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人喰い

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 それは、三つ編みをした女学生と職業婦人のような恰好をした若い女性だった。
 青くぼんやりと光るような姿をしている。その体は半透明で、背後のブロック塀が透けて見えた。

「あなたたちは……」
「薫子?」

 私が一歩足を進めると、由良様に名前を呼ばれる。
 どうやら、彼女たちに気づいているのは私だけのようだった。

 彼女たちの姿が見えているのは、私だけなのかもしれない。

『殺された』
『食べられた』
『怖い』
『助けて。どうか。あいつを、捕まえて』

 頭の中に、声が響くようだった。遠くに響く風の音のようにか細く、囁くような声だった。
 私はその声を聞きもらさないようにと、耳を澄ませる。
 ――あいつを、捕まえて?

 女性たちの手がすっと伸びる。
 長く青白い指先が、私を通り越して誰かを指さしている。

 その指先の示す先を追いかけるように視線を巡らせると、そこには――それぞれの仕事をしている警邏官たちの姿がある。

 その中で、一人の警邏官が私たちの様子を伺っていた。
 それは先程、私たちを見かけて声をかけて、五頭さんを連れてきてくれた、若い警邏官だった。

 その瞳は、暗闇から獲物を見定める猛禽類のような目だった。
 私を、見ている。口元から涎を垂らして、私を。

『食べたい』
『あぁ、巫女だ。食べたい』
『でも、我慢しなくては。昨日二人食べたばかりだ。我慢しなくては』

 その男と目が合った途端に、全身を舐られるようなぞわりとした嫌悪感が背筋を這いあがる。
 世界が暗転して、男と二人きりになったような気がした。

 男の声が、その暗闇の中で響き続ける。果てのない飢えで、その心はいっぱいだった。
 ただ、食べたいと訴え続けている。

「薫子。大丈夫か?」
「……由良様。あの人。あの人は、人を……!」

 由良様の声に引き戻されて、私はその腕を強く掴んだ。 

「どうしたんだ、嫁さんは。あいつは、瀬尾という名で、俺の部下だが」

 五頭さんが煙草を携帯灰皿に押し付けて、不審そうな瞳を私に向ける。
 ハチさんが腰にある何かを手にしながら、一歩前に踏み出した。
 
「う、あ、あああっ」

 その時――警邏官の方々から、悲鳴があがった。
 瀬尾という男性を囲むように、人だかりが割れていく。囲んでいるわけではなくて、逃げようとしているのだろう。
 逃げようとしたのに、逃げられない。

 瀬尾の足元から、いくつもの瘤がある黒々とした木の根のようなものがのびている。
 その根のそこここに、ぎょろりとした目があり、牙のはえた口がある。
 それは木の根のようでもあり、霧のようでもある。
 
 足元から周囲に広がる巨大な化け物をはやした瀬尾は、化け物に支配されている哀れな傀儡のようにも見えた。

「ハチ、人命救助を」
「心得ました」
「瀬尾!? 何なんだ、これは……!」

 木の根が、周囲の人々に巻き付いている。
 その根の先端がぱくりと大きく開いた。そこにあったのは、涎を滴らせる巨大な口だった。
 赤々とぬめる舌、不格好に並んだ牙。
 口の奥は、どこまでも続く洞窟のような、肉感のある喉がある。

「動くな! どうして知られたのかは分からないが、こうなったら仕方ない。動くとここにいる連中を皆食っちまうからな!」

 目を血走らせて、口から泡を飛ばしながら、瀬尾は怒鳴った。
 およそ人の形相とは思えなかった。醜く歪んだ、人を嘲るような表情は――人ではないもののそれだ。

 悲し気に、しくしくと、青白い女性たちが泣いている。

「瀬尾、どうしちまったんだ! 一体、どうして……!」
「魍魎に憑かれた。あれは、人に憑き、人を人喰いに変えるものだ。それにしても、ずいぶん育っている。いったい何人食ったやら」
「五頭さん。ああなれば、もう人には戻れない。魍魎と人との分離は不可能です。消去するしかない」
「そんな。あいつには妹がいるんだ。親は早くに死んで、一人で妹の面倒を見ている。まだ、女学生だと言っていた。助けてやれねぇのか!?」

 冷静な声音でハチさんに言われて、五頭さんは振り絞るような声音で言った。
 まだ、女学生――。
 被害者の一人も、女学生だった。
 まさかと思っていると、空気を震わせるようなおそろし気な笑い声が響く。

「ふふ、はは……っ、その妹は、こんな姿をしていただろう?」

 瀬尾の体がぐにゃりと歪む。
 骨格が縮み、髪が伸びる。警邏官の服装が、だぼっと余る。
 そこにいたのは、若い女性だった。瀬尾に、顔立ちが少し似ている。

「あはは……同情してくれてありがとう! お兄ちゃんは、食べた。だって、可哀想だったから。私が人喰いだと知った時、泣きながら、他の人間を食べないでくれ、食べるなら自分を食べろと言ったから!」

「なるほど。瀬尾は擬態。人食いは、妹。……五頭さん、手遅れです。魍魎に支配されていても、人格はある。記憶もある。人を恨み、人を憎み、殺したいと願う心が魍魎を呼ぶのです。あの子の心は、もうこちら側にはいない」
「そんな……クソ……!」
「人を食いすぎて、獣になったな。逃げて隠れることさえしなくなる。己の欲と感情が、人としての理性までを喰らった――あれが、人喰いだ」

 激高する五頭さんに比べて、ハチさんと由良様は落ち着いていた。
 このような光景を、何度も見てきたというようだった。

 ずきりと心が痛んだ。
 こんな悲しいこと――慣れてしまうのはいけないのだ。
 きっと、あの子にも理由があった。

 魍魎という化け物に憑かれさえしなければ、お兄さんと二人でありふれた日常を送っていたはずだ。



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