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5.泥濘に潜むもの
しおりを挟む川岸をさまようこと数日、ようやく渡れそうなポイントを発見。おそらく、雨季の水かさが増した時、流れてきたのだろう倒木や岩などが集まってできた天然の堰。しかし、問題は水中にいる奴らだ。水を求めてやってきた動物が水面に顔を近づけた瞬間、ガブリ、と噛み付き、水中に引きずりこむ。自然の営みを見せつけられる。
水が赤く染まることはない。なにせ、すでに粘土色に染まって1センチ先も見えない不透明度だ。何もいないと油断していると、倒木か岩かと思えたそいつが、大口開けてガブリと襲いかかるのだ。
ここへたどり着くまでに、すでに数日経過している。鳥は食べ終えた。岩塩は見つからない。固形糧食はまだ残っている。飲み水が心もとない。蒸留水を作るのに、水を沸かす鍋や甕でもいい、入れ物がない。おとぎ話の妖精のように、朝露を集める? そんな悠長に構えてられない。断末魔をあげながら、水中にひきずりこまれていく獣を見ながら、すっと、思考の先に光るものが見えた気がした。
周りを見渡し、耳を澄まし、セーフティポイント、巨木の枝の上に移動した。
頭陀袋を開き、なめし革2枚、サラシが数枚。取り出し、見つめる。
ブーツを脱ぎ、なめし革を足のサイズと同じくらいに折り、つま先よりはみ出る革をつま先を守るように折る。サラシでぐるぐる巻いて覆い、ゲートルのようにさらに脚に巻きつける。もう片足も同じようになめし革を靴底に見立ててサラシで巻き留める。ブーツをかさばらないよう互い違いに重ね、紐でまとめ、頭陀袋に詰める。頭陀袋を背負い、腰と胸、バタバタ揺れないよう背中にぴったりくっつくよう帯を締める。
川岸に降り立つ。
気負ってはダメだ。緊張してもダメだ。気配で奴らにバレる。心を鎮めて、波一つ立たない湖面のように静かに、でも一筋の光を見失わないよう集中して……
ゆっくり息を吸い、吐き出す。
足を下ろす、接地ポイントを確認する。対岸の茂みを見やる。
ほの光る何かに吸い寄せられるように、1歩踏み出す。
ピチャリ
チャプッ
ジャブッ
バシャッ、バシャッ……
厚手のなめし革は尖った枝を緩衝する。サラシがあっという間に黄土色の水を吸い、色が変わり重くなる。
ふとそれに気がついた途端、走れ! そう心が叫んでいた。
思い切り足元を蹴り、対岸に滑り込み転がる。
振り返ればさっきまで足があった空間は、大きな顎が閉じられたところだった。口の中に何もないと怒った鰐が岸に足をかけ身を乗り出した。陸上戦で決着を付ける気か。
ーーー!!
シャー、でも、ガー、でもない、形容しがたい、喉の音を鳴らし大口を開け、噛み付いてくる。ガッパリと開けた口の中が良く見える。
ナイフのギザギザした側で、口の中を一閃した。
飛びずさり、一周したナイフの角で目玉を打ち付けた。
ーーー!!
また形容しがたい悲鳴をあげ、体をくねくねさせ、水場へ引き下がった。ズブズブと沈んでいく。
あいつは諦めたのか。怪我を癒すのか、そのまま傷が元で弱って死ぬのか。目が見えず餌を取れなくなり弱って死ぬなら、怪我が元と言えるのか。共食いされるのか。
わからない。考えても仕方のないこと。
ベシャリ、グチュリ、汚い水を滴らせながら森へ入った。
いつも通りわかる、ほの光る岩の上に登り、足に巻きつけたサラシを解く。サラシとなめし革を絞り岩の上に広げ、干す。下履きをはき、ブーツに足を突っ込もうとして、ためらう。ズボンにまで黄土色の水がしみている。乾くまで待つか。いや、洗いたい。
岩の上に立ち上がり、周りを見渡す。進行方向である北側にキラリと光るものが見えた。いつも何かを教えてくれるほの光る光ではない、何かが反射した光。水に太陽光が反射したんだ。あの水場なら安心なのか? なら、なぜあの動物は鰐に食われた?
