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第10章 僕とボクの行き違い

第66話 ミレーヌの涙

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 第66話 ミレーヌの涙。
 
 喫茶店で僕はティカというコーヒーに似た飲み物を、ミレーヌは香草茶を注文する。
 注文が終わったあと僕達はお互い気まずい空気に包まれた。
 朝一緒に目覚めて宿を出た時、僕とミレーヌの心は恋人とのデートで喜びに溢れていたはずだ。
 でも今はこんな重苦しい雰囲気になっている。
 
 原因は僕だ。
 僕が勝手に商船の護衛の任務を引き受けようとしたからだ。
 マリアさんが危険だと忠告してくれた依頼をミレーヌと相談しないまま受けようとした。
 ミレーヌが怒るのも当然だろう。
 
 「ごめんねミレーヌ。怒ってる?」
 
 そう言って僕はミレーヌの顔色を窺った。ミレーヌは明らかに不満そうな顔をしている。
 いつも僕の為に笑ってくれた顔が険しい。
 香草茶の入ったカップを静かにテーブルの上に置いてミレーヌはため息をついて話し出す。
 
 「悔しいけどマリアさんの言うとおりだね。ボクちゃんと不満は言う事にするよ。ボクはさっきの依頼を受けるのは反対だよ。海の上は危険が大きすぎるし報酬が高額って事はクエスト要項に記載していない事も発生する可能性があるって事だよ。つまり相手が海賊とかだけじゃなくてマーマンとかクラーケンみたいな海の怪物レベルの場合もあるって事だよ」
 
 マーマンとは半魚人と呼ばれる上半身が魚で下半身が人間という怪物だ。
 人間に友好的な種族もいるが敵対的な事が多く集団で襲ってきて船を沈める事がある。
 上半身が人間で下半身が魚の人魚が友好的なのは知能や風習が人間と似ているからと言われている。
 人魚のほうは溺れた人間を助けてくれたり海藻の養殖や漁業を行い、人間の持つ酒や肉と物々交換するなど交易をおこなう事もある。
 
 クラーケンとは巨大イカで巨大なものだと体長60mくらいになる。
 強力な腕力で船を引き裂く事もあり獰猛で食欲旺盛だ。
 水中でこの化け物と戦って勝てる者なんていないだろう。
 まさに海の王と言っていい。
 
 「そんなの覚悟の上だよ!!それでも僕はこんな悲惨な犠牲者が出たのを見過ごせない!!それが悪い事なの!?」
 
 落ち着け、落ち着け僕。
 僕が今話しているのは愛しい恋人で敵じゃない。
 でも言葉が敵対的になってしまうのが抑えられない。
 だって困ってる人を助けるのは当たり前じゃないか。
 
 「契約っていうのは双方が納得した上で結ぶものなんだよ!!ボク達冒険者の場合は特にそう!!今回の相手と戦うのは海の上だよ、逃げ場がない場所で襲われたらどうするんだよ!!ボク、ユキナを失いたくなんかないよ!!」
 
 そう言ってミレーヌは喫茶店のテーブルをバンって叩いて立ち上がった。
 周りにいたお客さんがミレーヌの様子に驚く。
 ミレーヌも自分の行動に気まずくなったのか椅子に座りなおした。
 ミレーヌの表情が曇り俯く。
 手がぎゅって握られて感情を我慢しているのがわかる。
 
 「ボクはユキナの恋人だよ?どうして相談もしないで勝手に決めようとしたの?」
 
 そう問い詰められて僕は素直に答える。
 
 「僕は早く強くなりたい。僕が強くなったらこの間オーガに襲われた村の人もゴブリンに攫われた子供も一人でも多く助けれるって思った。それに大魔導士ベスパルみたいな闇の勢力がいる事もわかった。だからもっと強くなりたいんだ。それは悪い事かな?」
 
 「そうだね、ユキナの言う通りだよ。ユキナは悪くないよ。でもね、もしボクが一緒に行きたくないって言ったらどうするつもりだったの?ボクの意見も聞かずに決めたらボクがどう思うか考えた?」
 
 「だって君は」
 
 勇者じゃないか。
 そう言おうとして口をつぐんだ。
 勇者だから全てを背負わせるなんて間違えてる。
 ミレーヌが無条件で人々に奉仕するなんて間違えてる。
 
 「君は何?言ってよユキナ。ボクが何だっていうのさ」

 ミレーヌも僕が何を言おうとしたのか気が付いた。
 その目は僕だけはミレーヌを特別扱いしないって信じてたのにって訴えている。
 瞳に涙を浮かべて耐えているミレーヌに僕は答えられない。
 僕はミレーヌの心を傷つけてしまった。
 
 「ボクは勇者失格だよ。勇気なんて無いよ、ユキナと引き換えに世界を救うなんて出来ないよ。ボクは強くなんてないよ。ユキナがいない世界で生きていけるほど強くない」
 
 そう言いながらミレーヌは肩を震わせて泣き出す。
 そんなミレーヌを見て僕は自分がどれだけ愚かだったか思い知った。
 
 「ごめんねミレーヌ。でも僕は誰かの為に戦いたいんだ。誰かの為に生きていきたいんだよ」
 
 「勝手だよ。そんなの勝手すぎるよ。その誰かの中にボクは入らないの?ボクは、ボクは。他の人なんてどうでもいい。他の人がどんな目にあってもボクはユキナがボクの隣にいてくれればそれでいい。ボクこんな醜い女になっちゃったよ、ユキナと出会う前はこんな気持ち持たなかった。ユキナがボクの隣で笑っていてくれたらそれだけでいい。ボクは他に何もいらない。……何もいらないんだよ」
 
 そう言ってミレーヌはテーブルに泣き崩れた。
 僕はそんなミレーヌの姿を見て胸が締め付けられるような気持ちになった。
 ミレーヌは勇者じゃない、勇者なんて名前で勝手に自分の意思を縛らないで欲しいと言っている。
 世界より僕が大切だと言ってくれている。
 
 「ミレーヌは醜くなんてないよ。僕はそんなミレーヌが好きだよ。ミレーヌが僕を愛してくれるように僕もミレーヌを愛しているよ。だから泣かないで」
 
 僕は立ち上がってミレーヌの身体を背中から抱きしめた。
 ミレーヌが震える手で僕の手をぎゅって握った。
 勇者に覚醒したミレーヌが今の一言を言うのがどれだけ辛かったのだろう。
 ミレーヌを勇者なんて名前で縛ろうとしてしまった僕は恋人失格かもしれない。
 
 「わかった。僕が間違っていたよ。この依頼を受けるのは止める。もっと安全な依頼を引き受けて一緒に少しずつ強くなろう」
 
 「本当に?」
 
 「本当に」
 
 「こんなボクを軽蔑したりしない?」
 
 「ミレーヌを軽蔑なんてしたりするもんか」
 
 そうだ何も急いで強くなる必要は無いんだ。
 ミレーヌと一緒に少しずつ強くなっていけばいいんだ。
 僕は最愛の恋人を悲しませた事を心の底から後悔した。
 
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