夏の夜に見た夢

春廼舎 明

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9.ルーツ

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 突然わかったことにドキドキしながら、旦那様を眺める。
 相変わらず、書類仕事と取っ組み合っている。無理もない。先日まで仕事そっちのけで、自分に付き添ってくれていたのだから。だから、邪魔をしないよう、せめて、ただ静かに顔を眺めるくらい、いいよね。

「あっれ~、ゲン、久しぶりじゃん。」

 柔らかな空気をぶち破るように、男が一人、テーブルにやって来た。
 ちらりと男を見る。
 『軍曹』とは違うけど、似ている、『嫌なヤツ』。
 こみ上げる不快感。そっと旦那様の腕を引く。

「なんだ、お前。イカロスだっけ? イケヤだっけ? なんか用か?」

 仏頂面で、男に視線を向ける。
 旦那様の書類仕事が邪魔をされ、自分も腹立たしい。
 旦那様に話しかけるなら、そっちに座ればいいのに自分を挟んだカルロの座っていた椅子に座る。さらに苛立ちが募る。

「この子、例の新入り? 紹介してくれねえの?」
「必要ない」

 言葉とともに、どさりと買って来たものをテーブルに落とすエスメラルダ。

「ええ~、だって噂になってたよ。黒ずくめの装束で、ちっこい凄腕がいるって。その中身、この子じゃないの?」
「お前みたいのがいるから、正体隠すんだよ。」
「あんた、悪いけど出てってくれない? これからメンバーでパーティーなんだよ。」
「そうそう、そこ、僕の席。」

 カルロが、テーブルにそっとホカホカと湯気の立ったパックを置く。キラキラと日に透ける髪は金色で、すらりと長い手足は威圧感を与えずに男との間に割り込んでくれる。

「ちょっと、なんで俺だけ汁ものばっかなんだよ。」
「そりゃ、お前がスープ麺を食べたがるからだろ。」
「エスメラルダに行かせた方が良かったか? 多分ただの混ぜ麺になるぜ?」
「いや、多分じゃない。間違いない。」
「なんだって!?」

 マリオがプルプルしながらトレーに丼と人数分のカップ乗せてそろそろとやってくる。

「……お前ら、……!」
「なに、この人?」

 マリオがカップを配りながら怪訝な顔をする。

「あら、まだいたのあんた。これからチームの解散打ち上げパーティーなんだから、部外者は出てってくれない?」
「え! 解散するの!?」
「なんで、マリオが驚くんだよ。」
「だって、カルロ、知ってた?」
「知ってたも何も、さっき聞いたろ? 子供ができたんなら、しばらくは蒼月ちゃんは無理だろ。チーム組まなきゃなんないのは、危険な任務が多いんだ。でなきゃ日数のかかる隊商の護衛とか。無理だろ?」
「玄さんだって、妻子放って任務なんか出たくないさ。だから、このメンバーが揃って仕事すんのはもう当分ないのさ。」
「有名パーティーの解散!? っていうか、誰に誰の子ができたって?」
「うるさいよ、お前。」

 エスメラルダが男の腕を捻り上げ、テーブルの外に蹴り出した。

「いや、俺がっていうより、蒼月がな。」
「?」
「危険な任務なら、むしろ自分が行くってきかない。」

 額の生え際に指を入れ、ワシワシと掻きながらため息をついて旦那様がこちらを見る。威厳を保とうと厳しい表情なのに、目の光は優しい。
 マリオが丸い目をしてこちらを見る。

「で、蒼月が無茶しないようにするには、俺がそういう任務を受けないようにするしかない。」
「愛されてるねー」
「本当だねー」

 エスメラルダとカルロが生ぬるい視線を投げる。

「そもそも、俺たちはチームっていうわけじゃない。ソロでやっている奴が頭数要る任務こなすのに、気の合うやつ誘ったらこのメンバーってことが多かったってだけだ。」
「そうなんですか?」
「実際、組合にはパーティーとして登録はないはずだよ。」
「だから、別にこれからも組みたければお前ら3人で組めばいい。」
「隊長はどうすんですか?」
「商業組合で町内の力仕事中心にやるつもりだ。何かあってもすぐ戻れる距離だし、毎日日暮れには帰れる。」

