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番外編

王子様と今度は海へ行く私 3

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 セリオン様は全身に白い布を身に纏い、頭から口元まですっぽりと隠して、目元には黒いレンズの入った日除けグラスをかけていた。
 声がセリオン様じゃなければ、セリオン様と気づかない風貌である。
 そこには男性ながらどう見ても美少女の面影はない。不審者だった。

「……リュイ、セリオン様、ごきげんよう」

「セリオンはどうしたの、その格好」

 私をあいている椅子に座らせて、自分も横に座ったあとに、レイス様が聞いた。直球だった。

「私は少々、日差しが苦手なのです」

 セリオン様のような不審者は、生真面目な声音で言った。
 確かに布に包まれて一切肌を露出していない。完全防備だ。

「少々どころではない姿に見えますわ。セリオン様、私の日焼け止めをお貸ししましょうか? ほら、この通り素肌を晒しても、肌が焼けませんのよ」

 私は自分の姿を、セリオン様に見せた。
 脚や顔や腕は日差しの下でも赤く腫れあがる様子はない。日焼け止めは偉大だ。

「……アリシア様、海辺の日差しを甘く見てはいけませんよ。日焼け止めを塗ったうえから、布で肌を隠せば、完璧に日差しから逃げることができます。そのように素肌を晒して、アリシア様は日焼け止めを過信しすぎというものです。後悔しないと良いですね……」

「……そう言われると、不安な気がしてきましたわ」

 セリオン様に不安をあおられて、私のむき出しの肌がなんとなく心もとなくなってきた。
 というか、そこまで完全防備しなければいけないのに、セリオン様は何故海に来たのかしら。
 楽しんでいる様子がまるで無いのが不安だ。蓑虫みたい。

「多少の日焼けの何がそんなに問題なんだ……?」

 呆れたようにリュイが呟いた。
 それからちらりと私の方へと視線を向ける。

「アリシア様、結構かわいいじゃないですか。それに思ったよりも胸が大き……っ」

 全てを言い終わらないうちに、リュイの寝そべる白い椅子に砂浜から湧きだすように伸びた無数の黒い手が絡みつき始める。
 レイス様が酷く冷たい目でリュイを見ている。口元は微笑んでいるのだけれど、どう考えても怒っているようだった。

「リュイ、今何か言った?」

「す、すみません、すみません、褒めようと思ったんですよ……、おかしいな……、暑いせいで余計な事を言いそうに……」

「俺は前々から思っていたんだけれど、リュイは俺のアリシアに邪な気持ちを抱いていない? アリシアの胸も足も、指先も爪も、髪の毛一本に至るまで俺のものなんだから、駄目だよ」

「どうしてそう思うんですか、ないですから、ないです。アリシア様とか全く好みのタイプじゃないんで。胸は大きいなと思いましたけど、その辺のメイドの方が可愛いですし」

「リュイ、それは失言だね。俺のアリシアの胸を見たと言うだけでも許せないのに、メイドと比べるなんて」

「そうですわ、変態」

 私はレイス様の背中にくっついて、リュイに文句を言った。

「へんたい……。いや、普段のドレスとかの方がよっぽど肌が出てるじゃないですか。あぁもう……、卒業前に間違いが起こったらまずいと思って、見張りに来るんじゃなかった」

 リュイは呟いたあと、はっとしたように口を押えた。
 リュイの座る椅子に纏わりついていた、レイス様の闇魔法の化身のような黒い手が、白い砂浜の中へとするすると戻っていく。
 レイス様はふ、と溜息をついた。もう怒ってはいないようだった。

「やっぱり、そんなところだろうと思ったよ。信用されていないのかな、俺は。一応、分別はあるつもりなんだけど」

 話の内容が理解できた私は、照れてしまってレイス様の背中に額をくっつける。
 リュイにもセリオン様にもそんな風に思われていたのかと思うと、多少の羞恥心を感じた。
 多少の羞恥心と共に、余計な事を心配しないで欲しいという腹立たしさも感じた。羞恥心と腹立たしさの割合でいったら、三対七ぐらいだ。
 そんな理由で二人きりの旅行を阻止されて、露出度の高い可愛い水着をレイス様にお見せできなかったのが口惜しい。
 こう、なんていうか、上と下が分かれていて、フリルがついていて、ひらひらした可愛い水着が良かったのに。
 今着ているものは、なんとなく子供っぽい。
 もっとセクシーでキュートなアリシアの姿を、二人きりの浜辺でレイス様に見てもらいたかったのに。

「……良いですか、レイス様。夏の浜辺というのは、男女を大胆にさせてしまうものなのです。特にアリシア様はとても単純……ではなくて、純粋な心をお持ちなので、私達の目がなければ、それはもうきわどい水着などを着て、レイス様に喜んで貰おうとしたに違いありません」

「セリオン様、どうしてそれを……!」

 セリオン様の指摘に、私は慌てた。
 ばれているわ。何故なのかしら。レイス様の為にはりきって、面積を極力減らした水着を着てこようとしていたことがばれている。流石はセリオン様だ。恋愛相談のエキスパート。なんでもお見通しである。

「そうなの、アリシア?」

「え、あ、え……ええと、……はい」

 レイス様の背後にくっつくようにして隠れている私に、レイス様が振り向いて聞いた。
 私は額を硬い背中に押し付けて、もごもごと答えた。

「……惜しいことをした」

 レイス様が心底残念そうに言った。期待されていたということかしら。だとしたら、嬉しい。

「見たかったです?」

「勿論。今度、見せてね。邪魔が入らないときに」

「はい……、是非に!」

 こそこそと小さな声でレイス様が言うので、私は満面の笑顔でこくこく頷いた。
 よくよく考えれば、可愛い水着を見せるのはなにも海でなくても良いのだ。部屋で見せれば良い。
 屋外の海で肌を晒すよりも、快適な部屋で、確実に二人きりの時に見て頂いた方が良い気がしてきた。
 海に来る必要、無かったわね。
 最早私は大自然と戯れたいとはこれっぽっちも思わなくなってきている。
 レイス様がご一緒してくれている時点で、優先順位が変わってしまっている。大自然と戯れるよりも、レイス様に可愛い私を見て頂く方が優先である。仕方ない。私はレイス様が大好きなので。
 
「……この暑い中、遠路はるばるあまり好きではない暑苦しい海に脚を運んだ私の努力を無下にするつもりですか、アリシア様」

 布と遮光グラスに隠れてよく分からないけれど、セリオン様がにこやかに怒っているのを感じた。
 セリオン様からひんやりとした冷気が立ちのぼってくるのを感じて、私は再びレイス様の後ろに隠れた。
 レイス様は体を動かして、私をセリオン様から隠す様にして抱きしめてくれた。うん。好き。

「セリオンもリュイも帰って良いよ。泊まっていくから」

 セリオン様の苛立ちなどまるで気にしていないように、レイス様がにこやかに言った。

「レイス様」

 完全防備すぎて表情の分からないセリオン様が、咎めるようにレイス様を呼ぶ。
 氷のように冷たい声だった。
 なんだか周囲の気温が下がった気がする。

「あら、涼しい」

 私は呟いた。レイス様の腕の中に居れば、怒っているセリオン様も怖くないわね。
 蒸し暑かった砂浜が、セリオン様の冷気でとっても快適だわ。
 セリオン様は椅子から立ち上がると、邪魔くさそうに遮光グラスと体に巻いている布を取り払った。

「我慢していましたが、もう無理です。限界です。暑いんですよ、海は……、耐えられない……!」

 普段のセリオン様からは考えられない取り乱しようだ。
 取り払った布から、美しい顔が現れる。いつも穏やかな表情を浮かべているのに、今日は眉間に皺を寄せている。それはそれで、元々顔が綺麗なので、美しい。
 身に纏っている全ての布を取り払い上半身を曝け出したセリオン様は、肌は白いけれど案外男らしい体つきをしていた。
 もしかしたらリュイよりも筋肉があるかもしれない。
 セリオン様が手を翳すと、広い砂浜の上にぱきぱきと音を立てながらどこからともなく氷が集まってくる。
 みるみるうちに、砂浜の上に氷が育ち始めて、それは見上げる程に大きな氷の城となった。

「まぁ、セリオン様! 凄い。お城ですわ」

 美しくも荘厳な氷の建築物からは、涼しい冷気が漂ってくる。
 魔力でできた氷の城なので、溶けだすこともなく聳えていた。氷の城の周囲の砂浜も凍り付いていて、冷たい冷気が肌に触れた。
 最早涼しいというか、寒い。鳥肌が立つぐらいに寒い気がしてきた。

「凄いんですよ、私は。そういうわけですから、私は氷の城に引きこもりますので、そっとしておいてください」

「どういうわけだ。セリオン、落ち着け。錯乱したのか。引きこもってどうするつもりだ、砂浜で暮らすつもりか?」

「止めないでください、リュイ。もう私にはこの海辺の暑さと、レイス様とアリシア様のあつさに耐えられません」

「気持ちは分かるが、魔法を解け。寒いんだよ」

「止めないでください……!」

 氷の城の中に足を踏み入れようとするセリオン様の服の裾を、リュイが引っ張って止める。
 これはいったいどういう状況なのかしら。
 私の想像していた、海辺でのバカンスの情景と全然違うのだけけど。
 揉める二人を楽しそうに見ていたレイス様が、腕の中の私を覗き込んだ。

「……っ、面白いね、アリシア。いつもきちんとしている二人が、はしゃいでいるよ」

「あれは、はしゃいでいるのでしょうか」

 錯乱しているように見えるのだけれど。
 レイス様はくすくすと、楽しそうに笑っている。
 もしかして先程までの態度はわざとだったのかしら。セリオン様やリュイを揶揄って遊んでいたのかしら。
 中々の性格の悪さだわ。そんなところも素敵。
 何でもできる人格者の王子様という仮面を時折外してくださるようになったレイス様が、愛しい。

「アリシアと一緒にいると、いつも楽しいよ。ありがとう」

 美しく微笑むレイス様を、私は見つめた。
 背後にそびえたつ、海辺の風景とは思えない氷の城とか、氷の階段を登ろうとしてリュイに背後から羽交い絞めにされているセリオン様とかは、最早私の目には入らない。
 入ってるんだけど。
 レイス様の存在の前には些細なことだ。

「それは、私もですわ。私はレイス様とご一緒できるだけで、どこにいても楽しいです」

「うん。アリシア、……愛してるよ」

「レイス様……!」

 これ、これだわ。
 私が求めていたもの。
 きらきら輝く海と、波の音、二人きりの浜辺での愛の言葉。これが海の醍醐味というものではないかしら。あと氷の城。お陰様で涼しいというか寒いので、抱きしめて下さるレイス様の体温が心地良い。
 セリオン様が錯乱して下さって良かった。とても快適だわ。

「レイス様……、海は良いですわね。森よりも、海ですわ。今度は二人きりできましょうね、とっておきの水着を見せて差し上げたいので」

 私は気づいた。
 海は嫌いじゃない。ただし、セリオン様の冷気は必需品である。

「うん、楽しみにしてるよ」

 レイス様が甘やかな声で言った。それだけで、来てよかったと思える。
 私はレイス様が笑って下さるのなら、喜んでくださるのなら、なんでもできる。露出度の高い水着を着ることも。むしろ、望むところである。

「……あの、レイス様」

「何?」

 私はまだもめているセリオン様とリュイの姿を確認した。
 こちらのことは見ていない。
 よし、と心の中で気合を入れる。
 少しだけ体を伸ばして、レイス様の頬に口づける。
 そっと離れると、レイス様は驚いたように目を見開いた後、照れたように口元を手のひらでおさえて頬を染めた。
 私たちの背後では氷の城が更に大きく育ち、ついでに強い風が吹き出して若干海が荒れ始めているようだったけれど、私とレイス様の愛の前には、まぁ、なんというか、些細な事なのである。
 
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