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第2章 世界の蔓延
03 メメント・モリ
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アリスが紅茶ポットとカップをのせたお盆を持って部屋に入ると、カップに紅茶を注いでいく。白い陶器でそれを師匠と俺に配ると、自分のカップを持って椅子に座った。その椅子は師匠と呼ばれる男がそこに置かれてあった本を片付けたばかりの椅子で(実際は本を移動しただけで片付けたと言っていいかは微妙)若干小さい椅子だった。
紅茶を3人が飲むと、アリスは師匠の反応を待った。
「美味しいな」
「でしょ? 地球に行った時(アリスが俺を置いて地球に行ってしまった時のこと)紅茶を手に入れたの。是非、師匠にも飲んでもらいたいと思って」
「ありがとう。それじゃ早速だけど、どういう状況なのか説明してくれないか」
アリスは師匠に今に至るまでの過程を説明した。師匠はそれを時々紅茶を飲みながら聞きに徹していた。ある程度アリスが説明を終えると師匠は綺麗に剃られた顎を擦りながら少し考え込んだ。
「師匠、術者が呪い返された以上、死人に怯えることはなくなりました。でも、この世界に魔法は戻っていないんですよね?」
「ああ、その通りだ。この世界の魔法は戻っていない。現に術者と魔法消失の関連性は疑わしい部分もあった。こうなれば別々の問題と考えるべきだろうが、その前にアリス、地球に戻った時死人はもう現れていないんだな」
「そうです」
「この世界の死人もぱったりと目撃情報が止んでいる。それで各地の知り合いに確認をとらせているところだ。それで結果がそうなら術者は死んだと断定していいだろう。まぁ、一度死人をつくればそれを簡単に沢山の死人を術者が消せるのは現実的ではないから生存はないと言っていいがな」
「師匠は他に可能性があるとしたら何だと思いますか?」
「その魔法のコンパスのように世界は別々に存在しながらも繋がりがある。一つの世界に影響すれば、他の世界に何らかの変化が起きていればそこから原因を辿れると思ったんだが、地球のある世界を除いた世界には何の特別な異変はなかったんだろ?」
アリスは頷いた。
「なら、やはり地球のある世界しかない」
「世界が終わる前兆だと訴える人もいますが師匠はそう思いますか?」
師匠は首を横に振った。
「陰謀論だと言いたい。確かに魔法の消失は神の消失だと言って世界の終わり、つまりビッグクランチが起こる、そういう説を語る奴はいるが根拠はない。魔法の消失で影響があるのは人間だ」
「神を定義したり神の存在について考えたり語れるのは人間だから、それの出来ない他の生き物には影響がないと言ってますね」
「人間の都合のいい話しだ。それではまるで神は人の為だと言わんばかりだ。それは人の傲慢だろう。だが、神を語るのは難しいのは事実。我々が本当に神を理解できる日が訪れるかは疑問だ。永遠に不可能なことかもしれない。ある説がある。魔法の根源は神ではなかったという説だ」
「では何だと?」
「我々は魔法をよく知らずに使ってきた。だから、魔法の消失に対処法が見つからずに今日に至るわけだが、人類の中にはそのあやふやだった魔法に頼らない行き方を真剣に考え乗り越えようという声が日に日に増えている。実際、それが人間がとれる現実的な対処法だろう。それが正解だと思う者も増えている」
「人は魔法を手放せると思いますか?」
「そもそも魔法は人の手から離れている。とはいえ、私も最後まで抵抗は続けるつもりだ。それでアリスが不在中、私なりにもう一度魔法について調べ直してみたんだ」
「師匠が!?」
「壁にぶち当たったら一旦引き返して原点回帰してみるのもうちだ」
