異世界で『殺し屋』

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第一章

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 自由の国『アラディア』がたった四人組によって滅ぼされてから七十年後の話しである。



◇◆◇◆◇



 父の遺品整理をしながら、突然受け継ぐことになった不動産事業の経営計画書やらファイルやらを初めて覗いて、俺は思わずゾッとさせられた。ほとんどの不動産が回っておらず利益が出ていなかったからだ。原因について心当たりがないわけではない。最近の隣街は大規模な開発を行っており、道の整理から海外の大企業の誘致等がより積極的になっている。その一つの目玉が、工場建設費の半分以上負担だ。現在、首都は大規模な開発中で治安悪化による支持率低下の与党と大統領が一昨年になって打ち出された政策の為に建築資材や人材が首都に集中しており、その為に建築関係が全体的に値上がっていた。あとは、この国の財政状況が悪く通貨の不安定が続いており、一部の専門家は手を打たなければ最悪通貨暴落が起きスーパーインフレが起きると予想した。それにより、海外から仕入れている資材の高騰もあって不動産価格の上昇と金利上昇が更に住宅ローンにも押し寄せ、全体的な貧困がより一層社会問題となっていた。
 そこにきて隣街の大胆な積極財政による政策を打ち出され、この街の人口流出が止まらずにいた。工場建設は労働者を生み、人口は増え、そこから税金を得るという考えなのだろう。
 人口が増えれば商業施設も増え、街づくりとしては活気がつくことになる。街の市長は若者でまだ30~40の経営者でもあった。確か、学習塾を幾つか持っていて更に拡大していくとの事らしい。産業レベルが上がっていけば国民は更にそのレベル習得に大学へ望む人が増える。需要にいち早く気づき先手を打ち、更に他の学習塾にはない斬新なシステムを独自に次々と導入していくことで差別化をつけ、うまく事業を拡大したやり手の経営者。一方で暗い噂のつきない市長であり、その噂は企業とズブズブだとか、夜にはピンクの店に入る目撃情報とか、女性関係のトラブルが耐えないだとか、実は隠し子がいるとか、どこまでが事実なのか分からないし、市長をよく思わない人が単に悪い噂を垂れ流しているだけかもしれないが、少なくとも人望は一部に限られているようだ。市長による強引な開発や政策による反発は度々起こっている。それでもやり通す市長はメディアに対して「新しいことや変化に対しては必ず反発が起きるものだ。それにいちいち足をすくめていては我々政治家は何も出来なくなる。私は恐れたりはしない」とむしろやる気を見せた。
 ということもあって、賃貸住宅や土地が回らないのはその原因である。
 では、この街の政策はどうなっているかというと、財政悪化でとても隣街のような政策は打ち出せたりは出来ない。街の組合によればどこも厳しい状態で一部は廃業か隣街に移るかの選択を始めているらしい。
 この街にだって良いところはある。例えば水に関しては近くに山があり、そこから湧き出る水はミネラルを多く含み、それを使った農産物は人気が高い。一方で工場に対しての公害防止や自然保護に関する条例は隣街より厳しいものになっている。隣街の大規模な開発による公害問題でむしろ移住してきた人達も少なからずいるぐらいに違いははっきりしている。そういった環境面を打ち出し人を呼び込み再び活気を取り戻す計画も立案されているが、予算がない中でどこまでやれて結果がどの程度見込められるのかという不安は尽きない。
 恐らく、隣街の市長は規制をゆるゆるにして誘致をしまくり、街が発展した後に規制を徐々にやり始めるのではないか。俺ならそうしたかもしれない。
 とはいえ、世界的にも産業に遅れを見せているこの国が世界の大企業を誘致し、この国の経済発展に繋げるなら悪いことではない。それに、市長は与党の党員でもあり、国が関わっているのは間違いない。その国が目立たずに市長にスポットライトが当たっているのも党の狙いは次の大統領選にその若き市長を押し出したい狙いが透けて見える。現在の大統領は既に満期を向かえ、与党は国会に次の選挙に勝てる有力者がいないことが悩みの種でもあった。それもその筈で景気悪化による責任追及が政権与党に向けられているからだ。そんな中で国会議員の中から選ぶよりというのが考えかもしれない。勿論、一部反対派はいる。その人物はあくまでも与党代表戦に立候補してもらい盛り上げの踏み台になってもらう。そんなところだろうか。



