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おやすみなさい、旦那様

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 ミランティス家に帰路に着く頃には、日が暮れはじめていた。
 夕方になると輝き出す街灯のおかげで、街は本当に星を散りばめたみたいに明るい。

「夜空にも星があって、街にも星があるみたいですね」

 ヴァルツに揺られながら、私は街の風景に感心しきりだった。
 エステランドでは日が落ちると真っ暗になってしまうけれど、ダンテ様の街は違う。
 
 夜に外を出歩く人は、エステランドではいなかった。
 ヴィレワークの街では、女性や子供の姿はあまりないものの、夕闇が迫り始めても通りを歩く人が多い。
 
「街の人々もとても楽しそうです。都会とは怖い場所だと思っていましたが、そんなことはないのですね」

「治安についてなら、さほど悪くはない。もちろん大なり小なり、犯罪はあるが。治安維持のために、衛兵が働いている」

「大きな街ですから、事件も色々あるのでしょうね。エステランドの大事件と言ったら、小ヤギが崖から降りてこれなくなったとか、おばあちゃんが腰をギックリしたとか、あと、夫婦喧嘩とか」

 私は記憶を辿る。おばあちゃんはお兄様が担いで家に連れて行ったし、夫婦喧嘩の仲裁はお父様がしていた。
 小ヤギは皆で助けた。記憶に残っている事件とは、その程度のものだ。

「……それは、大変だったな」

「はい。大騒ぎでした」

「そうか」

「ヴィレワークの街で危険がことがないように、ダンテ様にしがみついていたのです。でも、私は心配しすぎていました。皆さん、優しいですね。もちろん、ダンテ様が一緒にいてくださったからというのが、大きいのでしょうけれど」

「俺が一人の時は、皆、話しかけてくることはない」

「そうなのですか?」

「あぁ」

「今日はたくさん話しかけていただきました。新参者の私に気をつかってくれたのかもしれませんね」

「そうではなく。その……君が、優しく、寛大だから、だろう」

「……ありがとうございます!」

 褒められたのだと気づいた私は、ダンテ様の腰にぎゅっと抱きついて、お礼を言った。
 馬上では揺れるので、元々抱きついていたのだけれど、もっとしっかり抱きついた。
 
 ミランティス家に戻ると、皆が出迎えてくれた。
 すごくそわそわしながら、心配そうに待っていてくれたロゼッタさんや侍女の皆さんに「とても楽しかったです」と言うと、安堵したように胸を撫でおろしていた。

 入浴をさせてもらいながら今日あったことをロゼッタさんたちにお話をした。
 皆さん、私の話を熱心に聞いてくれた。
 暴れ牛の話になると、口々に「危なかった」「無事でよかった」と言ってくれるので、私は嬉しくなった。

 心配をしてくれる人がいるというのは、とても幸せなことだ。
 ミランティス家には来たばかりなのに、知り合ったばかりの私に優しくしてくれるのだから、こんなにありがたいことはない。

 ダンテ様もそうだ。
 最初のご挨拶の時こそ、なんだか不思議だったけれど──今日一日一緒にいてなんとなくわかったことがある。

 ダンテ様は、口数が多くない。
 そのお顔も、不機嫌そうに見える。時々、口調も厳しかったり冷たかったりもする。
 愛想を振りまくことはないし、笑ったりもしない。

 これは、公爵様なので当然だろう。
 けれどその心は、優しい。けして怖い人ではない。

 心の奥の本音は、なんとなくわかる。目を見ていれば、感情は理解できる。
 もっと一緒の時間を過ごせば、もっと理解することができるはずだ。

 きっと、夫婦として仲良くしていけるはずだ。

 用意してもらった自室に戻る。ダンテ様が一緒にいないことが、少し寂しかった。
 それなので、ロゼッタさんにお願いをして、おやすみなさいを言いにいくことにした。

 すでに寝衣に着替えさせてもらっている。さらりとしたシルクの薄手の寝衣の上から、ショールを羽織って、ダンテ様の元に向かう。

 ダンテ様は本日出かけてしまったために、滞ってしまった仕事の続きをしているようだ。
 なんだか申し訳ないと思いながら、執務室に顔を出した。

「ダンテ様、お仕事中にごめんなさい」

 入っていいと返事をもらったので、ロゼッタさんが扉を開けてくれる。
 執務室の中に入ると、ダンテ様がガタガタと音を立てながら、立ち上がった。

 机や椅子に足をぶつけた音がする。足が長すぎて、ぶつけてしまうのかもしれない。
 背が高くてスタイルがよすぎるので、ぶつかるのだろう。
 私はさほど上背がないので、そういった経験はあまりない。

「ディジー、どうした……!?」

 慌てた様子でダンテ様は目を見開いた。

「いえ、たいした用事ではないのです。ごめんなさい、私がお仕事を邪魔したので、ダンテ様は夜遅くまで働くことになってしまって」

「それは、別にいい。元々、眠りが短い。就寝を早めても、どうせ眠れないから、こうして時間を潰している」

「……ダンテ様、大丈夫ですか? 眠れないのなら、私が一緒に」

「い、いや、大丈夫だ」

「そうですか……」

 私などは暗くなるともう眠くなるのに。
 私の眠気を分けてあげたいぐらいなのに。

「それよりも、何か問題が起こったか。そのような、姿で……」

「ダンテ様がご用意してくださった寝衣、とても着心地がいいです。こんなに素敵な寝衣で就寝できるなんて、ありがたいことです」

 私がワンピースになっている寝衣のスカートを摘んでお辞儀をすると、ダンテ様はさっと視線をそらした。

「それは、よかった」

「ありがとうございます。何から何まで。……今日はとても、楽しかったです」

「あぁ」

「また、一緒にお出かけできると嬉しいです」

「わかった」

「おやすみなさいを、言いにきたのです。おやすみなさい、ダンテ様」

 しばらくの沈黙が続いた。
 わざわざ迷惑だったかしらと思いながら、お辞儀をして、私は部屋を出ようとした。

「……おやすみ、ディジー」

 部屋を出ようとする私の背に、ダンテ様が声をかけてくれる。
 私は振り向いて、思わず大きな声で「おやすみなさい、ダンテ様!」ともう一度繰り返した。

 部屋に戻り、とても満ち足りた気持ちでベッドに入り目を閉じる。

 牛と、聖歌隊の子供たちと、ヴァルツと。羊たちと、お母様と、エメルダちゃんを抱っこしたお父様と、お兄様とレオと。
 それから、ダンテ様と私と。

 星々の中で舞踏曲を踊る夢を見た。

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