「それで何か分かりましたか?」
「ああ……それなりに収穫はあったよ。まずは復習だ。最初の魔法の発見は?」
「エルモンレルです。魔法が世界に広がり発展させた魔法の歴史上最重要人物です。一方で堕落の王という異名もある人物です」
「そうだ。史料によってはエルモンと記されたりするが同じ人物を指している。実はエスクラヴ達が昔の戦争時、勝つためにそのエルモンレルについて政府の命令で研究機関、軍が魔法の原点について研究してたようなんだ」
「何の為です?」
「どうやら魔法を奪う方法を探していたようだ」
「!?」
「だが、戦争はとっくの昔の出来事。この件と因果関係は当然見当たらない。結局、敗戦の原因もその成果は得られなかったからだ。魔法を奪えば確かに相手国に混乱を与えられるだろう。それだけ魔法は世界にとって大きな存在だ。さて、そのエルモンレルにはこんな噂話がある。エルモンレルが最初に魔法を発見した時、エルモンレルは神との会話でよからぬことを神に喋ったようだ。とても愚かなことを。エルモンレルが堕落の王に落ちたのはその神との会話の後のことだ。エルモンレルは神から何かを聞き取った筈だ。それが何なのか永遠の謎となっている」
「内容は記されていなかったんですか?」
「エスクラヴはそれを何故か知ろうとしていた」
「え!?」
「私はエスクラヴの王家最後の血を持つエスクラヴの姫に会おうと思う」
「会えるんですか?」
「ああ。許可がようやく下りた」
「まさか、王家の血がまだいたなんて……」
「敗戦の時、王家は国外逃亡していた。各国が探し出し見つかったが、姫の存在は最後まで隠された。だが、それも長くは続かなかった。今は厳重な塔に幽閉されている。勿論、その姫もかつては王家だったにせよ今ではエスクラヴ、そこらにいる鎖に繋がれた奴隷に過ぎない」
かつての王家が国、民を失ったら何もかもが失われる。それが世界地図から国名が消えるという意味でもあろう。
俺は紅茶を飲みながら二人の会話をじっと聞いていたがまだ、俺は魔法がよく分かっていない。その重大さも。
求不得苦が充満する世の中であるものでなんとかするのが人の力だと思う。より優れた人はそこから新しいものを発明したりするのだろう。一方で失われるものもある。失ったものにいつまで執着したところで、取り戻せないものもある。
魔法がないことが当たり前の俺にとって、魔法を失うことの重大さがあまり理解出来ない。結局、魔法がなくても人は生きる為に生活をするのだから、街や村が機能しているのもそれは人の力だろう。魔法が神の力ならば、人の力はなんだろうか。人の力だって侮れないのではないのか。しかし、魔法が神なら、神を感じたり触れたり(俺にはいまいちその感覚は理解から遠いが)魔法を通じることが魔法を使って何をするよりも重大だとしたら、当然俺は理解出来ないだろう。
元姫の居場所までは鉄道が通っており、途中までそれで近づくことが出来る。そこからは徒歩になるが、行くのは師匠と呼ばれる男一人だけだ。その場所はぞろぞろと行って面会出来るところではない。面会許可も許可が直接下りた人物のみだった。それまで俺とアリスは師匠の家でお邪魔することになった。当分は地球へは戻れそうにない。俺がこっちの世界にいる間もあちらの世界の時間は流れている。俺が地球にいないことで親が心配し捜索願いでも出されるのだろうか? 日本の警察はそう簡単には動かないと聞く。遺言書や書き置きがない状態で大学生が行方不明になったぐらいで警察が直ぐに動いてくれるとは思えない。大学はどうだろうか。授業に出席出来ない日が続くと気になるのは単位だ。いや、どうして異世界に来てまで大学の心配をしているんだろう? 俺にとってそこまで大学は重要だったんだろうか? 俺が今、地球のことで一番心配することって何だろうか…… 。
夜の帳が下りる前に師匠と呼ばれた男は大きな鞄を持って、護身用の拳銃を持ち、アリスと玄関で何か会話をした後、家を出た。
駅は街の中心部にあって黒色の蒸気機関がとまっている。それに男が乗り込むと暫くして列車は動き出した。乗客はそれなりに混んでいて、たまたま空いていた窓側の席を見つけなんとか座ることが出来た。乗客の中には家族連れもいるようで、小さな子供の泣き声が聞こえた。それを不快に思った男が「うるさいぞ」と怒鳴った。母親にとって子供の泣き声はサイレンのように常に意識がそこにいく。それがずっと続くとノイローゼ気味になってしまう。やがてはあの愚かな男のように何も考えずに感情をそのまま口にして後悔してしまう。だが、あの男には少なくとも後悔すら感じない程の身勝手な男なんだろう。自分もその時があったというのに、それを都合よく忘れてしまうのだからどうしようもない。雰囲気はすっかりその愚かな男のせいで台無しになった。
師匠と呼ばれた男は溜め息をつき立ち上がった。そして、男の方へ行こうとした時、職員が現れその男を注意した。どうやら隣の客車からもあの男の子供のような情けない怒鳴り声が聞こえたようだ。男は体が大きかったが、小さく丸まり顔をうつ伏せた。それを見て席に座り窓の外の景色を眺めた。夜空から星々が輝いており、地上も星々のように輝けたらと思った。そうなったらどれだけ世界が平和になれるだろうか。しかし、現状はそう星々のように数ある人々が輝けているかは疑問だ。
列車の旅は長い。揺れる列車はまるでゆりかごのようで、気づけば眠りについていた。
それでも深い眠りではなかった筈だ。目覚めたのはまだ夜中だし、一、二時間寝たぐらいだ。当たりを見渡しても乗客の半分が鞄を抱えながら眠りについている。目的地まではまだ時間があった。もう一度眠りについても問題はなかった。鞄を抱え男はうつ伏せ顔を沈めると二度寝した。
起きた時には窓の外は明るくなっていた。乗客の何人かは入れ替わっているが、中にはまだ見知った乗客が乗ったままだった。その乗客はいったいどこへ行こうとしているのだろうか? 同じ目的地だろうか?
列車が止まり、目的地の駅に到着すると席を立ち鞄を持って列車を降りた。そこで伸びをして、ずっと同じ姿勢で固くなった体をほぐすと、駅を出てから徒歩で元姫が幽閉されている塔へと向かった。
塔は石造りでその周りを高い壁が囲っており出入り口の門は一つだけだった。その門では厳重な検査が行われ、荷物は一旦預けなければならない決まりになっていた。危険物の持ち込みは当然のこと、持ち込みには厳しい制限があった。それらの検査を終え、予約していた面会希望者であると身分証をもとに確認を終えるとようやく中に入ることが許された。その間も軍服を着た兵士が必ず同行した。
窓には全て鉄格子があり、ドアが一つしかない小さな部屋でその元姫と初対面した。
18歳もいかないエスクラヴの姫の白い素足には枷がつけられ他のエスクラヴ達同様貫頭衣の襤褸を着ていた。よく言えばノースリーブのワンピースのようであって、それはとても短く白い太ももが少し露出していた。左肩にはVの焼印が刻まれてある。金髪のロングヘアにやはり赤色の瞳をしており、全体的に華奢だった。他のエスクラヴのように肉体労働を強いられることはないようだが、彼女の足や手に細かい傷を見るに別の目的でエスクラヴとして果たしているようだった。
部屋に床に固定された鉄の椅子に男は座るが、女には椅子はなくその場で姫は膝をついた。より太ももが露出するのが見えて思わず男は目線をそこから外した。
また、アリスから変態と呼ばれてしまいかねない。
「エスクラヴの姫よ、私はランベルトという。世界の魔法消失について原因を調査している」