◇◆◇◆◇



 父の代、元修道院だった建物を買い取り改築、増築をし立派な屋敷に現在住む俺は使用人のいない広い屋敷の一部を仕事部屋にし、そこに時々来客が訪れる。大抵は行員、税理士、組合、たまに市長が訪れる。今日は特に珍しい市議が午前中にやって来た。近くに市議会議員選挙があり、恒例のように回っているのだ。ほとんどの家には市議の支援者が回るのだが、自分のようなところには毎回本人が訪れる。前回もその市議に投票しており、大抵市議が総入れ替えするような事態はまずこの街では起こり得ない。だから、今回訪れた市議も落選は考えにくい。言い方を悪くすれば、市議会に新しい風は吹きにくい。だが、敏感な若者達はそこに疑問を持つ。代わり映えしない議会にどうやって緊張感が生まれるというのか。だが、安心して欲しい。そういった若者はこの街では選挙を覆す程には足りない。それなのに、市議は何故か不安そうにしていた。俺は恰幅のいい丸眼鏡をかけた黒髪のスーツ姿の中年議員に訪ねた。
「シェパードさん、あなたの当選は確実だ。野党の支持率を気にするなら確かに与党の支持率の低下の割に野党の支持率が伸び悩んでいるのは分かります。だが、それは野党は次の大統領選で有力者がまだ見つかっていないからだ。野党代表戦に出るであろう議員は高齢ばかり。野党の議員が高齢化になっているのは深刻だが、与党が若いリーダーとして隣街のノーブル市長を持ち上げ支持率を一時的に回復させても、彼のやり方に問題があるのは明らかで、国民は必ずそれに気づき目を覚ますのは間違いないでしょう。なのにいったい何が問題だと言うんです?」
「サンバル市で我が党が大敗したことはご存知ですか」
「えぇ……フリン市長がノーブル市長の真似をしようとして商業施設を誘致した。それに答えた大企業が倉庫店をその市につくり、市民は喜んだ一方で元からあった小売店は客を取られ次々に閉店、倒産していった。気づけばフリン市長は信用をむしろ失い、外資系企業が儲かる市になって取り返しのつかない事態になってしまった。ノーブル市長は自分達のない産業を呼び込み元からある産業を潰さないよう考えられてあった。そこの違いに気づいた時には遅く、フリン市長を支えた市議にまで責任は追及され、過半数以上を保持していた議席を失い、与党が過半数を得てしまった」
「次の市長選ではフリン市長は立候補を取り下げる予定だが、新たな候補者を用意したところで勝ち目は正直ないでしょう。与党は新たな地盤を築き、更に勢いつけたい与党はどうもこの街に目をつけたようです」
「支持率の低さの割に勢いがあるとは思いますけど、正直あのノーブル市長が大統領になるのは不安ですよ。国際に関してはまだまだあの市長は経験不足だ」
「それについては与党の重鎮も織り込み済みですよ」
「ノーブル市長が重鎮の言う事を素直に聞きますか? 大統領になる為なら裏でそういった交渉は予想出来ますけど」
「ノーブル市長は経験不足を承知で自分を支える人物には慎重になるでしょう。誰が裏切るか分からない以上、信用出来る者を側近に選ぶでしょう。現在、ノーブル市長に深いパイプをいち早く築いたとされるのがエリスという人物です。大統領候補者の有力者で副大統領を経験しています。副大統領を経験した議員が大統領になることはこの国では珍しくないことですが、次の代表戦にはノーブル市長を推薦すると思われています。理由は自分が大統領選に出ても現在の与党の支持率の低さから厳しいというのと、あともう一つはタイミングです。実はシーブという国が国王の命で金の輸出が禁じられました。そのことで金の値上がりが続き、世界各国で金の密輸が多発しています。金の密輸は国によっては重罪。一生刑務所のところも。通貨危機に備え金が重要視される中でシーブが自分達の金の流出を避けようとするのは当然ではありますが、逆を言えば世界的に通貨が揺らいでいてこの国も例外ではないということです。簡単に言えば次の大統領は苦境に立たされる。これは推測ですがノーブル市長は生贄にされると思われます。勿論、乗り越えれば支持率を得られるし、失敗したら責任をノーブル市長に押し付け重鎮は次の大統領をスルーして済めばいいことになります」
「ノーブル市長も馬鹿ではないから世界の状況を知らない筈がないし、次の大統領が大変なのは流石に分かるでしょう」
「ノーブル市長は自分はやれると思ってるかもしれません。我が党も次の大統領選に負けても、本音でははスルーして次の大統領選の候補者を育てることにエネルギーを使おうと上は考えているみたいですが」
「最初から次の大統領選を諦めるんですか?」
「まさか。そう思うのがごく一部いるというだけです。問題はノーブル市長に我が党が勝てるかということです。支持率でみたら僅差です。異常ですよ。いくらでも覆しは起きる。私はそれに恐れを感じるのです。我が党は本当に負けてしまうのではないのかと。ごく一部は開き直りもいいところで政党として政権を諦めるなんてことは本来はあり得ないことです。負けても、むしろ構わないと思うのは負けた時の言い訳を既にこの時で言っているということです。上は弱腰ですよ」
「それだけノーブル市長を恐れる理由が私には理解出来ません。過剰評価もいいところです」
「私もそう思います。資源とエネルギーの半分以上を輸入に頼っているこの国が更にインフレが上がればその影響は必ず起きます。その時、ノーブル市長がどのような政策をとるかでこの国の運命は変わってしまう」
「といっても、現在大統領がやっている金利の引き上げと増税が精一杯では?」
「ノーブル市長はそう思ってないようですよ。記者のインタビューでノーブル市長がこの国に必要なことはと問われた時に市長はむしろこういう時だからこその金利引下げと思い切った財政出動だと語ったのです。しかし、自国の通貨が安定し強ければ可能でしょうが、この国はそうではありません。そんなことをすればスーパーインフレが起きて札束の入った鞄を持ち歩くことになりますよ。そしたらこの国は救済を求める他ありません」
「そもそもエネルギーの高騰が特に経済を苦しめている。政府はエネルギー開発に力を回すべきでは」
「それを先に越されたのが我々ですよ。ノーブル市長は既に技術の輸入を積極的に取り組み発展を急がせています。その中にはエネルギー分野も含まれています。効率的な発電能力の技術や燃料に頼らない自然エネルギーとかです。我々も世界の動きに対して党としての公約に水素エネルギーに力を入れるとありますが、水素はコストがかかり、この国の財政では負担がかかり過ぎます。そこで国際協力のもと他国との共同開発を提案しています。我が国には自国だけでの開発は難しいですから」
「昔はこの国は世界から最も注目された国だった。資源があって各国はこの国に工場を置いた。労働者が増え所得者が増えると、金を使う商業も充実するようになった。だが、資源を取り尽くし、例えば西にある鉱山も掘り尽くされ廃坑だ。街を潤わせていた製鉄所も倒産し、今では廃墟と化している」
「この国に必要なのが技術だということは理解しています」
「南では燃料の高騰で処理しきれないゴミが幾つもの山になっているそうで、その処理施設の老朽化でそもそも止まってしまっているそうらしいですね。南には人は住めないと人の移動も起きていると聞きました」
「この国は沢山の問題を抱えています。産業が発展すればゴミが増え、生産能力を高め機械化が進めば労働者はリストラされ、経済発展しなければ国民は貧困になり、貧困が増えれば治安も悪化する。ゴミをリサイクルできる技術もこの国には不足しています。そのコストもです。結果、賃金が後回しにされ、通貨の不安定さが物価を引き上げ、政府は増税して財政を立て直そうとする……政府は財政出動でインフラ整備に金をかけ経済回復を狙い首都の整備を大規模に行っていますが、それが余計人材不足に陥らせています。かつての経済成長で得たお金はその当時のインフラ投資に回り更に経済は発展し、一時期は好景気になりましたが、資源が減り製鉄所が倒産、工場も減り、失業者が増えてからは景気は後退。借金した分の返済と失業者の救済で財政は悪化。税収は減収し公共事業を減らして財政を立て直そうとするも、不景気からまだ脱しきれず……」
「ノーブル市長は解決策があり、それが国民には魅力的で活路があるとみているのですね。その勢いは各地の選挙にも影響が出ると……」
「そうです。実際、ノーブル市長は街の活気を取り戻しました。やり方は強引で公害を生み出しましたが、この国に技術を取り入れ、貿易の中継地点とすることで産業を得ようとする試みはこの国を救う可能性があります」
「よく分かりました。しかし、この街まで公害被害になるのは避けたい。この街が好きですから。あなたを支持しますよ」
「ありがとうございます」



◇◆◇◆◇



 市議選は予定通り行われ、自分が支持した議員は無事当選した。しかし、全体的にみて野党が厳しい選挙戦だったことは結果からみてそう言えた。それだけの接戦だった。
 一方、与党では現在の大統領任期が満期間近であることから代表戦の日が具体的に決まり、早速候補者が発表された。その中には話題であるノーブル市長が入っていた。ノーブルは市長を任期満了を待たずに辞職し、大統領選に挑むことを宣言し、支持者を熱狂させた。メディアはどの候補者が勝つか予想が始まり、早速ノーブルのスキャンダルに触れた。支持者は特にスキャンダルに感心はなく、ノーブルに対抗する野党とそのメディアが流したフェイクとして、ノーブル支持を変える動きはあまり起きていなかった。世論調査では代表戦にはノーブルの圧勝が予想され、大統領選でもノーブルの勝利が予想された。勿論、選挙戦は何があるか分からない。メディアは大統領選でスキャンダルの証拠を出してノーブルを、与党を追い詰めるかもしれない。どの結果になろうと、この国の運命が変わることは言うまでもない。
 対して野党はというと、早速ノーブルを敵対し、彼が一部の企業の癒着疑惑を指摘した上で、一部の富裕層だけが儲かり貧困層に対しては無関心であると支持者に訴えた。
 ノーブルは直ぐに反発し「経済発展こそが税収となり、それは福祉の予算にも当てられることで、全ての国民に対して恩恵がある政策パッケージとなっている。それに対して野党は私のすることに反発するだけだ。公害問題に関してもデータ上は健康面で直ぐに影響が出る程のものではない。それらの問題は取り組むことで改善の見込みがあり、野党の主張はむしろ国民に脅している卑劣な行為であり、非常に遺憾である」と主張した。だが、公開されているデータは一部であることと、公害の疑いによる健康被害は保健所から発表が出ている。ノーブルの言う通り些細なことであるのか疑いことだ。
 そして、数週間後に野党の代表戦が始まり、立候補者は予想通りの結果となった。問題は世間の注目度がノーブル程でなかったことだ。各メディアはどの候補者を取り上げるべきか頭を悩ませた。普通に考えれば見込みのあるノーブルになる。だが、彼の弱点は圧倒的な経験不足にある。市長初のいきなり大統領だ。懸念が全くないとはいえない。無難は野党の経験豊富なペック。外交官を経験し、その時の国際的なパイプを持つ。失言もない冷静な男の安定感は野党支持者には人気だ。ただ、ノーブルの背後には副大統領を経験したエリス議員が彼を支えている。アドバイスを求める相手としては不足がない。
 因みに二人の意見の違いは以下の通りだ。


