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月帝神宮の怪 2
しおりを挟む私は由良様の着物を掴んだ。
一体どうなっているのかは、よくわからない。
由奈さんは、助けることができなかった。
けれど、ここにいる女性たちは、月帝神宮で働いている方々だろう。
元々はただの人だ。悪いものに憑かれて、こうなってしまっただけの――。
「由良様! 皆様を助けることはできないのですか……!?」
「……これは、魍魎か。違うな」
「魍魎ではないのですか?」
「あぁ。餓鬼だ」
女性たちの額には、瘤のようなものがある。
それは、角だった。二本の角が、はえている。
「餓鬼は、飢えた鬼。ただ喰らうために生きている。魍魎よりも知能が低い。人に憑くことは確かにあるが……七鬼様は餓鬼を嫌う。こんなところに入り込ませるなど、ありえない」
「この方たちは、やはりただの人だったのですね」
「あぁ。月帝神宮や鎮守府で働く者たちだ。巫女服の者たちは、月帝様の女官たちだろう」
倒れている男性たちから興味を失ったように、巫女服の女性たちがゆらゆらと立ち上がった。
人の動きではない。
ある者は足を引きずるように、ある者は腰を折り曲げるように、不格好な姿で進んでくる。
「……霊体はいない。喰われたものは、まだいない。彼らは餓鬼に憑かれたばかりだ」
「助けられるのですか?」
「あぁ。魍魎に憑かれた少女は手遅れだった。だが、この者たちはまだ、救える」
女性たちは、体をくの字に折り曲げた。
四つ這いになり、まるで野生の獣のように走り始める。
そして、およそ人とは思えない跳躍力で飛び上がった。
私に、向かってくる――。
食欲にらんらんとぎらつく目は血走っており、口の端からは涎が流れている。
元々はとても美しい女性たちだったように見えるのに、今はすっかり正体を失いおそろしい何かに成り果ててしまっている。
怪異は人の尊厳さえ奪う。
怪異は人として生きてきた者たちの暮らしも、想いも、何もかもを奪う。
僅かな、怒りを感じる。
魍魎は、人が食事をとるように、自分たちも食事をしているだけだと言っていた。
私は確かにお肉を食べる。魚も食べる。
怪異の言っていたことは、正しいのかもしれない。
けれど、こんな光景はやはり、見ていられない……!
「――餓鬼無勢が、俺に歯向かうとは。甘く、みられたものだ」
由良様らしくない乱暴な口調で、由良様が呟く。
その足元から紫色の炎が四方八方に広がっていく。
熱くはない。あたたかな優しさを感じる。由良様に抱きしめられた時のような、胸が震えるような優しさだ。
「失せるがいい」
女性たちの体を炎が包み込む。
炎に巻かれて、女性たちは体を折り曲げ、揺さぶりながら呻き声をあげた。
ぎいぎい、ぎいぎいい。
およそ人の声とは思えない、金属を引っ掻くような、鳥肌が立つような声である。
女性たちの体から、ぬるりと何かが出てくる。
卵の殻を突き破る雛のように。小さな、緑色の鬼たちが出てくる。
三歳児ぐらいの大きさで、腹が膨れて、角がある。餓鬼は、悲し気な声でぎいいと泣いた。
女性たちの体にぽっかりと開いた穴が、塞がっていく。
その額からは角が消えて、皆、疲れ果てたように目を閉じている。
由良様は両手をぐいっと、捻るようにして動かした。
何かをねじ切るような仕草だった。
途端、小さな鬼たちの体に炎が蛇のように纏わりついて、その体をねじり上げて、それから霧散させた。
餓鬼たちは、散り散りになって消えていく。魂が、空に還るように。
その様子を呆然と眺めて、怪異とは何だろうかと考えていた私は我に返ると、倒れた女性たちに駆け寄った。
女性の一人を助け落とすと、薄く目を開く。
「……あなたは」
「玉藻家の者です。ご無事ですか……!?」
「は、早く、早く、月帝様の元へ……七鬼様がご乱心をなさいました……月帝様は、七鬼様を討伐に、鎮守府に向かわれました」
「七鬼様が?」
由良様が訝し気に尋ねる。まさか、そんなわけがないと、その声音には言外に含まれていた。
女性は青ざめた顔で、震える唇を開く。
「七鬼様が、餓鬼を放ちました。我らを、喰い合わせるために」
「何故そんなことを」
「分かりません。ですが……あの男は悪鬼。本性を、現したのです」
そこまで言うと、女性は身じろいだ。
私の腕の中から這いずるようにして抜け出して、何とか体を起き上がらせる。
「怪我人は、私たちが……だから、どうか、月帝様を……!」
「月帝様、七鬼……七鬼様の元には、真白が」
「由良様の、お兄様が?」
「あぁ。真白が、外に出たのか……? 薫子。どうか、戻れ。ここは危険だ」
「嫌です。私も一緒にいます!」
真白さんは、由良様の顔に大きな怪我を負わせたぐらいに強い力を持つ――悪鬼だ。
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由良様は、私の大切な人。
私のことを、大切にしてくれた。私を、傍に置いてくれた。
私を、娶ってくれた。――優しく、愛してくれた。
由良様の元にきて、私にははじめて家族ができた。呼吸が楽にできる場所ができた。
笑うことのできる場所が、できた。
失いたくない。私には、力がある。由良様を守るためなら、怖いことなどなにもない。
「――薫子。分かった。俺の傍を離れるな」
「はい。離れません」
由良様が力強く頷いた。
由良様の背中を追いかけて、私は着物の裾を持ち上げて、息を切らせながら。
鎮守府に向かい、走った。
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