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ソウルイーター
しおりを挟む頭の中にある辞書のページをめくるように、レイノルドは目を伏せる。
抱きしめられた体から、魔力が伝わってくる。
幼い頃に、体の中を探られた時のように。
けれど今度はもっと激しい。体の中を何本もの手のひらで撫でられているようだった。
苦しくて、泣き出したくなるほどに優しくて、少し、怖い。
「ふ、ぅう……」
「しばらく耐えていろ」
震える体を、逃がさないとでもいうようにきつく抱きしめられる。
「父は、朝目覚めると冷たくなっていた。その体は、枯れ枝のように干からびていた。原因は分からない。病死だろうと判断をした。グルグニル家の嫡男たちは皆、そうやって命を落とす。血の病気だろうと考えていた。男だけが罹患する、血の病」
「あ、あ……」
はくはくと、息をつく。体の中を這い回る何本もの手が、体の深いところに向かっている。
誰の手も届かない、一番奥。
「それはグルグニル家の呪いだと、かつて父は言っていた。だがそんなものはありはしない。命を落とすのだとしたら、それは呪いではなく病気だ」
フラウリーナの体の中を魔力で探りながら、レイノルドは淡々と呟く。
「陛下の言葉を、今、理解することができた。お前の命を糧に、生きながらえたところで何になる? 幸福とは、人生の長さなのか? 命が延びたところで、お前がいないのならば意味などない」
「ね、熱烈過ぎます、わ、レノ様……」
「いつもの調子に戻ったな。お前は、それでいい」
体の奥に閉じ込められていたものを、無造作に掴まれて引きずり出される感覚に、フラウリーナは掠れた声をあげた。
フラウリーナの腹から、黒い塊がずるずると這いずるように抜けていく。
黒い塊を、レイノルドが作り出した指の長い魔力の手が鷲掴みにしている。
その手は、虚空からはえていた。
虚空の手は黒い塊を指が食い込むぐらいに強く掴んでいる。
「っ、あ、あぁ……!」
苦しさに喘ぎ、脂汗が背筋を流れる。引きずり出されているのは、かつてフラウリーナがレイノルドの中に見たおぞましいものだった。
その背は、天井までのびている。
湾曲した長い首についている頭はだらんと垂れ下がっている。
長い髪の間からのぞく虚な瞳は、レイノルドを睨み付けていた。
首から下はどろりととけて、とけた闇からは何本もの手が生えている。
その何本もの手に、赤々と燃える炎が灯る蝋燭を乗せていた。
「人に寄生し、命を喰う。そんなものがグルグニル家の血に紛れていたとは。そして――俺の体から、それを取り除いてくれたのだな、フラウ」
言葉を話すことができない。おぞましいものはフラウリーナの腹と未だに繋がっている。
それはまるで臍帯のようだ。その体から伸びる黒い煙のようなものが、フラウリーナの腹の中へと、そして恐らくは心臓の奥に入り込んでいる。
「ルヴィア、フラウの中から無理やり剥がした。だが、根が深い。お前の力で何とかならないか」
『ならん。妾もそれが何なのかは分からん。お前が外に出したのは、それの表層にしか過ぎん。体の奥に、それがいる。それを消そうとするのなら、フラウリーナも死ぬ。フラウリーナはそれを厭い、お前からそれを自分にうつしたのじゃ』
「なるほど。……では、俺の体に戻せ、ルヴィア」
「だ、駄目、駄目です……!」
力の入らない手で、フラウリーナはレイノルドの腕を掴む。
「わ、私は、あなたのために……」
レイノルドを生かすために、フラウリーナはそれを体に受け入れたのだ。
そんなことをしたら、全てが無意味になってしまう。
フラウリーナが行ってきたことが、全て無意味に。
「お前は――俺に、伝えるだけでよかった。いや、どうかな。お前から言われたところで、くだらないと言って信じなかったかもしれないな、俺は。……こうなったから、この事実と向き合うことができている」