■ノーブル


○現大統領の増税を批判し、思い切った財政出動として、この国を貿易の中継地点として技術輸入し、雇用を増やし経済発展させる。既にその取り組みが街規模で行われ、街は潤い発展したことを主張。


○増税の流れをストップし、財政の見直し、改善の実行。


○公害問題に取り組む為に法律の整備を行う


○国会議員の定数を半数削減し支出を削減。


○住宅ローン減税


○水資源の豊富さを利用した水力発電に力を入れ、エネルギー分野では海外依存の脱却をはかることで、エネルギー分野の価格の安定化を目指し、経済負担となるエネルギー価格高騰をおさえる。老朽化した火力発電を削減。



■ペック


○現大統領の増税を批判。増税のストップと一部は減税、上がった社会保障費を元に戻す。


○ノーブルがしてきた公害問題の放置を批判し、公害防止の強化の法案を可決させる。公害による健康被害に対する金銭面での保障。


○エネルギー分野では水素事業に力を入れ、国際的な共同開発に取り組む。エネルギー価格の上昇に対して国が一部負担し、経済の影響を最小限に留める。


○医療保険適用範囲の拡大。


○過度なインフラ投資による財政難を引き起こした与党、現政権への批判、予算の透明性を行い、一部の民間企業との癒着を断ち切る。



 早速メディアに二人が招待され、激論がかわされた。
「あなたは国会議員を半数に削減すると公約に掲げていますが、何故半数なのか根拠が分からない。半数削減というのが子供じみていて実効性に欠けると思いますが」
「既得権益の為に腐敗した政治家が代わり映えしない国会議員の顔ぶれを見せられ、国会の信用は地に落ちている。再び緊張感を取り戻すには大胆な変化が必要だ。特に野党の顔ぶれはまさにそれだ」
「腐敗はどちらかな? 私にはあなたにこそ相応しい言葉だと思うが?」
「どうでしょう……野党や一部のメディアは私が癒着をしているんじゃないかと疑いをかけていますが、いたって公平に行っていますし、そのような証拠はありません。私は常に国民の利益になることを最優先に考えています」
「その割にはあなたが市長としてやってきた街は公害の問題を抱え、強引な街開発には反発もありましたよね?」
「メディアにもそのことについては説明しましたが、公害に関しては対策を既に政策の中に盛り込んでいますし、その問題は長期化しないことを皆さんに約束出来ます。また、企業からも公害問題に対して改善する為に取り組むことも発表がありますように、この問題は早期に解決できる問題だと確信を持ってますので、過度に主張する野党と一部メディアに是非皆さんは惑わされないようにお願いします」
「過度と言いますが具体的にどこが過度だと言うんですか? そもそも、公開された情報は一部に留まっている。その理由は何ですか?」
「それもメディアに答えましたが」
 白熱した討論にお互いの質問と返答が続き、支持者はそれを見守った。
 その後に出された世論調査はノーブルが5ポイント優勢となった。
 誘致の為だからと外資に国税が使われるのはどうかという意見がある一方で、技術は自国発展に役立つという説得力が効いた評価もある。
 ノーブルは余裕な表情を見せ、更に差をつけることを宣言した。対してペックは厳しいスタートとなった。戦略を考え直す必要があり、早速夜遅くまで戦略は見直された。課題としては、思った以上に与党批判とノーブルの疑惑が世間に効いていないということだ。ペックは自分の政策の良さをもっとアピールすることに方向性を変えることになった。例えば、この国の電力事情で言えばノーブルは水資源の豊富さから水力発電と言ったが、今後の世界の方向性を考えたら電力需要は高まっていくと予想され、水力発電だけでこの国のエネルギー価格高騰をおさえるにはまだ足りないのではないのか。ペックはそのことを考えた先のエネルギー政策を考えている。
 産業面ではノーブルはこの国が過去に資源がまだ豊富の時に持っていた加工技術や生産が一度衰退すると、再びそれを取り戻すことは困難で、海外の協力は必要だと主張したが、この国の研究機関、大学の研究にこれまで国は予算の増額をして、産業に繋げる試みを続け、その効果は少しずつ芽が見え始めてきている。水産業で言えば養殖技術の向上や航空産業で言えば民間旅客機の製造、それ以外の産業で言えば造船技術の向上や農産物で言えば新種の開発が進められており、この国の経済がむしろ不安定なのは貿易依存の現在では国際の勢力争いや世界経済に影響を受けていることにあり、それよりも国内での経済の循環の為の政策を優先すべきとペックは考える。
 豊富な水資源で言えば、ノーブルは水道事業の民営化について議論すべきと市長時代に言及しており、公約には今回入れなかったものの大統領後に民営化がされる懸念がある。ペックは水道事業を民営化することに反対であり、私がペックを支持する最大の理由がそれである。




 2回目の討論が行われ、まずノーブルの主張から始まり、それに対してペックは彼の考えに一つ一つ疑問を呈しながら問題点を浮き彫りにしつつ、自分の公約を売り込んだ。
「あなたは沢山の工場を国家プロジェクトとして増やすと言いますが、既にあなたが市長時代では産業廃棄物処理施設の設置に住民からの反発がありましたね? 今後、それが国全体で起こる可能性はないんでしょうか?」
「まず、産業廃棄物処理施設の設置は正当な理由がない限りは拒否出来ない仕組みになっています。従って事業者から申請があり問題がなければそれは許可されることになります。勿論、環境には最善の配慮はしますが、この国の最高裁判決では申請許可に違法性はないと判断されたように、法律に従って産業廃棄物処理は適切に行われており、一部理解が得られなかったのは残念ではありますが公平に行われていると言えます」
「最近では違法に廃棄物が処理された悪質なケースが横行し、一部メディアでも取り上げられました。その後、その業者は処分を受けたわけですが、格安業者に委託した業者まで処分されることはなく、その企業はあくまでもその実態を知らないと言いきっていますが、それには疑わしい部分が幾つかあります。そもそも、その格安業者は外国籍であり、委託する企業を調べないのは考えられない話しです」
「産業廃棄物処理法に基づきしっかり行われるよう取り締まりを強化するなどの対応は検討していきたいと考えています」
「そう仰られますが、行政代執行まで行われた不法投棄の強制撤去が行われ環境の再生を行っていますが、数年が経過した現在も不法投棄に悩まされている現状があります。また、公害の問題もそうですが、経済を中心とした社会は私達が住む土地を汚し、そのゴミで汚れた土地で私達は生きていかなければならなくなり、それは次の世代へ引き継がれることになるわけです。環境保護がいかに重要なのかはその点を考慮すれば明らかであり、ノーブル氏の街づくりを見ても、そこが明らかに欠けている。環境の保護や公害防止の強化は必然であると考えます。一時、この国は資源が豊富で急速な発展をもたらしましたが、一方でその大量の不法投棄されたゴミの山を出してしまった。それを後世に引き継がせない為にも私は『持続可能な開発目標』を有権者の皆さんに提案したい」



 世論調査の結果はその差に変化はなく依然として5ポイント差となった。
 世間は経済成長による雇用の安定と物価高に耐えられる高収入を求めている。ノーブルはそのキーマンだと見る中年層が多かった。一方で若者はまだ答えに悩んでいる様子だった。ペックにとってはその年齢層をどう自分に引き込むかが課題となった。