すると、エスクラヴの姫は突然クスッと笑った。それまで無表情だった美女がたったそれだけで笑ったのだ。
「何故笑った?」
「魔法消失の原因について調査していると言ったので」
「それがどうした?」
「いえ……それは無意味だと思ったからです」
「何?」
「尺取虫が火鉢の縁をぐるぐると回っているのと同じことだからです」
「原因は無いと?」
「いえ、原因は重要ではなく魔法を失った人の来世が重要だということです」
「魔法を諦めろと?」
「魔法が無くても人は生きていける。私みたいに惨めに奴隷として好き放題されようと、私はまだ死んでいない。私は国を守った民の犠牲を忘れないし、だからこそこの命を簡単に捨てるわけにはいかない」
「生き延びた王家達はその民を裏切って見捨てて逃亡したじゃないか!」
「真の目的は国を取り戻すことだった。その為に死ぬわけにも捕まるわけにもいかなかった」
「馬鹿馬鹿しい。そんな言葉に何の意味がある?」
「逃した協力者は少なくとも最後まで信じてくれていた。王家の血筋を途絶えないよう王家の生き残りはバラバラに散って、その中で私は生まれた。ヘマをしたのはスパイに気づけなかったことよ」
「エスクラヴの姫よ、では魔法消失の原因を知っているのか?」
「いいえ。私達はその前に阻まれた。知っているでしょ? 何故世界に魔法が消失したのか私には分からないし、それがあなた達のように重要なことだとは思わない」
「それはお前がエスクラヴだからだ」
「そう? 本当に? 尺取虫の末路は知ってる?」
「話しを逸らすな。余計なお喋りは無しだ」
「ランベルト、よく忘れないで。あなたの行く先は死よ」
「人の行く先は全て決まっている。お前に言われる筋合いはない」
「忘れてたくせに」
「忘れていただと? お前はどうなんだ?」
「……」
「お前以外に王家の血はない。それは確かだ。お前はここから出ることも出来ない。国は取り戻せない。民も帰る国を無くしたままだ。お前は何も出来ずここで死ぬ運命にある。そうじゃないのか?」
「それ以上言うなランベルト!」
「なら! 俺の質問に答えろ!!」
エスクラヴの姫は立ち上がろうとして、眉をピクリとした見張りの兵士に気づき、直ぐにその気をおさえ膝をつけた。だが、見張りの兵士は少しでも抵抗しようとしたのが気に入らなかったのか、その女に鞭を振るった。横に崩れるように倒れ、鞭が当たった腕を痛がった。そこに兵士のつま先が腹深くに入る。
「がはっ」
更に兵士は何度も踏みつけ更に鞭を振るった。
「おい、よしてくれ。これでは話しが出来なくなる」
「いや、ランベルトさん。面会は中止だ。あんたは大人しく出ていくんだ」
そう言われてしまったらランベルトは従うしかなかった。
一つしかないドアから出ると、ドアが閉まる前にエスクラヴの姫の「クソ……クソ……」というか細い声が聞こえた気がした。ドアが勢いよく閉まると、暫くしてからドアの向こう側からベルトを外す音が聞こえた。ランベルトはその場から立ち去るしかなかった。
「俺が死を忘れていただと?」
いや、あの女の言葉は単なる挑発だ。いちいち気にすべきじゃない。ランベルトは必死にそう自分に言い聞かせた。
紅茶を3人が飲むと、アリスは師匠の反応を待った。
「美味しいな」
「でしょ? 地球に行った時(アリスが俺を置いて地球に行ってしまった時のこと)紅茶を手に入れたの。是非、師匠にも飲んでもらいたいと思って」
「ありがとう。それじゃ早速だけど、どういう状況なのか説明してくれないか」
アリスは師匠に今に至るまでの過程を説明した。師匠はそれを時々紅茶を飲みながら聞きに徹していた。ある程度アリスが説明を終えると師匠は綺麗に剃られた顎を擦りながら少し考え込んだ。
「師匠、術者が呪い返された以上、死人に怯えることはなくなりました。でも、この世界に魔法は戻っていないんですよね?」
