冬の水葬

束原ミヤコ

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補習

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 ゴールデンウィークの後、中間試験の準備のために部活はしばらくお休みだった。
 入部届を出してから、結局一度も私は部室に顔を出していない。
 あの絵を見てしまってから、どうにも気持ちの整理がつかなかったからだ。

 それでも毎朝凪先輩とは会っていた。
 嬉しかった朝のお迎えも、時間通り玄関を出ると道向かいの数軒先の家から出てくる凪先輩と会ってしまうことも、今は私の心に影を落としていた。

 勝手に好きになって、勝手に追いかけて、そして、事故とはいえ勝手に絵を見て傷ついたのだから、全て私の独りよがりだ。
 私の心の中を、凪先輩に知られるわけにはいかない。

 それでも胸の中に燻る思いは消えることなく、その静かな声も、時々見ることのできる笑顔も、さらさらの髪も、宇宙の一番遠い場所のような光を失ったように黒い瞳も、全て好きだと思ってしまう。

 だからせめて、いつも通りの私でいたい。
 迷惑はかけたくないし、嫌われたくもなかった。

 部活のある日は、中間試験が心配だからと適当な言い訳をして、凪先輩に参加しないことを伝えた。
 凪先輩があの絵の続きを描く姿を見る勇気は、まだない。

 八音部長は「入学してはじめての試験だから、緊張するよね」と言ってくれているらしい。
 折角優しくして貰っていたのに、その優しさを無碍にしてしまうのが、申し訳なかった。

 結局勉強にも身が入らずに、中間試験の結果は散々だった。
 吃驚することに、中間試験で赤点をとってしまったのは私だけらしい。
 担任の女性教師に叱咤激励されながら、二人きりの放課後の補習を受けて帰る頃になると、外はすっかり日が暮れてしまっていた。

 私の心と同じぐらいにずっしりと重たい鞄を肩からさげて、とぼとぼと廊下を歩く。

「こんな筈じゃなかったのになぁ」

 情けなく呟いた言葉は誰にも届かない。
 補習が終われば、再試験がある。

 もうすぐ夏が来る。
 日が大分長くなってきたけれど、午後六時前ともなると真っ赤な夕焼けの空に覆い被さるようにして、夕闇が迫ってきている。
 一番星が空に輝いているけれど、私の世界は相変わらず灰色だった。

「七瀬、補習は終わったのか」

 夕焼けの中を一人きりで歩いて校門までくると、声をかけられた。
 校門の壁に寄りかかるようにして、凪先輩が立っている。
 心は自分で操ることがとても難しく、その顔を見た途端に、好きだという気持ちが溢れる。
 それと同時に、心臓を刃物で刺されたような痛みを感じた。

「凪先輩、どうしたんですか?」

「一年生が一人だけ補習を受けることになったらしいと、話題になっていた。お前のことだろうなと思って」

「ど、どうして私だって思うんですか……」

「中学時代のお前の成績を知っているからな。念のためにここで待っていたら、やっぱり七瀬だった。駄目だったのか、試験」

「ま、まぁ……、結構、なんというか、……散々でした」

「試験前に相談してくれたら、勉強を教えたのに」

「凪先輩も忙しいでしょう? 迷惑かけたくなくて」

「七瀬は、いつの間にか、俺にそんなに気をつかうようになったんだな」

 凪先輩は呆れたように笑うと、私の頭をぐりぐり撫でた。
 触れられた肌が燃えるように熱い。
 頬が染まっているのは、夕日に照らされているせいだと思ってくれると良いけれど。

「先生も、教育熱心で困る。こんなに遅い時間に七瀬を一人で帰らせるなんて」

「まだそこまで遅い時間でもないですよ。心配しなくても大丈夫です」

「朝の電車と同じように、会社員の帰宅時刻にかかると電車が混む。制服を着ている女生徒は、満員電車では狙われやすい。被害にあったという話も、そう少なくない」

「被害? 何の?」

「痴漢の」

「痴漢……! 大丈夫ですよ、狙われるほど可愛くないですし、私は結構強いので、触れたら手を抓ってやります」

「……七瀬、帰ろう。七瀬のお母さんからも、お前をよろしくと任されている」

「お母さん、余計なことを……、ごめんなさい、凪先輩。お母さんは心配性なんです」

「……違うだろう、七瀬。……お前は」

「大丈夫ですって。でも、待っていてくれてありがとうございます」

 凪先輩が言い淀んだ言葉の続きを、私は知っている。
 私は大丈夫だと、明るく笑った。
 空からは相変わらず、黒い粒子が降り続けている。

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