◇◆◇◆◇



 タブロイド紙を読みながらお茶してひと休憩していると、書斎にあるハンドルのついた卓上電話機が鳴った。電話に出ると、電話の主は聞き慣れた入国管理局の職員ジェラルドからだった。簡単な説明を受け、いつものように一つ返事をすると出掛ける支度を始めた。
 警察から在留入国者の出入国の管理が管理局に移り、度々その管理局から仕事が来るようになっていた。頻度はまちまちでそうあるものではないので、主な収入源にはならない。父を亡くしてから不動産を引き継ぐ前は大学の言語の研究をしており、その研究は今も続けている。最近では教授になり、主な仕事といえば大学だ。不動産は委託してほぼ任せれば自分は研究に専念できる。ただ、今は厳しい状況にありそうも言ってられない。税金、維持費で赤字すれすれだ。大学の収入だけでなく、副業としての収入はありがたい。
 漆喰の街並みの中心には学校関係や役所が揃う中、そこに管理局の施設がある。管理局の周囲には高い塀で囲われ、正面入口以外は関係者以外立ち入り禁止となっている。中に入るとロビーでジェラルドが出迎えてくれた。彼は30代と若く結婚したばかりで奥さんは妊娠中。金髪のショートにハンサム顔の彼は私を見るなり笑顔を見せた。
「わざわざご足労いただきありがとうございます」
「構いませんよ」
「こちらです」
 そう言って関係性以外立ち入り禁止の貼り紙がされた扉から私達は中へ入る。ここでは、私は関係者になる。長い通路を歩き、その通りにあるドアを開けた先の部屋で一人の女性が椅子に座っていた。テーブルの上に置かれた両手首には手錠がかけられている。対象は黒髪のボブで、瞳はグレー。小柄で年齢は10代と思われる。前回相手した人より遥かに若い。見た目ではそこらにいる10代と変わらない。ただ、服装だけは初めて見る格好だ。
 私はジェラルドの方へ向き「何故彼女は何も履いていないのだ。いくら異世界人だからと下着姿のまま放置するのはどうかしていると思うが?」と指摘すると、ジェラルドは不思議そうに「あれは履きものらしいです。あの下に下着を履いていたのを女性職員が身体検査の時に確認しています」と答えた。私は思わず驚き、呆れた。
「あれが服だとは……考えられん」
 私は彼女の向かいの席に座る。
「さて、君のことについてまずは知りたいのだが」
「何を言ってるのか分からない」
 その返事で私は彼女の言葉が日本語であることが分かった。一つ目の収穫だ。私は日本語で返す。
「良かった、見知らぬ言葉でなくて」
「日本語!!」
「そう、私は言語を研究するコナーズ。私の役割は通訳と君についてあれこれ質問することだ」
「あの、私」
「待って欲しい。質問は此方がする。それに君が何でパニックになっているのかもだいたい予想がつく。私は多くの君のような人を見てきたからね。どうせ、気がついたらここにいたと言うんだろ?」
「そうです。気づいたら」
「結構。では、君の名前は?」
「新垣里沙です。あ、それは前ので本当は本田沙耶香と言います」
「サヤカ?」
「はい。あの、私これからどうなりますか?」
 私はジェラルドの顔を見た。そして、彼女が自分がどうなるかを知りたがっていると通訳すると、ジェラルドは「本当のことを彼女は知るべきだろう」と答えた。
 私は振り向き彼女の質問に答える。
「君は国籍を持たない。この世界に日本という国はない。君が知る国は一つもね。君にとってここは異世界みたいなものだ。そして、驚かないで欲しいが君のような人物は何人かいる。私は君が何者かを聞き取り上に報告する。調査は二ヶ月と決まっている。私が延長を要請し認められれば三ヶ月になる場合がある。報告は大統領に渡る。大統領はその報告を受け君に対して処刑執行を司法に求める。司法は大統領からの要請を審査し問題がなければ執行が行われることになる」
「いやいや、問題大ありでしょ!!」
「この世界で君の身分を保証するものは何一つない。また、君に国籍がない以上、この国の人権保護の法の対象にはならない。だから、対処には大統領が決め、法に反していないか司法が判断し、問題なければ執行される。その期間は、私が報告を提出してから大統領に渡り、大統領が判断したものを司法がチェックをして執行まで、だいたい7日以内の期間と定められている」
「裁判は?」
「行われないし、君からの意義の申し出は出来ない」
「そんな!?」
「そうなった理由がある。だいたい異世界から此方に来た人は大抵何かしらの能力を持っている。かつて、大昔にヒミコと呼ばれる女性が現れた」
「卑弥呼!?」
「君達日本人は何故かヒミコを知っているようだね。でも、会ったこともなければその存在は不明だと語る」
「ま、まぁ……」
「ヒミコは未来を予言する能力があり、一国がそれで急成長を得た。小さかった国は徐々に領土を広げていき、影響力は世界にまで轟かせるものへとなった。国はヒミコの存在を極秘扱いし、国王の命のもと更に他の能力者を集めだした。従う者にはそばに起き地位を与えた。だが、その中に裏切り者が現れた。自分こそが王に相応しいと能力に過信したその人物のせいでその王国は内側から崩壊を始めた。国王はなんとか企みを阻止し、能力者全員を火あぶりで処刑した。だが、ヒミコはその前に逃亡に成功。国は慌てた筈だ。ヒミコは国政の近くにいて、色々と知りすぎているからだ。自分の保護を求めるかわりに情報を売るかもしれない。その前に捕らえなければと躍起になるも2年の月日が経過し、ようやくヒミコの居場所を特定した。ヒミコは既に国外に脱出をしており、ヒミコの居場所が特定できたきっかけもその国で急成長したからだ。ヒミコの存在はだんだん厄介なものになっていき、遂に国王は暗殺部隊を送り込むことを決断する。暗部は任務であるヒミコを暗殺することに成功したが、暗部が送られたことに気づいた国は王国に宣戦布告、大戦に発展した。国王は自分達にない能力者を恐れ魔女狩りのごとく捕らえては処刑していった。誰もが自分達にないものを持っているお前達を恐れている」
「そんな!? どうにかならないんですか?」
「一つだけ言えるのは、この国は大統領選を控えていて、報告が出来上がる頃には新たな大統領が決まっているということだ。それが君の運命を左右することになるかもしれん」
「助かる可能性があるんですか?」
「どうだろうな。これまで歴代大統領全てを見ても能力者を見逃した事例は一つもない。司法はあくまでも人違いがないかどうかを確認するだけで、大統領の要請を却下した事例もない」
「それって助からないってことじゃない!」
「私にはどうすることも出来ない。この国の法律がそうなのだから。他の国ではもっと酷い扱いを受けたかもしれない。だが、能力者を安易に利用しようとして滅びた国は二、三ある。その歴史からどの国にいこうとお前達に居場所はない。残念だがそれが事実だ」
 私は残酷な宣言をしただろう。初めて異世界人と会ったのは、国からの要請で言葉の解読を依頼された時から始まる。極秘扱いである為に私は政府の監視を受けるが、日常生活に支障が出るものではなかった。普通にベッドから起き、朝食を食べながら新聞を読み、午前中に散歩し、仕事して、昼を食べ、夕方には会食に付き合い、稀の休日には友人と釣りに出掛ける。たまに家族と旅行もする。不自由はない。私の幸せは確保できていた。
 異世界人が真実を知らされた時、ショックを受けたり怒ったり、泣いたり、様々な反応を見せるが、どれも私達人間と変わらない反応だ。実際、彼らを対象に研究する私の数少ない親友の生物学者ハリスは遺伝的に私達と違いはないと断言した。だからこそ超能力がどこから現れるのか謎だとも。遺伝的であれば大発見だが、異世界に現れた過程にあるのか、それ以外なのかも不明だ。因みにハリスも政府の雇われだ。
 サヤカという女はブツブツ何か言っているが、私はまず自分の仕事に専念する。まずは能力に目覚めているのかどうか、危険レベルの把握、身体的なものに関してはハリスがやってくれる。ハリスは彼女が持つ菌を調べる。もし、ワクチンや治療法のない菌や病気を持っていたら大変だからだ。しかし、私がこうして面会出来るということは既に検査結果は出たのだろう。
「幾つか質問させていただくよ。素直に答えた方がいい。私は暴力に反対だが、ここにいる全ての大人がそうとは限らない。嘘も禁止だ。いいね?」
 そう言って決まった質問リストの上から順に質問していく。そこで徐々に明らかになったことをメモしておく。



