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 中庭には沢山の来賓の方々が集まっている。
 国王が亡くなり王妃様が伏せっている状況で、王国民たちに明るい話題を届けたいのか雑誌記者の方々も来賓の貴族たちに混じって何人か訪れていた。
 婚礼用の白いドレスを着せられて、私はメルヴィル様の隣に座っている。
 中庭での立食パーティだった。
 今日は皆に婚礼を伝える披露宴で、正式な婚礼の儀式は明日行うことになっている。
 アラクネアはお父様がいるのに相変わらず貴族の男性を何人も近くに侍らせていて、お父様は他の方々とお酒を飲んでいた。
 クラーラは薄い桃色の豪華なドレスを身に纏っていて、雑誌記者の方々に取り囲まれていた。
 クラーラにはまだ婚約者はいない。誰かと結婚する気はないのかと尋ねられて、「お姉様が幸せになってくれなければ、心配で結婚する気にならないのです」とよく出来た妹を演じているようだった。
 メルヴィル様は口数が少なく、私に視線を向けることもほとんどなかった。
 良い結婚にはならないだろう。
 そんな予感がしていたけれど、それでも今の状況が変わるかもしれないと言う期待は少しだけある。
 メルヴィル様が婿入りしても尚、私を屋根裏部屋に閉じ込めることはできないだろうし、まともな食事も服もない生活を私がしているなんて、お父様は王家に知られたくないはずだ。
 例えメルヴィル様との結婚生活が冷え切ったものになったとしても、ミュンデロット家をお父様たちから取り返せるのならばそれで良い。
 ミュンデロット公爵家を取り戻し、まともに領地を治めて、借財の整理をする。
 私のやるべきことは、それだけだ。
 祝いの祝辞が述べられて、祝杯のお酒がグラスに注がれたのは数刻前。
 残すのは失礼にあたるので、飲み慣れていないお酒を一息に煽った。喉が焼けるように熱かったのを覚えている。
 それが悪かったのだろうか。
 頭がぐらいついて、座っていられないぐらいに気分が悪い。

「……少し、気分が悪くて。申し訳ないのですが、少しだけ中で休みます」

 隣の席で祝いの言葉に礼を返しているメルヴィル様に、私は告げた。
 メルヴィル様は軽く頷いただけで、声をかけてくれるようなことはなかった。

 中庭からなんとか屋敷まで戻る。
 屋根裏部屋ぐらいしか休める部屋が思いつかなかったので、廊下に手をつきながらふらふらと歩いて、階段を登ろうとした。
 不意に強く手を引かれたのは、そんな時だった。
 混乱した頭で状況を把握した時にはすでに、私は来客用の部屋に押し込まれベッドの上に押し倒されていた。

「痛……っ」

 ぐるぐると世界が回っている。
 気持ちが悪い。
 私の上に覆いかぶさっているのは、知らない男だ。お父様と同じぐらいの年齢に見える。

「いやぁ!」

 私は悲鳴を上げて、じたばたと両足を動かした。
 私にできる抵抗はこれしかない。両手はひとまとめにされて押さえつけられていて、白いドレスの隙間には男の足が入り込んでいる。

「暴れるな!」

 男が怒鳴る。
 頬に重たい痛みが走る。殴られたのだと、分かった。
 怖くて、苦しくて、気持ち悪くて、痛くて、悔しい。
 誰なのかは分からない。私が男だったら。私に力があれば。こんなふうに、好きなようにされたりはしないのに。
 お母様が亡くなってから今までのことが、めまぐるしく頭の中を過っていく。
 お父様やアラクネアやクラーラに全てを奪われ、皆が寝静まった夜に残飯を漁り、冷たい水を浴びた。
 逃げ出したかったけれど、ミュンデロット家を守れるのは私だけだと信じていた。いつかは何かが変わると薄氷のような希望を抱きながら、必死にしがみついてきた。
 でも、全ては無駄だった。
 第二王子であるメルヴィル様の妻となる私に、狼藉を働こうと思うような愚かな貴族などは存在しない。
 それならばきっと、これは全て最初から仕組まれたことのはずだ。
 祝酒を一杯飲んだだけで気分が悪くなってしまった私が屋敷に帰ること、行き場がないので屋根裏部屋に戻ろうとすること、そこを待ち伏せしていたのだろうこの男。
 私はあっさりと罠に嵌ってしまった。誰の差し金かなんて、考えなくても分かる。
 男の手が私のドレスをたくし上げる。足に触れられて、全身に悪寒が走った。
 お母様が亡くなった時に死んでしまっていたら、どんなに楽だっただろう。
 どうしてお母様は私を連れて行ってくれなかったのだろう。
 涙が溢れて、零れ落ちる。抵抗をやめた私を男は見下ろして、下品な笑みを浮かべた。

「お姉様、お姉様、大丈夫ですか?」

 場違いな愛らしい声が響いたのはそんな時だった。
 扉には鍵はかかっていない。
 あっさり開かれた扉の前にいたのは、雑誌記者を引き連れたクラーラだった。

「きゃああっ、お姉様! なんてことなの……!」

 クラーラが大声で叫ぶ。
 雑誌記者の構えたカメラが、私の写真を何枚も撮る音が聞こえる。
 シャッター音と共に煌く眩しい明かりに目を焼かれた。

「メルヴィル様という方がありながら、ダイス卿と不貞をはたらくなんて……! それも、こんな喜ばしい日に!」

 ダイス卿という名前には聞き覚えがあった。
 お父様と同じぐらいの歳の伯爵で、若い女性が好きで何人も妻を取り替えている方だと、いつかの夜会で噂話を聞いたことがある。
 知り合いなんかじゃない。
 この状況で、合意の上で不貞を働いていたと思うだなんてどうかしている。