「ルヴィア、駄目です! 私はもう、これで終わりでいいのです……! 私の命はレノ様からあたえていただきました、だから、私にできることをしたいのです!」
「言っただろう。お前を失い長らく生きて、何の意味があると」
「それは私も、同じで……!」
「ならば俺の気持ちも分かるだろう。少なくともあと、十年程度は生きられるのだ。その間に、これが何なのかを調べ、これを、消す方法を考えればいい。ルヴィアにはお前の中から出て行って貰う。ルヴィアがいなくとも、お前には俺がいる」
「レノ様が幸せにならないと、私は……!」
「ききわけのない! フラウ、俺の幸せをお前が決めるな。お前と共に在ることが、俺の幸せだ。病める時も、健やかな時も――というやつだ。思い知れ、フラウ。俺はお前を愛している!」
レイノルドに怒鳴られて、フラウリーナは震えた。
見開いた瞳から、新しい涙がこぼれる。
光の球になった精霊さんたちが、ルヴィアの体の周りを回り始める。
聞き取れないぐらいの小さな囁き声が聞こえる。
それは、フラウリーナの知っている言語ではない。いつも精霊さんたちはぱやぱや言っていたけれど、それに近い、もっと音楽のような音色だった。
『消す必要などないのかもしれなんな。それには敵意がない。害意はない。ただ、人の命を喰わないと生きられない。飢えて、暴食となる。――あぁ、思いだしたぞ!』
ルヴィアは巨大な竜である。
けれど今は、部屋に入りきるぐらいの大きさになっている。
前足でがりっと床を搔き、白く美しい翼を大きく広げた。
『暴食のグエンダルグ。過去、妾を手にしようと争った人間たちが、魔力を練り上げ作った召喚のグリモワールから出てきた最後の魔物じゃ。召喚のグリモワールそのものとも言える』
「召喚のグリモワール……全ての魔物の母と言われている本か。伝説だと思っていたが、本当に存在したのか」
『そいつはソウルイーター。魂を食らうもの。戦争の道具じゃな。妾が隠居を決めた理由の一つじゃ。暴食のグエンダルグを、お主の祖先は体の中に封じたのじゃろう。倒すことはできなかったようじゃな』
「貴重な情報感謝する。これが何か分かれば、消す方法もみつかる筈だ。ルヴィア、俺にうつせ、早く」
『それには及ばん』
ルヴィアと精霊さんたちが輝きはじめる。
清浄な光が部屋を満たし、ルヴィアのいた場所には美しい剣が浮かんだ。
手に取れと言わんばかりに、その剣はレイノルドの前へと差し出される。
『それが何か分かれば、話は早い。お主ならば、妾の力を使えよう』
姿は見えないが、ルヴィアの声が厳かに部屋に響いた。
「切れと、言うのか」
『あぁ。フラウリーナを救い、お主を救う。妾は存外、お主たちが気に入っている。愚かな女の頼みを聞いた日から、妾はフラウリーナが好きなのじゃ。そして、レイノルド。お主もな』
レイノルドは剣を取る。
それを持つ物は覇者となれるという、精霊竜の剣を。
そして――ただそこに佇んでいる、動くことをしない暴食のグエンダルグを斬った。
暴食のグエンダルグは、黒い霧のように揺らめいて、断末魔もあげずに消えていった。
消えた後には床に一冊の本が落ちる。
禍々しい本だ。分厚い表紙には紫色の血管のようなものが浮かび上がり、どくどくと脈打っている。
その中央には目玉がある。目玉はぎょろぎょろと忙しなく動き回っている。
「魔封印」
レイノルドの詠唱と共に、その本の目玉の部分に鍵が刺さる。
カチンと音がして、鍵が回される。
目を潰された本は、鉄の鎖に似たもので雁字搦めとなった。
レイノルドの手から、剣が消える。
そして――不気味な一冊の本、召喚のグリモワールを残して、ルヴィアと精霊さんたちの気配は消えてしまった。
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