◇◆◇◆◇



 私は二回死んだ。それだけを聞くと、まるでゲームのようだが、実際私の身に起きたことだ。
 一回目はトラックに跳ねられ、2回目は覚えていない。けど、体育の授業中だったのは多分確かだ。
 死んだというのは比喩ではない。
 そもそも想像して欲しい。 令和に生きる若者にとって、スマホがない、ネットがない、そんな環境は想像出来ない。アマゾンにでも行かなければ、それを知ることもない。そう思っていた。だけど、実際私の目の前には昭和のレトロが広がっており、私はトラックに跳ねられ気づいたら異世界転生ではなく昭和にタイムスリップしていた。どうせなら未来が良かった。
 そこでの私は見知らぬ家で姿はそのままボブに小柄で、ただ違うのは新垣里沙という名前になっていたことだ。中学一年は変わらずだが、そこで私は新垣里沙としてわけが分からないまま生きていくしかなかった。誰も私が未来から来たなんて信じてくれるわけもなく、ただの変人扱いをされるだけだった。学校に行くと男子は全員坊主で、体育の体操着は男子は短パンで女子はブルマだった。
 皆は当たり前のようにブルマに着替え、私が中々着替えないのを見た女子達が授業に遅れちゃうとせかされ、私は根負けして遂に足に紺色のパンツみたいなブルマを通し一気上までいき履くと、スカートのフックを外した。スカートがストンと落ちると、鼠径部にフィットしギリギリ尻を包んだ紺色のブルマが顕になり、そこから白い太ももが隠されることもなく露出された。更に他の女子達は体操着シャツを全てブルマに入れており、私は屈辱に感じながらも皆と同じようにした。でないと、私を見る雰囲気、視線が妙に心地悪かったからだ。こうしてブルマ姿になった自分に男子の目線がチラホラと向けられた。耳が赤くなり、体育の授業のラジオ体操やウォーミングアップで屈伸運動やらでケツに食い込み、自分の尻が男子にまで見られたい放題になった。中学生になって成長しつつある胸の膨らみが体操着の上から分かってしまい、何とも嫌な気分になった。全く集中出来ない私に更に不運が襲った。



◇◆◇◆◇



「今日はここまでにしよう」
 私はそう言って聞き取りを切り上げると、私は来た道を引き返した。ざっと2時間ぐらいだった。管理局の受付けカウンターの横には電話機があり、私はそれを使ってハリスのいる大学に電話した。大学の事務所が先に出て、ハリス教授を呼びに待たされている間、ジェラルドは私にジェスチャーし彼は自分の仕事へと戻っていった。
 ハリスが電話に出ると、彼の所見を聞くことが出来た。それらをメモしていく。次回の調査はハリスも同席することを確認すると、受話器を戻した。
 私は職員に挨拶をしてから管理局を出て大学へと向かった。
 ついでと残りの微妙な時間を学生が書き上げたレポートを読んで、私の一日が終わった。



◇◆◇◆◇



 後日。約束通り管理局にハリスは現れた。中折れ帽に白い髭を貯え高給スーツにコートを羽織った姿で。お互い軽い挨拶をすると、そこにジェラルドも現れる。
「お二人とも今日は宜しくお願いします」
「そう言えば昨日十代の少女と会ってきたんだろ? 印象としてどうだった」
「能力は目覚めてはいないでしょう。嘘をついている様子もありませんでした」
「ハッ……死んでる蘇り、ついでにタイムトラベルもしたってか? 安心しろ、頭の方に異常はなかった。薬物反応もない」
「ハリス、私達はいろんなものを既に見てきた。もう、何も驚かないよ」
「最近は言語以外に異世界の文化について研究を進めているらしいじゃないか。本を出せばベストセラー間違いないだろう。だが、その時にはあんたはこの世にいない」
「何が言いたい」
「警告だよ。世界の創造、その先を見ようとするな。それにこれから会う少女も能力が目覚めたらどうなるか分からんぞ。一国が滅んだ最悪が再び起こるかもしれん」
「覚えてるよ。かつて能力者四人が一国を滅ぼした戦争。うち、死神と呼ばれた死の能力で大勢が亡くなった」
「四人が死んでも、また新しい能力者が現れ直ぐに四人が生まれる。その可能性がある限り俺達はただの少女でも油断するわけにはいかない」
「その通りだ。分かっている」
「……なら、いい」
 管理局には大統領選挙のポスターが掲示されており、選挙日が宣伝されてある。
「そう言えば、ペックは苦戦しているようじゃないか」
「勝ち目はまだある。そこまでの差じゃないさ」
「ペックが戦略を間違えなければな。焦ってノーブルの政治資金不正問題を出せば、ワイズマンの時のように秘書に罪を被せて逃げる隙を与えるだけだ」
 当のワイズマンはまだ国会議員を続けている。逮捕された女性秘書は現在服役中。そこまでして守る価値があるとは思えないが。
 三人が例の部屋に入るまでに数分もかからなかった。部屋の前には二人の屈強な警備がついている。ジェラルドがドアを開けると部屋の中に誰もいなくなっていた。
「おい、あの女がいないぞ!」
 警備の二人は驚く。
「そんな!?」
 窓のないその部屋の出入り口といったら一つしかない。まさか…… 。
「どうやら早くにも目覚めてしまったようだな」
「どんな能力だ」
「さっきの話し、タイムトラベル関係で時間を操る系だったらどうする?」
「それなら脱出は可能だろう」
「忘れていないだろうが、国を滅ぼした四人組もあの日本語を喋っていた。あの女も日本人だ」



◇◆◇◆◇



 私は走った。とにかく全速力で。腕を大きく振り、露出した白い太もを上げ、地面を強く蹴った。額からは汗が垂れ、周囲の目が私に行く。それもその筈、私の今の格好は異様で注目を浴びてしまうから。紺のブルマの体操着に慣れていない女性からは悲鳴があがり、男達はクスクスとニヤついている。警官は私を見つけ警笛を鳴らしながら追いかけてきた。その直後、あらゆるものが遅くなった。耳からは悲鳴、会話、警笛の全ての音が、視覚からは人々の動きがスローモーションになるのが分かる。昨日言っていた能力とはどうやらこのことらしい。
 これなら逃げれる。あとは服をなんとかしないと。
 途中干してあった地味な長いスカートを見つけ、それを奪うとブルマの上からそれを履いた。



