14 / 46
私の好きなもの
しおりを挟む目覚めた時、すでにあたりは明るかった。
いつもは、朝日が昇る前にはきちんと起きられるのに。
朝の支度を急ぐと、お皿を割ったりバケツを倒したりと、粗相をしてしまうことが多い。
私はあまり、器用じゃないから、焦れば焦るほどに失敗をしてしまう。
だから、できるだけ早く起きる習慣がついていた。
こんなに眠ってしまったのは、いつぶりだろう。
朝食の支度も、昨日の汚れ物のお洗濯も、何もできてない。
このままではお父様に叱られる。お母様に叩かれる。
咲子さんは、女学校に遅刻すると言って、泣いてしまうかもしれない。
焦って起きあがろうとした私の体を、誰かが引き留めた。
腕のなかに抱き込まれると、私の視界を黄金が埋め尽くした。
美しい金色の髪。
そうだった、私は、昨日──。
「おはよう、薫子。どうしたんだ?」
昨日の由良様は、長い金の髪に、狐の耳と九本の尻尾がはえていた。
けれど今日は、金の髪は短くなって、耳と尻尾は消えている。
顔の傷は昨日と同じように綺麗に塞がっていた。
「由良様……起こしてしまって、申し訳ありません」
「いや。もう、起きていた。起きて、眠る君を見ていた」
「え……あっ、は、はい……寝坊をしてしまいました、私、すみま──」
言葉を最後まで伝えることはできなかった。
由良様の唇が私のそれを塞いで、頬や目尻にも丁寧に触れる。
それから少し照れたように、はにかんだ。
「薫子、謝ることはない。早起きする必要はないし、いつ起きてもいいんだ。……昨日は大変だっただろうから、今日は寝ていなさい」
「由良様……ですが」
「君は働き者だったのだろうね。けれど、この家ではそれは必要ない。シロとクロの仕事を奪うことになる」
「……はい、でも、なんだか落ち着きません」
「長年の習慣は、なかなか変わらないとは思う。焦らず、慣れていってくれ」
「はい、ありがとうございます」
由良様は肘を曲げて頬杖をつくようにして、横を向いて少し起き上がると、私の顔にかかった髪を指で払った。
昨日は降っていた雨は、もう止んでいる。
白くぼやけた朝の光の中で、由良様の金色の髪がお日様のように輝いていた。
「このまま起きるのは、名残惜しいな。もう少し、薫子とここにいたい」
「はい……」
形を確かめるように耳に触れられ、首筋を辿り、ふにふにと唇に触れる。
慣れないことで恥ずかしく、私はわずかに眉を寄せた。
「君の、瞳にはやはり、桜の紋様がある。……俺の顔は、治っているだろうか」
「はい、由良様。昨日と同じ、傷は残っていません」
「改めてありがとう、薫子。俺の元に来てくれて、ありがとう。俺は、家族を失ってしまったけれど……君と二人で、穏やかな家庭を築けたらいいなと思っている」
「ありがとうございます。……私も、由良様の元に、くることができてよかったです。……こんなに幸せな気持ちになったのは、はじめてです」
「そうか。嬉しいよ。……君の話を、聞きたい。薫子、君は今まで何を感じて、何を考えて生きてきた?」
由良様に尋ねられて、私は言い淀んだ。
話せることなんて、ほんの少ししかない。
「……私は、何も。話せるようなことは、何もないのです。家事をして、怒られて、ただそれだけの毎日でした。毎日を過ごすのに、精一杯で」
「……苦しいことばかりだっただろうか。楽しいことは何もなかった?」
「いえ、何一つ、ということはありませんでした。庭を眺めるのは好きでした。夏になるとたくさん、草が生えて、冬になると草が枯れて。冬の終わりに蕗のとうを摘んで、梅の実を摘んで、梅干しを作るんです。梅干しは、家の方々はあまり、食べてくれませんでしたから、買い物に行った先のお婆様に差し上げたり、していました」
「君は、料理が得意なのか」
「得意というわけではありませんけれど、おいしくないものを作ると、叱られましたので……努力は、していたかと思います」
「家族を恨んでいる?」
「そんなことはありません。育てていただきましたから、恩を感じています。私が至らないことが多いから、叱られてしまっただけで……不自由は、なかったのですよ。屋根のある場所で眠れるだけで、私は幸せでした。そうではない方も、多いでしょうから」
