異世界

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第二章

01 夜空

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 小鳥の鳴き声が聞こえてくる。川の流れる音、涼しい風、揺れる葉の音、湿った土と濡れた草、夜になればたちまち暗闇となるこの森には、秋には紅葉、冬には雪が積もり、滝は氷瀑ひょうばくする。遠いところではこれとは全く違った景色、環境があると先生は言うが信じられない。
「お兄ちゃん、あんまり遠くに行ったら先生に叱られちゃうよ」
 まだ幼く頼りない男の声は弟だ。名はピーター。髪は俺と同じ茶色だ。
 弟が言っているのは迷子になるからではない。心配事はこれよりもっと先は立ち入りが禁じられているからだ。それは絶対で、破れば大人達からお仕置きを受ける。学校で遅刻した時や嘘をついた時よりもずっとずっと厳しい罰だ。
 この先には俺達よりずっと賢い『科学者』がいる。その人達は俺達の襤褸の服よりずっといい服を着ていて、お洒落で、病気を治療することが出来る。俺達は科学を知らないし扱うことを禁じられている。破れば恐ろしい罰が待っている。科学は本当は悪で、善良で鍛えられた心と正しい知恵を持った限られた人でしか科学に触れてはならない。昔、科学は沢山の人達を殺してきた。だから科学は限られた優秀な人達だけしか扱えないんだ。
 俺達にはその資格がない。頭が悪いからだ。それは生まれた時に分かる。頭の良い奴は脳みそが大きいんだ。俺のは小さい。弟も、父さんも、母さんもだ。だから俺達は畑仕事をする。畑なら誰でも出来る。
 弟は俺に追いついた。ピーターは走るのが遅く鈍臭い。俺はイライラするけど、母さんは優しくしろって言うんだ。小さなピーターは鼻水を垂らしていた。その鼻水を服の裾で拭う。その裾にその鼻水が着く。
「母さんに叱られるぞ」
「うん」
 返事だけは良いんだが、同じ過ちをピーターは何度も繰り返していた。だから、俺も半分諦めてあんまり叱る気にもならなかった。
 俺はポケットから林檎を出すと、それを丸かじりした。林檎の汁が口に広がり、唾液が湧き出る。果物はここより遠くに育てられたもので、各地で育てているものは違う。おかげて色んな食べ物を食べられる。これも『科学者』のおかげだ。科学者は治療以外にも色んな知識で幾つもの問題を解決へ導いた。父さんは『指導者』と言っている。正しい道へ案内してくれるなら脳みその小さい俺達も食料に困ることはない。
 俺とピーターは川沿いを歩いた。川の水は透き通っていて、俺とピーターは川に魚がいないか見ていたが、その日は魚はいなかった。川の水は山から流れていて、それは海まで繋がっている。水は冷たく、夏は他の子も誘って水遊びをする。あともう少し気温が高くなれば頃合いだ。
 俺達は魚を諦めて家に戻ることにした。




 森を抜けると広大な畑とポツポツと民家が建っていた。どれも平屋で家の玄関前には番号が振られてある。どの家も外観は同じだけど、これなら間違えることもない。畑と畑の間の土の道を歩いていき、自分達の家に辿り着いた。玄関の戸を開け中に入ると母が夕飯の支度を始めていた。朝は決まって牛乳にパン、昼は外での仕事が多い為に持ち運べるサンドイッチが多く、夕飯はたまに生ハムやソーセージが出る時がある。肉類は配給されるが、足りない場合は追加で購入が出来る。誕生日やお祝いの時は購入して夕飯を豪華にしたりする。贅沢をしなければ食料も物も困ることはない。今日は海の魚が台所に出ているので魚料理だろう。
 遅れて父さんが戻ってきた。
「おかえり父さん」
「ただいま」
 父さんは背が高くて2メートル近くはありそうだった。その手は大きく、皮膚は分厚い。首にかけていたタオルで額の汗を拭うと、コップに水を一杯入れ、それを一気に飲み干した。
 母さんはその様子を見ながら父さんに聞いた。
「どうだった?」
「まぁ、なんとかなるだろう」
 昨日の大雨の被害を確認しに父は他の大人達と一緒に今日出かけていた。
「天気は気まぐれだから仕方ないさ」
「でも、去年は別のところで土砂災害があったそうじゃない。嫌よ、雨は」
「そんなこと言ったって人間が自然にかなう筈がないだろ。常に同じなんてものはない。この世は諸行無常だ。気まぐれな自然にうまく付き合っていくしかない」
「それこそ『科学』でなんとかならないのかしら?」
 母は科学をファンタジーの魔法のように捉えていた。そう考えると『科学者』は魔法使いということになる。
「指導者達が言っていただろ。科学は最低限に留めなければ際限なく科学に依存し再び歴史は繰り返されるって。科学は戦争を引き起こす」
「指導者が科学を扱うなら問題はないでしょ? あの方達なら正しく使ってくれるわ。科学は悪ではないと思うの。使用者に問題があったのよ。指導者なら問題ないわ」
「そうだな」
 父さんは賛同したが、本音はそんな話しを続けたくはなかったんだろう。面倒そうにするのも、会話の内容にしても、自分達が指導者に比べ劣等な生き物だと分かっていても、自分から進んで劣っているとは言いたくはないのだろう。父さんは小さい頃はガキ大将で喧嘩も強く、力も実際に強かった。今では他の人達からも頼られる存在だし、家庭でも必要な修理は全部父さんがやってくれていた。父さんは自分をそこまで劣っているとは思いたくはないが、実際に科学を目の前にすると敵わないことも理性では理解していた。病気や災害は無力になるように、科学はそこに救いを与えてくれる。母さんは父さんの気持ちが分かっていない。でも、父さんも母さんに何か言うわけでもなかった。俺はそれがモヤモヤしていた。