「ああ、その通りだ。この世界の魔法は戻っていない。現に術者と魔法消失の関連性は疑わしい部分もあった。こうなれば別々の問題と考えるべきだろうが、その前にアリス、地球に戻った時死人はもう現れていないんだな」
「そうです」
「この世界の死人もぱったりと目撃情報が止んでいる。それで各地の知り合いに確認をとらせているところだ。それで結果がそうなら術者は死んだと断定していいだろう。まぁ、一度死人をつくればそれを簡単に沢山の死人を術者が消せるのは現実的ではないから生存はないと言っていいがな」
「師匠は他に可能性があるとしたら何だと思いますか?」
「その魔法のコンパスのように世界は別々に存在しながらも繋がりがある。一つの世界に影響すれば、他の世界に何らかの変化が起きていればそこから原因を辿れると思ったんだが、地球のある世界を除いた世界には何の特別な異変はなかったんだろ?」
アリスは頷いた。
「なら、やはり地球のある世界しかない」
「世界が終わる前兆だと訴える人もいますが師匠はそう思いますか?」
師匠は首を横に振った。
「陰謀論だと言いたい。確かに魔法の消失は神の消失だと言って世界の終わり、つまりビッグクランチが起こる、そういう説を語る奴はいるが根拠はない。魔法の消失で影響があるのは人間だ」
「神を定義したり神の存在について考えたり語れるのは人間だから、それの出来ない他の生き物には影響がないと言ってますね」
「人間の都合のいい話しだ。それではまるで神は人の為だと言わんばかりだ。それは人の傲慢だろう。だが、神を語るのは難しいのは事実。我々が本当に神を理解できる日が訪れるかは疑問だ。永遠に不可能なことかもしれない。ある説がある。魔法の根源は神ではなかったという説だ」
「では何だと?」
「我々は魔法をよく知らずに使ってきた。だから、魔法の消失に対処法が見つからずに今日に至るわけだが、人類の中にはそのあやふやだった魔法に頼らない行き方を真剣に考え乗り越えようという声が日に日に増えている。実際、それが人間がとれる現実的な対処法だろう。それが正解だと思う者も増えている」
「人は魔法を手放せると思いますか?」
「そもそも魔法は人の手から離れている。とはいえ、私も最後まで抵抗は続けるつもりだ。それでアリスが不在中、私なりにもう一度魔法について調べ直してみたんだ」
「師匠が!?」
「壁にぶち当たったら一旦引き返して原点回帰してみるのもうちだ」
「それで何か分かりましたか?」
「ああ……それなりに収穫はあったよ。まずは復習だ。最初の魔法の発見は?」
「エルモンレルです。魔法が世界に広がり発展させた魔法の歴史上最重要人物です。一方で堕落の王という異名もある人物です」
「そうだ。史料によってはエルモンと記されたりするが同じ人物を指している。実はエスクラヴ達が昔の戦争時、勝つためにそのエルモンレルについて政府の命令で研究機関、軍が魔法の原点について研究してたようなんだ」
「何の為です?」
「どうやら魔法を奪う方法を探していたようだ」
「!?」
「だが、戦争はとっくの昔の出来事。この件と因果関係は当然見当たらない。結局、敗戦の原因もその成果は得られなかったからだ。魔法を奪えば確かに相手国に混乱を与えられるだろう。それだけ魔法は世界にとって大きな存在だ。さて、そのエルモンレルにはこんな噂話がある。エルモンレルが最初に魔法を発見した時、エルモンレルは神との会話でよからぬことを神に喋ったようだ。とても愚かなことを。エルモンレルが堕落の王に落ちたのはその神との会話の後のことだ。エルモンレルは神から何かを聞き取った筈だ。それが何なのか永遠の謎となっている」
「内容は記されていなかったんですか?」
「エスクラヴはそれを何故か知ろうとしていた」
