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想定外の襲撃
しおりを挟むふと、ざわりと不吉な風が頬を撫でた気がして、エニードは空を見あげた。
先程まで晴れていた空に、分厚い雲がかかっている。
強い風がふきはじめて、公爵家の庭の木々をざわざわと揺らした。
鳥たちが危険を察知してか一斉に飛び立ち、一塊になってどこかに向かって消えていく。
庭に用意したテーブルのクロスが風になびき、皿やグラスが飛びそうになるのを使用人たちがきびきびと素早く動き回り片付け始める。
「──嵐が来そうだな。この季節に珍しい。エニード、中に入ろうか」
「嵐……」
エニードはまばたきをせずじっと、空を睨むように見つめた。
嵐にしては、何かがおかしい。
気温が一気にさがったような肌寒さだ。黒々とした雲には、稲光が走る。
ビュオオオ──と、強い風がエニードの髪やドレスを靡かせる。
「エニード、皆、屋敷の中に」
「クラウス様。嵐では、ないかもしれません」
「嵐ではない?」
「……っ、エニード様、クラウス様、これは」
キースが青ざめた顔で呟いた。
キースは理解しているのだろう。彼の家は、魔物の襲撃にあって、家族は皆亡くなったのだという。
魔物が民家を襲うことはあまりない。狼などと同じで農場を襲うことはあるが、民家を襲っても得るものがないからだ。
魔物たちは自分たちの縄張りで暮らしている。その点は動物とあまり変わらず、人が近づいていくと攻撃する。
たまに大量発生して近隣の住民たちを困らせるために、エニードたち騎士団は討伐に向かうのである。
つまり、街や民家に現れる魔物というのは、大概の場合は魔物使いが関与している。
魔物を使役し金品を奪う。金品を奪うだけならいいが、建物を破壊し命も奪う。
そういった凶悪な魔物使いがいるせいで、人の役に立つ仕事をしている魔物使いを見る目も厳しいものになってしまう。
魔物使いとは、どれもこれも悪質な犯罪者ばかり。魔物使いの使役する魔物は人を襲うのだと。
そんなことはない。人間には良いものと悪いものがいる。悪いものも良いものになる場合があるし、その逆もある。
一部が悪だからと全てを悪だと断じるのは少々横暴だ。
だが、キースの家を襲った魔物がいるのもまた事実である。その犯人は捕まっていないのだという。
キースは、その時の恐怖を思い出しているようだった。
「嵐では、ないのか……?」
風に飛ばされそうになっているマリエットとレミニアを、マリエットの従者たちが支えている。
クラウスはエニードとキースを庇うように一歩前に出て、厳しい顔で空を睨む。
そこには──鳥よりもずっと大きい巨体の、氷に包まれているような白い竜の姿がある。
白い竜は、空を蓋のように覆っている。
ひろげた翼を羽ばたかせるたびに、体にあたると痛いぐらいの突風が沸き起こった。
「あれは、アイスドラゴン……!」
曰く、その者は氷を纏い氷山に密やかに住んでいる。
ゆめゆめ、近づいてはならぬ。氷の吐息は骨の髄まで凍り付かせる。氷の刃は、簡単に四肢を切り裂く。
村の一つ、街の一つをその一頭は軽々と壊滅させるという。
エニードは、レッドドラゴンを討伐した。それは炎を吐く赤い竜である。
アイスドラゴンは、氷を纏った白い竜。
話しには聞いたことがあるが、見るのは、これがはじめてだ。
魔物の中でも竜種というのは滅多に人里に姿を見せない。レッドドラゴンの討伐は、山道にレッドドラゴンが住み着いてしまったという報告を受けたからだった。
それもとても珍しいことだが、アイスドラゴンが街に姿を見せるとは──。
「キース、皆を頼む。屋敷の中に避難させろ。兵たちは私と共に来い、討伐に向かう!」
クラウスの判断は早かった。ルトガリアの街の上空に現れたアイスドラゴンを討伐するために、兵を率いて向かおうとする。
エニードはその腕を掴んだ。
「エニード、案ずるな。街の者たちを守らなくてはいけない。必ず、戻る」
「クラウス様」
アイスドラゴンと戦ったことなどないだろうに、怖がりもせずにすぐさま討伐に向かおうとするクラウスに、エニードは感銘を受けた。
彼は立派な領主である。領民たちの命を守る覚悟ができている。
兵士たちに討伐を任せずに、自ら先陣を切ろうとする姿は、勇ましく、とても立派なものだ。
「──クラウス、マリエット、そこはルトガリア公爵の家だ。街を氷漬けにされたくなければ、即刻退去しろ。ルトガリア公爵の正当なる後継者は、ラウドの子である俺だ!」
声が響く方をみあげると、アイスドラゴンよりも小さな竜が二頭いる。
その上で声を張り上げているのは、クラウスにどことなく似ている若い男だ。
「ディアブロ、街の者たちに手を出すな。跡継ぎの問題は、父と私の間の話だ。街の者たちは関係ない!」
「ディアブロ?」
「ラウド様の長男です」
訝し気に名前を呼んだエニードに、キースが耳打ちしてくる。
今日はどんな日なのだろう。
クラウスの親戚一同が大集合する──クラウスにとってはまったくめでたくない日であるようだった。
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