夏の夜に見た夢

春廼舎 明

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1.序章

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ドン!

 ズシリと腹に響く轟音。
 隣でヒッと息を呑む声が聞こえる。
 轟音と同時に舞い上がった黒っぽいものがバラバラと音を立てて落ちて来る。
 視線を下げれば砂煙に視界が霞み、黒い塊が降り注ぎ、火薬の匂いと湿った土と不快な臭いが押し寄せる。

「あー、惜しい! 2歩余計だったな!」
「バカ言え! 23歩だったろ。25で賭けてた俺の勝ちだ。」
「はあ~? 20だろ? 数も数えらんねーのか?」
「数えてたろ。ラストスパートかけられて外したからって当たるなよ!」
「最後のよろけてたのまで入れんのかよ!」
「……小刻みでも1歩は1歩」
「げっ、まじか……」

 ゲラゲラと後ろで下品に笑う声がうるさい。不愉快でしかない。つけないため息をグッと飲み込み耐えるしかない。
 なのに、さらに不快な強烈な臭いがすぐ近くで湧き上がる。
 横を見ればへたり込んだ男がガクガクとしながら、涙に鼻水、よだれを垂らし股間から湯気が立ち上っている。

 後ろで賭け事に興じていた兵士たちが、隣の男の様子に気がつき、さらにやかましく騒ぎ立てる。囃し立てられた男は、亀のように背を丸め地面に伏したまま動かなくなってしまった。

「おい、さっさと次行けよ。」

 ドン、と背を押される。

「……」

次は亀になっている男なのに。

 無言で振り返り、地面で丸くなっている男を指差す。

「ああ、次はそいつだったな。お前が逝かせてやってもいいんだぜ。」

 何がおかしいのか、どっと笑い声が上がる。

 ちらりと男を見る。

 動きそうもない。立たせても自分で歩き出すのを待っていたら、後ろの兵士たちは痺れを切らすだろう。
 こいつを連れて歩いたら、見えるものも見えず、避けられるものも避けられないだろう。

 不快も度を越せば、何も感じなくなる。

 襟首を掴み、男を持ち上げる。碌な食事も与えられずやせ細ってはいるものの__それは自分もだが、男の方が体は大きく立たせられない。腰が浮き上がったところで、蹴り上げ自分の足で立たせる。狙いを定めた蹴りは股間にクリーンヒットした。
 後悔した。ぐにゃりとした柔らかいものの感触とべったりと張り付く湿った布切れの感触が足に残る。切り落としたいくらい不愉快だ。思わず舌打ちが漏れた。
 狂喜乱舞とはこういうことを言うのか、後ろの兵士たちはさらに盛り上がり下品に笑い、膝を叩き、ある者は腹を抱えて地面を転がる。


馬鹿馬鹿しい。
一体いつまでこんな茶番に付き合わなければならないのか。


__死ぬまで。



 ゾッとした。こんな恐ろしいことを続けさせられる恐怖、ではない。それを恐怖と思わなくなった自分に怖いと思った。

 中腰のまま動かない男の腰を前に押し出すように蹴飛ばした。

 男は中腰のまま数歩歩き、涙・鼻水も拭わず振り返る。
 途端に後ろの兵士たちから野次と小石に土塊つちくれが飛ぶ。
 男は震え上がり数歩進んでは、許しを乞おうと振り返っては兵士たちからの怒声に石塊を浴びせられ、遅々として進まない。
 
 ふと、何かの気配を感じ身をすくめると、ひゅっと何かが通り過ぎ、それが男の背に当たった。
 ギャ! と短い悲鳴の後、一度だけ男がこちらを振り返り、そしてもう振り返ることはなかった。
 ぎこちない足取りで、ヨレヨレと左斜め前に進む。

 なぜそんな方向へずれて歩くのだろう。まっすぐ歩けば、少なくとも前の人が歩いたから、そこには地雷がないとわかっている安全なルートがあるのに。

 そう思って男を眺めていると、先ほどの爆発で飛び散った塊に足を取られ、トトト……とつんのめる。男がつまづいたものが何であるかに気がついたのか、身を竦ませガクガクと震え、不自然な体の動きの四つん這いで先へ進み出した。と、その瞬間、轟音が響く。

「ち、なんだよ。大して距離伸びてねえじゃん。」
「おい、お前、次はまっすぐ進めないんなら、せめてあっち側へよろけろよな。」

 隣に立った兵士が興ざめだ、と言いながら右手の方をさす。

 わざわざ、安全がわからないルートに進むつもりはない。土埃、砂煙がおさまるまでじっと待つ。後ろでは、ヤイヤイと次の賭けが始まる。
 見えないところで地雷を踏み抜いても、恐怖に歪む顔が見えないんじゃ面白くない。だから煙幕が途切れてから歩き出すのがここのルールだ。残虐なシーンを見て喜ぶ、そんな人種が世の中にはいる。そして自分はその喜ばせる側である。


 ここは紛争地帯の荒野。前線を押し上げたい陣営と、退けたいのか逃げる時間稼ぎをしたいのか、この荒野にとある民族により、無数の地雷がばら撒かれた。重火器を横流しする某国の後ろ盾を得た民族とのゲリラ戦が、やる気のない質の悪い兵士たちのおかげで泥沼化している。
 なかなか戦果の上がらないこの一帯の部隊に、地雷を察知除去するためのテクノロジーや情報は持ち込まれない。代わりに投げ込まれたのが、人柱、奴隷だ。本国にすら見放されていると思う。


 一陣の風が吹き、煙幕が飛ばされる。まだ僅かにくすぶる煙と、惨劇の匂いが残る中、一歩踏み出した。


 諦念も悲観もない。なぜだか、自分は大丈夫だと知っている。どこを踏んでいいのかわかる。

 先ほど爆発が起きた辺りを通り過ぎた。一歩一歩、ゆっくりでもなく早足でもなく、ためらいなく進んだ。夕暮れのオレンジの空気に伸びた自分の影を連れて歩く。

 ザワリ、と後ろの兵士たちが息をのみ、緊張が走るのを感じた。


ウウゥ~……

 夕刻のサイレンが鳴る。

「おい、お前、止まれ!」

 日が暮れ、暗くなってはせっかくのショーが楽しめない。だからここの兵士たちは終業時間だけはきっちり守る。反吐がでる。
 兵士が振りかぶって何かを投げてくる。

ビュ

 飛んできたそれを、手を伸ばして握ったら、棒を掴んでいた。

「今日進んだところまでの目印に、それ、倒れないように地面に挿しておけ。」

 硬い地面に深く刺すのは難しそうだ。思い切り振りかぶってザクリと地面に突き立てた。

 オレンジに染まる中、辺りを見回す。荒野の向こうにかすかに黒い山の稜線が見える。振り返れば、兵士たちは下品な笑い声をあげながら陣地に向かってダラダラ歩いている。その手前、今日は出番が回ってこずに済んだ奴隷が、地面にへたり込んでいた。今日生き残った奴隷は自分を含め、そいつとたった二人だった。

 あの稜線の麓までたどり着けるのはいつになるのだろう。それまで自分の命はあるのだろうか。ここにいるのだろうか。


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