「え!?」
「私はエスクラヴの王家最後の血を持つエスクラヴの姫に会おうと思う」
「会えるんですか?」
「ああ。許可がようやく下りた」
「まさか、王家の血がまだいたなんて……」
「敗戦の時、王家は国外逃亡していた。各国が探し出し見つかったが、姫の存在は最後まで隠された。だが、それも長くは続かなかった。今は厳重な塔に幽閉されている。勿論、その姫もかつては王家だったにせよ今ではエスクラヴ、そこらにいる鎖に繋がれた奴隷に過ぎない」
かつての王家が国、民を失ったら何もかもが失われる。それが世界地図から国名が消えるという意味でもあろう。
俺は紅茶を飲みながら二人の会話をじっと聞いていたがまだ、俺は魔法がよく分かっていない。その重大さも。
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魔法がないことが当たり前の俺にとって、魔法を失うことの重大さがあまり理解出来ない。結局、魔法がなくても人は生きる為に生活をするのだから、街や村が機能しているのもそれは人の力だろう。魔法が神の力ならば、人の力はなんだろうか。人の力だって侮れないのではないのか。しかし、魔法が神なら、神を感じたり触れたり(俺にはいまいちその感覚は理解から遠いが)魔法を通じることが魔法を使って何をするよりも重大だとしたら、当然俺は理解出来ないだろう。
元姫の居場所までは鉄道が通っており、途中までそれで近づくことが出来る。そこからは徒歩になるが、行くのは師匠と呼ばれる男一人だけだ。その場所はぞろぞろと行って面会出来るところではない。面会許可も許可が直接下りた人物のみだった。それまで俺とアリスは師匠の家でお邪魔することになった。当分は地球へは戻れそうにない。俺がこっちの世界にいる間もあちらの世界の時間は流れている。俺が地球にいないことで親が心配し捜索願いでも出されるのだろうか? 日本の警察はそう簡単には動かないと聞く。遺言書や書き置きがない状態で大学生が行方不明になったぐらいで警察が直ぐに動いてくれるとは思えない。大学はどうだろうか。授業に出席出来ない日が続くと気になるのは単位だ。いや、どうして異世界に来てまで大学の心配をしているんだろう? 俺にとってそこまで大学は重要だったんだろうか? 俺が今、地球のことで一番心配することって何だろうか…… 。
夜の帳が下りる前に師匠と呼ばれた男は大きな鞄を持って、護身用の拳銃を持ち、アリスと玄関で何か会話をした後、家を出た。
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師匠と呼ばれた男は溜め息をつき立ち上がった。そして、男の方へ行こうとした時、職員が現れその男を注意した。どうやら隣の客車からもあの男の子供のような情けない怒鳴り声が聞こえたようだ。男は体が大きかったが、小さく丸まり顔をうつ伏せた。それを見て席に座り窓の外の景色を眺めた。夜空から星々が輝いており、地上も星々のように輝けたらと思った。そうなったらどれだけ世界が平和になれるだろうか。しかし、現状はそう星々のように数ある人々が輝けているかは疑問だ。
列車の旅は長い。揺れる列車はまるでゆりかごのようで、気づけば眠りについていた。
それでも深い眠りではなかった筈だ。目覚めたのはまだ夜中だし、一、二時間寝たぐらいだ。当たりを見渡しても乗客の半分が鞄を抱えながら眠りについている。目的地まではまだ時間があった。もう一度眠りについても問題はなかった。鞄を抱え男はうつ伏せ顔を沈めると二度寝した。
起きた時には窓の外は明るくなっていた。乗客の何人かは入れ替わっているが、中にはまだ見知った乗客が乗ったままだった。その乗客はいったいどこへ行こうとしているのだろうか? 同じ目的地だろうか?