◇◆◇◆◇



 警察の全力の捜索をもってしても一人の少女を見つけることは出来なかった。
 空も暗くなり、私はシャワーを浴びる。全身に泡が包み、左脇腹の刃物傷が隠れた。今となっては古傷だ。かつて、異世界人を調査している時にいきなり暴れ抵抗された時に出来た傷だ。いつから凶器を持っていたのかと思ったが、なんてことはない。その人物の手が刃物に変形した。これまで、異世界人の何人かを管理局の協力者として通訳してきたか。その人物の本性を知る為に密室で同じ部屋にいる危険性をその当時の私はまだ分かっていなかった。当時、数人の銃を持った警備員がいる中で行われた調査の筈だった。大学教授である民間人に危害が及んだことにより、その当時の責任者は辞表を出した。だが、私の油断でもある。相手は子供だった。そんな子供が銃を持った大人達に囲まれた密室で暴れだすとは思わなかった。だが、人は凶器を一旦持つと、本来の自分より大きく想像する者がいる。彼もそのパターンだろうか? 確かめるすべはない。彼は射殺され即死だった。乾いた銃声、目の前であっさり人が殺されたことに衝撃を受けた。当たり前だと思っても、こうして目の前で見ると、人間の発明は恐ろしいと考える。どんな能力であれ、ハリスの言う通り人である。血を流し、一つしかない命は簡単に奪われた。
 古傷を見るたびに甦る記憶によって立木起こされるあの時感じた恐怖が私にもう二度と油断するなと警告する。もう、二度目はないと。
 シャワーのお湯が泡を流し、辺りに発生した湯気が私のプライベートを包む。それはとても危うく、私の身も危うかった。



◇◆◇◆◇



 後日、私は大学へ向かう。大学近くの道はだいたい大学生がこの時間を歩く。私服だけど、身なりは皆しっかりしていた。鞄を背負う者、手に持つ者、形は様々でも大きさはそれなりだ。大学生らしく参考書や筆記具、ノートが入っている。少人数制の一つの教室に最大5人に対し大学の先生が相手をする。先生は学生の理解度に合わせながら授業を進める。歴史ある大学の校舎は所々に彫刻や伝統な建築技術が使われており、アーチ型の入口や中庭の噴水、そこにあるベンチ、教室、机、椅子、大学内にあるほとんどが大学を出た偉人達も使っていたものである。その私もこの大学出身だ。
 いつものように自分の教室に入ると、生徒ではないスーツの二人組がいた。直ぐに警察だと分かった。恐らく、管理局から逃亡した少女のことについてだろう。私が何故彼らが警察だと見抜けたのは、普段の私を監視していた中にその二人の顔があったからだ。直接接触してきたということは、彼らが私を密かに監視する必要がなくなったからだろう。それは私にとっては何を意味するのか。
 一人の警察が私に質問する。最初は名前の確認。私は答える。次は警察は目的を明かした上で関連する質問を二、三続ける。私は嘘をつかず全て素直に答えた。警察の目的はやはり少女についてだった。少女の知っていることを話すと、今度は私のプライベートについて二、三質問がされた。私は警察にその質問に何の意味があるのか訊いた。警察は「あなたが裏切らないかを知る為です」と案外素直に教えてきた。
「それで、あなた達の見解はどうです?」
「まだ、答えを出せない」
 時折、この国の三権分立がどうなっているのか知りたくなる時がある。警察が事件以外でここまで直接的に動くようになると、ハリスの警告はあなたがち過剰でもないということだ。こういうことに別に慣れたつもりはない。どこまでがグレーでアウトなのか、その境界だって分からない。
「行方不明になった女と最後に面会したのはあなただ。我々はあらゆる可能性を考慮に入れ捜索にあたっている」
「あらゆる可能性とは?」
「女があなたの元に現れるとか」
「まさか。調べてもらって結構ですよ」
「既にさせてもらいました。今日のところは失礼しますよ」
 そう言って警察達は私とすれ違い、教室を出ていった。
 私は荷物を自分のデスクの上に置いた。ふと、背後に人の気配を感じ振り返りながら「まだ、何か?」と質問しようとしたが、そこにいたのは先程の二人組の警察ではなく、その警察が行方を捜索している少女が立っていた。
 私は驚き、直後に最悪だと思った。これではどうみても私は少女と関係があると思われ兼ねない。
「どうしてここに!?」
「助けて」
「私が君を助ける? 何故? 自分を危険におかしてまで君を何故助けなくてはならない。私には家族もいるんだ。君は逃亡したならそのまま隠れていれば良かったんだ。何故、自分でなんとかせず、私に助けを求めた」
「私にはあなたしかいないと思ったから」
「なんて! そんな……勝手もいいところだ。君は私を巻き込んでいる。今なら自分で捕まりにいけばまだ間に合う」
「あなたは私のような人達を見殺しにしてきた。あなたには私を助けなきゃいけない義務がある。それがあなたの罪なのだから」
「罪だと! 軽々しく神を演じるな。例え能力に目覚めたからと言ってお前が神でないのは明らかだ」
「神でも人でもないのなら、私達は何者なの?」
「異世界人だ」
「人よ」
「……ここではそうではないんだ」



◇◆◇◆◇



 これは賭けだった。私の全く知らない世界、国籍もなく、頼れる知り合いもいない。人は沢山そこにいるのに、全て敵に見える。私とそこにいる人に違いはないのに、まるで違って感じるのは、言葉が違うからなのか。でも、私が彼らの話す言葉をマスターすれば、私と彼らの違いはなくなるだろう。言葉の壁がはっきりとかたちとなって距離を感じる。私は孤独だ。だからこそ、自分の事は自分でなんとかしなければならない。私に出来るだろうか? 答えははっきりしている気がする。無理だ。それに私を捕らえようとする人がきっと現れる。私は殺される。もっと賢くならなければならないが、私はそもそも賢くはない。私が直ぐにパッと浮かべられるのは、日本語の話せる教授という男だ。彼に頼ってみるべきか。だが、逆に通報されたらどうしよう。罠をかけられたらどうしよう。そしたらまた逃げればいい。賢くない私が考えて思いつくことはそれくらいだ。それが最悪をもたらすのか、幸運をもたらすのか、それは神のみぞ知ることだろう。



◇◆◇◆◇



 少女は生きる為に必死だった。だが、この世界のことを少女は当然知らず、一人で生きていくことは困難。その潔さは認めるが、その結果が私に救いを求めることとは想定外の出来事だ。私は少女に事実を言う。
「私が君を匿う、もしくは逃亡の手助けをしたら私も罪に問われることになる。国の法のもとで裁かれることになるが、見えない部分で私や私の家族に危害が及ぶかもしれない。私はこの国を愛し信じているが、それは私が今まで法に触れてこなかったからだ。国に従う民で居続ければ私も家族も危害が及ぶ心配はない。むしろ、その心配を取り除こうとするだろう。例えば」
 そう言って私は受話器を取ろうとした。だが、気づいたら電話機が無くなっていた。もしやと思い尋ねる。
「それが君の能力か?」
「周りの時間が遅くなる。更にどんどん遅くすれば時が止まったようになる」
「時間を超越したか。その力があれば私に頼らずとも生きていけるだろう。パンを盗み、人を殺すことだって容易い。誰も君がやったところを見ていないのだから、君はその件について罪に問われることはない」
「私にだって罪悪感ぐらいはあるわ」
「なら、それを捨てろ。そうすれば君は一人で完全犯罪を成し遂げられる。私に頼る理由はなんだ?」
 最も重要な質問、少女の目的についての質問だ。少女は罪悪感があると言った。罪悪感とはどのことだ? 法を犯すことか? しかし、少女の住む法律ではない。少女が守る義務はない。同時に義務を守らない人間が社会に平然といていい筈がない。国外追放だ。それが出来ないのだから処刑するしかない。力を持った国籍のない人間がいかに恐ろしいことか、この少女はまだ分かっていない。恐怖心こそが私達が異世界人に対する感情であり、前提だ。それは一国が滅んだ歴史という事実があり、だからこそ私達はお前達異世界人を受け入れないのだ。
 突然、窓ガラスが割れた。その窓からスタングレネードが投げられた。私は咄嗟に目を守ったが、数秒待っても起動する様子がない。私は少女を見た。どうやら、スタングレネードは機能を停止されてしまったようだ。すると、完全武装(防弾チョッキにヘルメット装備)した兵士がトリガーセーフティーの銃を持って次々と教室へと入っていく。どうやら待ち伏せされていたようだ。容赦なく発砲を始めたが、銃口から発射された弾はとてもゆっくりになった。ナイフを投げようと、あらゆる動きが遅くなった。一人の兵士がならばとばかりに格闘に切り替えるも、今度はその兵士がゆっくりとなる。サヤカはその兵士が持っている刃物の手首の上を目掛け払い、その腕を掴み引っ張りながら足を引っ掛け持ち上げると、その兵士を投げ飛ばした。飛ばされる直後に今度は異常なスピードで床に叩き落とされた。
 防衛からの反撃に能力で勢いをつける瞬間にスピードを上げた為に威力は増していた。
 背中を強打した兵士は暫く動かない。
 もう使いこなしているのに私は驚かされた。
 のろまで防御、加速で威力を上げて攻撃。完全に使い分けている。こうなってしまえば、たった一人の少女相手でも厳しい訓練を乗り越えてきた兵士達があっさり圧倒されてしまう。アサルトライフルを持った兵士も現れるが、動きを止められてしまう。
 私は戦場と化した教室から抜け出し、早くその場から離れるように全力疾走した。その間、サヤカは兵士を相手にしながら割れた窓から外に出た。その直後、左肩に激痛が走る。見ると血が滲んでいた。
「狙撃!?」
 サヤカは逃げるしかなかった。光より速く。
 そして、またサヤカを私達は見失ったのだった。その直後、兵士が投げたスタングレネードが起動した。




 大学は急遽休校となり、学生と教職、事務員全員は軍によって大学から追い出された。窓ガラスが割れた教室から重点的に調査が始まり、私は正午が過ぎるまで軍曹を名乗る兵士に事情を説明した。その間同じ質問が何度かあって疑われているのは分かっていたが、夕暮れ時まで拘束されるとなると、いよいよ自分の身の心配するようになった。軍曹と他の兵士に連れられ外にある休憩スペースになっているテーブルの席についている男の目の前に立たされた。木のテーブルに格子のついたランタンが置かれ、男の手元の直ぐには45口径のマガジンが置かれてある。顔に古い刃物傷が右頬に縦についており、灰色の鋭い眼光はまるで狼のよう。貫禄のある男は兵士からは大尉と呼ばれ、逃亡中のサヤカを追っていた。
「あの女の行き先を言え」
 まるで私が知っているかのように男はそう尋ねてきた。
「知らない」
「死にたいのか?」
 男の質問に嘘はなかった。本当に殺す気だ。直感が次の返答を慎重にするよう脳に命令する。だが私の脳は困惑した。どう答えれば正解なのか分からないからだ。男はきっと苛立っている。冷静さを保っているが、私の行い次第でその忍耐もダムの決壊のように崩壊するだろう。
 気づけば私は冷や汗をかいていた。男から目を合わせられず下を向いてしまう。顔が上がらない。足がガクガクと震え、心臓がバクバクしている。どうにかして足の震えを止めたいのに止まらなかった。
 日は落ち、ランタンの明かり一つになる。明暗が二人の間に境界線を生み出した。明には大尉と呼ばれる男。暗には自分が立っている場所。答えられない私に大尉はマガジンを持ち上げ、そして撃った。銃声が空にまで響いた。その上空をカラス達が飛び回った。



◇◆◇◆◇



 ハリスは帽子を取り胸に当て親友に黙祷を捧げた。目の前にはその親友の墓石だ。彼の墓を掘ったのはあの女なのは間違いない。警告が無駄に終わり、空虚だけが残った。ハリスは帽子を被り彼と別れを告げると、来た道を引き返した。糸杉通りを歩き開いた門扉を通り過ぎた。



 ハリスの自宅はコナーズが住むような立派な屋敷ではない。壁の薄いボロアパートの二階の部屋だ。入ってすぐの中階段の上からはカップルのイチャイチャ声が聞こえてくる。女が男に「早くこんなボロアパートから引っ越そうよ」と誘っている。男は女にキスをしながら「それ、最高」と返している。アパートは4階建てだ。二階の奥にドアがあり、鍵穴が二つ。鍵を開けていき中に入ると狭い玄関に靴はもう一足だけ。スリッパはなく、天井はやや低く全体的に圧迫感がある。リビングに行くと、大通りが覗ける窓があり、窓を閉めていても外の喧騒を防ぐことは出来ないでいた。冬になればこの部屋は地獄と化し冷蔵庫の中にいるみたいな気分になる。だから、家の中にいても厚着が必要だ。たまに、下水が詰り、工事が終わるまでトイレの使用が禁止されることもある。それでも警告を無視したバカのせいで一階の部屋のトイレが逆流して汚物が吹きでる。一階から悲鳴と怒鳴り声と銃声が響き、暫くしてサイレンが聞こえ、全部屋に警官が回ってやってくる。そもそも、建築基準に達していないこのアパートは管理者に逃げられ、別の管理会社が引き継いだが、彼らは私達住人に立ち退きを要求している。違法建築もあって管理会社は必要な処置としているが、代わりの住居はここの家賃の倍するところだった。安くしてくれるわけでもなければ、引っ越し費用はこちらもちということもあって住人は管理会社を訴えている。ポストには暫く管理会社から立ち退きをするよう何度も通達文が送られたが、最近はそれもなくなった。管理会社の目的は最初からこの土地だった。管理会社はそのうち私達を立ち退かせる為に強硬手段として裁判に訴えるだろうが、この国の民事裁判は時間がとてもかかる。というより、役所の人間全てに言えることだが、彼らの仕事が早かった試しはない。やる気のない死んだ魚の目をしながら受付けに立ち、暇な時は職員同士で雑談し、休憩時間も守らず長時間休むことは日常的だ。トイレに引きこもる職員の多発で、役所の個室トイレが全てうまっていくら待っても開かないのは普段の光景だ。そのトイレには芳香剤が幾つも置かれてあって、怒った市民がその芳香剤を盗むが、後日には新しい芳香剤が置かれてある。市長は職員との関係を悪くしたくない為に彼らを注意することもない。クレームの電話はワン切り当たり前。彼らは自分達は勝ち組で解雇されないと高を括っている。たまに、怒った市民が家から持ち出したウンコを上から落とし事件になることは情けない話しだ。
 コナーズからはボロアパートより良い条件の家を紹介してくれていた。家賃はここより高くなるが安くしてくれる条件で、勤務先の大学からも近い場所だった。それを受けようかと思っていた矢先、彼はいなくなってしまった。今、手元にあるのは彼が残した日記とメモ帳、研究ノートだった。彼の家族が親友の私にと渡してくれた。言語学者ではないが、彼が異世界の言葉を教科書にしたかのようなノート数冊は勉強になった。