……食われた動物は、皆、自分と同じ側から来た。つまり対岸のこっち側にいる動物にとっては、わざわざ鰐のいる汚い水を飲みにくる必要がないということ。
ズボンの裾はブーツの中に入れず、ブーツを履いた。荷物をまとめ、見つけた光に向かって森を進む。
たどり着けば、そこはいつか行った李の茂みのある泉のように、綺麗な滝壺だった。
木陰からそっと身を覗かせると、水を飲みに来ていた鹿と目があった。ゆったりとした動作で、子鹿を連れて去って行った。
食料以外のものを全て取り出し、頭陀袋も含め、ザブザブと洗った。
子鹿の真っ黒な丸い目が忘れられない。子鹿を見る親鹿の視線が、言い知れぬ奇妙な気持ちにさせる。
揉んだり水の中ではためかせては、煙のような濁り、汚れが出なくなるまで延々、一つ一つ洗った。一枚のサラシを使って体を隅々擦った。滝の下に行き、頭から水を被り、耳の後ろ後頭部と、ゴシゴシ手で洗った。
岸辺の岩のよく日の当たるところに、洗ったものを干し、乾くまでの間、あの李のように食べられる実はないか探す。ナイフだけ片手に、水場を離れる。少し歩くとよく日の当たる場所に、赤い実をつけた木がある。いつものように今日は光ではなく、香りに誘われて近づく。ほんのり甘い香りに、毒々しい赤にひげ。食虫植物? クワガタが赤い実にしがみついたまま動かない。
思わず、コテっと顔を倒し考える。記憶を探る。思い出す。
__ああ、そうだ。奥様がご主人にねだっていたやつもあんな香りだった。
いくつか生っているところを枝ごとナイフで払い、一つ実を取り上げる。
手のひらに収まる赤い毛むくじゃら。
こんなのだったっけ?
また思わず、コテっと頭が倒れ、考える。
まあ、いいや。考えても仕方がない。どうでもいい。ヘタのあたりにナイフを当て、皮をむくとプリッとした半透明の白い果肉が見える。クワガタが果敢に挑戦していた実をかじる。ほんのり甘い、プニプニした食感で、夢破れたクワガタに代わって、一つ、また一つと食べ進める。ふと見渡せば、青空の下、緑の木々に鮮やかな赤い実。青と白と、赤と緑のコントラスト。ここも、えも言われぬ美しい森の一画だった。真ん中のタネをぷっと吐き捨てる。
滝壺に戻り、また軽く体を洗う。岩の上で服と一緒に肌を乾かす。
ジリジリ焼き付ける陽の熱で目が醒める。無防備に寝ていた。服はパリッと乾いている。ごわごわしている布を揉み込んで柔らかくし、服を着込む。ブーツも内側まで日光消毒できたようで足を突っ込むと、熱くて思わず振り回してしまった。裏返して干しておいた頭陀袋は、内側にあった表面がまだ乾ききってはいないようだが、これも、歩いて日に当たるうち乾くだろう。
元どおり荷物をまとめ、さらしを頭に巻き、手袋をはめ帯を締める。
川を渡り、さらに数日。
向こう岸とこちら側、そう違いは分からないが神経すり減らし森を進む日は変わらず続く。たまに太い蔓だと思ったら蛇だったとか、やたらと喧嘩っ早い大トカゲとか、こんな恵み豊かな森で何故、わざわざこんな痩せた人間なんか襲うのだろう。蔓植物に擬態した蛇が降ってくる。スパッと斬り払う。ビッタンビッタン地面をのたうっているが、そのうち動かなくなるだろう。
ナイフについた血を振り落とし、先へ進む。木々の隙間から明るい場所が見え、水音が聞こえてくる。またくねった川にぶつかったということだ。一先ずこの場を離れる。水を求めてやってきた動物を襲う奴らが待ち構えていて、この辺りは危険だ。先程から好戦的な奴らに遭遇する率が高い理由を知る。
息を整え、耳を澄まし、目を凝らす。
ほの光る岩陰へ身を潜め、体を休める。
夜になり、火を起こし、焚き火で芋を焼く。そろそろ本格的に塩と肉を確保しなければまずい。軍曹が叩いていた地図を思い出す。あとどれくらい歩けば国境にたどり着くのだろうか。南から東へ川にたどり着くまでの日数と、あの地図に描かれた駐屯地と川までの幅を考える。見上げれば、白く輝く星々が川岸の樹木に挟まれ、まるで上空にも川があるように見えた。
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