列車が止まり、目的地の駅に到着すると席を立ち鞄を持って列車を降りた。そこで伸びをして、ずっと同じ姿勢で固くなった体をほぐすと、駅を出てから徒歩で元姫が幽閉されている塔へと向かった。
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窓には全て鉄格子があり、ドアが一つしかない小さな部屋でその元姫と初対面した。
18歳もいかないエスクラヴの姫の白い素足には枷がつけられ他のエスクラヴ達同様貫頭衣の襤褸を着ていた。よく言えばノースリーブのワンピースのようであって、それはとても短く白い太ももが少し露出していた。左肩にはVの焼印が刻まれてある。金髪のロングヘアにやはり赤色の瞳をしており、全体的に華奢だった。他のエスクラヴのように肉体労働を強いられることはないようだが、彼女の足や手に細かい傷を見るに別の目的でエスクラヴとして果たしているようだった。
部屋に床に固定された鉄の椅子に男は座るが、女には椅子はなくその場で姫は膝をついた。より太ももが露出するのが見えて思わず男は目線をそこから外した。
また、アリスから変態と呼ばれてしまいかねない。
「エスクラヴの姫よ、私はランベルトという。世界の魔法消失について原因を調査している」
すると、エスクラヴの姫は突然クスッと笑った。それまで無表情だった美女がたったそれだけで笑ったのだ。
「何故笑った?」
「魔法消失の原因について調査していると言ったので」
「それがどうした?」
「いえ……それは無意味だと思ったからです」
「何?」
「尺取虫が火鉢の縁をぐるぐると回っているのと同じことだからです」
「原因は無いと?」
「いえ、原因は重要ではなく魔法を失った人の来世が重要だということです」
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「魔法が無くても人は生きていける。私みたいに惨めに奴隷として好き放題されようと、私はまだ死んでいない。私は国を守った民の犠牲を忘れないし、だからこそこの命を簡単に捨てるわけにはいかない」
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「馬鹿馬鹿しい。そんな言葉に何の意味がある?」
「逃した協力者は少なくとも最後まで信じてくれていた。王家の血筋を途絶えないよう王家の生き残りはバラバラに散って、その中で私は生まれた。ヘマをしたのはスパイに気づけなかったことよ」
「エスクラヴの姫よ、では魔法消失の原因を知っているのか?」
「いいえ。私達はその前に阻まれた。知っているでしょ? 何故世界に魔法が消失したのか私には分からないし、それがあなた達のように重要なことだとは思わない」
「それはお前がエスクラヴだからだ」
「そう? 本当に? 尺取虫の末路は知ってる?」
「話しを逸らすな。余計なお喋りは無しだ」
「ランベルト、よく忘れないで。あなたの行く先は死よ」
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「忘れてたくせに」
「忘れていただと? お前はどうなんだ?」
「……」
「お前以外に王家の血はない。それは確かだ。お前はここから出ることも出来ない。国は取り戻せない。民も帰る国を無くしたままだ。お前は何も出来ずここで死ぬ運命にある。そうじゃないのか?」
「それ以上言うなランベルト!」
「なら! 俺の質問に答えろ!!」
エスクラヴの姫は立ち上がろうとして、眉をピクリとした見張りの兵士に気づき、直ぐにその気をおさえ膝をつけた。だが、見張りの兵士は少しでも抵抗しようとしたのが気に入らなかったのか、その女に鞭を振るった。横に崩れるように倒れ、鞭が当たった腕を痛がった。そこに兵士のつま先が腹深くに入る。
「がはっ」
更に兵士は何度も踏みつけ更に鞭を振るった。
「おい、よしてくれ。これでは話しが出来なくなる」
「いや、ランベルトさん。面会は中止だ。あんたは大人しく出ていくんだ」
そう言われてしまったらランベルトは従うしかなかった。
一つしかないドアから出ると、ドアが閉まる前にエスクラヴの姫の「クソ……クソ……」というか細い声が聞こえた気がした。ドアが勢いよく閉まると、暫くしてからドアの向こう側からベルトを外す音が聞こえた。ランベルトはその場から立ち去るしかなかった。
「俺が死を忘れていただと?」
いや、あの女の言葉は単なる挑発だ。いちいち気にすべきじゃない。ランベルトは必死にそう自分に言い聞かせた。
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