「薫子。君は、季節の移ろいが好きで、花が好きで、生まれてくる生命を愛しく思える人だ。俺は、それを好ましく思う」
「そんな、大それたことではなくて……私、いつも一人でしたから、裏庭に来てくれるスズメや、雨蛙には慰められました。そうですね、思い出すと、やっぱり辛いばかりの日々ではありませんでした。叱られた時だけ、少し辛いと思いました」
「……薫子」
由良様は、少し苦しそうに眉を寄せて、私をもう一度抱きしめた。
「君がここにいてくれて、俺は嬉しく思う。……俺は君を離さないから、君も、俺のそばを離れないようにしてくれ」
「は、はい……ありがとうございます、由良様」
こんなに自分のことを話したのは、はじめてだ。
言葉にすると、曖昧だったものがくっきりと形を持ってくる気がする。
私は、季節の移ろいを追うのが好きで、晴れの日も、雨の日も、梅雨の日も好きだった。
スズメや雨蛙が好きで、金魚売のかたが背負う桶に入っている金魚を見るのが好きだった。
上手に梅ぼしがつけられると、褒めてくれる市場のおばあちゃんが好きだった。
そして、私は──優しい由良様が好き。
ソーダ味という、少し変わった味のするお菓子が好き。
私には、好きなものがたくさんある。
それはとても、嬉しいことのような気がした。
133
お気に入りに追加
412
あなたにおすすめの小説
キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話
水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。
相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。
義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。
陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。
しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
外では氷の騎士なんて呼ばれてる旦那様に今日も溺愛されてます
刻芦葉
恋愛
王国に仕える近衛騎士ユリウスは一切笑顔を見せないことから氷の騎士と呼ばれていた。ただそんな氷の騎士様だけど私の前だけは優しい笑顔を見せてくれる。今日も私は不器用だけど格好いい旦那様に溺愛されています。
「君を愛さない」と言った公爵が好きなのは騎士団長らしいのですが、それは男装した私です。何故気づかない。
束原ミヤコ
恋愛
伯爵令嬢エニードは両親から告げられる。
クラウス公爵が結婚相手を探している、すでに申し込み済みだと。
二十歳になるまで結婚など考えていなかったエニードは、両親の希望でクラウス公爵に嫁ぐことになる。
けれど、クラウスは言う。「君を愛することはできない」と。
何故ならば、クラウスは騎士団長セツカに惚れているのだという。
クラウスが男性だと信じ込んでいる騎士団長セツカとは、エニードのことである。
確かに邪魔だから胸は潰して軍服を着ているが、顔も声も同じだというのに、何故気づかない――。
でも、男だと思って道ならぬ恋に身を焦がしているクラウスが、可哀想だからとても言えない。
とりあえず気づくのを待とう。うん。それがいい。
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
ちょっと不運な私を助けてくれた騎士様が溺愛してきます
五珠 izumi
恋愛
城の下働きとして働いていた私。
ある日、開かれた姫様達のお見合いパーティー会場に何故か魔獣が現れて、運悪く通りかかった私は切られてしまった。
ああ、死んだな、そう思った私の目に見えるのは、私を助けようと手を伸ばす銀髪の美少年だった。
竜獣人の美少年に溺愛されるちょっと不運な女の子のお話。
*魔獣、獣人、魔法など、何でもありの世界です。
*お気に入り登録、しおり等、ありがとうございます。
*本編は完結しています。
番外編は不定期になります。
次話を投稿する迄、完結設定にさせていただきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる