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愛の秘薬と不慮の事故 1
しおりを挟むことの発端は、およそ半年程前に遡る。
ルヴィ・メリアドはメリアド家が資産家だということもあって、王立アルヴェル貴族高等学校では一目を置かれる存在だった。十六歳で入学し、一年間はそれなりにまともに学園生活を送っていた。
彼女はいつも華やかな外見をしている執事の青年を両脇に引き連れていたので、とても目立っていたし、歯に衣着せぬ物言いをするために恐れられてもいた。
取り巻きは多くいたが、それと同じぐらい嫌われてもいた。ルヴィは気にしていなかったが、目立てば目立つほどに嫌われるものだ。資産家のルヴィを狙ってその婿の座に収まりたいと思う者がいないわけではなかったが、実際ルヴィと話をすると大抵の男はすぐその野望を諦めた。
そんなルヴィにも友人と呼べる人物が一人だけいた。
出会いは入学式の時。同じ歳の子供たちは、学科によってクラスが分けられる。騎士科と、魔導師科と、普通科の三クラス。騎士になるわけでも、宮廷魔導師になるわけでもないルヴィは普通科で、彼女も同学年の普通科だった。
彼女の名前はライラ・クリシェ。神秘的な青銀の髪に上品な青色の瞳をした、クリシェ公爵家の長女である。
クリシェ公爵家はアルヴェル王家に次いで権力のある家柄だ。その上ライラは王太子であるユリシーズ・アルヴェルの婚約者ということで、ルヴィと同じぐらいに有名人だった。
他人に厳しいルヴィが、唯一文句なく認めた人物。それが、ライラ・クリシェ公爵令嬢。美しく上品にして、定期的に行われる学力テストでは王太子ユリシーズと最上位を争っているぐらいに教養もあり、家柄も申し分ない。「友人になってあげても良いわよ」とルヴィが話しかけたのが最初だった。
かなり不遜な物言いだが、ライラは怒るわけでもなく、笑いながら喜んでそれを受け入れた。立場上、どうしても他の同級生たちから遠巻きにみられてしまっていたのが、寂しいと思っていたからだ。
「……はぁ」
冬季休暇の後、久々に会ったライラとお茶会をしていると、いつもにこやかな彼女にしては珍しく憂鬱そうな溜息をついた。
「どうしたの、ライラ。貿易赤字でも出したの?」
ルヴィが尋ねると、彼女は苦笑した。
お茶会は昼休みや放課後に二人で開いていた。気候が良ければ学園内のテラスを使用するが、冬の間は寒いのでいくつか設けられた休憩室を使用することにしている。
ルヴィは気に入った部屋をいくつか確保し、『ルヴィ・メリアドの部屋』にすることに決めて、ジストの魔道具で勝手に鍵を取り付けていた。もちろん校則違反なので何回か怒られているが、「他にも十分部屋があるのだから良いでしょう。足りないのなら、お父様に言って学園を改修工事しましょうか」と言い返して教師たちを黙らせていた。
メリアド家は王家にもかなりの資金提供をしているので、メリアドのご令嬢を怒らせるなと通達が来ている。まさしく、学園はルヴィの天下である。
ライラははじめの頃は、「良いのかしら……、勝手なことをしたら、いけないのではないかしら」と心配していたが、ルヴィ様の部屋には取り巻きの生徒たちも追ってこないので、気が楽なのだろう。一年過ぎる頃には何も言わなくなった。
「ルヴィ、あなたのお父様ではないのだから、私は貿易赤字で落ち込んだりしませんわ。そもそも貿易はしていませんし」
「そうなの。じゃあなに、飼い犬の教育がうまくいかなくて、苛々しているとか?」
背後に控えるキールをちらりと見た後に、ルヴィは尋ねる。
ルヴィ様の部屋で給仕をするのはジストとキールの役目だ。今日も彼らはルヴィの背後に控えていて、キールが紅茶を注ぎ、ジストがお菓子を準備した。
ライラにも女性の侍女が一人ついているが、基本彼女は何もしない。最初は手伝おうとしたのだが、「うちの飼い犬に任せておいて頂戴」とルヴィが言うので、手を出さないようにしている。
ライラの侍女ではルヴィ好みのお茶を入れることができないので、これは正しい判断と言える。
「全く腹が立つったら。何度言っても、きちんと襟を整えないのよ」
キールの着崩した執事服の事を、ルヴィは咎める。ライラの悩み相談をしているのかと思いきや、突然説教されたキールは苦笑した。何度言われても直さないのは、ルヴィが本当は着崩している方が似合うと思っている事をわかっているからなのだが、それを言ったら尚更怒るので黙っている。
「ルヴィ、私に男性の飼い犬はいませんわ。動物の飼い犬もいませんけど。キールさんはそのままで十分魅力的なのだから、良いのではないかしら」
「飼い犬を甘やかしてはいけないわ。……じゃあなに、ライラ。もう私には何も思いつかないわ」
ルヴィは肩を竦める。
貿易赤字は父の悩みで、己の執事以外の悩みがルヴィには無い。細々した文句はあるけれど、憂鬱になる程悩むような事が他に思い当たらない。
ライラは躊躇するようにすこし黙り込んで、琥珀色の紅茶が注がれたカップに視線を落とす。
それから小さな声で言った。
「……ユリシーズ様の事なのですけど」
「王太子殿下がどうしたの?」
友人であるライラの婚約者なので、ルヴィも何度か話したことがある。
ユリシーズ・アルヴェル。ルヴィたちよりも一学年上なので、今年最終学年に進級する見目麗しい王太子殿下。白銀の髪に薄青の瞳を持った、やや冷たい印象のある青年だ。
とはいえ口を開くと、婚約者のライラに似て穏やかな方である。初対面の時に「ライラに友人ができて嬉しいよ。これからも仲良くしてあげてくれるかな、ルヴィ」と言われた事を覚えている。
流石に王太子殿下の前なのでにこやかに対応したルヴィだが、自室に帰ってからキールに枕を投げつけながら「何がよろしくね、よ。どういう事なのよ。私に命令してるんじゃないわよ!」と怒った。
ジストに「殿下はライラ様の婚約者面をしたのであって、お嬢様に向けた言葉に特に深い意味は無いと思いますよ」と言われた後も暫く怒っていた。
「好きな人がいるみたい」
「はぁぁ?」
品のない相槌をうった後眉を潜めたルヴィは、一度黙る。
「はあぁぁ?」
それから同じ相槌を繰り返した。
「まさか。ないわ。あるわけないじゃない。あの王太子殿下よ。暇さえあれば生徒会の仕事を放り出してライラに会いに来る、殿下よ」
「ユリシーズ様は生徒会の仕事をきちんと行なっておりますわよ、ルヴィ。私に会いに来るのは、公務の打ち合わせとか、学園の行事の相談とか、そういった事務的な事ですわ」
「そうかしら。ともかく、ライラの勘違いよ。勘違いじゃないとしたら、そんな浮気男はさっさと捨てた方が賢明だわ」
ひらひらと手を振ってルヴィは結論を言うと、紅茶に口をつけた。
食事の最中に野菜や肉の味付けに文句を言うことはあっても、キールとジストが準備したお茶と菓子には文句を言わないので、お茶会中のルヴィはいつもよりも物静かだ。
「婚約者というのは、そう簡単には捨てられないものなのですよ」
「あら、どうして? うちのお父様は、ルヴィは誰とでも好きな人と結婚して良いってよく言うわよ。クリシェ公爵家だってお金持ちなんだから、王家に嫁がなくても問題ないんじゃないの?」
「王家はメリアド家からお金を借りる程の散財を過去してしまいましたの。私がユリシーズ様に嫁ぐことで、クリシェ公爵家からの支度金を期待しているのでしょう。それに、第二王妃の息子、ヴァイス様を王にとの声もあります。そんな状況ですからユリシーズ様の後ろ盾として、公爵家との繋がりを盤石にしておきたいのですわ」
「何よそれ。そんなことのために、ライラは王太子殿下と結婚するの?」
甘い花を模した一口大の焼き菓子を口に運びながら、ルヴィは言う。
幼い頃から恋愛も結婚も自由だと言われてきたルヴィにとっては、ライラの言っていることがよくわからない。公爵家はメリアド家程ではないけれどお金持ちなのだから、ライラだって自由に結婚相手を選ぶ権利があるんじゃないかと思う。
「物心ついた時にはユリシーズ様の婚約者でしたから、ユリシーズ様も優しかったですし不満はなかったのですけれど。でも、学園に入ってからすこし様子が変わってしまって」
「そうかしら。私には何にも変わってないように見えるけど」
ルヴィは一生懸命ユリシーズの最近の様子を思い出そうとしたのだが、何も思い出せなかった。
ライラに会いにきたユリシーズと挨拶を交わしたような気もするが、最近の彼の様子など全く興味がないので記憶の片隅にも留めていない。
覚えていないと言うことは、特に大きな変化がないということだろう。
そう結論付ける。
「子爵令嬢のニーナ・デルタさんの事は知っていますか?」
「誰、それ」
自慢ではないが、同級生の名前などライラぐらいしか覚えていない。
あとの者たちのことは、身体的特徴で適当に呼んでいるので名前を知らなくても特に困らない。
例えば「そこの背の低いお前」とか「そこのよく肥えた女」とか「そこの目立たないお前」とか。
当たり前だが、不遜だ。けれど、誰も文句を言わない。ルヴィが怖いからである。
「ほら、この間のテストで一位をとった、私たちと同じ普通科の……、このくらいの金髪で可愛らしい子、ですよ」
ライラは手で首元を示す。
髪の長い女子が多い貴族社会で、首元までの長さしかないのは珍しい。
そういえば、そんな子がいたかもしれない。そういえば、テストで一位を取って先生に褒められて、ちやほやされていたかもしれない。
「あぁ、あの……、なんというか、猫被り」
「ニーナさんは猫は被っていませんわよ?」
「猫撫で声で話すから猫被りよ。子爵令嬢の癖に、目立つなんて生意気だとは思っていたわ」
たいして高くもない爵位の割に、私より目立って気に食わないと言いながら、自分の中の上ぐらいの結果のテストを破いたのは最近の話だ。
ちょっと頭が良いぐらいで、偉そうにしているのが気に入らない。あの猫被りには確か取り巻きの男たちも何人かいた筈だ。
もちろんジストとキールの方が見た目も中身も上だけれど、人数はニーナの方が多い。
それもまた、気に入らない。
「ニーナさんは優秀ですから、年末から生徒会のお手伝いをはじめましたの。……ユリシーズ様が、声をかけましたのよ」
「はぁぁぁ?」
本日何度目かの品のない相槌を打って、ルヴィは盛大に眉を潜めた。
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