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魔女裁判 1

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 王家の紋章が彫られた馬車がゼスティア家の正面門の前にとまったのは、私とルカ様の婚姻の儀式の朝のことだった。
 ルカ様の過去とミュンデロット家の関係を知った日の翌日は、夕方近くまで眠ってしまって、ルカ様と一緒に起きた私は調理場にあるもので夕食を作った。ルカ様は宣言通りずっと私の傍にいた。約束通り何回も好きだと伝えると背後から抱きついてくるので、包丁を持っていた私はちょっとだけ怒った。ちょっとだけ。
 ダイス伯爵とエミリアがどうなったのかは、私は知らない。
 楼蘭もルカ様も何も言わないので、私も聞かなかった。
 私たちは式の準備で忙しく、招待状の記名の手伝いや、食事の手配の手伝い、ドレスの採寸などをしていたら一週間なんてあっという間だった。
 挙式が行われるのは正午から。儀式はさほど長くなく、一刻もかからないのだと鈴音が言っていた。
 ルカ様は珍しく早起きをして、私のドレス姿が見たいと朝からそわそわと落ち着かなかった。
 王家の馬車に乗ってルネス様がやってきたのはそんな最中のことだった。
 白い服に青いマントを羽織ったルネス様は、薄金色の髪にメルヴィル様とよく似た水色の瞳を持つ、繊細な印象の美しい方だ。
 デビュタントの時に一度お会いしただけなので、顔もすっかり忘れていたけれど、メルヴィル様にどことなく似ている。やはり兄弟なのだろう。
 私とルカ様は、玄関のホールでルネス様を出迎えた。
 ルネス様は柔和な笑みを浮かべて、礼をする私を邪険にせずに優しく声をかけてくれた。

「マリスフルーレ、会いたかったよ! 君が噂のミュンデロットの青い薔薇だね。噂に違わず美しいね。何度言ってもルカが会わせてくれないから、私の方から来てしまったよ」

 メルヴィル様の事がありルネス様には嫌われていると思っていた私は、予想外の言葉に驚いて目を見開いた。
 ルカ様が私を隠すようにして、私とルネス様の間に立った。

「ルネス。俺の許可なくマリィに話しかけるな」

「怖いなぁルカは。マリィ、こんな恐ろしい男などはやめて、私の元へおいで」

「マリィ。ルネスはこんな軟弱な見た目で、相当な女好きだなんだよ。あまり見ると、マリィの清らかな瞳が穢れるから、なるだけ近づかないようにするんだよ」

「ルカがこれほど饒舌に話しているところ、私ははじめて見た気がするね。……マリィ、君の清らかさが血に塗れた辺境の吸血伯の心を解きほぐしたのだね。ミュンデロットの青い薔薇は、視線だけで人を射殺すと評判だったルカをこれほど虜にさせるんだね。……私も、君の虜になってみたいな」

 にこやかに、臆面もなくルネス様は恥ずかしい事を言った。
 ルネス様の口調もどこか空虚で、どこまでが本気なのかまるで分からない。
 それは出会ったばかりの頃のルカ様にとてもよく似ていた。

「……ルカ様、私気付いてしまったのですけれど」

 私はルカ様の服をくいくい引っ張った。

「できれば気づかないふりをしていて。俺が誰を参考にしたかとか、そういう話は、また今度ね」

 ルカ様が少しだけ恥ずかしそうにしているのが面白い。
 ルネス様は私たちのやりとりを眺めた後、嬉しそうに微笑んだ。

「仲が良さそうで羨ましい。私も仲間に入れて欲しいな」

「ルネス。……マリィをマリィと呼んで良いのは家の者だけだ。勝手に親し気にするな」

「別に良いよね、減る物でもないし。ね、マリィ?」

 私はルカ様の背後から顔を覗かせてルネス様を見上げる。
 遠目に見た時は、こんな方だとは思わなかった。これではさぞ、浮名を流している事だろう。まだ決まった婚約者などはいないようだけれど、結婚したら奥様は苦労なさる気がする。

「減るので、駄目です」

 構わないと言うと、ルカ様が悲しむので私はしっかり否定した。

「健気で可愛いね。益々欲しく……、ルカ、そんなに怒った顔で睨まないでくれるかな。今日はめでたい婚礼の日でしょう。君たちをお祝いするために、私も一足早くかけつけたんだから」

「……ルネス。……メルヴィルの事は、良いのか」

 小さく溜息をつくと、ルカ様が尋ねる。
 メルヴィル様の名前に私はぴくりと体を震わせた。
 ミュンデロット家にも、招待状を出してある。お父様の事はよくわからないけれど、クラーラならきっと、喜び勇んで私を貶めるために参加するだろう。
 でも、もう怖くはない。ルカ様の事だ、彼らを呼ぶには相応の理由があるのだろうし、私にはルカ様や鈴音や楼蘭がいる。クラーラやメルヴィル様が何を言っても、傷ついたりはしない筈だ。