 ある日、学校の休み時間で校庭で皆と遊んでいると、指導者の子供達が校庭に現れた。三人組でスーツを着ているが、見た目は10歳いくかいかないかだった。俺達はボール遊びをやめて三人組をただじっと見ていた。
「俺達も一緒に遊んでいいか?」
 ここでの最年長の男子が「いいよ」と返事をした。
 チームをつくりサッカーで遊んだ。ボールは俺のところにきて、それを奪いに指導者の子供が走ってきた。俺は走りそいつを避けてドリブルすると、簡単にそいつとの距離を離した。俺はパスをして、受け取った仲間がシュートしゴールを決めた。
 それからも、俺のチームはゴールを決めていき、点差はどんどんと広がっていった。
 最年長は小声で「こいつら弱っ」と言った。確かに走るのは遅いし、明らかにサッカーに慣れていない。
 すると、最年長の小言が聞こえたのか、三人組の一人が怒りだした。
「おい! 聞こえたぞ。俺達が弱いって? ふん、俺達はお前達と違って科学者になる為の勉強をしてるんだ。お前達のように遊んでばっかじゃないんだ! 謝れよ!」
「ごめん」
 最年長は年下の彼らに対して怒るわけでもなく素直に謝った。
 だが、彼らの怒りはそれでおさまらなかった。
 一人が人差し指を湿った地面に向けた。
「土下座に決まってるだろ! 土下座しろよ!」
 周りは困惑し見ていた女子の数名が先生を呼びに校舎の方へと向かった。
 流石の最年長も彼らに対して土下座まではしなかった。
「謝っただろ?」
「あんなんで許すわけないだろ!」
 だが、周りが三人組の味方をすることはなく、むしろ最年長側の味方だった。
「てめぇら生意気だぞ、先住民のくせに! 馬鹿な頭して俺達に歯向かうのかよ!」
 それにキレた最年長は怒鳴ったガキの胸ぐらを掴んだ。
「てめぇこそ土下座して俺達に謝れよ」
 胸ぐらを掴まれた男は涙目になっていたが、それでも決して引くことはなかった。すると、いきなり銃声が響いた。
 仲間の一人が拳銃を持っていて、胸ぐらを掴んでいた男を発砲した。撃たれたその男子は力を失いその場に倒れた。
 悲鳴、泣き声、唖然……その中で俺だけは発砲した男を睨んでいた。
「殺すことなかっただろ!」
「なんだよ……あいつが謝らなかったからだろ? それにあいつは俺達を襲おうとしていた。これは立派な正当防衛だ」
「この人殺しがぁ!!」
 俺は銃を持っていた奴に襲いかかった。男は慌てて発砲をしたが、弾は外れた。俺はムカつくそいつの顔を殴った。そいつの拳銃が手から離れる。俺は何度もそいつの顔面を殴った。俺には殺意があった。こいつを殺してやりたいと強く願った。それはエネルギーとなって拳はどんどん強さを増した。男は泣いて謝っていたが俺は無視した。男は倒れ、スーツが湿った土で余計汚れた。俺はそいつの上に乗っかり殴った。他の仲間も俺に続いて他の二人を襲い、殴り倒した。チョロいもんだ。こいつら、全く喧嘩を知らない。弱いのになんで俺達に喧嘩を売ったんだ? お前達が弱いのは間違いないだろ? 何が違うんだ。俺の拳はそいつらに死ね! と叫んでいた。
 教師が現れたのはその後だった。力づくで止められたが、その時には既に連中の顔は無様に腫れ上がっていた。
 それから両親が呼び出され、俺は教師に散々叱られた。だが、父さんは違った。父さんは相手の怪我の状態を聞き、俺は素直に答えると父さんは俺の頭の上をポンポンしただけで何も言わなかった。母さんはというと俺の心配をするだけで、殴られた子のことすら聞かない。むしろ「学校に拳銃を持ち込むなんて!」とか「子供に銃を持たせるの?」とか言っていた。
 だが、発砲した少年が裁かれることはなかった。それだけでなく大人達は誰も彼を叱ることをしなかった。
 遠くで女子が指導者の大人に捕まり酷いことをされたという話しは多分本当だったんだろう。連中は俺達に対して何をしてもいいと思い込んでいる。その人を見下した態度が連中の行為を更にエスカレートさせている気がした。何故、裁かれないのか? 普通だったら裁かれる。悪いことをしたら罰せられるのが当たり前なのに、彼らは何故か特別扱いを受けていた。確かに特別だ。俺達とは違う。賢いし、科学を持っている。それでも、このモヤモヤは晴れない。




 俺は目の前で起きた殺人が忘れられず目が覚めると、気を晴らす為にこっそり家を出て外の草むらに寝そべり夜空の星を眺めた。そこに父さんが近よる。
「眠れないか」
「うん」
 父さんは俺の横に座った。
「知ってるか? 夜空に見える星の光はな、過去の光なんだそうだ。この星から向こうの星までにはものすごい距離があって、光の速さでもこの星に届くまでに数分はかかる。つまり、あれは数分前の光だ」
「へぇー」
 それは知らなかった。
 それから沈黙が続いた。その沈黙を最初に破ったのは父さんだった。
「お前にとっては辛い日だったな」
「目の前で先輩が殺された。一緒に遊んでくれた先輩だった。でも、目の前で死んで動かなくなって、それがずっと頭から離れなくて」
「そういう時はな一人で抱え込むな。家族だろ? 父さんにもその辛さを共有させてはくれないか?」
「父さん……」
 俺はその後泣いた。どれぐらい泣いてたかは覚えてない。気づいたら俺は父さんの腕の中で眠っていたから。あの時、直ぐには泣かなかった俺の感情はあの星の光と同じく遅れてやってきた。


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