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暴れ牛です、旦那様

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 ごつんごつんと、短い角がぶつかり、硬い頭がぶつかり合う。
 赤い布で飾られた牛が、青い牛を押していく。

 青い牛にお金をかけたのだろう方々から「負けるな!」「いけ!」「根性を見せろ!」という叱咤激励が飛ぶ。
 赤い牛にお金をかけたのだろう方々は「そのまま押し切れ!」「やれ!」「勝て!」という喜色に満ちた声があがる。

「ディジー……怖くは、ないか」

 特別室の前方にある柵を握りしめて、身を乗り出すようにして試合を見ている私に、ダンテ様が何事か話しかけてくる。
 けれど、ダンテ様はその体つきに反して声が小さい。
 対して会場の熱気に包まれた声はとても大きいので、かき消されてしまって聞こえない。

「ごめんなさい、聞こえな――」

 突如「「うおおおォォ!!」」と、更に激しい声があがる。
 舞い落ちる紙切れは、賭けに負けた牛券だろう。
 
 赤い牛から逃げるようにして、青い牛が闘牛場の隅で小さくなっている。
 赤い牛は蹄で、闘牛場の土を固めて作られた地面を踏みならすようにかいている。

「赤い子が勝ちましたね! とても迫力がありました、すごい……!」

 感動している私の前で、赤い牛は興奮冷めやらぬように前足で地面を蹴り上げるようにして、後ろ足で立った。
 元々大きなオルデイル牛である。
 更に大きく見える。恐怖を覚えるぐらいに、オルデイル牛の前では人間などちっぽけな存在でしかない。
 そう思うと、私たちがオルデイル牛を食べるというのはとても不思議なことだ――なんてのんびり考えていると、赤いオルデイル牛は更に興奮したように、青い牛には目もくれずに、会場の柵に向かって激突した。

 ぐわんと、会場全体が揺れたような気さえする激しい突撃だった。
 柵が歪む。
 こんなことは今までなかったのかもしれない。
 煌びやかな衣装を着た先程牛たちを興奮させるために赤い布を揺らしていた方々が、うろたえながらも、その体にまかれている綱や金具を掴もうとして走り寄っていく。

 けれど、オルデイル牛は蟻でも払うように簡単に、男性たちを弾き飛ばしてしまった。

 熱気に満ちていた会場の声が、今度は恐怖の悲鳴へと変わる。

「不味いな。ディジー、ここにいろ」

「ダンテ様!」

 ダンテ様は柵に足をかけると、軽々と闘牛場の中央に降り立ち、牛に向かい走っていく。
 剣の柄に手をかけているのが見える。
 人々が怪我をする前に、倒してしまうつもりなのだろう。
 軍神と呼ばれるぐらいの方なのだ。
 ダンテ様の足取りにはよどみはない。その背中から、ひたすらに冷静な、凍えるような殺意のようなものが伝わってくる。
 殺意、とは違うかもしれない。
 それは決意だ。
 命を刈り取るという決意。

 善や悪などの感情はない。必要だからそうするという、冷静な意志。

 ――あぁ、でも。

 私は牛を食べる。だから、可哀想とは思わない。
 けれどあの赤いオルデイル牛は、戦うために鍛えられてきた子だ。
 そして、ホワイトウッドと赤い布で強制的に興奮をさせられている。

 もちろん、戦うために育てられているのだから、闘争心も強いのだろう。
 ただ、それだけではない。オルデイル牛は本来は穏やかな性格をしているのだ。
 
 剣を抜いたダンテ様が、オルデイル牛に向かっていく。
 オルデイル牛は気配に気づいたのか、ダンテ様に向かって威嚇するように、体をぶるりと震わせた。
 牛の飼育者さんたちなのだろう、弾き飛ばされた男性たちが青ざめている。
 泣き出しそうな顔をしている人もいる。
 皆口をそろえて「落ち着け、アンジェロ!」と口にしている。赤い牛の名前だ。
  
 ――そこには確かに、情がある。
 育てていれば情が生まれる。あの子はここで、倒されるべきではない。

「ダンテ様!」

 私は柵を掴んで、身を乗り出した。
 悲鳴と、怒声の中、私の声は届くだろうか――。
 心配が胸を過ぎったけれど、ダンテ様はすぐに私に気づいて、ちらりと一瞥してくれた。
 
「オルデイル牛を大人しくさせるためには、背中の瘤を強く打ってください! 出来るだけ強く、強くです!」

 ダンテ様は小さく頷いた。
 それから剣を鞘にしまうと、鞘をつけたままの剣を構える。
 オルデイル牛が新しい敵を見つけたように、低い唸り声をあげた。
 突進してくるオルデイル牛は、小屋ぐらいの大きさがある。興奮しているからか、それ以上に大きく見える。
 
 ダンテ様は逃げることもせずに、その場から動かなかった。
 ぶつかる――と思った瞬間に、地面を蹴ってその体が宙に浮く。
 とん、と、オルデイル牛の背に足をかけると、刀身の入った鞘で激しく背中の瘤を打ち据えた。

 オルデイル牛は真っ直ぐ、私の方へと土煙をあげながら走ってくる。

 私の眼前で、二、三歩たたらを踏んで、それから赤く染まっていた体を元の黒色へと戻した。
 赤い瞳も黒く戻る。
 夢から醒めたようにぱちぱちと目をしばたかせると、飼育者なのだろう倒れている男性たちの元へとゆっくり近づいていき、心配するように頭をさげた。

「……よかった」
 
 私は心底ほっとして、柵にもたれかかるようにした。
 ダンテ様がすぐに私の元へ駆けよってくる。

「ディジー、怪我は!?」

「ダンテ様!」

 私のお願いをすぐに聞いてくれたダンテ様の姿に、なんだか感動してしまった。
 胸がいっぱいになって、衝動につきうごかされるままに柵を乗り越えて、ダンテ様に私も駆け寄っていく。
 
 そのままの勢いで抱きつく私を、ダンテ様は軽々と受け止めてくれる。
 闘牛場の中心で抱き合う私たちに、会場から拍手が沸きあがった。

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