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雨宿り 1
しおりを挟む城から裏庭に続く広いエントランスにある長椅子に、レオンハルトはルティエラを座らせた。
それから、ルティエラの前に膝をつくと、軍服の胸から取り出した赤いポケットチーフでルティエラの濡れた髪や顔をふく。
首に布が触れて、レオンハルトの動きが一瞬止まった。
「それは、虫に。草むらは、虫が多くて」
「……虫、か」
クレスルードはそれで誤魔化せたのだが、レオンハルトは何か言いたげにそう繰り返して、首筋の赤い跡に掠めるように指先で触れた。
「騎士様、あの……」
「こちらも、虫に? どこまで、服の下まで刺されたのか」
メイド服の白いブラウスが、水に濡れて体にぴったりとはりついている。
こうなる前はコルセットやガーターベルトまでしっかり身につけていた。
下着も、最高級のものだった。
今は支給された簡素な木綿の下着の上下を身につけているのみだ。
それが妙に気になった。
ブラウスの前あわせをぐいっと指でひっぱって、レオンハルトはルティエラの首から鎖骨、胸の上までをふいた。
雨に濡れた白い肌の上には、虫に刺されたというには無理があるほどの、赤い跡が散っている。
「騎士様……お願いです。もう、これ以上は」
「ひどい毒虫もいたものだな。これでは、痛いだろう?」
「痛くはありません」
「そうか。本当に、虫か?」
レオンハルトの指先が、ルティエラの首に触れる。
無骨で硬い指の、皮のあつい腹が、確かめるように首筋のうっ血のあとを辿る。
ルティエラは、僅かに眉を寄せて、目を伏せた。
心配をしてくれているだけなのに、指先の感覚を意識してしまっているのが恥ずかしい。
「騎士様、お戯れを……いけません、私などに、触れては」
「ルティエラ・エヴァートン。エヴァートン家の花。どのような身分に落ちようとも、君の人としての輝きは損なわれない。私などと、言うものではない」
「ありがとうございます。優しいのですね、騎士様」
女嫌いだという噂は、嘘だったのだろうか。
レオンハルトはずいぶんと、女性に優しい。
それぐらい、雨の中で草をむしるルティエラの姿が、哀れだったのかもしれないが。
レオンハルトは、ルティエラからすっと手を離して、それからポケットチーフをルティエラに渡した。
ルティエラはぎゅっとそれを握りしめて、それから遠慮がちにレオンハルトに手を伸ばした。
濡れた金の髪や、頬にポケットチーフをあてる。
男らしい首筋や喉仏、顎の形がとても綺麗だ。薄い唇や、白い頬も。
仮面で顔は分からないが、きっと美しい顔立ちをしているのだろうなと、口元や顎の形、耳の形から推測できる。
「俺のことは、気にしなくていい」
「ですが、騎士様も濡れていますので」
きっと、仮面には触れないほうがいいのだろう。
素顔を隠したい深い理由があるのだろうから。
頬や首や軍服をふいていると、レオンハルトはルティエラの腕を掴んだ。
「もう、いい。悪いな」
「いえ。私のせいで濡れてしまったのです」
ルティエラの腕をつかんでもまだ指があまるほどに、ごつごつした大きな手と触れる体温に、背筋がぞくりとした。
長らく、誰かの体温を忘れていたからだろうか。
頬が勝手に染まり、ルティエラはレオンハルトから視線を逸らした。
雨はまだ降り続けている。
内包された悪意にさえ目をつぶれは、それはただの雨だ。
裏庭の一カ所にだけ降る、晴天の雨は、まさしく奇跡としか言いようがなく、美しい光景だった。
こんな風に、仕事中に座ったのは半年ぶりだ。
罪悪感が首をもたげるが、レオンハルトの手はルティエラの手首を握りしめたまま離れない。
「こういったことは、度々あるのか?」
「……度々ではありません。これで、二度目です」
「以前はなにをされた? 俺は長らく、国境の砦に駐屯をしていた。──昨日、帰ってきたばかりでな。君や殿下や聖女のことは、人づてに聞くばかりだった。だが、こんなことになっていたとはな」
「仕方ないのです。私は、悋気から、聖女様に嫌がらせをしました。聖女様は、私を恨んでいらっしゃるのです。自業自得です」
「本当にそうか?」
「……本当に」
何も、していない。だが、それを言ったところで何になるのだろう。
ルティエラは、レオンハルトをルティエラの事情に巻き込みたくない。
この雨宿りは、昨日の一夜の過ちと同じだ。
すぐに失われる人の温もりは、ルティエラにとってはとてもありがたいものだった。
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