「きっとお姉様はダイス卿が披露宴にいらしていたから、我慢できなかったのね! 可哀想なメルヴィル様……、あぁ、私はなんて説明してさしあげれば良いの? 酷いわ、お姉様! 残酷過ぎます!」

 クラーラが大声で騒いでいるのを聞きつけたのだろう、お父様やアラクネア、そしてメルヴィル様が部屋の様子を見にきたようだ。
 私は天井を見上げてぼんやりしていた。
 殴られた頬が痛く、触れられた肌が気持ち悪くて、今すぐ喉を切り裂いて死んでしまいたかった。

「マリスフルーレを部屋へ戻せ。披露宴は終わりだ」

 お父様の厳しい声が聞こえる。
 アラクネアとクラーラは雑誌記者相手に何かを喚き続けている。
 使用人たちに抱え上げられて屋根裏部屋へと戻される私をメルヴィル様は冷たい瞳で睨んで、「娼婦め」と憎しみの籠った声で言った。

 私の部屋へと、私の写真の乗った新聞記事が投げ込まれたのは翌日の事だった。
 ドレスを脱ぐ気にもならず、食事をとる気にもならない私は、部屋に運ばれた時の状態で只管天井を見上げていた。
 自然に息が止まってくれたら良いのにと思う。
 元々この体は、お父様の血が半分流れているから、穢れている。
 知らない男に殴られて打ち捨てられるのは、穢れた私には相応しいのかもしれない。
 ぱしん、と床の方で物音がしたから視線を向けた。
 新聞の一面に大きく映る私の姿。服を乱され、殴られ呆然としている私の写真の横には、大きな文字で『ミュンデロット公爵令嬢の裏切り』と書かれている。
 私はこんな時だけミュンデロット公爵令嬢扱いをされるらしい。
 呆れたし、とても、とても疲れてしまった。
 
 もう終わりにしたい。
 よろよろと私がベッドの上から起き上がったのは、朝の新聞が投げ込まれてから数刻経った昼過ぎ。
 窓の外には明るい陽射しが差し込んでいる。
 冬が終わり、もうすぐ春になる。
 まともな暖もないこの部屋の冬は、外にいるのとあまり変わらない。
 凍死してしまわないようになるだけ夜は起きて動き回り、昼間に眠るようにしていた。
 そんな努力までして、私は生きたかったのかしら。
 何のために? 私がいなくなっても、悲しむ人なんて誰一人いないのに?

「私は……、十分頑張りましたよね、お母様……?」

 窓の外に向かって、私は呟く。
 返事はかえってこなかったけれど、お母様が両手を広げて微笑んでいるような気がした。
 お母様の元へ行こう。
 死者の国は、ここよりもずっと幸せな場所だろう。きっとお母様もお爺様も、もう十分だといって私を迎え入れて下さる筈だ。
 窓を開き、窓の縁に足をかけようとした。長くて白い婚礼用のドレスが纏わりついて、とても邪魔だ。上手く足が動かない。ドレスをたくし上げて、窓辺によじ登ろうともう一度足を延ばす。
 
「マリスフルーレ。入るぞ!」

 お父様の声がして、私は動きを止めた。
 邪魔をされたくない。
 みつかって、窓のない別の部屋に閉じ込められるのは嫌だ。
 ここから落ちるのは、お父様がいなくなってから。一人きりの時の方が良い。

「……起きていたのか。……何をしようとしていた?」

 開け放たれた窓の前にいる私を、お父様が疑わしそうな目で睨む。

「何も。窓の外を、みていました」

「……そうか。そんなことはどうでも良い」

 お父様は首を振る。
 その手には、くしゃくしゃになった手紙のようなものが握りしめられていた。

「先刻、手紙があった。……辺境伯のルカ・ゼスティアからだ。……お前を嫁に欲しいから、こちらの言い値でお前の身を売ってほしいという内容だった。……もうすでに、迎えの馬車が来ている。話し合いはすんだ。支度金は貰ってしまったから、お前はすぐに、辺境伯の元へと迎え」

「……私が、ゼスティア様の元へ?」

「そうだ! 辺境伯はいくらでも構わないと言って、馬車に大量の金貨をつんできている。恥さらしのお前を貰ってくれるというのだから、断る理由もないだろう! さっさと支度をしろ!」

「……そうですか。……それでは、このまま行きましょう。私に持ち物はありません。まともな着替えもありません。……辺境伯はすぐに、私を殺してくださるかもしれませんから、身なりを整えても無駄でしょう」

「好きにしろ。お前はもう娘でもなんでもない。二度と顔をみせるな」

 私はふらふらと、屋根裏部屋を出た。
 お父様はお金に目がくらみ、私を売り払う事をすぐに決めたのだろう。
 何もかもがどうでも良かった。
 辺境の吸血伯と呼ばれる方が、私を殺してくださる夢はもう幾度も見ている。
 やっと夢がかなうのかと思うと、少しだけ安堵した。
 こんな場所で窓から落ちるよりは、吸血伯に落された首から血を啜られたい。ほんの少しで良いから、必要とされたい。
 夢遊病者のように玄関に向かった私を待っていたのは、立派な身なりをした男性と、黒い髪をして侍女の服を着た小柄な女性だった。
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