冬の水葬

束原ミヤコ

文字の大きさ
上 下
1 / 17

序章

しおりを挟む

 幼い頃、私は凪蓮水なぎはすみのことをハスミちゃんと呼んでいた。
 性別の差異もいまいち曖昧だったころの話。

 もう戻れない。
 戻りたいわけじゃないけれど。
 今は――もっと早く大人になりたいと思う。

 六畳の私の部屋のベッドの上に寝転がって、天井を眺めている。
 ただ横になっているだけなのに、呼吸が勝手に乱れていく。
 小動物は心拍数が早いから、早く死んでしまうらしい。

 いつかどこかで聞いた情報が勝手に頭の中に思い出された。

「迷惑だったかなぁ……」

 ストライプ柄の水色のベッドカバーの上に、四角い携帯電話が落ちている。
 指先で軽くつつくと、黒い液晶画面が明るくなって時計が映し出された。
 時刻は午後八時。
 余程のことがない限り、まだ大概の人々が起きている時間だ。

「ハスミちゃん。……は、駄目よね。もう高校生になるんだし。蓮水先輩……、は馴れ馴れしいか」

 もうずいぶん連絡を取っていなかったから、トークルーム一覧の下の方に移動してしまった『ハスミちゃん』の文字をタップすると、最後に交わしたメールと、一番新しいものが映る。

 最後の日付は去年の六月。
 ハスミちゃん――じゃなくて、凪先輩が、高校一年生になってから交わした私の『忙しいの? 部活、とか?』の後に、『美術部。楽しいけれど、結構忙しい』のメッセージのあとの、『頑張ってね』で会話が途切れている。
 
 それから一番新しいものは、今さっき。
 『ハスミちゃんと同じ高校受かったよ』という文字が、吹き出しマークの中に軽薄に浮かんでいる。

「……同じ歳だったら、良かったのに」

 同級生に産まれていたら、中学高校と、離れることなくいられたのに。
 中学校の時は毎朝会うから、自然に一緒に学校まで行っていた。
 中学校は歩いて行ける場所にあるけれど、凪先輩が選んだ高校は、電車に乗らなければ登校できない場所にある、頭の良い人しか入れない進学校だった。

 私は運動は結構得意だけれど、勉強はあんまり得意じゃない。
 成績は、中の下ぐらい。たまに下の上ぐらいになることもある。
 凪先輩は昔から頭が良かったけれど、私はそこそこ。多分、普通。

 だから凪先輩の選んだ高校を知って、絶望的な気持ちになった。
 もう、一緒に通うことができない。
 物理的にも無理だし、学力的にも無理だ。

 けれど、恋の力は偉大なもので、それから一年。
 私は死ぬ気で勉強した。
 友達と遊ぶ回数も減らしたし、時間が許す限り参考書と睨めっこしていた。

 お母さんは「暇さえあれば、漫画ばっかり読んで携帯を弄りながらごろごろしてた七瀬ちゃんが、別人になった」と言って喜んでいた。
 のんきなものである。
 私にとって、凪先輩と同じ学校に通えるかどうかは、人生においての死活問題だったのに。

 そのかいもあって、私は元々の学力よりもずっと上の高校に、ギリギリ合格することができた。
 高校に張り出されていた合格通知の掲示板に、番号があったのを発見したときは、お母さんなんて二度見どころか四度見ぐらいしていたほどだ。
 中学時代の担任の先生も「奇跡が起った」と言って、半泣きになっていた。

 誰も彼も私を褒めてくれたけれど、誰一人として私の不純な動機に気づいていた人は居なかったように思う。
 お母さんは「蓮水君から良い影響を受けたのねぇ」と言っていたけれど――そこまで深くは考えていないようだった。

 将来のこととか、良い大学に行きたいとか、夢があるとか、そんなことはなにひとつない。
 私はただ、凪先輩と同じ学校に通いたかっただけだ。
 そうじゃなければ、瓶の中に浮かぶ帆船から海の中に落ちて、窒息してしまう。

「……っ」

 携帯を握りながら、天井を見上げていると、不意に軽い振動を感じた。
 慌てて起き上がって、液晶画面を穴の開くぐらいに見つめる。

 トークルームに凪先輩からの、『おめでとう、七瀬。電車に乗り遅れないように』という返事が浮かんでいた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

the She

ハヤミ
青春
思い付きの鋏と女の子たちです。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

矢倉さんは守りが固い

香澄 翔
青春
美人な矢倉さんは守りが固い。 いつもしっかり守り切ります。 僕はこの鉄壁の守りを崩して、いつか矢倉さんを攻略できるのでしょうか? 将棋部に所属する二人の、ふんわり将棋系日常らぶこめです。 将棋要素は少なめなので、将棋を知らなくても楽しめます。

リリィ

あきらつかさ
青春
「私」はある日の放課後、それまで接点のなかったクラスメイト・坂田木と話す機会を得た。  その日一緒に下校して、はじめて坂田木のことを知って興味を抱く。  そして、急に告白。  それから私は、坂田木のことを意識するようになった。

【完結】天使くん、バイバイ!

卯崎瑛珠
青春
余命わずかな君が僕にくれた大切な時間が、キラキラと輝く宝石みたいな、かけがえのない思い出になった。 『天使くん』の起こした奇跡が、今でも僕の胸にあるから、笑顔でさよならが言えるよ―― 海も山もある、とある地方の小規模な都市『しらうみ市』。市立しらうみ北高校二年三組に通うユキナリは、突然やってきた転校生・天乃 透羽(あまの とわ)に振り回されることとなる。転校初日に登校した後は不登校を続けていたのに、ある日を境に「僕は、天使になる」と公言して登校し、みんなと積極的に関わろうとするのだ。 お人好しのユキナリは、天乃家の近所だったこともあり、世話を焼く羽目に。猪突猛進でひねくれていて、自己中でわがままなトワに辟易したものの、彼の余命がわずかなことを知ってしまう。 友達、作ったことない!ゲーセン、行ったことない!海、入ったことない!と初めてづくしのトワに翻弄されるユキナリは、自分がいかに無気力で流されて生きてきたかを悟り、勝手に恥ずかしくなる。クラスメイトのアンジも、ユキナリとともにトワをフォローするうちに、どこか様子がおかしくなってくる。 喧嘩や恋、いじめやマウント。将来への不安と家庭環境。高校生なりのたくさんのことをめいいっぱいやり切って、悔いなく駆け抜けた三人の男子高校生の眩しい日々は、いよいよ終わりを迎えようとしていた――そこでユキナリは、ある大きな決断をする。 一生忘れない、みんなと天使くんとの、アオハル。 表紙イラスト:相田えい様(Xアカウント@ei20055) ※無断転載・学習等を禁じます。 ※DO NOT Reuploaded

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...