一人で寂しい夜は

春廼舎 明

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そんなもん

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 吏作さんは部屋に入りながらコートとジャケットをポイポイと脱ぎ捨てて、どかっとソファに座ってしまった。慌てて服を拾いながら後を追い、ハンガーにかける。

「欲しいもの?」

 ネクタイをぐいっと引っ張り緩める。女ならわかるだろう、めちゃくちゃ色っぽいと思う男性の仕草。
 ぽ~っとなって、その様子を見ていると、にっこりと笑みを深められる。

「ものって言っても、ものじゃあないかな。」
「???」

 髪をまとめ、夕飯の準備をしようとエプロンを取り上げると、手首を掴まれた。そのままぎゅっと抱きしめられ、押し付けられる。

「…欲しいものって、ものじゃないって、そう言うこと?」
「葵ちゃんのペースで仕事はできるようになったし、どう?」
「…」
「葵ちゃん?」
「私にだって、その前に欲しいものあります。」

 重ねた手の中指と薬指にギリリッと力を入れる。

「……あ、」
「だから、それまではダメです。」
「なら、週末ね。」
「は?」

 今日はダメなのに週末、三日後ならいいって? 何かと勘違いしてる? 吏作さんは鼻歌を歌いながら、シャワーを浴びに行ってしまった。慌てて、夕飯の準備を始める。
 真空保温鍋では大根が煮込まれている。圧力鍋でご飯を炊く。吏作さんがお風呂を出て来てテーブルに着く頃には炊きたてが出せる。
 シューッと蒸気が噴出されている音を聞き、慌てて火を止める。なんだか新婚みたい、そう思いついて思い出してがっかりした。まだ吏作さんから、愛してるとか結婚しようとかそんな決定的な言葉を言ってもらったことがない。まだ署名できずにいる婚姻届だって、指輪だって……もらってない!!!
 私の左手の薬指は何も無…やば、指の産毛処理しとかなきゃ。気が付いた時やらないと忘れる。慌ててベッドルームへ駆け込み、ドレッサーの前で処理をした。フサフサからつるんとスッキリした指を眺めていると、風呂から上がった吏作さんが私を見て慌てて駆け寄ってくる。

「どうした、怪我したの? 大丈夫?」

 膝をつき、両手で私の手をとる。
 この態勢って、王子様がお姫様に愛を請い、手にキスをするみたい。ファンタジーなシチュエーションを思い浮かべてしまい苦笑する。

「吏作さん、落ち着いて。」
「だって、さっきまで料理してたのに、重たいもの持って手首でも痛めたの?」
「…ぷ」

 そんなこと心配されるほど華奢じゃないのに。思わず吹き出したけど、ぶわっとあたたかくてむず痒い気持ちが湧き上がり、吏作さんのおでこにキスをした。本当に、この人好きだなあと思う。この人が私を好きになってくれて嬉しいと思う。

 モリモリと景気良く箸が進む吏作さんを見て、君の作るご飯を毎日食べたい、みたいなプロポーズの言葉があるけど、食べさせてあげたいっていうのがあってもいいんじゃないかな。自分から言ってしまおうか、と思ったけど、週末までは待ってみようと思い直す。

 金曜夕方、納品と打ち合わせを済ませ、いつも吏作さんを待っていたカフェで万理江とおしゃべりをした。吏作さんがくると、万理江は私の顔を見て、苦笑しながら帰った。
 店員が万理江の使っていたカップを下げ、吏作さんの注文したコーヒーを持ってくる。伝票を置いて去ると、吏作さんがカバンから書類の入ったクリアファイルを差し出す。

「あ…」

 この店を万理江と好んで入るのは、この席が観葉植物がちょうどいい具合にパーテーションとなり、人目が気にならないからだ。
 吏作さんが差し出したのは、自宅で預かっていたはずの書類だった。

「葵ちゃん、今日、納品でハンコ持ってるでしょ? ご両親の手続きは終わったって。」

 よく見ると、私の両親の見覚えのない住所が書かれた書類も入っている。
 呆然としながら一字一句丁寧に書き写す、署名と押印をする。
 吏作さんが日付を書き入れると、カバンにしまい、伝票を持って席を立つ。狐につままれた気分でそのまま店を出て人混みを抜け、区役所に向かう。薬局のお大事にみたいな気の利いた言葉があるわけでもなく、事務的に受け取られ手続きは終わった。

 と思ったけど、マンションが見えた時、各所への氏名変更届けが必要なのを思い出した。ため息をつく間も無く玄関を潜り居間へたどり着く。吏作さんはソファにどかっと腰を下ろすと、ネクタイに手が伸び、緩めるのかと思ったら締め直した。呆然とその様を見てると、クスリと笑われる。

「葵ちゃん、いつまでぼうっとしてるの?」
「だって、だって…私、まだ欲しいもの、もらってない。聞いてない。」
「おっと、そうだった……」

 吏作さんの横に座らされて手を取られ、左の薬指にシンプルな平打ちの指輪がはめられる。角は磨かれ肌当たりが柔らかく指が華奢に見える絶妙な幅で、鏡面仕上げがされた金属には自分の顔がぼんやり映る。
 吏作さんが満足げに私の指を眺める。

「葵」

 顔を上げると、耳元に口を近づけてささやかれる。



 真っ赤な顔で言ったかと思うと、ガバッと頭を抱き寄せられた。

「って、もう届け出しちゃった後だけど。」

 今度は私がクスリと笑う。ローテーブルに置かれた小さな箱からもう一つのリングを取り、はめてあげる。
 二人にやにやしながらお互いの薬指を眺めた。

~Super Happy End~
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