◇◆◇◆◇



 軍曹は嬉々としてこの状況を口笛で表現した。これで失態を取り返せる。大尉は日本人の女を取り逃がした失態に一人の大学教授を始末したことで怒りをおさめたが、大尉の忍耐はもう限界に近かった。あの方の下に2年もいるから分かる。大尉は有能か無能かはチャンスを与えずとも分かると言って容赦なく始末する。軍曹の首の皮が繋がったのは、あの教授を生贄に捧げたからだ。裏切り者がいると言ってね。教授は認めようとはしなかったが、証拠はでっち上げられる。でなければ死んでいたのは自分だ。チャンスは求めるものではない。自ら作り出すものだ。そう分かったのは教授の死以降だ。
 軍曹の目の前に転がるサヤカを見下ろしながら銃口を向ける。
「君の賞金は1000万だ。賞金稼ぎはそこらにいる。お前がどこにいようと、この国にいる限り見つかる。賞金稼ぎはお前の能力を知って遠くからお前を狙撃する。お前は足を撃たれる」
 軍曹は撃たれたサヤカの右上を蹴る。
「次はどこだ? 左足か?」
 そう言って軍曹はサヤカの左足を撃った。彼女は声をあげ、ふくらはぎからは血が流れた。
「お前は時間を操れても瞬間移動が出来るわけじゃない。自分の足でどこまで行けるか、そんなものはたかが知れている。文字通りの全力疾走をしても、持久力が底上げされてなければいつかはバテる。多少、身体能力があろうと、能力以外のお前はただの人だ。それは生物学者がハッキリと断定している。次は右手か?」
 軍曹はそう言ってサヤカの右手を撃った。サヤカは泣きながら懇願するが、軍曹には彼女の喋る言葉が分からなかった。
 軍曹は自分の下半身に手を当ててから、今度は彼女の服を全て強引に奪った。小さな体が顕になり、軍曹は彼女の体にそっと触れると少女は声を上げた。震えた少女はまるで子犬のようだった。軍曹は笑って自分のファスナーを下ろすと、彼女に乗っかり、それから犯し始めた。彼女はわめいていたが構わず軍曹は犯し続けた。軍曹の激しい運動が止むと、彼女は騒ぐのをやめていた。唇を噛み、そこから血が流れ出る。
「舌を噛めばもっと楽だったろうに。死ぬタイミングを間違えたな」
 軍曹はそう言って銃を持ち、銃口を彼女の額につけた。直後、何が起こったのか、銃口は軍曹の額に向けられていた。少女はもう涙を流していなかった。感じるのは少女の殺気だ。
「私を殺すタイミングを間違えたな」
 そう言って本田は軍曹の額を撃った。軍曹の後頭部を弾丸が貫通し、赤い血が飛び散った。
 周りの兵士も既に撃たれた後で、その場に倒れ込む。狙撃は死んだ軍曹を盾にした。軍曹の防弾チョッキ、それからそこらに転がっている死体のそばにある武器を見つめ、言語学の教授に言われた通り自分の生きる道を自分で探した。
 自分の体を軍曹が出会う前に戻す。撃たれた左肩を治したのも能力だ。足と手の傷が塞がり戻るとゆっくり服を着た。近く、男の荒い呼吸音がする。その兵士だけわざと殺さずに生かしておいた。他の兵士は私が犯されているのを興奮していたが、こいつだけは冷静だった。まるで興味無さそうな感じに。だから、その男だけは生かした。そのことをその生かした兵士に説明した後、その男の両手を後ろで拘束具をつけておく。この男には暫く役立ってもらう。



 あの後、どうなったのか気になった私は日本語が喋れた大学教授が死亡したと知った。世間は私が殺したと思い込んでいる。勿論、やったのは私ではない。私を殺そうとした軍人だ。もしかすると私をファックしたあの男かもしれない。政府は私に懸賞金をかけた。大学教授の墓は特定でき、私はその墓地に向かった。糸杉の通りを歩き、墓を見つけると、私は右手でそっと墓石に触れる。すると、墓石は倒れ地面の土が盛り上がると、そこから腕が生えてきた。私はその手を掴み引き上げた。
 出てきたのは墓の下で眠っていた筈のコナーズ教授だった。教授は口の中に入った土を吐き出しながら「どうなってる」と訊いてきた。
「教授、あなたはさっきまで死んでいた。私が生き返らせた。多分、あなたを殺したのは軍人だと思う」
「ああ……そうだ、私は死んだ。だが、何故? 君の力は時間じゃなかったのか?」
「あなたが死ぬ前の時間に戻した」
「そんなことが可能なのか!?」
「教授、あなたの人生は確かにあの時に終わった。これからのあなたの時間は私のもの。私の為に協力してくますね?」
「……分かった」
「まずは家が欲しいです。雨風が防げる場所」
「他に要望は?」
「風呂つき。あとベッド」
「用意できる。私の持っている不動産の中にその物件がある」
「言っとくけど教授、あなたは」
「死んでいる。私は死んでからどれくらい時間が経っている?」
「3日」
「家族でも知らない私の別荘がある。そこに案内しよう」
「家族でも知らない物件?」
「私の実家だ。今は空き家で誰にも貸し出していない。本当は親友に貸す予定だったけど、その前に私は死んでしまったから」
「成る程。それじゃそこを案内して」
「分かった」



◇◆◇◆◇



 コナーズ教授は精悍な顔つきをしており、私のタイプの顔をしていた。でも、きっと私は恋愛が出来ない。普通ではないからだ。能力者で国籍もなく人を殺した。普通が何なのか分からなくても、私が普通でないことの説明は容易だ。
 そのコナーズが案内した家の入口は陰鬱な雰囲気が漂っていた。杉林の中にある散歩道の途中にあるからだろうか、日当たりは悪そうだ。だが、コナーズが言うには庭の方は明るくて杉林がないという。塀の向こう側は市が運営する公園になっているんだとか。街の中に自然があるんだと思ったけど、コナーズは人工的につくられたもので最初からある自然ではないと否定を含む説明をした。
 家の中には家具がまだ残されており、家族の白黒写真まであった。
「人に貸し出す予定だった家の割に写真まである」
「写真は片付ける予定だった」
「思い出の家じゃないの?」
「元々はここは母の実家だ。父のは屋敷で不動産を幾つも持っている。私は独立する際に中古で売りに出されたこの家を買ったんだ。父は何故わざわざ家を買ったんだと訊いたが、母は言葉にしなかったが嬉しがっていた。ここに私の思い出はない。父が亡くなるまではこの家に住んでいてそのままなだけだ」
「その割には掃除がされてある」
「一人でいても寂しいだけだ」
 コナーズはそう言って部屋を案内する。二階建ての家は、寝室が二階にあり、コナーズはその隣の部屋を使うことになった。
 一階に降りると、コナーズは私に「何か買ってくるが、必要なものはあるか?」と尋ねてきた。私は「とりあえず食べ物」と答えコナーズは「分かった」と答え家を出た。コナーズが裏切るかもしれないと思ったのはその後だが、その可能性は低いと私は特に焦りも感じなかった。
 暫くして待っていると玄関の開く音がした。私は銃を用意したが、コナーズだった。
「それで私を撃つつもりか?」
「いいえ」
「なら、それをしまってくれ」
 コナーズはそう言ってキッチンへ向かう。買ってきたもので料理を始め、1時間後に二人は食事にした。その間風呂に入った私は体から洗剤の香りが仄かにしていた。
 私は旺盛に肉をかぶりついた。何の肉か聞くのを忘れたと思ったが、どうでもよくなった。コナーズは黄色のスープに緑のサラダだった。
「能力を日に日に使いこなしているな」
「気づいたら出来た」
「そういうものなのか」
「あなたは他の能力者を知ってるんでしょ? どうなの?」
「ああ、知っている。例えば魔法使いのような能力者は実際呪文を唱えると魔法が出た」
「なんて魔法?」
「火とか水とか。確か……トリファイアとかだったか? 3つの火の玉が同時に出てきて、警官を丸焼きにしていた」
「その人はどうなったの?」
「狙撃された。頭を撃ち抜かれて。まだ、能力を目覚めたばかりだったからそれで済んだ」
「悲しんだ?」
「……いいや。何故か悲しいとは思わなかった」
「それじゃ何て思ったの?」
 コナーズは暫くその時の状況を思い出してから「何も思わなかった」と答えた。
「どうして?」
「忘れるよう努力したからだ」
「でも、覚えている」
「ああ……そうだ」



 嫌な記憶というものはこっちが望んでも忘れるものではない。世の中にはどうでもいい情報と忘れてはならない歴史がある。でも、バランスよくとれないのが、人間という不器用な生き物の宿命なのだろう。
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