「仕方ないね。……もう、終わってしまったことだからね。……罪は、罪。しかるべき罰を。それが王というものだよ」

「しかるべき、罰を……」

 ルネス様の言葉を繰り返した私をルカ様が振り返り、頬を撫でるついでに顔にかかった髪を耳にかけてくれた。
 首元で真っ直ぐに切られた私の髪は結い上げるには短い。
 王国の女性は髪が長い方が美しいとされているけれど、管理のしやすさから今の髪型を私は気に入っていた。時折鈴音がハーフアップにして編み込んで髪飾りをつけてくれると、それだけで華やかになるし、頭も重くない。
 私のデビュタントの時は社交界の女性たちは競うように長く大きな鳥の羽を頭につけていたけれど、あれは今思い出しても滑稽だったなと思う。
 今の流行りは、王妃様が亡くなられた悲しみを払拭するためになるだけ派手に着飾る事。宝石やパールが大量にあしらわれた重たい頭飾りが流行っていると、鈴音が面白おかしく教えてくれた。
 「頭が重すぎて、首が折れそうですね。王国の女性は、コルセットといい頭飾りといい、拷問器具が好きなようですよ」と笑いながら言うので、私は婚姻前で心が繊細になっていたのだろう、流行を知らず髪も短いことを気にしていたのがなんだか馬鹿馬鹿しくなってしまった。
 
「マリィ。……君の失ったものを、とりかえそう。……大丈夫。マリィは、俺の傍に居て」

 真剣な表情で私をみつめるルカ様を見上げ、私は頷いた。
 終焉が訪れようとしている。
 簒奪者たちに――審判を。
 どんなおわりになるのかは分からないけれど、私は最後まで目をそらさずに見届けなくてはいけない。

 鈴音に呼ばれて衣裳部屋で体の手入れをしてもらった後、絹の白い靴下と白い下着をつけた。
 ここに来たばかりの時よりも多少は肉付きの良くなった体は、発育は悪いなりにも僅かばかりの女らしさを取り戻していた。
 あまり体の曲線を出さない作りの白いドレスは、胸のすぐ下からふんわりと膨らんで長いレースが足元まで伸びている。
 たっぷりとした足元から優雅に長く伸びる布地は歩く度びに形を変えて、寝室の天蓋に泳ぐ魚たちの姿を連想させた。
 頭の形に添った円状の髪飾りからは星のように赤い宝石が連なり揺れている。薄いヴェールが肩にさらりとあたるのが心地良い。
 化粧が施された私の顔の傷はすっかり癒えて、そこには自分で言うのも烏滸がましいのだけれど、ミュンデロットの青い薔薇と表現されてもおかしくはない美しい女性の姿があった。
 在りし日のお母様も、きっとこんな姿だったのだろう。
 私は鏡の中の自分の顔をに手を伸ばして触れる。鏡の中からお母様が微笑んでいる気がした。

「マリィ様、なんてお美しい。……マリィ様がいてくれて、良かった」

 涙ぐんだ鈴音が、私の両手を握りしめる。

「私と楼蘭では……、死に魅入られたルカ様を、明るい場所へと連れ戻すことはできませんでした。……ルカ様は、寂しい方です。深い怒りと悲しみを、心の底に抱き続けていた。……それは、私も楼蘭も同じでした」

「鈴も楼蘭も、東国から亡命してきたのでしょう。辛く苦しい思いを、したのでしょう?」

「……私には姉がいました。姉の名前は、鈴蘭。姉は私よりも力の強い魔女でした。……姉の血は、毒でできていたのです。……蘭花の毒。人には害になる毒でしたけれど、……毒と言うのは、分量さえ守れば薬になります。姉は自らの血を調合し、戦で傷を負って苦しむ兵士たちに与えていました。その毒は、痛みを嘘のように軽くした。多量に摂取すれば命を奪うものでしたけれど、姉はけしてそんなことはしようとはしませんでした」

「……毒が、薬になるのですね」

 ――病に臥せっていたお母様の体からは、気怠く甘い花の香りがした。
 鈴音の話を聞きながら、私はそんなことを思い出していた。

「はい。……東国で大規模な魔女狩りが起こった時、姉は兵士に連れていかれました。そうして、戻ってきませんでした。……魔女狩りは、東国の良い魔女たちを暗殺者に仕立てあげてローゼクロス王国に送り込むためのもの。良い魔女たちは従わず、皆その体を人体実験の材料にされたのです」

「……ルカ様から、聞きました。領土が欲しいというだけで、人はそこまで残酷になれるものなのですね」

「東国は、長らく続いている戦争のせいで確かに貧困です。領土だって、元々豊かではありません。けれど、細々と暮らす分には過不足のない程度の場所なのです。……豊かになりたいとさえ、思わなければ。豊かな者が羨ましいと、妬まなければ。民はきっと安寧に暮らしていけた」

 鈴音は深く息をついた。
 鈴音の視線が窓の外へと向けられる。鈴音の故郷は東国にある。――いつかは、帰ることができるのだろうか。

「楼蘭は、姉の恋人でした。……連れ攫われた天上御殿に姉を助けに行った楼蘭は、そこで酷い光景を見たようです。……良い魔女たちは、まるで物のように……、鈴蘭は助けに行った時には既に死んでいました。……私は力の弱い魔女でしたので、見逃されていました。けれど実験材料がなくなったのでしょう、やがて次の魔女狩りがはじまりました」

「そうして、鈴音は楼蘭と共に逃げてきたのですね」

「はい。……あとはお話した通りです。私たちはルカ様に拾われました。……私と楼蘭は、鈴蘭を失った傷を埋めるように、夫婦になりました。私達には、お互いしかいなかったのです。亡くなった姉は、きっと私を恨んでいるでしょうね」

「そんなことは、無いと思います。……鈴。……亡くなった方はきっと、残してきてしまった家族の幸せを願っている筈です。私のお爺様や、お母様がそうであったように、鈴のお姉様もきっと」

 鈴音は窓の外に向けていた視線を私に戻した。
 それからもう一度私の手を握りしめて、ぽたぽたと涙を溢した。

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