 3人がなんとも言えない顔でこちらを見てくる。

「はあ~、あの玄さんがねえ~。随分丸くなっちゃって」

 ほっこり、微妙にしんみりする空気の中、ランチパーティーが始まる。
 予想通り、エスメラルダの買ってきたおこわは、大きな葉っぱで包まれていたはずなのに、米が溢れていた。
 切り分けたバインセオの真ん中に香草を載せようとして、それは自分の皿の上でやれ、と旦那様とエスメラルダの攻防が続き、後ろの屋台のおばちゃんから、旦那様の好物の空芯菜の炒め物を奢ってもらい、マリオはヌードルを一心不乱にすすり、カルロはいつも通りサンドイッチを頬張る。
 そうか、このメンバーが揃ってワイワイ言いながらこうしてご飯を食べるなんて、もうないのか。そう思うと、しんみりしてくる。

「蒼月、蒼月」

 エスメラルダがにっこり笑う。

「寂しく思う必要はないよ。あんたの子供が生まれたら、またみんなでパーっとお祝いしようよ。そうじゃなくても会いたきゃ呼んでくれれば、いつでも会いに行ってやるよ。遠征中以外はね。」
「ん」

 人心地つき、食後のティータイムになる。エスメラルダは苦いコーヒーにシロップとミルクを入れて飲み、カルロはシロップとクリームをどっさり入れ、マリオはタピオカ入りのミルク色の汁粉を飲んでいる。それらは、自分と旦那様にとってはデザートであり、食後のお茶にはなり得なく、旦那様は緑茶を、自分は黒茶を飲む。

「そう言えばさ、隊長はいつ蒼月が女の子だって気がついたの?」
「ん~? 翌日だか翌々日だったかな。」
「あら、結構早い段階で気がついてたんだね。」
「そりゃ、朝起きてこいつが巻きついてたら、いやでも気がつくさ。」
「なに? 初めから同じベッドで寝てたわけ? リーダー、ロリコン?」
「阿呆。そうじゃねえよ。夜泊めたはずの部屋に、朝起きたらいなくて探してみりゃ裏口で寝ずに立ってるんだぜ。体は冷えてるし、何してんだ、一晩中そこにいたのか?って聞けば、『不寝番』って言う……





「不寝番って、ここは野営地じゃねえし、安全な街中の家の中だ。番はいらねえよ。寝ろ。」

 ぐいっと手を引っ張り部屋に連れ込み、寝台に寝かそうとするが抵抗される。

「……」

 無表情でふるふると顔を横にふる。

「自分は軒下で充分。」
「軒下って、あの部屋気に入らなかったか?」

 ふるふるとまた顔を振る。

「寝具が合わなかったか?」

 また、ふるふると頭を振る。

「……この部屋が良かったのか?」

 今度は横に振られはしなかった。

「……」

 こてっと左に頭が倒れる。
 何の気なしに冗談半分で言ったことを本気で考えている。表情は変わらず、無表情なのに、思いっきり考えているとわかる。
 左に傾いた頭の角度がさらに深くなる。

「……いや、その、そんな真剣に考えるな。いたきゃこの部屋にいていい。」
「……それはいけない。」
「なんで?」
「自分がいると、女を連れ込めない。」
「ぶ……いや、その心配はいらねえよ」
「なら、外で済ますのか?」
「まあ、どっちかって言うと、そうだ。じゃなくて、ませたこと言ってんな、お前。……そういや、お前、名前は?」

 こてっとまた首が折れる。

「え、名前だよ、俺は、ゲン、お前は?」
「奴隷は名前、持たない。」

 首が元に戻り、淡々と答える。

「は?」
「昨日の人は隊長って言ってた。自分はご主人様と呼べばいいか? お館様か?」
「いや、雇い主じゃねえからご主人はおかしいだろ、お館ってのも、そもそもここはただの民家だ。領主館みたいなデカイ屋敷でもねえ。」
「でも、寝床と服をくれた。ここの家のあるじだ。」
「まあ、そうだけど……」
「旦那様?」
「……」

 思わずぐさっと刺さる。
 キョトンとした目で、こてっと首をかしげる。
 他の者がやれば、あざといだけの仕草も、無垢な子供がやると、庇護欲をそそられる、父性本能というものが自分にもあったのか、思わず雰囲気に飲まれて、うなずいてしまった。

「はぁ……で、お前の名は? ああ、俺は名前の通り、ルーツは綾の国だ。」
「あやのくに?」

 一音ずつ噛みしめるように、ゆっくり発音し、今度はジワリと首が右に傾く。

「顔立ちからして、お前も近そうな気がすんだけど。生まれた時から奴隷だったってわけじゃないだろ? なんか覚えてる言葉とかないのか?」
「……蒼月ソウゲツ


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