え…?
ーーーーーーーーーーーーー
ここは、どこ?
さっきまで内乱が…
「エレーナ?」
陛下…?
でも若いわ。
バッと自分の顔を触る。
するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。
懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
【完】嫁き遅れの伯爵令嬢は逃げられ公爵に熱愛される
えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
リリエラは母を亡くし弟の養育や領地の執務の手伝いをしていて貴族令嬢としての適齢期をやや逃してしまっていた。ところが弟の成人と婚約を機に家を追い出されることになり、住み込みの働き口を探していたところ教会のシスターから公爵との契約婚を勧められた。
お相手は公爵家当主となったばかりで、さらに彼は婚約者に立て続けに逃げられるといういわくつきの物件だったのだ。
少し辛辣なところがあるもののお人好しでお節介なリリエラに公爵も心惹かれていて……。
22.4.7女性向けホットランキングに入っておりました。ありがとうございます 22.4.9.9位,4.10.5位,4.11.3位,4.12.2位
Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.
ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる