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仮面の魔女

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 嵐は、王国全土を襲っていた。
 戦乱の爪痕の上に天災によって王国がうけた傷は深かった。
 
 しかし、レドリックの即位や、元々人望の厚かったベルクントの帰還。
 そして──愚王を打ち果たし、慈悲深き王を玉座に導き、国を支配しようとしていた魔女を退けた、仮面を脱いだ麗しの英雄レオンハルトの存在は、皆に希望を与えた。

 国庫を開き、被害の大きかった場所には資金と人員を動員するという、ベルクントの的確な采配で、国の復興は順調に進んでいっている。
 レドリックは「父上が王になるべきでは」と言っていたようだが、王位継承権を鑑みると、レドリックが玉座につくことは正しいのである。

 ベルクントはあくまで補佐として、レドリックに従っていた。
 トーラスの傍で甘い蜜を吸っていた者たちを罷免し、トーラスやアルヴァロに意見をしたことで投獄されたり、城から追い出されていた能力のある者たちを城に戻すことで、腐敗の一途を辿っていた城内の政治についてもまともになりつつあるようだった。

 レオンハルトは、しばらくは忙しい日々を送っていた。
 騎士団長として、未だ残る王政派の残党狩りに軍を率いて駆け回り、王国各地で復興を手伝い、不在の日々が続いた。

 ルティエラはその間、スクイドの細君や、レオンハルトの母ルーネと共に、被災地での炊き出しをしたり、慰問に回ったりと、できる限りのことをしていた。

 レオンハルトが黒いローブを着た女性を連れてユースティス家に戻ってきたのは、ようやく人々の生活も元に戻り始めた、あのおそろしい嵐の日からおおよそ半年後のこと。

 スクイドは細君と息子を連れて長らく帰ることのできなかった自領へと戻り、ルティエラはグレイグと共にユースティス領と、そしてユースティス領地に併合されたエヴァートン領の復興を手伝いながら過ごしていた。

 レオンハルトの突然の帰還が告げられて、ルティエラは急いで公爵家の玄関へと向かった。
 半年ぶりに見るレオンハルトは、少し伸びた金の髪を軽く結んでいる。

 以前よりもさらに精悍さが増して、逞しくなっているような気がした。
 もう隠す必要のなくなった瞳を嬉しそうに細めて両手を開くので、ルティエラは気恥ずかしく思いながらも、その腕の中に飛び込んだ。

「レオ様、ご無事で何よりでした。お帰りをずっとお待ちしていました」
「寂しかった、ティエ。君を思わない日などなかった。ようやく、戻ってくることができた」
「お帰りなさい。レオ様、私も寂しかったです」

 素直に心境を吐露して、ルティエラは甘えたようにレオンハルトの胸に頬を寄せた。
 それから、レオンハルトの連れていた女性のことを思い出して、顔をあげると、レオンハルトから離れようとした。

「レオ様、あの、お客様にご挨拶を……」
「半年ぶりに帰還した恋人が女性を連れてきたのだ。嫉妬はしてくれないのか?」
「私はレオ様を信じていますので……あ、あの、離してください」
「嫌だ」
「お客様に失礼ですので……!」

 きつく抱きしめてくる逞しい腕の中で、ルティエラはじたじたと暴れた。
 お客様にも失礼だが、ルティエラの背後にはユースティス家の者たちや、グレイグやルーネもいるのだ。
 流石に、恥ずかしい。

「つれない。俺は君に会いたくて、おかしくなりそうだったのに」
「私もレオ様にお会いしたかったですけれど、今は」
「今は?」
「我慢、を……二人きりの時に、甘えさせてください、レオ様」
「もちろん。喜んで。君がどうやって甘えてくれるのか、楽しみだ」

 誰にも聞こえないように小さな声で伝えると、同じように、ルティエラにだけ聞こえるように、レオンハルトは耳元で囁いた。

 半年ぶりの熱を感じて、ルティエラは頬を染める。
 赤くなっている場合ではないと気を引き締めて、レオンハルトの腕の中から逃れると、ルティエラはローブの女性に礼をした。

「はじめまして、ルティエラと申します」
「はじめまして、ルティエラ。私は、ヨマ。仮面の魔女と呼ばれているわ」
「仮面の……レオ様の、仮面を作ってくださった方ですか?」
「理解が早くて助かる。天災の魔女の脅威は去り、聖女などいないのだと皆が知ることとなった。レオンハルトは魔女であるあなたを娶る。魔女は迫害をされないのだとレオンハルトが言うものだから、こうして、あなたに会いにきたの」
 
 頭をすっぽりと覆っていたフードを外すと、女性の顔が露わになった。
 女性は四十の坂を下り始めた程度の年齢に見える。
 黒い髪に、黒い瞳をしている。穏やかな目をした、落ち着きのある佇まいの女性だった。

 グレイグは「ヨマ殿、お久しぶりです」と礼をした。
 ルーネは「はじめまして、ようこそおこしくださりました」と丁寧に挨拶をして、それから「レオンハルト、無事に戻って何よりです」と微笑んだ。

 恥ずかしいところを見せてしまったと恐縮するルティエラに、義両親たちは「仲がよくて嬉しい」「レオンハルトのこんな幸せそうな顔を見るのは初めてだわ」と、にこにこしている。
 この半年で二人とすっかり打ち解けているルティエラは、義両親がこんなことで怒らないことはよく理解していたが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
 照れながらはにかむルティエラを、レオンハルトは愛しげに撫でた。

「君と語り合いたいのは山々だが、ヨマ殿には魔女の隠れ里から、ここまでご足労頂いたのだ。まずは、もてなそう」

 レオンハルトに命じられて、侍女たちがてきぱきと動き始める。
 彼女たちはもううつむいていない。レオンハルトの呪いがとけてから、顔をあげることを許されていた。

 その顔は、瞳は妖艶で美しいが、もう、呪いの力は残っていなかった。

 応接間に、お茶菓子とお茶が準備されて、グレイグやルーネと共に、ルティエラはヨマと向き合った。
 ヨマは紅茶を口にして「美味しい」と微笑む。

「ルティエラ。あなたは、自分の力が気になる?」

 ヨマに尋ねられて、ルティエラは頷いた。

「はい。……あの嵐の日以来、何も起こっていませんけれど。人を傷つけるものではないのか、気になります」
「あなたの力は人を傷つけない。あなたは、解放の魔女。魔女の力を消し去る、魔女」
「解放……?」
「そう。魔女の呪いを、魔法を消し去り、退ける。それがあなたの力」
「……私にも、魔女の血が?」
「きっとそうなのでしょう。魔女は、魔女の血筋からしか生まれない。かつて王国には多くの魔女がいて、人々と共に暮らし、番った。だから、誰に魔女の血が流れていても、おかしいことではないの」

 今は数えるほどに少なくなってしまったけれど──と、ヨマは寂しそうに言う。

「レオンハルトの瞳の呪いは、強力なもの。天災の魔女の呪いも、凶悪なもの。それを退けた。あなたがいれば、人々は魔女を恐れる必要はなくなる」
「私は、魔女の方々の敵、ということでしょうか」
「そうではないわ。悪心を持つ魔女に対抗できる魔女ということ。かつて……聖女と騙った天災の魔女から、狩りつくされる魔女たちを守った、解放の魔女の血。それがあなたに流れている」

 はじまりの聖女は、己以外の魔女を異端な魔女だと言い、全て殺そうとしたのだという。
 はじまりの聖女から魔女たちを守ったのが、解放の魔女の力。
 その血が──ルティエラには流れている。母か、父の血筋に。解放の魔女の血があったのだろう。

「ヨマさん。レオ様は、おそろしいのは力ではなく、それを持つものの心根だと言いました。私の力は、きっともう必要ありませんよね」
「レオンハルトの言葉は正しいのでしょう。けれどルティエラ、全ての魔女が、清く正しいわけじゃない。偽の聖女のような者がまた、現れるかもしれない。あなたの力が必要な日も、また来るかもしれない。そんな日が来ないことを、祈りたいけれど」

 ヨマはルティエラに手を差し出した。
 ルティエラはその手に自分の手を重ねる。

「私たちはあなたの仲間。道を踏み外した天災の魔女の呪いを、あなたは退けた。ありがとう、ルティエラ。あなたがいなければ、魔女たちは、迫害されていた。探し出されて、殺されていたかもしれない」

 ヨマは深々と礼をして、微笑んだ。

「何か困ったことがあれば、私たちを頼っていい。私たちは、仲間を大切にする」
「ヨマ。君は俺の恩人だ。ユースティス領は、魔女たちを歓迎する。不自由な隠れ里から、移り住む気はないか?」
「ありがとう、レオンハルト。考えておくわ」

 ヨマはそう言うと、立ち上がった。
 それからローブの下から白い仮面を取り出す。
 その仮面を被ると、ヨマの体は煙のように、その場所から消えてしまった。

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